第81話 深い愛情と贈り物

 まだ、夢を見ているようだった。昨晩は寝れたのか寝れていないのか、自分でも良く分からない感覚の中で目が覚めて、ベッドの中でぼんやりしていた。

 昨日の晩の事は実は夢だった。なんてオチはないだろうか? 

 いつになく意地悪な風でありながら優しくて、いつになく行動派だったレルムは本当に本人だったかさえ疑わしく思えてしまう。

 何よりも、リリアナの人生で二度目のキスの直前に囁かれた言葉を思い出すだけで、耳までも赤く染め上がってしまう。

「~~~~~~っ!」

 あまりの恥ずかしさに、堪らず頭までシーツを被った。

 ぎゅっと目を閉じても、開いても、思い出されるのは彼の優しげで少し熱っぽい眼差しをしている顔ばかり。早鐘のように打つ鼓動のせいか、胸が苦しくなるほど締め付けられて何だか妙にじっとしていられない。

 暖かくて優しい唇の感触を思い出すと、それだけで思わず叫んでしまいそうになる。

「……様」

 初めてのキスでは味わう事が出来なかった感覚が、二度目でようやく感じられてジワジワと湧き上がってくる恥ずかしさと嬉しさで、無意識にもシーツを掻き抱きながらジタジタと足をばたつかせた。

 こんな事があっていいのだろうか。言わば、彼は自分にとって初恋の相手だと言っても過言ではない人だ。何の取り得もないはずなのに、どうしたことか心を通わせられるとは……。

「……ナ様」

 昨日起きた出来事がどうか夢ではありませんようにと願わずにはいられず、深く長い溜息がこぼれる。

 今夜も会えるだろうか? この甘美な時間をこれから先もずっと感じていられるようにと思ってしまう。

「リリアナ様っ!」

「ふへっ!?」

 布団を被り暗かったはずの視界が、突如明るく照らし出される。その瞬間、奇妙な声をあげながら手の中でもみくちゃに掴んでいたシーツもそのままに顔を上げた。

 そこには剥ぎ取ったシーツを持ったまま少しばかり怒ったような顔をしてこちらを見ているドリーの姿がある。

「お、おはよ……ドリー……?」

 昨晩の余韻に浸っていた所を突如として現実に引き戻された反動がでかすぎる。何とか挨拶はしたものの思考回路が追いつかず、ぎこちなく苦笑いを浮かべつつゆるゆると手にしたシーツを持ち上げて赤らんでいる顔を隠すと、彼女は呆れたような溜息を吐いた。

「おはようではございませんわ。何度起こしても起きて下さらないんですもの。とっくにお昼は回っておりますよ?」

「え? 嘘!」

 昼を回っている。そう聞いた瞬間に赤らんでいた顔がサッと蒼ざめ、ガバッと起き上がった。

 今日は確か、モーデルのダンスレッスンとマナーレッスンが予定で入っていたはずだ。昼を回っていると言うことは、完全に遅刻……いや、遅刻以前の問題だった。

「ど、どうしよう……」

 両手を蒼ざめた顔にあてがい、寝乱れた髪もそのままに酷く落ち込んでしまう。

 ドリーは呆れた表情から、溜息吐きながら困ったように微笑んだ。

「モーデル様には、今日は体調が優れないからとお休みを申し出ておきましたわ」

「え?」

「昨晩は、遅くまでレルム様との逢瀬を楽しんでいらしたようですし」

「ちょ、え? ええええ~っ?!」

 蒼ざめた顔に熱が戻り始め、昨晩庭園で過ごした時間の事を知られていたと分かって焦りが生まれる。

 2人だけしかいなかったはずの庭園で、しかも迫られている瞬間をもしかしたら見られていたのだろうか? 

