第64話 実験の前の休暇

 ポルカの想いを汲み、リリアナの願いがデルフォスの重役達の反論を黙らせるには十分な威力があった。そして最終的には新薬の臨床実験をガーランドで試す事に誰もが承諾した。

 新薬を作った張本人であるゲーリとルシハルンブルクの医療班幹部数名に、これまでガーランド専属で看病に当たっていた医師たちがその実験に立ち合い、予後の経過を診ていく事となる。

 それに伴う準備が慌しく進められる中、リリアナは一人緊張感を持って自室の前にある庭園のベンチに腰を下ろし、春の陽気を体中で感じていた。

 この薬で問題が起きなければ良いが、逆のパターンもあり得る。そう思うと緊張しないはずが無かった。

 きっと大丈夫。そう言ってポルカを励ましたのは自分なのに、もしかしたらと思ってしまうと情けない事に落ち着かなくなってしまう。

「……大丈夫、だよね」

 自分に言い聞かせるように呟き、ぎゅっと手を握り締める。

 緊張しているのはそれだけが原因ではない。今回の一件で、ゲーリとは久し振りに再会をすることになる。

 村での事を思い出すと、決して良い別れ方をした訳じゃない。故に、二人の間には亀裂が入ったままだ。

 もし再会したら何を話せば良いのだろうか? 元気にしていたか、村の様子はどうか、皆は元気なのか……。そんなありふれた言葉はかけられるかもしれない。しかし肝心の二人のことは話せないかもしれない。

 ゲーリは自分の事を一人の女性として愛していると言った。その言葉が二人の間に大きく溝を作ったのは言うまでもないが、今も同じ気持ちでいるのだろうか? それとも、しばらく離れたことで心境の変化はあったのだろうか?

「色々考えすぎかな……。でも、何となく会っても話しづらい気がする……」

 リリアナは腕を組み、顔を顰めて唸りながら首を捻る。

 話しがし辛いからと言って、いつまでも溝を作ったままと言うのもいかんせん、良くない。ここで再会を果たすのは、きっとその溝を埋めるきっかけを与えられたのだと思う事にした。

「まぁ……何とかなるよね。きっと」

 もう一つ問題なのは、今回の新薬が上手く作用したとして、徐々にガーランドの容態が良くなり意識が戻った時だ。

 当面、レルムとの関係を伏せる事でごまかす事はできるかもしれない。ただ、それがいつまで隠し通せるのかが問題だった。

 ガーランドがどんな性格をしていて、どれだけ厳格な人であるのかリリアナはまだ知らない。だからこそ、怖くもある。

「一般的に騎士との恋仲は認められていないと言うし、お父さんが反対しないわけないよね。簡単に諦めないって言ったけど、よくよく考えたら王様の言葉の威力は絶対的だって言うしなぁ……」

 一体どこまで反発できるのか分からない。話せば分かってもらえるだろうか?

