第97話 戦地に眠る少女

 こうして剣を握るのは、久し振りだと言える。

 リズリーと言う優秀な総司令官を失ってから、まるで動きを見せなかったマージとの休戦期間。その間に平和ぼけしてしまっただろうか。決して剣術を怠っていたわけではないのだが、やはり実戦では少し鈍る。

「レルム殿。ここは我々に任せて、城内へ」

「分かった」

 司令官クラスの騎士に促され、レルムは自分の部下を引き連れて城門前で交戦している他の騎士や兵士達にこの場を託し、手薄なマージ兵を突破して城内に入り込んだ。

 デルフォスを離れて一ヶ月あまり。戦は上場と言えた。

 つい先日。新たな指揮者として立ち上がったのは戦場に不慣れなマージ国王自らだったが、策略も円陣もどれもがリズリーの時には遠く及ばない。国の周りと城の内外に配置された兵士達のパワーバランスもバラバラで、チームワークが取れていない。その為か思いのほか手こずる事無くここまで来れた。

 今回の遠征に乗り出したのは、デルフォスを筆頭に同盟国の各国々の精鋭部隊等が集結しマージ制圧に乗り出している。皆、マージの暴挙に脅かされ多くの犠牲を払った国であり、マージ殲滅に力を貸してくれている状況だった。

 アシュベルト王国のビリード司令官率いるビリード隊、ブレディシア王国のミクリオ司令官率いるミクリオ隊、ヴァレンティア王国のレヴィエント司令官率いるレヴィエント隊など、どの軍隊もエリート中のエリート揃いだ。

 城の外は彼等に託して城内に乗り込んだレルム達は、一堂に掛かってくるマージ兵を次々に打ち負かしていく。レルムもまた襲い掛かるマージ兵を容赦なく切り捨て、先へと進む。

 目的はマージ王。彼の首を取らない限り、この国を制圧できたとは言えない。だが、やはり敵国も一国の主を失うわけにはいかないと、マージ王をどこかへと非難させているせいか王室にはおらず、玉座の間にもいない。その他匿えそうな場所を全て当たって見たものの隠し通路もなければ人の気配すら感じさせなかった。

 こうなっては、手分けをして無数にある部屋を一つ一つ見て行くしかない。生存者で戦う意思のある者には刃を、意思の無い者は捕縛し国王の居場所を知っているかどうか口を割らせるつもりだった。

「……どこへ行ったんだ」

 レルムは小さく舌打をし、僅かに焦りの色を見せながら辺りを見回す。

 城の一部にはあぶり出し目的で火が放たれ、あまり悠長な事をしている暇は無い。出来るだけ早く国王を見つけ出さなければ……。

 手近な部屋をいくつも蹴り破り中を確認して周る。いくつかの部屋を見て周るうちに、他の部屋とは少しだけ扉の造りが違う部屋の前に行き着いた。

「……」

 レルムは一瞬動きを止めてゆっくりと剣を握り直すと、慎重にその扉を押し開く。

 小さな軋みを上げて開いた扉から緩やかな風が流れ込み、室内は水を打ったかのように静まり返っている。

 注意深く周りを見回しながら中に入ったレルムは、あまりにも家財道具の置かれていない簡素な部屋に僅かに警戒心が緩む。

 暖炉と小さなテーブルと椅子が一組。床には大きなカーペットが一枚置かれているっきりで、どこにも人が隠れられるような場所はない。

 暖炉の傍にある別室へと続く扉まで近づくと、レルムはそっと手をかけて念のため用心深く押し開く。そして中に入ると、やはり必要な道具以外何も置いていない寝室があった。

「何だ……この部屋は……」

 レルムがあまりにも生活感の無い部屋に思わずそう呟く。

 寝室にはさほど大きくはない天蓋付きのベッドと、衣装棚が一つ置かれているきり。あまりに殺風景な光景に、レルムは完全に緊張感を解き部屋を後にしようと再び扉に手をかけた。

