第33話 それぞれの想い
この日、マージ王は荒れていた。
ようやく乗っ取った要塞の完成が遅れている事は然り、要塞を護るべく設置された駐屯地が全てデルフォスに破壊されてしまった事が原因だった。
「リズリーの奴は何をしているんだ」
大振りな体を揺らしながら憤怒の表情を見せるマージ王に、兵士達はビクビクと怯えの色を露にしていた。
「そ、総司令官殿は、先の戦いで負った傷がまだ癒えぬと部屋に篭っております」
「何だと? 一週間以上も経つと言うのにまだ傷が癒えないと言うのか? そんな馬鹿な話があるものかっ!」
強欲で自分の思うようにならなければすぐに処刑だと騒ぎ立てる荒くれ者のマージ王に、慄いていた。
兵士達がマージ王のご機嫌を取ろうと必死になっている間、リズリーは一人部屋にこもっていた。
先の戦いで負った傷。最後の止めを刺そうと剣を振り被った時、レルムが咄嗟につけた傷が腕にあるものの、レルムとは違い深刻さを極めるようなものではなかった。
しかしリズリーはその傷を大袈裟に取り扱い、一週間以上も部屋から出ず療養を続けているようにしていたのだった。
着慣れた部屋着に袖を通し、何気なく窓辺に立ってみる。
窓の外は雨が降っているために良く見えない。窓を叩く雨の音が薄暗い部屋の中に響き渡っている。
リズリーは窓ガラスにそっと手と額を押し当て目を閉じた。
「……レルム。今とても、あなたに逢いたいわ」
逢って、もう一度その腕に抱かれたい。
そう願って止まない。だが、彼はもう自分の元へは戻らない事は分かっていた。何もかも、あの時から自分がそう仕向けたのだから。
「あなたに触れる事が出来ないから、あなたの記憶に私と言う存在を死ぬまで残すのよ」
愛しい人を想い彼女が選んだのは、永久に消える事のない記憶の中の自分。強烈な印象を植え付けるほどに自分は彼の記憶の中に留まる事が出来る。
閉じていた目を開いて、窓を流れ落ちる雨を見つめた。
雨が流れていくさまを見ていると、まるで自分を見ているかのように思えた。
「他の女で、私と言う存在をあなたの中から流してしまわないで欲しい……。今でも、あなたを愛してる……」
リズリーはぎゅっと自分の体を抱きしめた。
レルムに深手を負わせて一週間以上もの時間が過ぎた。今は傷もだいぶ癒えている頃に違いない。
「リズリー様……」
窓辺に佇んだままのリズリーの背後に、一人の兵士が現れた。
リズリーは兵士を振り返ることなく、窓ガラス越しに彼を見る。
「次の行動が分かった?」
「はい。デルフォス総司令官殿は、西大陸のアシュベルト王国へ明日から出向くようです」
「アシュベルト?」
「はい。アシュベルト王国の王子に見初められた王女が、お茶会に呼ばれているとの事です」
「……そう。分かったわ。ありがとう」
短く礼を言うと、兵士は頭を下げてすぐさまその場から立ち去った。
報告を受けたリズリーはすぐさま着ている衣服を脱ぎ捨て、軍服へと着替える。そして靴音を高らかに部屋を後にした。
*****
西大陸へ向かう道中、ペブリムとリリアナは馬車に向かい合って座ったまま長い沈黙の時間を過ごしていた。
何だかとても気まずい……。
リリアナは落ち着かない様子で、体を固くしたまま窓の外へと顔を背けていた。
本当ならペブリムはリリアナと馬車に同乗せず馬に乗って付き添うのだが、手綱をしっかり握れない為に馬車に乗り込んでいる。
それがどうも居心地がいいのか悪いのか、微妙な気持ちにさせられていた。
デルフォスを出てからもうかれこれ一時間は経っているだろうか。何の会話もないまま時間だけが過ぎていくのが、こんなにも居心地悪いとは……。
そもそも、こんな雰囲気にしてしまった原因は自分にあるのだから文句など言えるはずもない。
チラリと視線だけを向けると、ペブリムは何か書面のような物に目を通していつもと変わらぬ涼しい顔をしていた。
リリアナはそんな彼女の姿を見て、やたらに気にしているのは自分だけなんじゃないだろうかと思った。
そう思うと、それはそれで面白くない。
窓から外を見れば、空は薄曇。日差しがないわけではないが、太陽を雲が覆っているだけに肌寒さを感じさせる。
「て、天気、あんまり良くなさそうですね」
空を見ながらそう呟くと、ペブリムは書面を綺麗に丸めて隣に置くと薄く笑みを浮かべ頷いた。
「そうですね。渡航に支障がなければ良いのですが……」
「あたし、船旅なんて初めてで、ちょっと緊張してます」
緊張している。それは船旅に対してでなく今この現状に対してなのだが、とてもそんな事が言えるわけもなく……。
