第86話 伝えるべき答え
眠れない夜だった。ベッドに横たわり、シーツをぎゅっと握り締めたまま月明かりの注ぐ天蓋を、リリアナは無表情で見つめる。
どんなに眠ろうと寝返りを打ち、目を閉じても頭が冴えてしまって一向に眠れる気がしない。
リリアナはのっそりと起き上がると、肩を落としたまま深いため息を吐いた。
あと一週間もすれば、今度はロゼス王子がプロポーズの返事を聞きにデルフォスへやってくる。自分はそのプロポーズを受けるつもりはないのだが、心の中がまるで地に足が着いていないかのようにグラついてしまっているのも否定できない。
「考えることいっぱいで、疲れちゃうな……」
これと言う定まった考えが出来ていないが故にぐらついている自分に、苛立ちさえ覚える。
ムカムカしたりクヨクヨしたり、いつになく自分の心の中が荒れていてとても眠れそうにない。
リリアナはベッドから降りると寝室を出て、バルコニーに出てみた。暖かい風が吹き、サイドでまとめて垂らしていた髪を後方へさらっていく。
何気なく下を覗き込んでみたが、そこにレルムの姿はない。あれ以来、レルムはあちこちに遠征に出向く事が増え城に留まる事が少なくなっていた。
胸元で光るペンダントを摘み上げて手に乗せると、月明かりに反射してキラキラと光る。
「……このお礼、言いそびれたままだな」
ポツリと呟き、まじまじと見つめる。それを見つめていると、ふと以前レルムが言っていた言葉を思い出した。
自分と共に彼も最後まで抗ってみると。結果が変わらずとも、一緒にいたい気持ちに変わりはないと。
その言葉を思い出すと、不思議とストンと胸に何かが落ちたような気持ちになる。
「レルムさんの言っていた覚悟は……、今後何が起きても憶さないって事だよね」
それに伴うリスクがどんなものなのか検討もつかないが、どんな未来が待っていようとも大丈夫なように自分も覚悟を決めなければ……。
「……」
リリアナは白々と光る月を見上げ、手にしていたペンダントをきゅっと握り締める。
「うん。そうだよね。レルムさんも前に最後まで抗ってみるって言ってくれてたんだし、最初に言い出したあたしが、グラグラしてちゃダメだよね」
自分に言い聞かせるようにそう呟き、ここ数日乱れていた気持ちに整理をつける。
父への抗議もまだ始まったわけではない。やってみなければ分からないことは沢山あるのだ。
まだ、可能性は転がっていると信じて、しっかり未来を見据えた上で臨もうとリリアナは心に決めたのだった。
一週間と言う時間はあっという間に経った。
忙しくあちこちに飛び回っていたレルムもこの日はデルフォスに留まり、ロゼス王子の出迎えの支度を整えていた。港町に到着予定の時間までに出向かなければならない。
「レルム様。王子の乗られる馬車の仕度が整いました」
クルーが報告にやってくると、レルムは自分の愛馬を前に頷き返す。
「そうか。分かった。他の護衛隊たちの様子を確認してきてくれ」
「了解です」
一国の主とも呼べる王子がやってくるのだ。万が一の事もあってはならないと、入念なチェックを事欠けない。
今回ロゼス王子の出迎えに向かう護衛隊はレルムとクルーを含めた100名だ。何千といる兵士達の中からレルム自らが選抜した者達が今回の護衛隊としての任を負っている。
相手に失礼のないよう、しっかりと勤めを果たそうと誰もが皆意気込んでいた。
レルムの愛馬は、あらかじめ世話役として任されている兵士によって綺麗に飾り付けられ、手綱も鞍もしっかりと装着されている。その愛馬の様子を見に来ていたレルムは、そっと愛馬の鼻を撫でながら何気なく空へ目をやる。
真っ青な空。少々暑さを感じる日ではあるが申し分ない一日になると言えるだろう。
そんな空を見つめたまま、レルムは複雑な気持ちに浅く溜息を吐く。
