第三章 衝撃の事実

第25話 母の思い

 翌日の早朝、デルフォス兵7万の内3万の兵を残してペブリムたちは一路ミシェリア半島を目指して、遠征に出掛けていった。

 リリアナはそんな彼女達を見送る事も出来ないまま、部屋でぼんやりと過ごしている。

 ただひたすら願うのは、少しでも多くの人々が無事に帰ってきてくれる事ばかりだった。

「……好きって気付いたばっかりなのに、こんな仕打ち……酷いよ」

 誰に言うでもなくリリアナは一人ごちた。

「おはようございます。リリアナ様」

 ドリーはいつもと同じように元気な挨拶をしながら部屋へ入ってくるが、リリアナはそっぽを向いたまま返事もなくぼんやりとしている。

 リリアナの傍に歩み寄って顔を覗き込むと、リリアナはビクッと体を揺らして慌てていた。

「うわっ……! ド、ドリー?」

「どうなさったんですの? 昨日、突然部屋から駆け出したかと思えば、戻ってきてからずっとこんな調子ですわ」

 心配そうに訊き返すドリーに、リリアナは視界を僅かに泳がせた。

 誰かにこの話を聞いてもらう事も出来る。でも、自分が好意を寄せていると言う事実を他人に話すのも恥ずかしい。

 リリアナはチラリとドリーを見る。

 この胸の内を、一人で抱え込むのは正直しんどい。信頼できるドリーになら話せるかもしれない。

「うん……実はね……」

 リリアナがポツポツと話を始めると、ドリーは驚いたような顔をしてせた。

 レルムの事が好きだと言う事、ペブリムも姉のように慕っている事、それに気付いたのがつい昨日である事。

 全てを吐露したリリアナは、初めて胸の内を打ち明けた事で少し照れていた。

「ロゼス王子があたしに好意を持ったって事、ほんとは知られたくなかったんだけど隠せるわけないよね。あんな大々的な感じだとさ」

 照れ笑いをしながら後ろ頭を掻くと、話を聞いたドリーは複雑な顔をしていた。

「あの……リリアナ様……」

「え?」

「その……申し上げ難いのですけど……」

 言葉を濁しながら、ドリーはゆっくりと切り出す。

 その話を聞いてリリアナが愕然としたのは言うまでもない。

「王族の人間が、従者である者と結ばれる事はまず、ないかと……」

「え……?」

「もう古くから、王家の人間は同等の地位の人間と共になることが普通なんです」

「それは、つまり……」

 分かっている答えを、あえて訊き返す必要などないと分かっているのに、リリアナは思わず訊き返していた。

 それに対しドリーもまた、申し訳なさそうに視線を下げ呟くように答える。

「はい……。つまり王族であるリリアナ様は、従者であるレルム様と結ばれる事はない。と、そう言う事です」

 言い切ったその言葉に、リリアナは呆然としてしまった。

 自分が王族の人間だと言うだけで、将来の相手も自動的に定められてしまうなんて、そんな事があって言いのだろうか。

 初めて感じた「好き」と言う感情を、身分の違いだけで諦めてしまわなければならないのだろうか……。

「……嫌だ」

「リリアナ様……?」

「せっかく知る事が出来たこの感情を、王族だから無視しなきゃいけないだなんて、そんなの嫌だ」

 子供染みた我侭だという事は分かっていても、そう簡単に諦めるような事はしたくない。

 まだ、レルムにとって自分はスタートラインにも立てていない立場だったとしても、黙って引き下がる事はしたくなかった。

 自然と滲んだ涙に、リリアナは唇を噛む。

 リリアナはいた堪れず立ち上がると、部屋を出て行こうとした。

「リリアナ様、どちらへ……」

「王妃様のとこ」

「ポルカ様の……」

「何か納得いかないから、話してくる」

 半ばムキになったと言っても過言ではないが、どうしてもこの話が納得できなかった。いや、正確には納得したくなかった。

 ポルカに直談判をすれば何かが変わるかもしれないと、安易な考えで部屋を訪ねようと思ったのだ。

「ではご一緒に……」

「大丈夫。部屋なら分かってるから」

 リリアナはドリーを置いて、早々に部屋を後にした。

 迷うことなくポルカの部屋へと足を運ぶと、僅かに緊張した面持ちでドアをノックした。

「はい」

「失礼します」

 ポルカの返事を待ってからドアを開いて中に入ると、ポルカは机に向かい羽ペンを握ったまま仕事を行っているところだった。

