第93話 最後の逢瀬

 リリアナとレルムは連れ立って、パーティの行われている会場近くの小さな庭園にやってきた。背の高い木々が生え揃い、うまい具合に二人を隠してくれている。

 会場から微かに聞こえてくる音楽が、今丁度ダンスを楽しんでいる事を伝えていた。人々の賑やかな声も同時に聞こえる。

 互いに向かい合い真っ直ぐに見つめ合うと、リリアナは悪い事をしている後ろめたさも手伝って、緊張した面持ちながら照れと恥ずかしさがこみ上げてくる。

「あの……何だか恥ずかしいです」

 あまりに見つめられるとどうして良いか分からなくなり思わず目を逸らしてしまうと、レルムはそっと頬に触れてくる。

「……目を逸らさないで、私を見ていて下さい」

 静かに語る声音がいつになく妖艶に聞こえ、リリアナは視線を逸らしたまま、ますます顔を赤らめてしまう。

「で、でも、緊張して……」

「駄目ですよ。ちゃんと私を見て下さい」

 咎める風でなく静かに諭されて、リリアナはおずおずと視線を上げた。すると、レルムは満足そうに笑みを浮かべる。

「……そのまま見ていて下さい」

「う……は、はい」

 火が出そうなほど赤くなっているリリアナの腰にそっと腕が回されると、二人の距離がぐっと縮まる。しっかりとレルムの腕に腰を押さえられ、密着している事にいつまで経っても慣れそうにない。

 これまでも何度か抱きしめられたりする事はあったのに、こういうかしこまった状況が慣れさせないのだろうか。まるで初めてのように緊張してしまう。

 腰に回されたレルムの腕におずおずと手を添えると同時に反対側の手を絡め取られ、二人はダンスの基本姿勢の形を取る。

 目を逸らすなと言われたのは、これが初めてじゃない。初めて手ほどきを受けた時も同じ事を言われた事を思い出す。ただ、あの時はペブリムがレルムだとは思っていなかったが、少なくともレルムと言う存在を勝手にこちらが重ねて見ていた記憶がある。そんな事を思い出すと、いつまで経っても顔の熱が引きそうにない。

「あ、足とか、踏んじゃったらゴメンなさい」

「大丈夫です。あなたのダンスは決して下手ではないですよ」

「でも……」

 何か言い続けていないと、どうしても落ち着かない。ダメだと分かっていても思わず視線を下げてしまうと、思いがけず頭上に温かく柔らかい物が触れてくる。

 リリアナが驚いて顔を上げると真剣なレルムの顔が至近距離にあり、ドキリと胸が鳴った。

「また視線をそらすなら、キス、しますよ?」

「い、今もしたじゃないですか」

「……」

 たどたどしく言うと、レルムは意地悪そうに笑いぐっと顔を近づけてくる。リリアナは咄嗟に目を閉じると、予測した場所ではなく首筋にレルムの唇が触れてきた。

「あっ……」

 ついばむような優しいキスが首筋をなぞる様に降る。その度にゾクリとした感覚が襲い、無意識にも声が漏れ、体が震える。

「レ、レルムさん……っ」

 ギュウっと目を閉じて思わずレルムの体を押し返すと、彼の唇はすんなり首筋から離れていった。

 こんな状況で、ダンスなど出来るはずがない。

 いつになく性急で、リリアナの心臓は早鐘のように鳴り息苦しさや目眩さえ、肩で息を吐きながら唇で触れられてジンジンと痺れる首を押さえ、僅かに涙目になってレルムを睨む。

「こ、こんなトコにするなんて、ズルいですっ。今は目だってそらしてないのに」

 真っ赤になりながらそう言い返すと、レルムは少し残念そうに微笑んだ。

「すいません。つい……」

「つ、ついって……」

 恥ずかしそうにむくれながら彼を見ると、腰に回されていた腕がするりと離れた。それが変に寂しく感じ、リリアナは戸惑いを覚える。

 先ほどのキスを拒んだから、機嫌を悪くしたのだろうかとも思った。だが、彼がそんな事で機嫌を悪くするような人間でないことは分かっている。何より、遠くを見やる彼の視線はどこか物憂げなように見えて仕方が無かった。

