第82話 待ち受ける困難の予兆

 召使に続いてポルカの部屋に来ると、一足先に訪ねてきていた大臣のブラディがいた。

 彼の姿を見た瞬間、変なタイミングで来てしまったと思い、思わず入り口に立ち止まってしまう。そんな彼女をポルカとブラディは振り返った。

「これはこれは王女様。今日もご機嫌麗しいようで」

「ど、どうも……」

 ブラディはにこやかに、たっぷりと蓄えた顎鬚をなでつけながら挨拶をしてくると、リリアナはぎこちなく頭を下げて返事を返した。

 あまり彼とは話をした事がないせいもあって、少し緊張してしまう。

「あぁ、リリアナ。丁度良かった。あなたにお話があるのよ」

 彼の影に隠れるように椅子に座っていたポルカが顔を覗かせ、にこやかに手招きをしてくる。

 リリアナは目を瞬きながらポルカの傍に歩み寄ると、彼女は三枚の封書を差し出してきた。

「これは?」

「一枚は、ボルビナ王国からのあなたへの婚姻申込。二枚目はゲーリ殿からの手紙、そしてもう一枚は、隣国のヴァレンティア王国からの手紙です」

「ボルビナと……ヴァレンティア?」

 手紙を受け取りながら、聞きなれない国の名前にリリアナが首を傾げると、ポルカはニッコリと微笑みながら頷いて見せた。

「ボルビナはアシュベルト王国に近い国なのだけど、最近になってアシュベルトでのあなたの活躍を聞いたみたいで、申込をかけてきたようね。相手は公爵家の息子さんのようだけど」

「こ、困ります! あたし、結婚は……」

 反射的にそう反論すると、ポルカは「でしょうね」と言いたげに笑っていた。しかし、ブラディに関しては表情を変える事も無く顎に手を当て低く唸った。

「王女様。差し出がましいようですが、あなたも年齢で言えばそろそろ身を固めるお年頃。アシュベルトに関しては事情が事情でしたが返事を渋っているようですし、そろそろ真剣にデルフォスの将来を考えて頂きたいのですが……」

 その言葉に、リリアナはぐっと言葉に詰まった。

 いつかは言われるだろうと思っていた言葉がブラディの口から聞かされるとは思わなかった。その事に関して言われてしまうとどうしても何も言えなくなってしまう。

 きっと、父が元気になったらまた同じ事を言われるはず。そうしたら自分は今みたいに何も言えなくなってしまうのだろうか……。

 リリアナは複雑な表情を浮かべて、口を噤んだまま視線を下げた。

「ブラディ。半年以上経ったとは言え、この子にはまだ婚姻の話は早いと思うの」

「しかしポルカ様。あなた様も今の王女様と同じぐらいのお年頃には、もうこちらに嫁いで来られたではありませんか」

「えぇ、そうね。でも、私はずっと王家の中で育ってきた人間ですもの。嫁ぐ事に対して何の抵抗もなく、何よりガーランドを愛したから嫁いで来たのです。あなたも分かっているでしょうけれど、リリアナは私や他の王家の方々のようにずっと王族の中で育ってきたわけではありません。年齢的には嫁ぐ年頃かもしれませんが、この子にはまだ早すぎるわ」

 落ち込んでしまったリリアナをフォローするかのように、ポルカがそう言うとブラディはまたも低く唸る。

「ポルカ様。お言葉ですが王女を甘やかし過ぎてはおりませんかな?」

「あら。今まで甘やかして来られなかったんだもの。少しくらい構わないでしょう?」

「……ガーランド様が聞いたら、なんと言われるか……」

 ブラディはやれやれ、と大きな溜息を吐き、それ以上この事に関して口を挟むまいと視線を逸らした。

 2人のやりとりを見ていたリリアナは、内心ホッと胸を撫で下ろす。しかし、これから先同じような事に何度か直面するのだろう。そうなった時、今のようにいつまでもポルカに助けてもらうわけにはいかない。

 リリアナはぎゅっと手を握り締めた。

 ポルカはブラディからリリアナに視線を戻すと、リリアナが握り締めていた手紙の一枚を指差して話を変えた。

「それで、この手紙のヴァレンティア王国は実は我が国と親睦の深い国なの。あなたがここへ帰ってきてパーティを開いた折にも駆けつけてくれたのだけど、あの時のあなたは緊張していたし、覚えてはいないんじゃないかしら」

