第96話 想い馳せる

 気難しく、心を開かない王女として知れ渡っていたプリシラが、リリアナのおかげで以前よりも接しやすく打ち解けてくれるようになったと、ヴァレンティア王からデルフォスに喜びの報告を寄越してきたのは、あれから一週間ほど経ってからだった。

 まだ高飛車な態度は取るものの以前に比べればだいぶ良くなったようで、自ら作っていた壁を少しずつ壊しながら周りと打ち解け始めたおかげもあるのか、笑顔が増えた。と、ヴァレンティア国王は心から喜んでいるらしい。

 手紙を読んでいたポルカは、父の容態を診る為に部屋に来ていたリリアナに視線を向けると、それに気付いた当人はきょとんとした表情で顔を上げる。

「凄いわね。他の人たちがかなり手を焼いて、それでもダメだったあのプリシラ王女を改善させるだなんて」

「そんな、別に大したことしてないんだけど……」

「“多くの人と付き合うと言う事は自分にとって得る物も多くなり、果ては国を統治する者として必要な信頼関係にも繋がる”だなんて、あなたの口からそんな言葉が出たのにビックリだわ」

「え!? うそ、そんな事まで書いてあるの?」

 今更ながら自分で言ったその言葉を改めて復唱されると、堪らなく恥ずかしくなってくる。

 リリアナはうろたえながら医療道具をその場に置いてポルカの座るテーブルに駆け寄り、手紙を横から覗き込むとそこには確かにそう綴られている。

「プ、プリシラったら、そんな事までお父さんに言ったんだ……」

「あら、とても素晴らしい言葉よ。知らない間にあなたもすっかり王族としての自覚が身についただけじゃなく、立派に育っていたのね」

 感心したように微笑みながらそう言うと、リリアナは複雑そうな顔を浮かべて黙り込んだ。

 嬉しいような恥ずかしいような……。ただ自分はそうだと思ったから言ったのであって褒められるような言葉ではないと思っていただけに、ムズ痒くなる。

「どうした。何の話だ?」

 そこへ薬の点滴を済ませて起きてきたガーランドが、不思議そうな顔を浮かべて歩み寄ってくる。ポルカは持っていた手紙をガーランドに差し出すと、ガーランドは黙ってその手紙に目を通した。

「……ほほう、リリアナ。お前は私の知らぬ間に、外交まで出来るようになっていたのだな。我が娘ながら、とても誇らしく思うぞ」

 ニッコリと微笑んで大きな骨ばった手で頭をなでられる。

 頭を撫でられるのは嫌いではないが、こうして改まってされるとただ恥ずかしくて仕方が無い。

「ベ、別に、外交なんてそんなたいそれた事をして来たわけじゃ……」

「照れずとも良い。うむ……、今のお前ならどこへやっても恥ずかしくはなさそうだな。さて、リリアナ。わしを診察してくれるのだろう?」

「……あ、はい」

 どこへやっても恥ずかしくは無い。その言葉に、リリアナは瞬間的に言葉が出てこなかった。

 ガーランドはやはり、誰かのところへ嫁がせるつもりでいるのかもしれない。そう思うと先ほどの照れなどよりも戸惑いの方が先に出てくる。

 どっかりとソファに腰を下ろした父の前に足早に回りこみ、黙り込んだまま血圧や脈をとる。手馴れた様子で診察をするリリアナを見つめ、ガーランドはしみじみと呟いた。

「しかし……行方が分からなくなってからしばらく、お前が医学を学んでいたとはな」

「医者の家で育ってきましたから……」

 ルシハルンブルクの医療班から日々の記録をつけるように手渡された用紙にメモを取りながら、リリアナは顔を上げることもなくそう答える。

 まだ、面と向かって父と会話するのは何となく出来ないでいた。恥ずかしいとも違う、怖いとも違う。ただ何となく話しにくいと自分が勝手に思っているだけなのかもしれない。

 ガーランドは捲り上げていた袖を下ろしながら感慨深く、そんなリリアナを見つめていた。

「お前は城を離れて、わしたちの手が離れた場所で長い間暮らしてきたからこそ得られた、他の王族の人間にはない物を持っているのだな。それは……、きっとこれからのお前の強みになることだろう」

「……」

「誰からも愛される、素晴らしい人間になれると確信しているぞ」

 年齢の割に皺の寄った顔に笑みを浮かべて微笑む父に、リリアナは思わず顔を上げた。

 父の発言はどれも、自分の事をとても大切に想ってくれている言葉ばかりだった。こんなにも愛情深い親の元に戻れた事は、未だに感謝するべきことである。

「さて、わしは少しその辺りを散歩に出る事にしよう。もう少し体力をつけんとな。護衛官達に声をかけてくれ」

 ガーランドは召使にそう声をかけると、すぐさま召使は部屋を離れクルーを始めとする数十人の兵士達と共に部屋を後にした。

 聴診器などの医療器具を片付けたリリアナは、出て行った父の後姿を見送り溜息を小さく吐く。

「……お父さん、やっぱりあたしをどこかに嫁がせるつもりなのかな」

 何気なくぽつりと呟くと、ポルカは小さく笑みを浮かべて首を傾げた。

「そうね。でも、この国の跡取りはあなたしかいないのだから、どこかの国から婿入れと言う形になるでしょうね」

「婿入れ?」

「えぇ。男児がいるのなら別だけど、私達の場合は婿入れをしない限りこの国は潰えてしまうわ」

 嫁に出る事はないが、他国から王子を婿入れさせる必要がある……。と、言う事は、正統な王位継承権を得ている第一王子ではなく第二王子以降の王子を婿入れると言う事になるのだろうか。

