第63話 朗報は突然に
その話は、本当に唐突だった。
春うららかな日差しが差し込む自室で、いつものように勉強をしていたリリアナの元に、ドリーによって手紙が届けられた。
勉強の手を休めて差し出された手紙を受け取ると、リリアナは差出人の名前を見て目を見開く。
「ゲーリからだ……」
数ヶ月前に手紙を出してから返事を寄越さなかったゲーリからの手紙である。
リリアナは急ぎ封を切って中を見ると、そこに書かれていた文面に更なる驚きに顔を上げる。そして何も言わず席を立ち上がり、手紙を握り締めたままポルカの元へと駆け込んだ。
「お母さん!」
ノックもなく、いきなりドアを開いて突然駆け込んできたリリアナに、丁度レルムから遠征の状況報告を受けていたポルカが目を丸くして振り返った。
「どうしたのです?」
息を荒らげて髪を振り乱したリリアナは、慌しくポルカの前に駆け寄ると手にしていた手紙を差し出した。
「これ、これを見て下さい!」
興奮したリリアナから差し出された手紙を受け取り、ポルカはそれに目を通す。その文面を読み進めると瞬間的に息を飲み、呆然としたようにリリアナを見た。
「これは……本当なの?」
「本当です! だって、ほら、ここ見て下さい。ルシハルンブルクの医学研究所からの推薦も受けてるんですから!」
リリアナの指差す先には、確かにルシハルンブルクの印が押された手紙の原本がある。
ポルカはまだ信じられないと言った表情を浮かべているものの、次第に興奮したように呼吸を荒げ始め落ち着かない様子を見せ始めた。
「あぁ、何ていうことでしょう! まさか、本当に?」
ポルカは手紙をぎゅっと胸に抱きしめて、喜びの色を徐々に露にし始める。そして傍に立っていたレルムを振り返り、彼の腕に手を添える。
「レルム……、あぁ、どうしましょう。素晴らしい報告よ。クロッカ病の特効薬となりうる薬がようやく出来たのですって」
その言葉に、レルムも驚いたように目を見開いた。
「それは、真ですか?」
レルムがリリアナを見ると、彼女は頬を紅潮させながら大きく頷き返した。
「はい! でも、まだ臨床実験を行わなければいけない状態なんです。大きな副作用もなく症状の改善が見られて、安全性が確認できれば本当の意味で成功だと言えます」
出来たばかりの新薬で、必ずしも効くとはまだ言い切れない。どれほどのリスクがあるのかは全くの未知数ではあるが、薬が出来たと言うのには大きな進歩だと言える。
ポルカは興奮冷めやらぬ様子で今一度手紙に目を通し、そしてゆっくりと視線を上げると二人を見つめた。
「その臨床実験、ガーランドにさせてもらえないでしょうか」
「え?」
「ポルカ様……」
突然の申し出に、レルムとリリアナが驚いたのには言うまでも無かった。
よりにもよって一国の主を最初の実験体に使って欲しいと言う申し出だ。必ずしも安全とはまだ言い切れない物を、いきなりそんな重役に使うなどできるはずもない。
リリアナは困惑した様子で口を開いた。
「で、でも、お母さん。出来たばかりの薬で、まだ誰にも使ってないんですよ? 安全性も確認されてないし、リスクの方が高いと思うし……。それをお父さんでいきなり試して何かあったら……」
俄かには賛同できないと反論するリリアナに、ポルカは自分の気持ちを落ち着かせるかのように目を閉じて一度深いため息を吐いた。そしてゆっくりと目を開きリリアナに向き直る。
「分かっています。しかし、ガーランドの体はもう持たないところまで来ているとの報告を受けているんです。それならばいっそ、これからの為にもここはあの人の体で試しても良いと思うのです。私はもう、とっくに覚悟は出来ています」
覚悟は出来ている……。
その言葉に、反論する言葉など出てくるはずも無かった。ポルカの目は至って真剣そのものだ。
リリアナは思わずレルムを振り返ると、彼もまた複雑な表情を浮かべている。
「ポルカ様。はやる気持ちはお察ししますが、一度大臣達と会議を開かれ、議論されたほうが良いかと思います」
慎重な意見を受けたポルカは、一度深くため息を吐きそして小刻みに頷き返した。