 そう言いながら微笑むポルカに、リリアナは素直に頷いた。

 あの時の事などほとんど覚えていない。来客の人で唯一覚えているのは、他の人と違うアプローチがあったからこそ記憶に残ったロゼスくらいなものだ。

「ヴァレンティア王国には、王女様と同じ年頃の姫様がいらっしゃいましてな。是非に交流の場を設けたいと申されているのですよ」

 ポルカの言葉に続けるようにブラディが言葉を付け足すと、リリアナは目を瞬く。

 自分と同じ年頃の、しかも他の国のお姫様との交流……。身分は対等だとしても、あちらは生粋の王女様でこちらは未熟な王女だ。あまりにも粗が目立ちすぎるのではないだろうか……。

 リリアナが言葉に困っていると、ポルカはやんわりとした口調で言葉を続ける。

「兼ねてからのヴァレンティア王からのお願いでもあるの。ご息女であるプリシラ王女はいつも一人で、友人らしい友人がいないといつも嘆いておられるわ。その点あなたは人当たりもいいし、知らない人と打ち解けるのも苦ではないでしょう?」

「はぁ……まぁ、それはそうですけど……」

「同じ年頃のお友達がいてもいいんじゃないかしら。あなたはこの所ずっと勉学に励んでばかりだもの。息抜きも兼ねて交流してみたらどう?」

「……」

 リリアナにしてみれば友人と呼べる人と言われれば、今傍にいるドリーがそうなのだが、他の人から見れば2人の関係は友人ではなく王女とその召使という風にしか映らないだろう。

 何気なくヴァレンティア王国からの手紙をじっと見つめてみる。

 確かに、同じ王族としての友人と言うのもいてもいいかもしれない。自分と同じくらいの年齢と言うが、どんな感じの王女さまなのだろうか。自分のような感じではないのは確かだが、清楚可憐と言う言葉があてはまるだけのお嬢様のようなお姫様だったとしたら、果たして馬が合うだろうか?

 想像すればするほど、楽しみなような不安なような複雑な気持ちになる。しかし、興味がないわけじゃなかった。

「……うん、そうですね」

 何気なくそう返すと、ポルカは微笑みながら大きく頷きながら手元にあった羽ペンを取り、サラサラと紙に何事かを書き綴る。そしてそれをブラディに手渡した。

「ではブラディ。早速ヴァレンティア王国へこのお返事をお送りして」

「かしこまりました陛下」

「え」

 ポルカの善は急げと言わんばかりの行動力の早さに、ポカンと口をあけてしまう。

 いや、国の指導者たる者、そのぐらいでなければならないのだろうが……。

「では、私は失礼致します」

 ブラディはペコリと頭を下げ、受け取った手紙を大事そうに手にしたまま部屋を後にした。

 彼を見送った後、リリアナは気を取り戻してポルカを振り返る。するとポルカはニコニコと微笑みながらこちらを見つめている事に気付き、首を傾げた。

「な、何ですか?」

 リリアナが苦笑いを浮かべながら訊ねると、ポルカは笑みをそのままに口を開く。

「昨日は、少しはゆっくりできたのかしら」

「!」

 ポルカの言葉は昨晩の事を思い出させ、ボッと顔が熱くなった。

 せっかく忘れていたのに、余計な事を言わないで欲しいとリリアナは目を逸らす。

「……それはレルムから貰ったのね」

「えっ!」

 ポルカはスッと指差した先には、首元に光るペンダントのチェーンが覗き見えていた。

 リリアナは咄嗟にそれを手で隠すが、赤面したまま頷き返した。

「う、うん……。昨日、貰ったの……」

 初心な反応を見せるリリアナに、ポルカはクスクスと笑った。

「そう、良かったわね。あの子があなたに贈り物をするだなんて、よっぽどあなたの事を愛しているのね」

「あ、あ、愛してるって……」

「いいのよ。素直にあの子の愛を受け取っておきなさい。……もうじき、今までのように逢う事も困難を極めてくるでしょうから」

「……っ」

 ポルカの言葉に、リリアナは何かひやりとした物を背中に感じた。

 思わず言葉に詰まって押し黙ると、ポルカは真剣な眼差しのまま言葉を続ける。

「明日は、お父様の意識が戻られたのだし、またマルリース離宮へ赴きます。もちろん、あなたも来てくれるわね?」

「……は、はい」

 硬い表情のままぎこちなく答える。

 意識の戻った父との対面。初めて会う父への緊張感が一気に増したのは言うまでも無かった。

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