 何かが変だ。いつものレルムとは違うような気がする。

 そんな予感がしていた。

 レルムはリリアナから視線を外し、すっかり暗くなっていた庭園を見つめたまま口を開いた。

「……もう、こうして二人で会うのは、これで最後です」

  突然告げられた言葉に我が耳を疑い、リリアナは目を見開いた。先ほどまでの茹で上がってしまうのではないかと思われるぐらい火照っていた熱が、この瞬間で引いてしまった。

「今、何て……?」

 一回で理解出来ず動揺を露わにしているとレルムはリリアナを振り返り、真剣に、しかしやはりその表情は物憂げにもう一度同じ言葉を口にする。

「あなたとの逢瀬は、これが最後です」

「な、何で……?」

 眉根を寄せ、遅い来る不安に泣き出しそうになりながら問い返すと、レルムは静かに言葉を続ける。

「ガーランド様がお戻りになられた今、こうして逢瀬を重ねる事は難しいのです。人目をはばかりながらの密会は、いつか必ず誰かの目に止まるはず。そうなれば、私達の関係はそこまでです」

 終わり。そうハッキリ告げられ、リリアナは崖の上から突き落とされたような気持ちになった。

 何と言ったら良いのか、言葉を探してみるが見つからない。

 そんな事はない。これから先も自分たちの関係は間違いなく続いていく。そう信じているからこそ余計に不安になる言葉だった。何もこれが本当の別れではないと言う事は分かっているが、それでも突き放されたかのようで酷く寂しさを駆り立てた。

 ガーランドの帰還で、これまでのようには行かなくなると理解しているはずだったのに、いざそうなってみるととても怖く、辛いものだ。

 すっかり落ち込んだ様子のリリアナを見て、レルムは彼女の手を取る。

「あなたの事を愛しています。その気持ちは今も変わりません。これから先もずっとあなたを想っています。ですが、職務の関係上二人になる事はあっても、こうして二人きりで逢う事は出来ません」

「そんな……」

 嫌だと言うのは簡単だろう。だが、リリアナも事情が分からないほど無知では無くなっていた。だからこそ言葉が見つからない。

 人目を盗んで会う事が、少しばかりスリリングで緊張感があり、知らず知らずそれを楽しんでいたところが無いわけじゃなかった。だが、直接的に会えないと言われると、ショック以外の何ものでもない。

 レルムは気まずそうな顔を浮かべる。

「それから……私は、しばらく城を離れる事になります」

「え……。どうして……?」

「先ほど、今まで動きを見せなかったマージに動きがありました。私は今度こそ、全ての過去の清算のために、あまたの兵を引き連れてマージを殲滅しに向かう事になります」

 忘れていたが、戦は自分の知らないところで続いている。動きを見せていなかっただけに、もう全ては終わったのだと勝手に解釈してしまっていたリリアナは、再び戦地に向かうレルムの事を思うとゾッとした。その言葉にいよいよリリアナは不安に駆られ、思わずレルムの腕を掴む。

「レルムさん……あたし……」

「……あなたを置いて死んだりはしません」

 動揺するリリアナの心情を汲み取り、レルムは静かにそう付け加える。

 自分を置いて死んだりしない。その言葉に嘘はないのだろうが、信じる事も出来なかった。

 必ず生きて帰ると信じて、もしもの事があったらと思うと立ち直れなくなりそうだからだ。

 押し黙ったリリアナを前に、レルムは僅かに視線を逸らして足元に下げる。

「……他にも、色々と問題が無いわけではありません。現大臣の退任と、新大臣の着任。その新大臣には、父が名乗りを上げています」

「え……?」

「父は、もう一度デルフォスの為に人生を捧げる事を望んでいます。それはガーランド様も現大臣も承知の上です。おそらく、それは準備が整い次第すぐにでも実現する事でしょう」

 淡々と語られるレルムの言葉が、分かるようで分からない。ただ、二人にとって今までのような気楽な関係を続ける事は、困難になっていく。それだけは良く分かった。

「それじゃ、あたし達はもう……」

 元気なくそう答えると、レルムはリリアナの額にキスを送った。

「……これまでのように逢えなくなるだけです。私とあなたの心はいつも繋がっていますよ」

 誠実なその言葉に、リリアナは力なく頷き返す事しか出来ずにいた。

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