「あら……? 珍しいですね、あなたが部屋を訪ねてくるだなんて。どうぞ、こちらへいらっしゃい」

 部屋を訪ねてきたリリアナを見て、ポルカは目を瞬かせながらそっと羽ペンを机の上に置き、席を立った。

 ポルカは職務机のすぐ傍に置かれていたソファにリリアナを呼び寄せ、向かい合って座る。

「あの。話をしに来ました」

「まぁ、嬉しいわ。それではすぐにお茶を用意しましょうね」

 ポルカはにこやかに微笑み、傍にいた召使を呼び寄せてお茶の用意をさせた。

「あの……」

 話を切り出そうとしてポルカを見ると、彼女はとても嬉しそうに微笑んでこちらを見つめ返している。

 そんなに嬉しそうにされては、何だか話を切り出しにくい……。

 リリアナはポルカの雰囲気に言い出し難くなり、思わず視線を下げてしまった。

「あなたとこうしてお話をすることが出来るなんて、私、嬉しいわ」

「……は、はぁ……」

「それで、どんな話かしら?」

「……えーと……」

 出鼻を挫かれたようで、急に話をし辛くなる。

 それでもリリアナは膝の上に置かれていた手をぎゅっと握り締め、意を決して口を開いた。

「あの、聞いてもらいたい事があるんです」

「えぇ」

「あ、あたし……実は、レルムさんの事が好きなんです!」

「あら、まぁ」

 リリアナの突然の告白に、ポルカは目を丸くした。

 突然すぎるその告白に驚いている様子でいたが、それでもおっとりとした反応で比較的落ち着いた様子でいる。

 その間に、お茶が運び込まれてきた。お茶菓子と共にカップに注がれていく香茶の良い香りが二人を包み込む。

 ポルカは召使に礼をいい、すぐに部屋を退席させると香茶の注がれたカップを手に取った。

「それなら、今は気が気じゃありませんね」

「は……? あ、えっと……はい」

 相容れない相手を好きになった。その告白をしたと言うのに、ポルカは反対するどころか何も言い出さない。

 絶対に反対されるだろうと心のどこかで思っていたのに、思いがけない反応で今度はリリアナの方が面食らってしまった。

 一口、香茶を口に含んだポルカは、テーブルにカップを戻しながら口を開く。

「一つ聞いても構わないかしら」

「は、はい」

「あなたはレルムのどこが好き?」

「え……と……」

 ズバリ聞かれて、リリアナは一瞬言葉に詰まってしまう。だが、すぐに自分が惹かれた一番のポイントを切り出す。

「優しくて、頼りがいのあるところ、です」

「そう」

 ポルカは短く返事をするだけで、それ以上何も言わない。リリアナはそれが妙に怖くなって、ここへ来るまでの勢いを失い萎縮したようにポルカを見た。

 しばらくの沈黙の後、ポルカは浅く息を吐きぽつりと呟く。

「……やっぱり、親子ねぇ」

「え?」

 目を瞬き、ポルカの呟いた言葉に首を傾げた。すると、ポルカはちらりとリリアナを見て小さく微笑みかけてくる。

「あなたは私にそっくり」

「は、はぁ……」

「どうしてかしらね。到底叶うはずのない者に恋心を抱いてしまうのは」

「……」

 その言葉に、全ての意味が込められている事に気付いたリリアナは軽いショックを受けた。

 やはり王族と従者とでは、平行線を辿る以外ないのだとその一言に全てが含まれている。

 突然黙りこんだリリアナに、ポルカはクスッと困ったように笑いながら口を開いた。

「ここだけの話、私もあなたと同じように絶対に結ばれる事はない相手を想ってた事があったのよ」

「え……」

「だから、あなたの気持ちよく分かるわ。どうして結ばれてはいけないのか。何度悩んだ事か」

 思いがけないポルカからの告白に、リリアナは驚いた。

 まさか、ポルカもそんな経験があるなどと思いもしなかったからだ。

 ポルカは過去へと思いを馳せるように、どこを見ているともなく遠くを見つめながら静かに話を続ける。

「でも、私の想いは叶わないまま終わってしまったわ。仕方がなかったの。身分の差以前に、相手にはもう心を決めた人がいたんですもの」

「……」

「ねぇ、リリアナ。あなたは、レルムの事をどれだけ知ってる?」

 そう訊ねられて、リリアナはぐっと言葉に詰まった。