 泡を食ったように一人でうろたえるリリアナを見ていたドリーは、耐え切れずに吹き出してしまう。

「な、何? 何で笑うの?」

「い、いえ……。すみません、でも、何だかおかしくて……っ」

 謝りながらも肩を揺らしながら必死になって笑い声を堪えようとするドリーの姿に、リリアナは最初訳が分からずにいたが、やがてムッと眉根を寄せる。

「もう、何なの!」

 少しばかり苛立ったリリアナに、ドリーは目尻に滲んだ涙を拭いながらペコリと頭を下げた。

「も、申し訳ございません。実のところ、今回のご配慮はポルカ様からのご指示だったんです。ようやくレルム様がお戻りになられて二人でゆっくりお話しでもしたいでしょうから、事前に今日のモーデル様の予定は全てキャンセルするようにと仰せつかってました」

「……え」

 ポルカがわざわざ根回ししてくれているとは思わなかったが、よくよく考えればあの母の事。あってもおかしくないと納得せざるを得ない部分がある。何せ、禁忌だと言われている身分差の恋愛を応援するような人だ。

 リリアナは深いため息を吐き、肩から力を抜いた。

 そんな事だと分かっていれば、こんなにもうろたえる事などなかったのに……。

 母とドリーに、してやられたと心の中で嘆息をもらした。

「……それじゃ、今日一日お休みなんだ?」

「えぇ。そうですわ。それにしても、寝起きから顔が赤くなってしまうような事が、昨晩あったんですのね?」

「うん……そうなんだ……って、ちょっ、何聞いてくるのっ!」

 会話の流れでサラリと訊ねられた質問に、リリアナは無意識にも頷き返してハッと我に返った。

 うっかり昨日の事を漏らしてしまいそうになった事でまた顔に熱が戻ってくる。

 赤面しながら目くじらを立てて声を荒らげると、ドリーはクスクスと笑いながら「失礼致しました」と言って楽しげに部屋を出て行った。

 静かになった寝室で、リリアナはベッドを降りると寝室を出て衣裳部屋に移動する。大きな鏡の前に立ったとき、ふと胸元に光るペンダントに気が付いた。

「あれ……? こんなのつけてたっけ?」

 目を瞬き、鏡越しに胸元に下がるペンダントを見つめた。

 透明度の高い涙型の小さな石に、キラキラと光る金色の星が埋め込まれたシンプルなペンダントだ。

 リリアナはそれを見つめ、首を傾げる。

 こんなペンダント、そもそも持っていた記憶がない。ならば、どこで……?

 そう考えた時、ふと思い出す事があった。

「……もしかして、あの時?」

 思い出すだけで全身が熱くなり、リリアナは鏡に映る自分の姿を見ることすら恥ずかしくなり両手で顔を包みこみながら俯けた。

 何度も重なる唇に頭の芯が痺れるような感覚に襲われ、翻弄されていた時。

 頬にあてがわれていたはずの彼の手がキスの途中でするりと首の後ろを掴むように移動をして、更にベンチの背もたれを掴んでいた手が背中に回された。

 リリアナはただされるがままになっていたが、あの時に彼がつけてくれたのだとしか考えられない。

 直接手渡されるのではなく、熱い口付けと優しい抱擁と共に受け取ったこのペンダントは、その瞬間を嫌でも思い出させる物になる。

 嬉しいのだが、それ以上に恥ずかしい気持ちに包まれて、リリアナは一人真っ赤になりながら鏡の前で立ち尽くしていた。

「……お、お礼……言わなきゃだよね……」

 そう呟いてみたが、次に会った時どんな顔をして会話をしたらいいのか分からない。会ったら、恥ずかしさのあまり逃げてしまいたくなるかも……。

「そ、そうだよ。気持ちを落ち着かせる為にも、今日は一日会わないように過ごすんだから」

 会いたいと思っていたが、やはりそれはナシだ。次に会っても冷静でいられるように、今日は一日会わないように過ごした方がいい。

 リリアナはそう決めて夜着を脱ぎ部屋着に着替えた。そしてペンダントを服の下に隠すと小さく溜息を吐く。

 するとそこへコンコン、とドアがノックされ、リリアナは思わず飛び上がる。

「は、はい!」

 慌てて衣裳部屋から出て部屋のドアをそっと開くと、そこにはポルカの専属召使が立っていた。

「リリアナ様。お目覚めでいらっしゃいましたか」

「は、はい。えっと……何か?」

 召使は表情一つ崩すことなく、冷めた表情のまま口を開く。

「ポルカ様よりご伝言を賜りました。リリアナ様宛の手紙を何通かお預かりしておりますので、目が覚めましたらすぐに部屋へ来るようにとの事です」

「あ、はい。分かりました。じゃあ、今から行きます」

「かしこまりました」

 まるで機械か何かではないかと思わせるほど淡々と伝言を伝える召使に、リリアナの熱が落ち着く。

 ポルカの召使と共に部屋を出たリリアナは、そのままポルカの部屋へと向かうのだった。

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