「……ええ。そうね。ごめんなさい。つい気持ちが先走ってしまったわ。では、すぐに緊急会議を開きましょう」
いつもは落ち着き払っているポルカの取り乱した姿は非常に珍しい。そんなポルカの要望に、急ぎ会議の場が設けられ呼び集められた重役達との会議が開かれる事になった。
ポルカはもちろんの事、関係者であるリリアナとレルムもその場に同席する。
広い会議室の中央には大きな円卓が一つ置かれ、そこにはデルフォスを代表する重役の面々が顔をつき合わせていた。
「安全性の確立がされていない新薬を国王にいきなり試すのはいささか賛同しかねます。いくら病状が重くとも、一国の主に何かあったとあっては問題ですぞ」
「確かに、今は沈静化しているマージですが、国王に万が一の事があったと言う情報があちら側に漏れたら、とてもではないですが黙っているとは思えません」
「しかし、必ずしも悪くなるとは限らないのでは? もし、その実験が陛下で実を結んだとなれば、陛下の復帰は早まるかもしれません」
「だがあまりにもリスクが高すぎる。やはりここは他の誰かで試してからの方が得策だと思いますよ」
多くの重役達は臨床実験をガーランドで試す事に異論を唱えた。
当然といえば当然の反応である。主を失う事は国の存亡に関わる事。おいそれと賛同できるはずもない。
むしろ反対意見のほうが多い事に、リリアナは思わず眉根を寄せてしまった。
誰もが国王の復帰を望んでいるはずなのに、復帰を望むからこそ慎重な足並みになってしまう。どちらがいいとも悪いとも煮え切らない議論に戸惑いを覚える。
重役達の議論を静かに聞いていたポルカは、彼らの言葉を遮るように口を開く。
「皆さん。異論を唱えたくなるのも分からないわけじゃありません。ですが、もう国王は一刻を争うところまで来ているのです。他の誰かに薬を試し、その結果が出るのは一体いつになるのでしょう? これは一日や二日で分かる物ではありません。安全が約束できるには、これからまた途方もない時間を費やさなければならなくなるはずです。その間に国王の命は潰えてしまうかもしれない……。ならば、だからこそ国王に試す価値は十分にあるのではないでしょうか」
ポルカの言葉に、その場が瞬間的に静かになるもすぐにざわついた。
「しかしですね……」
「どちらに転ぼうと、私の覚悟は出来ています。もうこれ以上、あの人のあのような姿を見ていたくはありません……。少しでも助かる見込みがあるのなら、そちらに賭けてみるのも一つの道ではないのでしょうか」
意思の固いポルカの発言に、重役達はこれ以上何も言えなくなってしまっていた。
静まり返った会議室に、リリアナも思わずその場に立ち上がり口を開く。
「あたしは、お母さんの意見に賛同します。少しでも望みがあるなら、そっちに賭けてみる価値は十分にあるはずです」
何のためらいも見せず自分の意見を述べるリリアナに、重役達とポルカは彼女を見上げた。
「皆さんが、王様の事を大切に思ってくださっているのは今の議論で伝わってきました。大切だからこそ慎重になってしまう気持ちも分からないわけじゃないんです。だけど、僅かなりにも目の前にあると分かっている望みをそのまま見過ごすのは、何だか違うと思うんです。だからお願いします。お母さんの為にも、薬を使う事を認めてください」
リリアナは重役達に向かい深々と頭を下げた。その瞬間、重役達はどよめき焦りをあらわにする。
一連の流れを会議室の入り口で見つめていたレルムも、驚いたように目を見開いている。
「王女自らそのように頭を下げられては……」
「私達にはもう何も言う事はできません……」
「どうか王女、お顔をお上げください。分かりましたから、どうか……」
うろたえている重役達の言葉を聞き、リリアナはようやく顔を上げた。そして隣に座っていたポルカを見てにっこりと微笑んでみせる。
「大丈夫。きっと上手く行くってあたし、信じてますから」
「リリアナ……」
ポルカは微笑んでみせるリリアナに、目に涙を滲ませながら微笑み返した。
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