 どれだけ知っているか。そんな事を訊かれても答える事が出来ない。改めて訊ねられて、自分はまだ何も彼の事を知らない事を思い知らされた。

 そこまで親密な関係にあるわけではないのだから当然と言えば当然だ。

 力が入っていた体がゆるゆると抜けて行くのを感じながら、リリアナは顔を俯かせた。

 ティーカップの中の液体に写る自分は、酷く落ち込んでいるように見える。

「特定の誰かを好きになる事は、誰にも止められないわ。だって、あなたもそうだったように、ある日突然心が掴まれるのだものね?」

「……はい」

「ただ、その想いが届くか届かないかは分からないものよ。その中で身分や価値観の違い等を引き合いに出すのは、案外、当事者ではない他の誰かだったりするわね」

「……」

「でも、一度好きになるとその想いを止める事はなかなか出来ないものだわ」

 ポルカは優しげな笑みを崩さないまま、意気消沈してしまったリリアナを見つめる。まるで、昔の自分を彼女に重ねているかのようだ。

 できる事なら、リリアナの想うままにさせてあげたい。

 そんな思いの方が今のポルカには強かった。もちろん、笑ってばかりもいられずそれ相応の苦しみや悲しみを乗り越えられるのならば、だが。

 あえて辛い思いをする道を選ぼうと言うなら、それもまたリリアナの人生だと思った。

「あなたが選ぼうとする道は、とても平坦なものではないでしょう。これから先、辛く、悲しく、心折れる事が何度もあるかもしれない」

「……」

「どんな結果になろうとも、それは誰のせいでもない。仕方がなかった事と自分を納得させる事ができるかしら」

 ポルカの言葉は、親として言わなければならないものだった。

 それだけの覚悟がなければ、向き合う事は出来ない相手を好きになってしまった。それが出来ないのなら、諦める事も一つの手。

 リリアナは固く握った手を見つめ、ポルカの言葉を真っ直ぐに受け止める。

 ポルカが言う言葉の意味は分かる。ただでさえ、相容れない相手の事を好きになってしまったのだから……。

「……分かり、ません」

 無意識にも口をついて出たのは、悲観的な答えだった。

 ぎゅっと下唇を噛み、今にも泣き出しそうな顔でポルカを見た。ポルカはそんなリリアナの顔を真っ直ぐに見つめ返し、彼女の言葉を待っている。

「……分からないけど、でもあたし、この気持ちを何もしないで見過ごす事はしたくないんです」

「……」

「だって、後悔しそうだから……」

 そう呟いたリリアナに、ポルカはふっと笑みを浮かべて頷き返した。

「そう。なら、大丈夫ですね」

「え?」

「あなたにその想いがあるのなら、どんな事がこの先待ち構えていても大丈夫だと思うわ。後悔したくないのなら、その想いを貫きなさい」

「……」

 思いがけず賛同を貰えた事に、リリアナは目を瞬かせた。

 鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情を浮かべるリリアナに、ポルカは満面の笑みを浮かべる。

「私はね、今まであなたに親らしい事を何一つしてあげることが出来なかった。これは、あなたをただ甘やかしているだけかもしれないけれど、それでも私が今のあなたに親として最初にしてあげられる事は、あなたのするべき事を見守ることだと思うの」

「……王妃様」

 ポルカはリリアナの隣に席を移動すると、そっと彼女の手を握り締めた。

 そして真っ直ぐにリリアナの目を見つめ返し、励ますように言葉を続ける。

「この先、嬉しい事もあるでしょう。でもそれと同じくらい辛く、悲しい事がたくさん待ってるわ。傷ついて立ち直れない事もあるかもしれません。でも、私はずっとあなたの味方よ。あなたが諦めない限り、私も応援するわ」

「……っ」

「苦しくなったら、私を頼りなさい」

 ポルカの言葉が胸に迫る。

 母親として自分を全力でサポートしたい。そんな優しい想いが溢れていた。

 リリアナはこみ上げる感情を抑えきれずボロボロと涙を流し、ポルカに抱きついた。

「……ありがとう、お母さん」

 抵抗無く、素直な気持ちのままに出たその言葉を受けて、ポルカは瞬間的に目を見開く。そして目尻に涙を滲ませ、そっとリリアナを抱き寄せた。

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