第41話 知りたい.2

 アシュベルト近海に、マージの船が現れた。

 その情報を掴んだペブリムは、アシュベルト王国の総司令官と共に司令室に来ていた。

 大きな地図を広げ、船の目撃された箇所に印をつける。こことはまだかなり離れているが、油断はできない状況であることに変わりはない。

 地図を見つめながら腕を組んでいたアシュベルトの総司令官、ビリードは低く唸る。

「このところマージがこの国に接触をして来る事も、船を徘徊させる事もなかったんだがな……」

「……」

 ビリードは唸りながら眉根を寄せた。

 同じように地図を見つめていたペブリムも、彼の隣で同じように複雑な表情を浮かべながら眉根を寄せる。

 彼の言葉通りなら、マージはまるでこちら側の動きに合わせて動いている。そんな気がしてならなかった。そして、動いている頭は決まってリズリーである事は分かっている。

「すぐに攻めてくるような様子はなさそうですが、気になりますね」

 ペブリムの言葉に、ビリードは頷き返した。

「目撃情報に寄れば、マージの船は一度この大陸の近くまで近づいて来ると、再び離れその周遊をまるで幽霊船のように漂っているそうです」

 地図の上に手元にあったチェスの駒を船に見立てて動かしてみるビリードに、ペブリムも難しい表情を浮かべた。

 何の目的があってこんな不可解な動きをするのだろうか? リズリーの考えている事が分からない。

 いや、それよりも、もし万が一リズリーがここに接触してきたとしたら、今はまだ剣の柄をしっかり握れない為に満足に戦える自信がない。

 きゅっと拳を握ったペブリムは、焦りを覚えていた。

「ビリード殿。もし、また変わった事があるようでしたら教えてください」

 ペブリムが頼むと、彼は「もちろん」と微笑みながら深く頷いた。

 司令室を出たペブリムは螺旋階段を下りながら、力の入れにくい手を何度も開いたり閉じたり動かしてみる。

 ここ二日ばかり、満足なリハビリを出来ていない。これではいざとなった時にリリアナ一人すら護れないまま、情けない姿を晒さなければならなくなってしまう。

 螺旋階段を降りると、ペブリムはすぐ近くにあった中庭へと出てみる。

 誰もいない中庭。人工滝の流れる水の音が響く中、ペブリムは腰に携えていた剣の柄に手を伸ばし、鞘から引き抜いた。

 陽の光を受けてキラリと光る白銀輝く剣を体の前に構え、その柄を握ってみる。そしてさらにそれを大きく振りかぶって思い切り振り下ろしてみると、手の支えが上手くいかず軌跡がブレてしまった。

「……これじゃダメだ。何とかしなければ」

 焦りに短い息を吐くと、ふいに誰かが笑う声が耳に飛び込んできた。

 何気なく顔を上げて視線を巡らせると、少し離れた場所に生えていた木の向こうに、リリアナの姿を見つけた。そしてその向かいには満面の笑みを浮かべるロゼス王子の姿も……。

