第40話 知りたい

「あたし一人?」

 リリアナは戸惑いの表情を浮かべながら、頓狂な声を上げた。

 昼食も兼ねた茶会に呼ばれたのは、あれから数時間後の事だった。部屋を訪ねてきたアシュベルトの召使がリリアナだけを呼びに来たのだ。

「ロゼス様が是非リリアナ様と二人でお食事をとの事でしたので……」

 召使の言葉にドリーを振り返ると、彼女は僅かに肩を竦めて見せた。

「そうロゼス様がご希望なのでしたら、そうして頂く方が良いかと思いますわ」

「……う」

 ドリーの言葉に、リリアナは思わずしかめっ面をして見せた。だが、言っている事が分からないわけじゃない。国と国との繋がりを保つ為にも下手な事ができないと言う事は、あのモーデルの教育の下で懇々と教わった。

 国交は今の時代とても大切な事だ。マージが猛威を振るう中で、侵略を免れている国同士手を取り合わなければならない時だと言う事は分かる。ここに私情を挟んで断ったとあっては後々に大きな問題にもなりかねない。

 自分の思う通りに動けない事、国と言う大きな負担が今リリアナの肩に乗っていると思うと溜息しか出なかった。

「……分かりました」

 諦めたようにそう呟くと、リリアナはすっと大きく息を吸い込んだ。

 ここまで来て逃げ続けるわけにもいかない。出来る限りやれることをやるまでだ。

「案内して下さい」

「かしこまりました」

 ペコリと頭を下げた召使は、リリアナを連れて部屋を後にした。

 部屋を出てほどなく、中庭を見渡せる広めの広場に出た。中庭を中心に、広場と通路は大きな円を描くように造られていた。

 広場には座り心地のよさそうなソファと、大きなテーブルが一つ置かれている。壁際には色々な植物が置かれ、遠くから聞こえてくる海のさざなみが聞こえていた。

 とても静かで、大きく壁をくり貫かれた窓から爽やかな風が吹いてきていた。

「リリアナ様、こちらです」

 召使に誘われるまま行くと、ソファにはロゼス王子がいた。リリアナの存在を目視するとまるで子供のように嬉しそうに微笑み立ち上がる。

「待っていました。本当なら食堂で昼食を摂るのですが、あなたと二人で話をしたくてサロンに用意させたんです」

「そ、そうなんですね」

 リリアナは心底嬉しそうに笑うロゼスの向かい側に座らされると、彼もまた同じようにまた椅子に腰を下ろした。

 案内してきた召使はペコリと頭を下げると、サロンの入り口に用意されていたお茶やお菓子などが乗せられているワゴンの傍に立った。

 あぁ、何だかとても居づらい気持ちになるのはなぜだろうか。

 チラリと向かい側に座るロゼスを見ると、彼はじっとこちらを見つめて微笑んでいる。

「あ……えと……、お招き頂いてありがとうございます」

 あまりにじっと見つめられ、リリアナは気恥ずかしくなって、僅かに顔を俯けてしまう。

 そんな彼女に、ロゼスはクスッと笑って軽く首を横に振る。

「無理して堅苦しくする必要はないですよ」

「で、でも……」

「国の肩書きや責任は誰にとっても重すぎる。本当なら緊張感を持って接するべきなんでしょうけれど、あなたがいる間はそんな話は抜きにしたい」

 どこか熱っぽく見つめてくるロゼスに、リリアナはいよいようろたえた。

 彼は彼なりにとても自分に正直で、嘘のつけないタイプなのかもしれない。

 そんな風に見つめられた事は、ゲーリの時以来だ。恥ずかしいのと、戸惑いが入り混じってどう言葉を返せばいいのか分からず、小さく頷いて見せた。

「良かった……。では、あなたの事はリリアナと呼んでもかまいませんか?」

「あ、はい……」

「……リリアナ」

「……っ」

 静かに改めて名前だけを呼ばれると、ドキリとしてしまう。意図せずカーッと顔が赤らんでしまうのはもう仕方がない。

 別の意味で緊張してしまい、顔を伏せる。

 そんな風に見つめられる事に慣れていないのだから、あまり見ないで貰いたい……。

 内心そう思いながらも、口に出せずもじもじとしてしまう。

「あ、あの……一つ聞いてもいいですか?」

「えぇ。何でも聞いてください」

 にこにこと微笑んでいるロゼスをチラリと見やりながら、ここへ来るまでずっと疑問に思っていたことを訊ねてみようと思った。

「あたし……じゃなくて、お披露目パーティで会っただけなのに、私のどこが良かったんですか?」

 兼ねてから疑問に思っていた事を訊ねると、ロゼスは余裕のある笑みを浮かべた。

「単純に、一目惚れですよ」

「ひ、一目惚れ?」

 一目で惚れてもらえる程魅力的な人間だっただろうか? よく知りはしないが、他の国にもお姫様らしいお姫様はいるはず。

 思いがけないその一言に、驚きを隠しきれず信じられないと目を瞬いた。

「あ、あたし、そんな、一目惚れしてもらえるような魅力なんてないと思いますけど……」