「……?」

 ふと、視界の端に映ったベッドに、何か動くものが止まる。そちらを振り返ると、天蓋のドレープとレースの物陰に小さな膨らみが見えた。しかもそれは緩やかに上下し、明らかに誰かが眠っている。

 レルムは今一度剣を握り直し、ゆっくりとベッドに近づく。そしてそっとレースを上げて覗いてみると思わず目を見張ってしまった。

 ベッドの上に、小さな体を更に小さく丸め込んで眠る一人の少女がいたのだ。

「子供……?」

 見た目は4歳ぐらいだろうか。くせっ毛の強い長い赤毛を乱し、薄汚れた洋服を着たまま眠っている。

 この子はなぜここに一人でいるのだろうか。見たところ、ろくに世話をされているようには見えなかった。よくよく見てみれば服だけじゃなく肌も汚れ、髪も汚れて僅かに黒ずんでいる。監禁し虐待されているのかとも思ったが、見える位置からは体に傷や痣があるようではない。

 レルムは剣を鞘に収めて少女の近辺を探ると、ベッドの隙間に僅かにはみ出た紙を見つけてそれを拾い上げる。そして二つに折り畳まれたその紙を開いた瞬間、レルムは驚きと動揺に目を見開いた。

「……リズリー……」

 手紙の文面を見て、口をついて出たのは今は亡きリズリーの名だった。

 レルムは動揺したがひとまず手紙をポケットに収め、ベッドサイドに肩膝を着いて眠っている少女の肩に手を置き、静かに声をかけた。

「……マーヴェラ」

 その呼びかけに気付いて、少女――マーヴェラが目を覚ましうっすらと目を開く。そして数回瞬きをして目の前にいるレルムの姿をハッキリと視界に捉える。するとマーヴェラは驚いて目を見開き、自分の肩に置かれていたレルムの手を弾いてベッドの端まで後ずさりをした。

 見知らぬ人間がいきなり目の前にいるのだ。当然といえば当然の反応ではある。しかし、彼女をこのままこの場に残しておくわけにはいかないと、レルムは驚かさないように静かに声をかけた。

「驚かせてすまない。私はレルム。ここは危険だから、私と一緒に行こう」

「……っ」

 マーヴェラは何も言わずにこちらを睨みつけながら、歯を剥き出しにして獣のように唸る。

 完全にこちらを警戒し、怯えているのは良く分かった。簡単に彼女が言う事を聞いたりはしないと分かっていても、何とかしてここから連れ出さなくては命の保障は無い。

 力づくで無理やりこの場から連れ出す事も出来なくは無いが、これだけ警戒心が剥き出しの彼女を無駄に刺激するのは得策とは言えない。

 レルムはゆっくりとした動作でベッドに腰をかけ、そっとマーヴェラに手を差し出しながら柔らかな笑みを浮かべる。

「大丈夫だ。さぁ……おいで」

 そっと差し出した手を彼女の前に持っていくと、マーヴェラは更に身を引いて怯えた色を露にしていた。だが次の瞬間。何かに気付いたのか、マーヴェラはおそるおそる差し出された手に近づき、スンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。すると彼女はハッとなり、レルムを見つめた。

 食い入るようにじっとこちらを見つめてくる朱色の瞳の彼女の視線から、レルムも逸らす事無く真っ直ぐに見つめ返す。

「……おいで、マーヴェラ」

 もう一度彼女の名を静かに呼ぶと、マーヴェラはそれまでとは打って変わり弾かれたようにその場から駆け出して勢い良くレルムに抱きついた。

 胸に飛び込んできたマーヴェラを優しく抱き寄せ、レルムは深く息を吐きながらふっと目を閉じる。そしてゆっくりと目を開くと、彼女を抱きしめたままその場に立ち上がった。

「……心配はいらない。君の事は、私が守るよ」

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