「王位を得る為に、あなたを巡る王子の紛争は激しくなると思うわ。そこにお父様が介入されるとなると、さらに過激になってくるでしょうね」

 そう言いながら、ポルカは机の引き出しから十枚ほどの手紙を差し出してきた。リリアナはそれを見てポルカを見上げると、困ったような笑みを返してくる。

「各国の王子からの手紙よ。あなたの気付かないところで、もう彼らの争いは始まっています」

「……」

 リリアナはその手紙を受け取り、何気なく中を見てみる。するとどれも、もっともらしい理由をつけて婚姻を望んでいた。

 何も言わずに黙ってそれらを見つめているリリアナに、ポルカは真剣な眼差しで口を開く。

「王位継承権を得たいが為に求婚してくる王子、財政破綻間際で国の建て直しを計りたいが為に政略結婚で申し込んでくる王子。様々よ。ロゼス王子のように、第一王子は生まれた時から安泰でも第二王子から後は、正直言って私利私欲の為の結婚となるでしょうね」

「……そんな上辺だけの人のお嫁さんになんか、なりたくない」

 リリアナはポツリと呟くように、正直な気持ちを口にする。

 ポルカはきゅっと口を引き結び、小さく頷き返した。

「そうね。皆がみんな、ロゼス王子のような方だったらまだしも、そうでない事の方が多いのが現実だもの」

 手紙をそっとテーブルに戻しながら、リリアナはポルカを不安そうに見上げた。このまま何もしないで居たら、きっとガーランドも手伝ってどんどん結婚の話が進んでいくのだろう。そうなったら、もう後戻りは出来なくなってしまうのかもしれない。そう思うと不安で仕方がなかった。

「レルムさんは、どうするつもりなのかな……」

「分からないわ。あの子はあの子なりに何か考えているのかもしれないけれど、その考えも果たしてあの人の前で通用するかどうか……」

「……」

「まして、お父様が大臣として就任された以上、とてもやり辛いでしょうね」

 諦めたような言い方ではないが、ポルカの言葉に酷く重さが込められている。

 リリアナは医療器具の入った鞄をぎゅっと抱きしめて視線を下げた。

「……あたし、他の王子と結婚しなければならなくなるかもしれない覚悟を、決めておかなきゃいけないのかな」

「……そうね」

 力ないポルカの言葉に、リリアナは小さく溜息を吐いた。

 これまでも明確に見えていたはずの道の先が、より鮮明に映し出されたようで辛くなる。今のままではほぼ確実に、レルムではない他の王子と結婚しなければならなくなるだろう。

 父が復活したと言うだけでこの重圧は相当な物だ。

 ポルカは落ち込んだリリアナを見つめ、静かに語りかける。

「お父様は国王である以上、第一に国の事を考えなければならない立場にいます。なぜか分かる?」

 リリアナはゆるゆると首を横に振った。

 本当は分からないわけではなかったが、“分かりたくない”と言う気持ちの方が強かった。それをポルカも分かっている上で話を続ける。

「国とは、王族だけで成り立っているわけではありません。国を支える多くの民達が居てこそ成り立つもの。王とは、その民達の生活のためにも国を支え、指揮をし、出来る限り公平な判断を下し、動かなければならないのです。国としての存在が危うくなれば民達にも苦しみを与える事になる。だから何よりも先ず率先して国の事を考えなければなりません」

「その為に、子供は望まない人との結婚をさせられるんでしょ」

「そうね。子供の将来を考えるなら、子供が望む人と婚姻をさせる方が良いのでしょうけれど、それでは国は終わってしまう。後世に残す為にはそれも仕方が無い事であるのは確かだわ」

「……王族って、窮屈なばっかり。何も知らなかった頃は、どんな煌びやかで楽しく優雅な生活を送っているんだろうって憧れもしたけど、実際その立場に立って見たら自由も少ないし将来まで決められていて、ほんと窮屈」

 リリアナはきゅっと下唇を噛み、寂しそうに表情を曇らせる。

 レルムの事を諦めるわけではないが、例え諦めなくとも他の人間と結婚させられてしまう。そう思うとどうしても息苦しくなる。

「リリアナ……。でも、私はあなた達の事最後まで応援しているわ。何か方法がないかどうか考えてみましょう?」

 励ますようにポルカがそう声をかけると、リリアナは小さく頷き返す。

「……うん。ありがとう、お母さん。じゃああたし、部屋に戻るね」

 何とか取り繕うように微笑みかけ、リリアナは部屋を後にした。

 色々と考えながら自室へ戻ると、鞄を机の上に置いて窓辺に立った。

 レルムは今、どうしているのだろう。戦地で戦っているのだろうか。怪我をしてはいないだろうか。生きて帰ってこれるのだろうか。いつ、戻ってこれるのだろうか……。

 そんな思いを窓から見える空に馳せる。

 彼が戻ってくる前に、もしも縁談が進んでしまったら、自分は一体どうしたらいいのか分からない。いくら母の力添えがあったとしても一人で父に抗えるとはとてもじゃないが思えなかった。

「レルムさん……。あたし、他の人と結婚させられてしまう覚悟を、決めておかなければダメですか?」

 遠くのこの空の下で戦っているレルムに向かい、リリアナはポツリと語りかけた。

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