第92話 王の帰還.2

 ガーランドの帰還、復帰祝いは盛大に行われていた。今日この日を含めて、この祝福パーティは3日間続くという。

 王の帰還を待ち望んでいた市民たちは久し振りに姿を見せたガーランドに歓喜し、涙を流して喜び合う。そして招かれた貴族や他国の王達も皆がガーランドの復帰を喜んでいた。

 あたり一面お祝いムード一色に染まる中、玉座に座っていたガーランドの横顔に疲労の色が見えているのを隣に座っていたリリアナは見逃さなかった。

「……あの、お父……様」

 言い慣れない言葉に詰まりながら、父を気遣って椅子から身を乗り出し遠慮がちに声をかけると、ガーランドは視線をお祝いに駆けつけてくれた人々に投げかけたまま僅かに体を傾けてくる。

 何事もないような風を装っているものの、近づいた彼の顔色はやはり優れないようだった。

「あまり無理をされない方が……。お顔の色が良くないです」

「……いや、いい。この会場に来ている人々は皆、私のために集まってくれている。それを無碍にするわけにはいかないからな」

「でも……」

 頑なに休むという選択を選ばないのは、彼の本来持っている強情な気質のせいなのだろうか。

 義理と人情に厚く、自分にも他人にも厳しい人。王様らしいその威厳を発揮しているのだが娘としてはいささか気が引けて仕方がない。

 心配げに見つめていると、ガーランドはようやくこちらに目を向けて小さく笑った。

「案ずるな。私なら大丈夫だ」

 そうは言われても、まだ完全な病み上がりとは言えないのだから無理はしないで欲しいのが本音だ。リリアナはガーランドを挟んで反対側に座っているポルカに目配せをすると、それに気付いたポルカは小さく微笑みながらゆるゆる首を横に振った。

 お父様のご意思を尊重しなさい、と言っているのが分かる。

 王様とは、そんなに無理をしないといけないような立場なのだろうか?

 ハラハラした落ち着かない気持ちで座っていると、ガーランドの前に見知った人が現れた。いや、正確には知っているが知っていないと言った方が正しいのだが……。

 その人物は綺麗に着飾った初老の女性と共にガーランドとポルカの前に跪き、頭を下げた。その二人を前に、ガーランドの表情は一瞬明るくなる。

「おお……。久方ぶりだな。バッファ、クラン」

「はい。この度は無事のご帰還、心よりお喜び申し上げます」

 名前を呼ばれた二人は顔を上げると目を細めて微笑んだ。

 深いブルーの短い髪と髭、明るい灰色の目をしたバッファと呼ばれた男性と、金髪に緑色の瞳をしたクランと呼ばれた女性。この二人を見つめていると、頭の中でカチリと合わさる物があり思わず声がもれた。

「あ……」

「……どうした? リリアナ」

 思わず呟いた言葉に反応を示したガーランドに、リリアナは慌てて首を横に振った。

「い、いえ、何でも……」

 急いで取り繕うと、バッファとクランは改めてこちらに向かい恭しく頭を下げてきた。

「これは、リリアナ様。お初にお目にかかります。私は現総司令官であるレルムの父、バッファとその妻のクランでございます。以後お見知り置きを……」

「あ、えっと、はい……」

 ドギマギしながら、何とか答えた返事は王女としての品格として見れば失格だろう。だが、そんなリリアナの姿を誰も咎める事はなかった。むしろ微笑ましく思っているのか、その顔には笑みが浮かんでいる。

「リリアナ様がデルフォスから行方を晦ましてしまった日の事、未だ鮮明に覚えております。こうしてまたお元気なお姿でお会いできた事が、夢のようでございます」

 バッファのその言葉に、リリアナはハッとなった。生まれたばかりの頃の自分を知る人物に初めて出会ったのだ。家族以外で幼い頃の自分を知る数少ない人との初対面。思わず胸がいっぱいになった。

「わ、私も、お会いできて光栄です」

 僅かに頬を紅潮させながらそう告げると、バッファはニッコリと微笑んだ。その笑みが、レルムその人を見ているかのような錯覚を覚えてしまう。

 あぁ、確かにレルムのご両親なのだと再認識し、同時に緊張した。

「バッファ。そなたも私と同じ病で同じ薬を試したそうだな。体は大事ないか?」

 ガーランドは自分のことよりもバッファの体を労う言葉をかけると、彼は深々と頭を下げた。

「はい。ありがたくも、以前のような生活を送れるまでに回復いたしました。食事の面ではまだ少々不便を感じておりますが、それ以外に関してはほぼ戻ったと言っても過言ではございません」

