第43話 奇襲

 森の中落ちた小枝を踏みしめながら歩を進めるのは、マージ船から1000名ほどの兵士を連れて小型船に乗り換えて上陸を果たしていたリズリーだった。

 彼女は、出来るだけ人目につかないよう海側ではなく山側から進入してきたのである。

 アシュベルト王国側から見える大型の船は、言わば囮のような物だ。そちらに気をとられている間に裏側から侵入すれば、気付かれる可能性は少ない。

 森に入る前に隊を割り、それぞれ持ち場に着くよう指示を出したリズリーは一人城の外壁を見上げた。

「マージ王もご立腹でいらっしゃることだし、そろそろ本気で追い詰めてあげようかしら」

 開けているのは海側だけで、城の裏側は鬱蒼と生い茂る森に囲まれたアシュベルト王国。今その城の外壁を前に控えているリズリーと兵士達はじっと機会を待った。

 高い壁に覆われてはいるものの、もう使われていないのか、錆びて半分朽ち落ちた鉄格子の嵌った古い用水路の警備は無いに等しい。

 リズリーは背後に控える兵士達を振り返りニッコリと微笑んだ。

「さぁ、あなたたち。今日はこの国で思う存分暴れるといいわ。王様のご機嫌取りのチャンスよ。しっかり励みなさい」

 すると兵士達は無言のまま一斉に用水路の中へ流れ込んでいく。

 リズリーはそんな彼らの後を追うように靴音を高らかに鳴らしながら、用水路の暗闇の中へと入っていった。



 その頃リリアナは先日食事をしたサロンで休憩をしていた。

 遠くに聞こえる海のさざなみを聞きながら、召使が用意してくれた茶菓子と香茶を嗜みながらぼんやりとした時間を過ごす。

 ロゼスは外せない仕事が入り、すぐに戻ると言い置いてランバートと共にこの場を離れている。

 久し振りに、こんな時間を過ごしているような気分だ。村にいた時はこういう時間ばかりだった気がする。

「……そろそろお昼かな」

 香茶の入ったカップを見つめながらぽつりと呟き、何気なく顔を上げる。すると何かの書面を手にしたペブリムがサロンの前を通りかかり、偶然目が合った。

 ペブリムもまた驚いたように瞬間的に足を止め、リリアナを見つめてきた。

「王女……。こんなところでお一人とは……ロゼス王子はどうされたのですか?」

 小さく笑みを浮かべながら歩み寄ってくると、リリアナは顔が熱くなるのを感じながらも真っ直ぐに彼女を見つめ返しながら答えた。

「ロ、ロゼス王子は、外せない仕事が入ったそうで、少しだけ席を外してるんです」

「そうでしたか。お一人でいらっしゃるので、どうされたのかと思いました」

 いつもと変わらない笑みを浮かべるペブリムに、リリアナは躊躇いながら口を開こうとした。

 今なら、もう一度想いを伝える為に必要な約束を取り付けられるかもしれない。

 緊張の面持ちで彼女を見上げ、おもむろに口を開いた。

「あ、あの……」

「順調に王子と親交が深まっていらっしゃるようで、安心しました。ポルカ様もお喜びになるのではないでしょうか」

「……」

 何か変だ。今、ペブリムはわざとこちらの話を遮ったような気がする……。

 リリアナは直感的にそう感じてしまった。

 不安になり、ペブリムの様子を窺い見るように見つめると、彼女は普通にしているように見えてどこか気まずそうに僅かに視線を逸らした。

 やはり何かが変だ。これまでの事を思えば、思い当たるところがない訳ではないが、自分が何かをしたのだろうか?

「ペブリムさん、あの……」

 もう一度彼女に声をかけようと口を開いた時だった。突如、城の一階部分から壮絶な悲鳴がこだまする。それも、一人二人ではない。何十人もの人間達の悲鳴だ。

「!」

 瞬間的に緊張感に包まれ、そのただならない雰囲気にリリアナの表情が一気に凍りつく。

 聞こえてくる音はどれも恐怖を煽る物でしかない。目に見えないだけに、更なる恐怖を煽った。

「何……?」

 壮絶な悲鳴と何十人、何百人とも言える雑踏。物を倒される大きな音が響き渡り、その音はどんどん近づいてくるのが分かる。

 それはまるで、村であったあの惨劇と似ていて……。

「王女はこのままこちらでお待ち下さい。様子を見てきます」

 ペブリムは険しい表情を浮かべ、リリアナをこの場に置いて様子を見に駆け出そうと足を踏み出した瞬間、腕を強く引かれた。

「ま、待ってください! 行かないで……っ」

「……っ」

 振り返ると、リリアナがただならない気配を察して蒼ざめていた。ふとしっかりと腕を掴む手を見れば微かに震えている。

「お願い……置いて行かないで……っ!」

 固く目を閉じて震え上がっている彼女を見つめていると、とてもではないが一人置いておく事は出来ない。

 ペブリムはそんなリリアナに向き直り、努めて落ち着かせるようゆっくと囁いた。

「……分かりました。あなたのお傍にいます」

 静かにそう答えると、リリアナはどこかホッと安堵したような表情を浮かべた。

 その瞬間、すぐ近くで大きな物が倒される音が当たりに響き渡る。

 リリアナは弾かれたように椅子から立ち上がり、ペブリムは彼女を背後に隠しながら剣を鞘から引き抜く。

 ここで様子を窺っていては完全に袋小路になり、逃げ場をなくしてしまう。まだ敵の数があまりない内にこの場を離れる方が賢明とペブリムは判断し、リリアナの手を掴んだ。

「ここは危険です。移動しましょう」

 そう言うとリリアナの手を引いてその場から走り出す。

 サロンを出てすぐに、左右の通路から溢れかえらん勢いで黒々とした軍服を身にまとう男達の姿が現れる。その姿を見た瞬間、ペブリムは険しい表情を浮かべた。

「マージ兵……なぜ」

 しかしそれを追求する時間はない。ペブリムはリリアナを連れたまま中庭へと駆けていく。

 リリアナは必死になって前を走るペブリムについて行く。その間になだれ込むように逃げ惑うアシュベルトの召使達が無残にも殺されていく姿を目の当たりにした。

 怖い。目の前に突然現れた死と言う恐怖に頭が真っ白になりそうだった。

 そんな中取り乱さずに済んでいるのは、ペブリムの存在が大きい。彼女がもしも様子を見に離れていたら、今頃マージ兵の刃物の餌食になっていたかもしれない。

 ドリーやロゼス、ランバートは今どうしているのかも気になる。

 三人の無事を祈りながら、リリアナはペブリムと共にマージ兵の目を盗んで何とか城の外へと逃れる事に成功した。

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