第42話 知りたい.3
手の甲にキスをされたのはこれが2度目だった。その2回ともお休みのキス。
バクバクと心臓が壊れそうなほどに胸を打ち、呼吸が荒く乱れ、閉じた扉に背を預けたままズルズルとその場にしゃがみこむ。
あれは何の意味もないものなのだろうか? 何か意味があるのだろうか?
誰からも当然のようにある、挨拶程度のキスだと言う事は分かっているのに、期待したくなるのは自分の身勝手なのだろうか。
こんなにも彼の事が好きで仕方がない。泣けてしまうくらい好きで好きで、爆発してしまいそうだった。
感情が追いつかずにポロポロと涙が零れ落ちる。
レルムの事をもっと知りたい。もっと傍に行きたい。でも、目には見えない壁に阻まれて、これ以上近づく事が出来ないのは辛かった。
止まらない涙を拭いながら、こんなにも辛い想いを強いられる事が分かっていたなら、あの時デルフォスに来る事を何が何でも拒んでいたのに。
「……どうしよう。でももう、止められないよ」
結果が分かっているからこそ辛い。それでもこの想いを知ってしまった以上後戻りは出来なかった。
それならばもう一度だけ、きちんと自分の気持ちを伝えよう。そうでなければ、きっと自分は後悔する。
王女として以上に傍に歩み寄れなくても、永久に離れ離れになるわけじゃない。
リリアナはそう心に決めると、ゆっくりとその場に立ち上がり涙を拭った。そして窓辺に近づき、キラキラと月明かりを反射する遠くの海を見つめる。
海を見ていると、ふと昼間ランバートが言っていたマージの船がいると言う話を思い出した。
「……その船に、リズリーさんは乗っているのかな」
この海のどこかにリズリーがいるのかもしれない。
リズリーは、婚約するほどに愛していたレルムとの別れを決断したのはどうしてなのだろうか。そしてなぜ、憎まれるような事を自分からけしかけたのか。
幾ら考えても、同じ女としてリズリーの考えている事が分からなかった。
もしも、今も漂うマージの船にリズリーが乗っていて、もしも、ここへ攻め込んできたら二人はまた再会する事になるのだろう。
リリアナはきゅっと胸元の衣服を掴んで視線を下げる。
「リズリーさんは、まだレルムさんを好きでいるのかな」
とても複雑な気持ちだ。会って欲しくないけれど、お互い敵同士で対峙している以上会わない訳にはいかない。そして会えば、問答無用の殺し合いが始まる。
リズリーは、レルムに深手を負わせることはできたが命を手に掛ける事が出来るのだろうか? そして、レルムも……。
好きだった者同士、命を手に掛ける事ができるのかどうか分からない。自分なら到底無理な話だ。一度情を移してしまったら、そんな恐ろしい事は絶対にできない。
リリアナは小さくため息を吐くと、そっと窓辺から離れる。
これから先、自分はどうすればいいのか。世間体を守る為にロゼスと共になるべきなのかどうか、よくよく考えなければならなかった。
翌朝。リリアナはドリーに起こされて身支度を整える。
明日はまた朝早くからデルフォスへと戻らなければならない。時間を有意義に使いたいからと、あれから朝の散歩の約束をロゼスとしていたからだ。
「まぁ、とても良くお似合いですわ」
昨夜の内に、いつの間にか仕立てられていたリリアナに対する贈り物としてロゼスから頂戴した、小奇麗で動きやすい洋服。それを着てみると、一体いつ計ったのか分からないほどサイズがピッタリだった。
真っ白いブラウスに、セルリアンブルーのロングスカート。あまり踵の高くないスカートと同色のヒールに、大き目の金の細工が施された髪留め。
長い髪を後ろで一つに結いまとめ、その髪留めで頭の後ろで止めると一見見は清楚可憐なお嬢様に見える。
「……全然違う人みたい」
リリアナは姿見の前に立ち、自分の姿を見つめてポツリと呟く。
この姿をレルムに見せたら、彼は一体どんな反応をするだろうか。やはりドリーと同様に「良く似合っている」と微笑みながら言うのだろうか。
ぼんやりとそんな事を考えていると、ドアがノックされた。