 あまりの驚きに王女らしく振舞おうとする事を忘れ、言葉遣いも普段のものに変わっていた。

 その事に気付いたロゼスはクスクスと笑いながら首を横に振る。

「いいえ。あなたは十分魅力に溢れていますよ。今の、その飾らないあなたらしさがとてもいい」

「!」

 素の自分で答えていた事に言われて気付き、リリアナは慌てて口元を押さえた。

 うっかりした。失礼のないようにと懇々とモーデルに言われてきたと言うのに、突然の事に本来の自分が出てしまうとは……。

 しかし、飾らない自分らしさ、と言う言葉に聞き覚えがある。あれは、まだ出航する前の海辺で、ペブリムに言われた事と同じ事だ。

 そう思うとトクリと胸の奥が鳴るのを感じて、僅かに頬が熱くなる。

 半ばうろたえているリリアナを見やりながら、ロゼスは顔の前に手を組んで再び口を開く。

「聞けば、あなたはこれまでずっと国から離れた場所で過ごされていたそうですね?」

「え……は、はい」

「帰還からそんなに時間も経ってなく、城での生活にまだ十分に慣れていない中、あの大衆の面前に出て堂々と微笑んでいられるその心の強さ。それも僕にはとても魅力を感じました」

 ロゼスは一呼吸置き、そして真っ直ぐ射抜くような眼差しでリリアナを見つめる。

 リリアナはそんなロゼスから目を離す事ができず、ただ赤らんだ顔のままで自然と増える瞬きを繰り返した。

 そうしている間にも、彼は椅子から立ち上がりゆっくりとリリアナの前まで歩み寄ってくる。そして膝の上に置かれていたリリアナの手を取り、その場に跪く。

 椅子に座っていたリリアナは、自然と自分よりも下になるロゼスを驚いたように見つめ返した。

「きっとあなたは、誰からも慕われる立派な女王になる。国民の事を誰よりも理解する事ができるに違いない。それは今後あなたの強みになるはずです」

「そ、そうでしょうか?」

「えぇ、きっと。……リリアナ。僕は、あなたの全てを知りたい。僕はあなたほどの女性にまだ会った事がありません」

 きゅっと僅かに握られている手に力が込められると、リリアナはいよいよ頭の中は錯乱状態に陥った。

 ロゼス王子は本気だ。ゲーリのようにこの手を振り払う事は立場上できなくて、どうして言いのか分からなくなってしまう。

「あ、あの、手を……」

「?」

「ご、ごめんなさい。こ、こんな雰囲気に慣れてなくて、その、手、手を、ですね……」

 真っ赤になった顔を逸らしたまま、小刻みに肩を震わせて手を離して欲しいと懇願する。だが、ロゼスは手を離すどころかそっと指を絡めて来た。

 違う。そうじゃない。離してもらいたいんだ。

 そう思いはするものの、心の中の叫びが口には出せない。だが、一度落ち着きを取り戻すためにも手を離してもらいたくて仕方がない。

 何よりも、こんな状況をレルムに見られたらと思うと気が気じゃなかった。

「嫌ですか?」

「い、嫌って言うか……」

 耐えられなくなり、リリアナはぎゅっと目を固く閉じて顔を俯かせた。

 体に力が入り、自然と体が小刻みに震えだしてしまう。

「お取り込みのところ、大変申し訳ございません」

 その時ふと、聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。

 リリアナが閉じていた目を開いて声の方へ振り返ると、そこにはアルバートが立っていた。

 ロゼスはそっとリリアナから手を離してその場に立ち上がる。

「どうした?」

 せっかくの時間を乱された事にロゼスは嫌な顔一つ浮かべず、アルバートに向かって声をかけた。

「見張り塔の兵士より、マージの物と思われる船が一隻、アシュベルト近海に出没していると言う情報がございました」

「マージが?」

 マージの名を聞き、ロゼスは険しい表情を浮かべた。

「すぐには接触してくる気配はないと言う事ですが、警戒が必要ではないかと思われます」

「分かった。また何か変わった事があったら教えてくれ」

「承知しました。では、失礼致します」

 ペコリ、と頭を下げてアルバートはすぐにその場を後にする。

 すっかりムードが冷めてしまった事にリリアナはホッとしたものの、すぐ近くまでマージが来ていると知って嫌な緊張感が生まれた。

「マージは、ここにも侵略の手を伸ばそうとしてるんですね」

「そうです。あの国の人間達はとても貪欲ですから、世界中の国を手に入れないと気がすまないでしょう」

 ロゼスは溜息を吐いて、リリアナに微笑みかけた。

「とりあえず、食事にしましょうか」

 ロゼスは露骨に顔には出さないものの、少しばかり残念そうな雰囲気を出しながらそう言うと、リリアナは小さく頷き返した。

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