覚悟を決めた。その言葉に嘘はないのだが、それでも拭いきれないこの複雑な気持ちは何と言って良いものか分からない……。
ぼんやりとしていると、ふいに後ろから声がかかった。
「あの……」
声をかけられ、振り返った先には一人で立っているリリアナの姿があった。
そわそわとどこか落ち着かない彼女の様子に、レルムは手綱から手を離すとリリアナの前に立つ。
「どうされました?」
静かに語るレルムの声に、リリアナは視線を逸らしながら遠慮がちに口を開く。
「……最近、遠征とか色々立て込んでて話が出来なかったので、少し時間が取れたらなと思ったんですけど……。あ、で、でも、忙しいですよね? これからロゼス王子を迎えに行かなきゃいけないですし……」
「構いませんよ。あなたの為なら」
構わないと言って微笑むレルムに、リリアナはパッと顔を上げた。
本当は時間がないのに、わざわざ自分の為に無い時間を割いてくれるレルムの優しさが、嬉しかった。
「じゃあ、少しだけ……」
「中庭へ移動しますか?」
「あ、いえ、ここでいいです。すぐ済みますから」
移動はしなくていいと言う言葉に頷いて静かに見つめ返すと、リリアナは大切に下げていたペンダントを胸元から取り出して顔を上げる。
「まず、このペンダントのお礼をちゃんと言えてなくて……。ありがとうございます」
照れたように笑いながらお礼を言うと、レルムもニッコリと微笑み返してくれる。
「……喜んで頂けて何よりです」
「えっと……それから、ロゼス王子への返事なんですが……」
言い難そうにそう言葉を切り、一瞬戸惑うように視線を下げたリリアナだったが上目遣いにレルムを見上げる。そんなリリアナをレルムは優しさに満ちた瞳で見下ろしていた。
「……プロポーズは、断ろうと思います」
緊張しながらそう口にすると、自分でも驚くほど心臓が早鐘のように鳴っている事に気が付いた。
プロポーズを断り、レルムの決めた覚悟に寄り添っても構わないのだろうかと、ほんの少しの不安が胸の鼓動を早くする。
以前、レルムは自分の思うままでいいと言ってくれていた。だからこそ、今回の申し出を断る事にしたと報告しなければならないと思ったのだ。
しばしの沈黙の後、レルムは目を細めてやんわりと微笑んだ。
「そうですか……」
「……レルムさん」
短くそう呟いて、言葉を区切ったレルムに更に不安が圧し掛かる。堪らず顔を上げると、レルムはそっとリリアナの頬に手を添えた。
「……あなたの覚悟も、決まったのですね?」
「覚悟……」
確かめるようにレルムの言った言葉を繰り返すと、彼は頬に添えた手をそっと滑らせるように撫でる。
「この先、どんな末路を辿っても大丈夫だと言う覚悟ですよ」
その言葉に、瞬間的に怯んでしまった。
やはりレルムはどんな末路も受け入れる覚悟でいたのだと分かると、どうしても動揺してしまう。だが、昨夜自分も覚悟を決めたのだ。彼と同様に、きちんと未来を見据えるのだと。
リリアナはこくりと頷き返すと、ぎゅっと自分の手を握り締めた。
「はい。でも、出来る限りの事はやってみます。やってみないと分からないことって沢山ありますし、それでどうにも出来ないなら……」
思わず言葉が途切れてしまう。分かっていてもこの先の言葉を言うのがやはり怖い気がしてならない。
「それでも、どうにも出来ないなら……」
繰り返し元気なくそう呟いて視線を下げると、レルムはやんわりとリリアナを抱き寄せた。
「……今回の覚悟は、決して諦めではありませんよ」
耳元で囁かれた言葉に、リリアナはぎゅっとレルムの服を握り締めてこくりと頷き返した。
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