「ロゼス王子がお迎えに参りましたわ」
ドリーはドアに近づいて開くと、そこにはやはり小奇麗に着飾ったロゼスの姿があった。
「おはよう。リリアナ」
とても優しそうに微笑むロゼスに、リリアナははにかんだような笑みを浮かべる。
「お、おはようございます。ロゼス王子」
「……あぁ、凄く良く似合ってる。僕の見立てに間違いはなかったようですね」
「こんなに素敵な贈り物、頂いて本当にいいんですか?」
「もちろんです。あなたに着て欲しくて、あなたの為に仕立てたんですから。それじゃあ、参りましょうか」
昨日ほど緊張はしない。それも全て、ロゼスの気さくで丁寧な対応のおかげだ。
部屋から一歩出ると、ロゼスが腕をこちら側へ差し出してくる。これは、紳士としてのマナーであり、それを受けなければ淑女とは呼べない。
恐る恐るその腕に手を伸ばすと、ロゼスはニッコリと微笑み返した。
「海が良く見える丘へ行ってみましょうか」
「丘、ですか?」
「城の裏手に、見晴らしの良い丘があるんです。とても開放的で気持ちの良い場所ですよ」
そう促されて、リリアナは頷き返した。
とても天気がいい。こんな日は城の中にいるよりも、外の空気に触れていたかった。
長い廊下を渡り、中庭へ出る。人工滝を横目に見ながら中庭の奥へと進んでいくと、緑の小道が現れた。小道には幾つもの花のアーチが続いていた。
コトコトと石畳を踏みながら緑の小道を進んでいくと、それまで綺麗に成らされていた木々が無くなり一気に視野が広くなる。
「わぁ……」
突き出た丘からは、視界一杯に広がる果てしない水平線が広がった。
太陽の光を受けて眩しく光り輝く海に、風に乗って香る潮の香りがとても心地よい。遮る物が何もない分、心も開放された気分になる。
するりとロゼスの腕から手を離し、丘の上に立ちながらリリアナはその景色に見入っていた。
「ここの眺めはどうですか?」
「はい、とても綺麗です」
「そうですよね。僕はここが大好きで、何かに行き詰った時は良く来るんです」
そう言いながらリリアナの隣に立ったロゼスは、景色に見入っているリリアナをそっと見下ろした。
目尻には昨日泣いた跡がまだ僅かに残っている。それを彼は見逃しては居なかった。
ふっとロゼスの伸ばした指先が目尻に触れた事に、完全に油断していたリリアナは体を跳ね上げて彼を振り返った。
「な、何ですか?」
「……昨日、あれから何かあったんですか?」
思いがけずそう問われ、リリアナは咄嗟に言葉に詰まった。
そんな彼女を見て、ちょんと自分の目尻に触れながらロゼスは笑って見せた。
「ここ、赤くなったままですよ?」
「あ、い、いえ、別に何も……」
突然のその言葉に、頬が赤く染め上がる。パッと視線を逸らして顔を俯けると、そんなリリアナの姿を見てロゼスは困ったように笑った。
「……僕は、あなたが好きですよ。だから、あなたが悲しんでいたら心が痛いし、どうやってでも慰めてあげたい」
「……っ」
サラリと告白されて、リリアナはますます顔が熱くなる。
「リリアナは、僕が嫌いですか?」
そう問いかけられ、リリアナは顔を上げる事ができないまま首を横に振った。
嫌いではない。でもそれは一人の男としてでなく一人の人間として、だ。彼はきっと色々こちらを気にかけて良くしてくれるだろう。
「良かった」
ロゼスはニッコリと笑い、一言そう言うと僅かに安堵したように息を吐いた。
「それじゃあ、他を見て周りましょう。もっと案内したいところがあるんです」
そう言うと再びロゼスはリリアナに腕を差し出してくる。
にこやかに笑う彼を見上げ、もしかしたら、理由は聞かずとも彼は彼なりに自分を慰めてくれようとしているのかもしれない。
リリアナはその彼の優しさに心が少しだけ温かくなったような気がした。
「はい」
差し出された腕にもう一度手を伸ばし、この場を後にした
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