「そうか。それは何よりだ」

「ありがたき幸せにございます。して、ガーランド様。一つお願いがございまして……」

「分かった。では後で時間を作るとしよう。今はこの祝賀パーティを思う存分堪能すると良い」

 バッファの願いとは一体何なのだろうかと不思議に思いつつも、大人の会話にむやみに首を突っ込む事はできない。いずれその話は聞く事になるに違いない。

 満足そうに微笑を湛えたバッファたちは今一度自分たちに頭を下げると、大勢いる会場の中に消えて行った。

 仲がとても良さそうな夫婦だった。二人を見ていると、少しだけ羨ましくさえ思える。きっと彼らも皆から祝福を受けて結婚したに違いない。

 リリアナは小さく溜息を吐き、チラリとガーランドの様子を見ると父は先ほどよりも顔色が悪いのに気付いた。

「お、お父様! 顔色がさっきより悪いです!」

 慌ててガーランドの腕に手をかけると、流石の彼も片手で頭を押さえながら俯いた。

「あなた。今日はもうお休みになられた方が……」

「……う、うむ」

 先ほどとは打って変わり素直に頷いたガーランドに、リリアナは傍にいた兵士を振り返った。するとすぐに現状を察知した兵士は医師と召使を近くに呼び寄せてくれる。

 リリアナはガーランドと共に部屋に戻ろうと立ち上がりかけると、すっと目の前に人影が現れ顔を上げた。

「ここは私が……」

 そう言って微笑んだのはレルムだった。それに合わせてポルカの近くに控えていた大臣のブラディが玉座の前に立つ。

「紳士淑女の皆様。本日はこれをもって両陛下はご退場とさせて頂きます。皆様はどうぞ、そのままごゆっくりお過ごし下さい」

 ブラディの気を利かせたその言葉に、その場にいた全員がこちらに視線を投げかけ恭しく頭を下げた。そんな彼らに軽く手を挙げたガーランドはレルムに支えられ、ポルカや召使たちと共にこの場を去ろうとする。当然ながら自分一人がここに留まるわけにもいかず、ポルカに習い会場を後にした。

 ヨロヨロとよろめくガーランドを自室まで届けると、レルムは一礼をしてすぐに部屋を後にした。ポルカとリリアナは着る物を脱ぎ捨てて横たわったガーランドを心配そうに覗き込んだ。

「だ、大丈夫ですか? 今お水を……」

「……よい。バッファとの取次ぎには応対するゆえ、今は少し休ませてもらう」

 少し上がり気味の呼吸で、溜息のようにそう呟いたバッファはすぐに眠りについた。

 ポルカはそんなバッファからリリアナに視線を移すと、ふっと微笑み返す。

「ここは私がついているわ。あなたも疲れたでしょう? 今日はもう部屋へお戻りなさい」

「でも、あたし……」

 うろたえたように言うと、ポルカはクスクスと笑いながらポンとリリアナの肩に手を置いた。

「大丈夫よ。あなたには明日から頑張ってもらうわ。だから、ね?」

 諭すようにそう声をかけると、リリアナは腑に落ちない様子ながら頷き、後ろを振り向きながら部屋を出る。そしてそっと扉を閉めて溜息を一つ吐くと、中庭の中にあるベンチに腰を下ろした。

「王様って、大変なんだなぁ……」

「えぇ。そうです。国王とは時に無理を強いられるものですよ」

 思いがけず背後から声を掛けられ、反射的に振り返るとレルムが立っていた。その姿を見てリリアナは僅かに口を尖らせる。

「また驚かそうとしましたよね」

「まさか。そんな事はありませんよ」

 レルムはクスリと笑いながら、リリアナの前に立った。

 夕日が傾いた太陽を背に立つレルムはにこやかに手を差し伸べてくる。

「私と一曲、踊っていただけませんか?」

「え……? でも、ここじゃ……」

 突然の申し出に戸惑うリリアナの手を取ると、ぐいっと引き寄せる。よろめくようにレルムのすぐ傍に引き寄せられたリリアナは驚いて見上げると、途端に頬を染める。

 レルムは軽く抱き寄せるようにしながら、そっと耳元で囁く。

「……ですから、曲の届く人目につかない場所で、ですよ」

「……っ」

 リリアナはカーッと耳まで赤く染めながらも、レルムの両親がここを訪ねて来る可能性を考えて彼から、握り締められている手はそのままにそっと離れながら頷き返した。

「あ、あたし、あんまり上手くない、ですよ?」

「構いませんよ。私がレッスンしてさしあげます。……いつかのように」

 ふっと微笑むレルムに、リリアナは随分昔の事を思い出しながら赤面しつつ頷いた。

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