第八章 苦難の道
第84話 傷
時間は、あっという間に過ぎていた。
マルリース離宮を訪ねてから数日後。リリアナはあの日から、多くを語らなかったレルムの言葉が頭から離れないままでいた。
覚悟は出来ている。そう言ってその場を去ったあの後姿が苦しい思い出となってリリアナの胸に残る。
覚悟とは、一体何の覚悟なのだろうか? 自分との繋がりを断ち切る事に対する覚悟? それとも、困難に立ち向かう覚悟?
考えても考えても、答えに辿り着けないまま時間だけが過ぎていく。彼は彼なりに、自分たちの関係で悩んでいた事は分かっていたが……。
本来なら、ガーランドの回復を喜ばなければいけないのに、両手離しにはとても喜べない。
胸元に隠すようにして身に付けていたペンダントに無意識に手をやる。
もしかするとあの時のキスとこれは、別れる事を前提にくれたものだとしたら……?
そんな悪い想いがグルグルと頭の中を巡り続け、どうしてもその考えにしか辿り着けなくなっている。自分が明らかな負のループに巻き込まれている事は自覚していたが、どうしても抜け出せない。
「ねぇ」
どこを見ているともなくぼんやりとしていると、ふいに声が掛けられ現実に引き戻される。
ハッとなって声の主に視線をやり、あぁそうだった、と思い出す。
ロゼス王子が来る前に設けられていた、ヴァレンティア王国のプリシラ王女との会合。数時間前にドリーと、そして仕事で席を外しているレルムに代わって護衛として付いてきたクルーと共にヴァレンティアに到着してプリシラと対面を果たし、今は親睦を深める目的で広い庭園にある東屋でお茶をしている所だ。
お互い初対面と言うこともあり上手く言葉が繋がらず、会話のうちの八割は沈黙してしまう。そのせいもあって、つい気持ちがレルムやこれからの事について考えてしまうのだ。
思いつめたように顔を顰め、胸元をぎゅっと握り締めるリリアナにプリシラは怪訝そうな目で見つめていた。
「どこか具合でも悪いのかしら?」
「え? あ、いえ、そんな事はないですよ」
慌てて取り繕うように笑いながら首を横に振ると、プリシラはそれ以上興味もないのか「ふーん」と冷めたような目をしていた。
やはりこれ以上の会話が続かない。彼女が人見知りなのか口下手なのか、他人にあまり興味がないのか、会ってから今まで笑顔が見られていない。
リリアナは気を取り直して、そんな彼女に声を掛けてみた。
「えっと、ぼんやりしてすみませんでした。色々考える事があって……」
「私のことでしたら、気にして頂かなくて結構よ」
バッサリと断ち切るかのようにそう言われてしまうと、話の続けようもない。
プリシラの父親であるヴァレンティア国王からの願いは、彼女と友人になって欲しいと言うことだが、こんな調子で友人と呼べるような仲になれるのだろうか?