 そこまで考えて、リリアナは溜息を吐いた。

「……話して分かってもらえるほど簡単な問題なら、従者との恋仲がタブーだって事にはならないか……」

 リリアナは一人腕を組んだまま一人悶々と考え込んでいると、丁度通りかかったレルムが彼女の存在に気がついた。

 一人でしきりに首を捻り、何事かブツブツと呟いているリリアナの背後からそっと近づいてみる。

「リリアナ様」

「!」

 突然後ろから声をかけられたリリアナが驚きのあまりビクッと肩を揺らし、弾かれたように振り返るとレルムが不思議そうな表情を浮かべてすぐ傍に立っていた。

 にこやかに微笑むレルムに、頬が熱くなっていくのが分かる。

「レ、レルムさん……」

「相変わらず、独り言が全部聞こえてますよ」

 クスリと笑いながらそう言うレルムの言葉に、リリアナは更にカーッと顔が赤らんだ。

 考え込むとつい呟いてしまうのは自分の無意識の癖なのかもしれない。逆に言えば表裏のない性格だとも言えるが、あまりにも恥ずかしすぎる。

「も、もう……。レルムさんはいつもタイミングが悪いんです!」

 赤らんだまま少しだけムッとしたような顔を浮かべて視線をそらしたリリアナに、レルムの方が困った顔をする。

「私が、ですか?」

「そうですよ。あたしが何か考えてたりすると、こうやって鉢合わせてしまうんですから」

 視線を逸らしたまま恥ずかしそうにそう呟くリリアナに、レルムは困った表情を浮かべたまま顎に手をやった。

「それは困りましたね……」

「え?」

 思いがけないその言葉に逸らしていた視線をレルムに戻すと、彼はこちらを見下ろし眉間に皺を寄せたまま浅い溜息をこぼす。

「それはつまり、自分でも気付かない内に私はあなたばかり見ている、と言う事になりますよね……」

「……っ!」

 リリアナの顔がボッと熱くなる。

 そう言うことじゃなく……いや、そう言う事になってしまうのだろうか……。

 返す言葉もなく顔を上気させたままのリリアナに、レルムはいたずらっ子のようにくすっと笑った。

「そ、それ、意地悪ですよっ!」

「申し訳ありません」

 レルムに対し赤い顔をしたまま怒ったように何とか反論すると、彼は笑いながら謝罪をした。

 こんな風にじゃれあっている様子を見せるのは、ここに今二人以外誰もいない事が分かっていることと、周りには秘密のポルカ公認であるからだった。

 リリアナはむくれたように腕を組んだまま視線を逸らすと、レルムは思い出したかのように口を開いた。

「リリアナ様。あなたにご報告があって来たのですが……」

「……?」

 突然報告があると言われ、リリアナは目を瞬きながらレルムを振り返ると、彼は少しばかり言い難そうな表情を見せた。

「実は、このガーランド様の臨床実験が行われる前に、1日休暇を頂ける事になりまして……」

「休暇、ですか?」

「はい。臨床実験が始まると忙しくなるからと、ポルカ様のご厚意で休暇を頂く事になりました。ですから、その休暇を利用して私は一度家へ帰ろうと思っています」

 帰る。そう聞いた瞬間、ドキンと胸が鳴った。

 一時的な帰省だと分かっているのに、いつもいる人がいなくなると思うと急に寂しく感じてしまうのは自分だけだろうか……?

 赤らんでいた顔がすーっと平常に戻り、リリアナは戸惑ったように視線を下げる。

「そ、そうなんですか……」

「えぇ。今回のガーランド様の件について、かつて総司令官として城に詰めていた父に報告する義務もありますから」

「ご、ご両親のいるところって……?」

「ここから半日ほど南東に下った場所にヴァーダムと言う国境の街があるのですが、両親はそこに住んでいます」

 レルムが休暇など、とても珍しいことだ。その貴重な休暇をどのように過ごそうが彼の自由ではあるのだが、一時でも離れがたい。だが、そんな事を言えるはずもなかった。

 彼の父も、ガーランドと同じ病を患っているのだと言う事を思い出すと、今回の一件はもしかするとレルムの父親にも朗報になるかもしれないのだ。

 貴重な休みほど自分の為に時間を費やして欲しいと思ってしまう我侭な気持ちをぐっと飲み込み、リリアナは笑って見せた。

「久し振りの休暇ですもんね。レルムさんのお父さんも王様と同じ病を患っていると聞いていますし、やっぱり心配だと思いますからゆっくりしてきて下さい」

「……」

 いつもと変わらない笑みを浮かべてそう答えたはずなのに、レルムは困った笑みを浮かべた。

「あなたも、私と同じで嘘が下手ですね」

「え……」

 目を瞬くリリアナの前にレルムが回りこむと、ベンチに座ったままのリリアナの前で片膝を着いた。そして膝の上に置かれていた手を両手で握り締めると、真っ直ぐに見上げてくる。

 いつも見上げる側に立っているリリアナが、見上げられる側になると急に落ち着かなくなった。

「そんな不安そうな顔をしないで下さい。明日には必ず戻りますから」

「は、い……」

 握り締めたリリアナの指先に軽く唇を寄せて、レルムがゆっくりと立ち上がると同時にリリアナも立ち上がった。

「では、私はまだ仕事が残っていますので、これで失礼致します」

 恭しく頭を下げ、レルムはその場から立ち去る。その後姿を見送りながら、リリアナはジンと痺れたような指先を握り締め、高鳴る胸に引き寄せた。

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