第85話 尽きない悩み

「なんと……。もう帰られると申すか」

 謁見の間にて、ヴァレンティア国王にデルフォスへ帰る旨を報告すると、国王は驚いたように身を乗り出しながら目を見開いた。だが、すぐに嘆息をもらしながら玉座の背もたれにもたれかかる。

「……あれの性格のせいであろう?」

 困り果てたように国王がそう言うと、リリアナは言葉に詰まった。

 確かに彼女の言い方や性格は、同じ年の女としては随分とひねくれてしまっているような感じもする。そんな彼女を相手にするのは相当骨が折れる事だろう。見る限り、親である国王でさえ手を焼いているようだ。

「……確かに、プリシラ様は少し難しい性格をされていると思います。でも、それだけじゃないんです。上手く言えないんですが、私の方にも色々と込み入った事情がありまして……」

 嘘を言っても仕方がないとリリアナは正直にプリシラの事を伝え、しかし自分の事に関しては言葉を濁した。

「あの……、申し訳ありません。大切な娘さんなのに……」

 心の中で芽生える罪悪感に、リリアナは申し訳なさそうに一言言い添えると、国王はゆるゆると首を横に振った。

「いや、正直に言ってくれて構わない。皆気を利かせてくれるが、それではあれの為にはならんからな。皆の本心は口にする言葉とは裏腹な事は初めからわかっておる事だ」

 半ば諦めとも取れるその言い方に、リリアナは何となく気になって口を開いた。

「……何か、事情でもあったんですか?」

 そう訊ねると、国王は低く唸りながら頷いた。

「あれがあんな風になったのは、幼い時分に皇太后の教育の元で育ったせいなのだよ。私の母は古きを重んじる人だった。王族として恥ずかしくないようにと相当厳しく躾け、外との関わりを持たせずに、まずは王女として身に付けなければならないマナーなどの勤勉をみっちりと叩き込んでいた。気付けば友と呼べる者もなく、母の生き写しのように気難しく傲慢な性格になってしまったのだよ」

「教育係ではなく、皇太后様が教育されたんですか?」

 不思議に思ったリリアナは目を瞬いた。

 自分は今、教育係のモーデルや、馬術などではそれぞれのプロとも呼べる人たちに教えてもらっている。それを皇太后が全て行ってきたと言うのに驚きを隠しきれなかった。

「母はこの国の誰よりも教育に厳しいお方だった。自分の教育に口を出される事を嫌い、何事も全力で取り組む。孫であるプリシラを可愛がっていたのも事実だ。ただ、母の教育方針は古すぎた。行き過ぎた教育が為に、あれは孤独になってしまったのだ」

 深いため息を吐き、国王は酷く寂しい目をして視線を伏せた。

「あれにとって絶対的存在であった皇太后が去年亡くなり、私と王妃は孤独から何とか解き放ちたい一心であちらこちらの王女や王子と引き合わせてみたのだが、あれの性格故に皆、尾を巻いて逃げ出してしまってな。人との付き合い方を知らないままに、プリシラはますます孤独に陥ってしまった」

 リリアナは静かに国王の話を聞いていた。

 王族は王族でも、国によって教育の仕方は全く違うのだと言う事を初めて知った。

 プリシラ王女は余程窮屈な思いを強いられて来たせいで、それが当然だと思い込まされてこれまで来たのだろう。

 そう考えると、彼女は彼女なりに可哀想な立場にある。

 ヴァレンティア国王は、眉間に皺を寄せて黙り込んでしまったリリアナに深く頭を下げた。

「リリアナ王女。この度は嫌な思いをさせてしまい、申し訳なかった。もしかしたらあなたなら、あれの心を開く事が出来るかもしれないと思っていたのだが……やはり難しかったようですな」

「……」

 心に負った傷は決して浅くはない。出来ればもう関わりたくないと思った。しかし、彼女の事を想って一生懸命になっている国王の姿を見ていると、そのまま無視できないような気もする。

 親からの愛情を存分に受けているリリアナにしてみれば、必要な時に愛情らしい愛情を受けられなかった彼女が不憫にも思えた。

「……ごめんなさい。あたし今は余裕がなくて、今回はこのまま帰らせて頂きたいと思います。でも、しばらくしたらまた会合の場を設けて下さい」

 頭を下げる国王を不憫に思い、リリアナは真っ直ぐに見つめたままそう答えると国王は下げていた頭を上げ驚きの表情を浮かべていた。

「リリアナ王女……」

「今まで育ってきた環境が違いすぎて、プリシラ様とは正直馬が合わないと思います。あたしは普通のお姫様タイプじゃなくて、どちらかと言えば市民と同じ感覚を持ってますから、たぶんそれが厳しい教育の中で育ってきたプリシラ様には理解し難いのかもしれないんですけど……でも、時間をかければ分かる事も出てくるんじゃないでしょうか」