いくら初対面でも抵抗無く話が出来るとは言え、さすがにリリアナは一抹の不安を感じてしまう。
「こ、この庭園、本当に素晴らしいですね。手入れも行き届いていますし、とても落ち着きます」
「このぐらい、どこも同じじゃありませんの? 褒めて頂く様なものではございませんわ」
「……」
こんなにもバサバサと会話を切られては、さすがに苦笑いしか浮かべられない。だが、リリアナも何か一つでも取っ掛かりがあれば会話が広げられるのではないかと、会話を試みる。
「えー……と、プリシラ様は何がお好きなんですか? 例えば本とか、動物とか……」
「そんな事、あなたに話す必要があって?」
面倒くさそうにそう呟き、プリシラはこちらに視線すら合わせることもなく、つまらなさそうにそっぽを向いたまま大袈裟に溜息を吐いた。
「別に、具合が悪いんでしたら、無理して来る必要なんてなかったのだわ。どうせ、お父様にお願いされて来たのでしょ? ほんと、余計なお世話だわ」
彼女の口ぶりはそっけないと言うよりも、捻くれていると言った方が正しい。相手を見下してばかりで、しかも突っかかるようなトゲトゲしい言い方に、リリアナはさすがにカチンときた。
何か自分が失礼なことをしたのならば、そんな言い方をされても仕方がないかもしれない。だが、まだ会ってロクな会話もないままに噛み付くような言い方をされては苛立たないわけがない。しかし、イキナリ応戦するわけにもいかなかった。両国の親睦が深いと言う事はそれだけ良い関係が保てていると言う事。ここで事を荒立てたとあったら、もしかしたら後々問題が起きる可能性も否めない。
リリアナは顔を引きつらせて微笑みながら、何とか答えた。
「お願いをされたから来た訳ではないですよ。あたし……じゃなくて、私も同じ年頃の友達がおりませんし、プリシラ様とお近づきになってお友達になれたらいいなと思って……」
「……フン」
横目でチラリとこちらを見やりながら、あからさまに鼻を鳴らして視線を逸らした彼女の態度に、リリアナは更なる苛立ちを感じずにはいられなかった。
必死になって膝の上に置いていた手を握り締めて怒りを押し殺していると、プリシラは何かを思いついたかのように意地悪そうな笑みを浮かべてこちらに向き直り、手にしていた扇を広げて優雅に仰ぎ始める。
「そう言えばあなた。聞くところに寄れば、王族でありながら王家の中でずっと暮らしてきたわけじゃないんですってね?」
「え? ええ……そうですけど」
突然振られた会話に、瞬間的に気後れしながらもそう答えると、プリシラはクスリと小さく笑った。
「ついこの間まで庶民と同じ暮らしをしていたあなたが、私と友達になれると本気で思っておりますの?」
やっと会話が続けられそうかも……と思った矢先のその言葉。
リリアナは、鼻で笑いながらこちらを馬鹿にしたような目線を送ってくるプリシラに、いよいよ辛抱堪らなくなって来た。
何か一言でも言い返さなければ、腹の虫が収まらない。なぜ、こんなにも突っかかられなければならないのか分からなかった。
「お言葉ですけど、確かにあたしはついこの間まで普通の一般市民として生活していました。けど、それの何がいけないんですか? あたしは、別にそれを恥ずかしいとは思いませんし、友達になるのに庶民か庶民じゃないかは関係ないと思いますけど?!」
本当は声を荒らげて噛み付きたいところだが、ギリギリのところで押さえ込みそう言い返した。するとプリシラは扇いでいた扇を止めて口元を覆い隠し、目を眇めてこちらを見つめてくる。
「嫌だわ。そんなムキになって。みっともない」
「あ、あなたねぇ……っ!」
彼女はこちらの神経を逆撫でするのが余程上手なようだ。
リリアナはプツンと切れる音を自分の中で聞き、思わずその場に立ち上がって思い切り机に手をついた。
ガチャンと音をたて、テーブルに置かれていたカップから紅茶が僅かに零れ落ちる。
突然の事に驚いたプリシラは目を瞬間的に見開くも、すぐに睨むような目をこちらに向けてきた。
「まぁ。声を荒らげるだなんて何てはしたないのかしら。言葉遣いもなっていないようですし、これだから庶民戻りは何も知らない恥知らずなのだわ」
「あなたこそ、御高く留まっていい気になってるんじゃないわ!」
一度堰を切った怒りは止まらない。もはや売り言葉に買い言葉となってプリシラとの交戦が続く。