 ペブリムは楽しそうに会話する二人の姿を見て、ぎこちなく視線を逸らす。

 ロゼス王子と上手く行っているなら、それでいい。そうあるべきだ。

 自分に言い聞かせるように何度も心の中で呟くが、落ち着きを払おうとすればするほどに胸が騒いで仕方がなかった。

 こんな事で自分のペースが乱されていたら、もしも戦いの場になった時簡単に相手のペースに巻き込まれてしまうだろう。

 ペブリムは視線を伏せて二人に背を向け、静かにその場を離れていく。

 彼らの会話が気にならないわけじゃない。こうして会話を重ねる度に、二人は互いの事を知り関係を深めていく事になるのだ。

 それでいいのに、納得できない自分が心の中で主張し続けていた。

 本当は、もっと彼女の事を知りたいのに……。

「……情けないな」

 自分の立場を恨めしく思ったのは、これがリズリーと離れる時以来、二度目だった。



 その晩。夕食を終えたレルムは、部屋で一人ベッドサイドに腰を下ろして、上半身のみ衣服を脱いだままリハビリに励んでいた。

 固く拳を握ろうとすればするほど、引きつるような強い痛みが腕に走りぬける。その度に暖かな湯に浸した布を肩や腕、手首にあてがいながら幾度となくそれを繰り返す。

 黙々とリハビリに励んでいる内に、レルムの額には汗が伝い落ちていた。

 せめてまともに剣が握れるくらいにならなければダメだ。

 他の雑念を払うかのように、それだけを念頭に置いてリハビリを続けているものの、気を抜くとすぐに頭を掠めるのは昼間のリリアナとロゼスの姿だった。

「……」

 レルムは手を止めて深いため息を吐き出しながら、頭を垂れる。

 こんなにも心を乱されて集中が続かなくなるのは、自分の気持ちから無理やり目を背けようとしているからだ。揉み消そうとすればするほど、どうやっても消す事ができなくなる。

 どうしようもない感情の波に晒されたのは、久し振りだった。

 目の前にある桶から上る湯気を見つめ、レルムはくしゃくしゃっと頭を掻き毟る。

 その時、トントン、とドアがノックされ、レルムはそちらを振り返った。

「はい」

 短く返事を返すと、ドアの向こうから躊躇いがちに声がかかってきた。

『あ……あの……すいません。リハビリの手伝いをしに来たんですけど……』

「……王女?」

 突然の訪問に、レルムの心は更にざわめき立つ。急ぎその場に立ち上がり手近にあったシャツを着込むと、そっと扉を開いてみる。

 そこには部屋着に身を包み暖かな格好をしたリリアナが、俯きがちに立っていた。

「あの、リハビリ、順調かと思いまして……」

 赤い顔をしながらモジモジとしている彼女を見ていると、また酷く心がざわついた。

「ご心配おかけして申し訳ありません。問題はありませんよ」

 手伝いたいと言う彼女の好意に言われるままに甘えたくなったが、レルムはあえてその気持ちを飲み込む。

「そ、そうですか……えっと、あと、傷の具合は問題ないですか?」

「えぇ。そちらも問題ありません」

 努めていつもと変わらない風を装いながら答えると、リリアナの表情がさっと曇ったのを目の当たりにする。

 彼女はぎゅっと服の裾を握り締め、力ない笑顔を見せて顔を上げた。

「……も、問題ないなら、大丈夫ですよね。ごめんなさい、こんな時間に訪ねてきてしまって。どんな経過かなと気になったので……」

 無理に笑うリリアナの姿を見て、どれほど彼女を抱きしめたいと思っただろう。

 健気にも笑顔の裏に涙を隠そうと必死になる姿を見ているのは、とても耐えられない。

「そ、それじゃ、お休みなさい。また明日……」

 ペコリと頭を下げ、くるりと踵を返した彼女の手を無意識に伸びた手が掴むと、驚いたようにこちらを振り返ってくる。

 このまま引き寄せて、腕の中に閉じ込めたい衝動に駆られた。だが、やはりどこかでブレーキを掛ける自分がいる。

 煮え切らない思いにどうして良いか分からない。でも、掴んだこの手をすぐに離したくなかった。

「レルムさん……?」

 困惑したような目を向けてくるリリアナを見やり、掴んだ手に僅かに力が篭る。

 泣かせたくはない。離したくもない。それでも自分には到底見合わない相手だからこそ、離さなければならない……。

 それならばせめて、これだけは……。

「……良い夢を」

 一言付け添えて、掴んだ手を持ち上げるとそっと唇を押し当てた。

「お、お、お休みなさい……!」

 陰りの差していた顔が途端にサーっと赤く染め上がり、リリアナは大慌てで自分の部屋へと駆け込んでいった。

 これ以上踏み込んでは後戻りが出来なくなってしまう。

 地位も名誉も、全てを投げ捨てて彼女一人を選べるならどれだけ楽だろう。だが、これまで自分一人が築いてきたわけではない王家との信頼を、身勝手な感情一つで壊す事はできない。何より、たとえそれが出来ても彼女を取り巻く環境はそれが出来る状態ではなかった。

 もういい加減覚悟を決めよう。彼女の為にも自分はこの想いを捨てる、その覚悟を。

 閉じられたリリアナの部屋の扉を見つめる。

「あなたが……、本当にただの村娘なら良かった」

 静かにこぼした胸のうちは、そっと闇の中に溶けて消えた。

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