 ハッキリと自分の思ったことを口にした上で、リリアナは時間をかければ分かる事も出てくると信じそう伝えた。すると国王は目に涙を浮かべ嬉しそうに微笑むと頷き返す。

「ありがとう、リリアナ王女。あなたのように言ってくれる方は初めてです」

「……いえ。では、失礼します」

 リリアナは力なく微笑み、そして恭しく頭を下げるとドリーとクルーと共に謁見の間を後にした。

 


 ヴァレンティアからデルフォスへ戻ったリリアナは、傾き始めた陽の光を浴びながら中庭にある噴水の傍に座り込み、サラサラと音を立てて流れ落ちる水をぼんやりと見つめていた。

 時間をかければ分かる事も出てくる。

 先ほどヴァレンティア国王に告げた自分の言葉がいつまでも頭の中を渦巻いていた。

「……あたしさぁ、今本当に余裕がないんだなって思った」

 陽の光を浴びて光る水を見つめながら、リリアナはポツリと呟いた。

 すぐ傍に立っていたドリーは、その呟きに困ったような顔を浮かべて立っている。

「リリアナ様のお気持ちは分かりますわ。ガーランド様にも元気になって頂きたいけれど、レルム様とも離れたくないのですものね」

「考えても考えても、ぐるぐるぐるぐる同じところを回るばっかりで何も解決できなくて……。こんなに色々と悩んでる時に、あんな絶対的お嬢様なプリシラ王女の相手なんてしてらんないよ」

 いじけたように口を尖らせ、水面をピンと指で弾いてみた。

 キラキラと光りながら跳ね上がった雫は、すぐに元の水の中に落ちていく。そんな様を見つめながら、何度吐いたか分からない溜息を盛大に吐いた。

「でもね……。ヴァレンティア国王の話を聞いたら、気の毒に思ったっけ。プリシラのお婆さんは凄く型に嵌ったやり方でないといけない人だったんだなって思ったんだけど、そんな人にずっと付きっ切りで教育されていたらあんな風になっても仕方がないのかもしれない」

「お優しいんですね」

 リリアナはドリーの言葉に、彼女を振り返る事もなくゆるゆると首を横に振った。

「違う。これは優しいんじゃなくて、ただの同情だよ。優しさなんてこれっぽっちもない。こんなのが彼女に分かったらきっと怒ると思う。同情なんてそんなものでしょ?」

「……いいえ。やはりお優しいと思いますわ。そこまで考えているんですもの。立派だと思いますわ」

「別に褒めて欲しいんじゃないよ。だけど、あたしならきっと怒るだろうなって思っただけ」

 少しばかりむくれた様子でチラリとドリーを振り返り、そしてすぐに視線を水面に向けた。

「だから、もう一度ちゃんと話し合う機会を作ってもらったの。ちゃんと話さないと分からないことって沢山あるし、彼女の本心が分かればまた少し違った見方ができるはずだし」

 そこまで言って、リリアナはもう一度溜息を吐いた。

「だけど、彼女の何もかも見下したような言い方は凄く嫌。確かに、王族としての自覚があるかって言われたら、あたしなんてほとんどないって言ってもおかしくないだろうけど、相手を知ろうと思ったら身分とか立場とか関係ないんじゃないかな」

 そう言って胸元のペンダントをぎゅっと握り締めながらようやくドリーを振り返ると、彼女はいつになく真剣な目でこちらを見つめていた。

「リリアナ様のおっしゃる事は良く分かりますわ。ですが、それが通用するほど世の中は簡単ではないのですわ」

「そうだよ……だから、それと同じく理屈でどうこう語れるほど、好きって思う気持ちも簡単じゃない」

 沈んだ表情で呟きながら僅かに視線だけを下げ、ブツブツと呟いた。

 だいぶ傾いた陽の光はオレンジ色の帯を引いて庭園を染め上げていた。

「ねぇ、やっぱり話し合いで解決できないのかな。きっとプリシラとは話し合えばいくらか歩み寄れると思う。でも、お父さんは……」

「……」

 今にも泣き出しそうな顔をしてドリーを見上げると、ドリーは眉間に皺を寄せて顔を伏せた。

 その表情が全てを物語っている事は見れば分かる。「話し合いで解決など不可能だ」と無言の言葉が聞こえてくるかのようだ。

「お父さんとは、出来れば諍いを起こしたくない……。でも何も言わずに黙ってたら、たぶん流されるだけだと思う……」

 肩を落として、リリアナは視線を下げた。

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