庶民戻りの恥知らず。その言葉に彼女の思っていること全てが詰まっていると確信できた。彼女は、リリアナが同じ王族と言う身分で対等の立場にあるにも関わらず、庶民上がりと言う事を理由に完全に自分よりも下に見ているのだ。
生粋の王女様とはそんな物なのだろうかと思いもしたが、それにしても腹立たしい。
ただでさえ色々と問題が山積みになっていて余裕がない時に、イチイチ突っかかるような物言いをするお姫様の相手をしなければならないとは癇に障って仕方がない。
怒り心頭のリリアナに対し、プリシラは冷たい視線で睨みつけながら淡々とした口調で言葉を続ける。
「庶民か庶民じゃないかは関係がないっておっしゃってましたけど、私達王族や貴族にはおおいに関係がありましてよ? そんな事もご存じないのかしら。あなた、王族としての自覚がきちんとおありなの?」
「……それはっ」
「自分の身分よりも低い者との馴れ合いなんて、そんな馬鹿げた話しありませんわ。それでは品格を疑われましてよ。そもそも、私と庶民上がりのあなたで釣り合いが取れるとお思いになって?」
プリシラの言葉が、この時酷くリリアナの胸を突き刺した。
自分の地位よりも低い人間とは釣り合いが取れず、馬鹿げている。そう言い切った彼女の言葉は、今のリリアナには鋭利な刃物と同等の威力を持っていた。
彼女は、彼女とリリアナとの事を言っているのに、リリアナにはレルムとの事を言われているような気がしてズキリと心が痛み、意図せず涙が零れ落ちる。
「……なんで……」
泣きたくなどないのに涙が止まらない。
リリアナは涙を拭うことも忘れて、震える声を喉の奥から絞り出す。
「なんで、初対面のあなたにそんな事まで言われなきゃいけないの? 偉かったら何でも言っていいの? 確かにあたしは庶民上がりの王族だけど、あなたにそこまで言われる筋合いはないわっ!」
ここ数日、思いつめていた想いが溢れ出るように涙が零れ落ちる。
プリシラは目の前で涙を隠すことも無く泣き出したリリアナを驚いたように見上げたまま固まっていた。
「あなたの言う事に間違いはないのかもしれない。だけど、あなたみたいに人をバカにして見下してばかりいたら、誰もついてなんて来ない」
「何が言いたいんですの?」
プリシラは目を眇めて扇の向こうから睨みつけてくると、リリアナはそんな彼女を真っ向から睨みつけた。
「……あなたがどうして友達ができないのか良く分かった。そんな傲慢な性格じゃ、友達なんて出来るわけないわっ!!」
「な……っ」
「失礼します!」
リリアナは涙を流しながらくるりと向きを変えて、ムカムカした気持ちと悲しみで一杯になった心を抱えたまま大股で庭園を後にした。
庭園の近くに控えていたドリーとクルーは、自分たちの横を何も言わずにズカズカと通り過ぎていくリリアナを慌てて追いかける。
「リリアナ様!」
おろおろとしながら小走り気味に追いかけてくるドリーとクルーの呼び声にも応えず、誰もいないサロンまで歩いてきたリリアナはようやく歩調を弱めた。
肩で大きく息を吐きながらこぼれる涙を手の甲で拭い、ズキズキと痛む胸を押さえる。
彼女の言った言葉は全て正しい。だからこそ辛かった。そうではないのに、まるでレルムとの事を言われているようで心が痛み、軋み、耐えられない。
「リリアナ様……」
ドリーが息を吐きながら心配そうに声を掛けると、リリアナは振り返る事も無く静かに口を開いた。
「……ダメだね、あたし。何だか最近、全然余裕が無くて……」
「リーナ……」
「プリシラ王女が言った事は間違いなんかじゃない。彼女が言った言葉はあたしと彼女自身の事を言っているのに、勝手にあたしが頭の中で摩り替えてさ……。分かってるんだ……ほんとは。でも、やっぱり分かりたくなくて……」
リリアナは2人を振り返る事もないまま、止まらない涙をこぼし続ける。
覚悟が出来ていると言ったレルムに対し、リリアナは何の覚悟も出来ていない。きっとこのままでは2人の進む道は分かれているのだろう。
プリシラに図星を差されたようで、頭が真っ白になってしまっていた。来るべき未来を見たくなくて目を逸らしてしまう。こんな状況では、プリシラとの関係を友好にする余裕などなかった。
「もう帰ろう……。こんな状況で、プリシラ王女と友好関係なんか築けない。色々……最悪だもの」
「……かしこまりました」
ドリーとクルーは、酷く落ち込んでいるリリアナを心配し、帰ろうと言う彼女の言葉に従った。
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