ペブリムはそんなリリアナの気持ちを知ってか知らずか、相変わらず涼しい表情で口を開いた。
「アシュベルトまでの渡航日数はおよそ3日となっています。それまでの間は自由に過ごせますので、ゆっくり満喫されては如何ですか?」
ニコリと微笑み、ペブリムがそう答えるとリリアナは「はぁ……」と短い返事を返した。
アシュベルトまで3日。その3日をどう満喫すればいいのだろう。ただ、幸いにも二人きりの旅でない事が唯一ホッとさせた。
その時、ふとリリアナは何かを思い出したように顔を上げる。
「あたしがロゼス王子にお会いしたのはもうだいぶ前になるのに、何で今頃になってお茶会に呼ばれるんでしょう……」
「いえ。あの日以来何度かお誘いのお手紙を頂戴していたようですが、ポルカ様のお話では、あの時はまだご帰還からあまり日数が経っておらず、色々と不慣れなところがある為見送っていたそうですよ」
「そうなんですか……」
それならば何となく納得もいく。マナーも何も知らない内に知らない国に行かされたら、きっととんでもない失態を犯す自信があった。色々とレッスンを重ねた今なら、よほど変な事がない限りそれとなくやり過ごせるくらいの物は身に付いていた。
ペブリムは短いため息を吐いてどこか疲れたような色を見せるリリアナを見つめ、静かに口を開いた。
「……もう、城の生活にはだいぶ慣れましたか?」
その質問に、リリアナはパッと顔を上げて頷き返した。
「あ、はい。それなりには……」
「そうですか。これまでとは真逆の生活になるので、少し気にしていましたが良かったです」
ふわりと微笑んでそう言うと、再び二人の間に沈黙が落ちた。
会話が続かなくなると、どうしようもなく焦りを感じる。
リリアナは居たたまれなくなり、また窓の外へと目を向けるのだった。
ペブリムは、目の前に座っているリリアナを静かに見つめながら昨日のポルカとの会話を思い出していた。
『あなたが今後どうするかまでは、私の口出しをするところではありません。ただ、私はあの子の気持ちを優先して応援している事を覚えておいて下さい』
応援……。
簡単に言うのは実に容易い言葉だ。しかし、それが公に知られたとしたら、とんでもない騒動になるであろう事はポルカも分からないわけじゃないだろう。わざわざそんな真似をせずとも、従来通りの道を進めば事なきを得る。
今回アシュベルトに出向くのになぜ自分が抜擢されたのか。その理由がポルカの思惑によるものだと薄々分かってはいる。だが、自分がそちらになびく事はどうしても出来ない。
(王女がロゼス王子と対話され、王子の良さに惹かれてくれたらそれで何の問題もない)
そう考えると、やはり胸の奥にチリッとした微かな痛みと、考えるのとは別に何やらスッキリしない想いが生まれる。
ペブリムはふっと視線を下げて浅くため息を吐いた。
この言葉では言い表せない気持ち……。この気持ちが何であるのか……本当は知らないわけじゃない。
軽く膝の上に置かれた手を握りこむと、自分を律するかのようにすっと息を吸い込む。
(……王女や国の為にも、ロゼス王子との親睦を深めて頂かなくては)
ペブリムは自分の気持ちに背を向けて、窓の外へと視線を投げた。
城を出ておよそ3時間。ようやく港町が見えてきた。そして街の堤防に横付けされている大型船も見えてくる。
「うわぁ……凄い!」
ぼんやりと近づいてくる港町を見つめていると、ふとリリアナが感嘆の声を上げた。
何気なく視線を向けると、リリアナは初めて見る大型船に目を輝かせながら窓に張り付いている。
「あれに乗るんですか?」
先ほどまでとは打って変わり、期待に満ち満ちた目を輝かせながらこちらを振り返った。
まるで幼い子供のように感激の色を露にしているリリアナに、一瞬面食らったペブリムだったがすぐに笑みを浮かべて答える。
「はい。あの船で渡航致します」
「凄いですね! 船ってあんなに大きいなんて知らなかったです」
心から感激して、嬉しそうに顔をほころばせているリリアナの横顔を見ていると、不思議とこちらも心が穏やかになった。
「あれは王家御用達の豪華客船です。大きさは様々ですよ」
「そうなんですか。うわぁ……おっきぃ~」
顔に笑みを浮かべて窓辺にしがみつくリリアナの姿は、身分など関係のない村娘のそれと同じだった。
素朴で、誰とでも分け隔てなく付き合っていける。そんなリリアナを、ペブリムはただ静かに見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます