第26話 負傷と敗北
部屋に戻ってきたリリアナは、帰り際に受けたアドバイスを思い出していた。
「あたしにはまだ知らなければならない事が沢山ある、か……」
それが一体どんな事なのか。訊ねてみてもその答えはポルカの口から出る事は無かった。ただ、自分の目で確かめなさい。と一言。
考え込んでいるリリアナを見ていたドリーは、そっとサイドテーブルに香茶を置きつつ声をかけてくる。
「リリアナ様……?」
「……あ、うん。ありがとう」
リリアナは淹れて貰った香茶に口をつけながら、ぽつりと呟く。
「知るって言ったって、当事者がいないんじゃ話にならないよね」
「?」
その呟きに、ドリーが不思議そうに首を傾げると、リリアナは慌てて首を横に振った。
「ううん、ごめん。何でもない……」
暖かな湯気の昇る香茶のカップに視線を落とし、琥珀色の水面に浮かぶ自分の顔を覗き見る。
レルムの事もペブリムの事も、もっと知りたい。ポルカの言う知らなければならない事を知りたい。その為にも、やはり無事に帰ってきてくれない事には知り得ない事だ。
「とにかく今は、無事に帰ってきて欲しい」
ポツリと呟いた言葉に、ドリーも静かに頷き返した。
****
ペブリムたちがミシェリア半島へ向かって約二週間。
その話は突然だった。
「え……」
戦地となった遠征先から、視察団の一人が血相を変えて舞い戻ってきたのだ。
謁見の間でその話を聞くことになっていたポルカとリリアナは、彼の持ち帰った話に我が耳を疑い蒼ざめる。
「その話は、本当なんですか……?」
自然と震える声に、兵士は険しい表情のまま頷き返す。
「はい。戦地でレルム総司令官が深手を負いました。前線から全部隊を撤退し、現在こちらに引き上げてきています」
「……っ」
考えたくなかったその出来事が起き、リリアナは頭が真っ白になり言葉を失った。そんなリリアナを気遣いながら、ポルカは詳しい話を聞きだす。
「一体、何があったのです?」
「それが……」
兵士は視線を僅かに下げ、一つ一つ思い出しながら話を続ける。
ミシェリア半島へ向かったペブリムたちは、およそ5日かけて現地に到着する事が出来た。
敵地から目立たず、付かず離れずの位置にある丘の上に自分たちの駐屯地を造り、そこから情報を仕入れたり戦略を立てていたのだという。
丘の上から見た現地は、非常に緊迫しそれは酷いありさまだった。
否応無しに老若男女問わず鞭打たれて働かされる人々が休む間も与えられず要塞を造らされ、その様子にペブリムは苦い表情を浮かべていた。
「ただいま戻りました」
視察に送っていた兵士の一人が戻ってくると、ペブリムはすぐに兵団隊長らを呼び集め駐屯地のテントへと向かう。
作戦会議を行う為に集まった者達は、視察から戻った兵士が地図上につけて来た印を元に話を進め始めた。
「砦を中心に、マージ兵の駐屯所は5つ。ミシェリア半島侵略時よりもマージ兵の数は少なく、全体的に見て1万が妥当と思われます。各駐屯所にはそれぞれ600名が配備されているようです」
「全体で1万……。決して潰せない数じゃない。リズリーは?」
「マージ総司令官は現在、東の駐屯所に滞在しているようです」
建設中の砦を囲むように東、南東、南、南西、西の方角に駐屯所が点在している。
ペブリムはその一番東側の、リズリーが滞在していると言う駐屯所に目を付けた。
頭である彼女を叩ければ、マージは指導者を失い迷走する。そうなればこちらの勝利は見えてくるはずだ。ただ、呪術を使いこなす彼女相手に一筋縄では行かない。
あまり悠長な事をしている時間はなかった。ここへ来て早くも2日が過ぎようとしている。仕掛けるならば今夜だとペブリムは考えていた。
「最終目標は要塞建設の阻止だ。そのためにはまず、配備されている駐屯所を蹴散らす必要がある。我々は部隊を割り、一気に攻撃をけしかける」
ペブリムはそう兵団隊長らに声をかけると、彼らは深く頷いた。
「決行は本日の深夜。それまで皆、英気を養っておけ」
そう指示を出し、ペブリムは一人その場を離れた。
空は僅かに茜色を帯び始め、あと数時間もすれば夜の帳が下りる。
ペブリムはその空を睨むように見据え、腰に携えていた剣をスラリと引き抜く。傾きかけた陽の光を受けて、よく磨かれた剣はキラリと反射していた。
「……覚悟は、決まっている。もう迷わない」
静かにそう呟いたペブリムは、自らの剣に誓うように固く柄を握り締めた。
そしてその日の夜。決行の時が来た。
空はたっぷりとした墨を含んだような闇に包まれ、月明かりだけが地上を照らす。
レルムは各隊に目配せで指示を出すと、皆それぞれ持ち場につき突撃の合図を待っていた。
どこかで鳴く虫の声がやけに大きく聞こえてくる。
敵地の明かりはほとんど灯っておらず、人の姿もまばらだ。警備もかなりの手薄になっていると確信を得たレルムは、背後に控えていた兵士達に突撃の合図を送ると彼らは一斉に声をあげ敵陣に乗り込んだ。
敵陣の警備に当たっていた兵士達が驚き、鋭く警鐘を鳴らす。その音に飛び起きてきた兵士達は皆大きくうねる波のようなデルフォス兵を前に立ち向かった。
静かだった大地が一斉に怒涛のような戦地へと変わる。
剣が交わる音、人を切り倒しどちらともなく地面に崩れ落ちていく音、雑踏、叫び声……。あらゆる音がこだまする。
その中で、一人。レルムは剣を引き抜いたまま目の前に立っているリズリーと対峙していた。
「寝込みを襲うだなんて、随分な趣味ね」
「君ほどではないさ」
「あら、酷い言い草ですこと」
多くの兵士達の声が飛び交う中で淡々と交わされる二人の会話。
リズリーはレルムが剣を握り自分の前にいる事を喜んでいるかのように目を細めた。
「覚悟はできたようね?」
「もう迷わない」
「そう。なら、試してみようじゃない」
リズリーもまたスラリと剣を引き抜き、レルムに向かって切っ先を突きつけた。そして一呼吸の間に、二人はどちらからともなく地を蹴って切りかかる。
二人の鬩ぎ合いは緊迫感と共に激しい物だった。どちらも全く引けをとらない。空を裂く激しい応戦が幾度となく繰り広げられ、やがてレルムの方が押され始めた。
十字に合わされた剣をギリギリと刃こぼれのするような音を鳴らしながら、二人は顔を付き合わせる。
「あなたの覚悟ってそんなもの? なぜ本気で掛かってこないの」
「……っ」
「ふふふ……まだ、心がぐらついているようね」
「何……っ!」
リズリーは瞬間的に見せたレルムの隙を見逃さなかった。剣を華麗に押し返し、再び切りかかってこようとするレルムに向かって手を突き出した。
「甘いわ!」
「!」
至近距離から放たれた目に見えない波動に、レルムは成す術もなく吹き飛ばされる。
「レルム様!」
その時傍にいた視察団の兵士は、すぐさまリズリーに切りかかった。だがそれよりも早くリズリーはその場を駆け出し、近くの岩場に強かに体を打ちつけたレルムに問答無用で切りかかった……。
思い返しながら話をしていた兵士は、きつく拳を握り締める。
「リズリーの力は、凄まじい物です。ですが決してレルム様が劣っていたわけではありません」
「……」
兵士の話を聞いていたポルカは、深いため息を吐いた。
「……話は分かりました。今は、レルムが無事に戻る事を祈りましょう」
硬い表情でそう呟くポルカの横で、リリアナは蒼白したまま自分の手元を握り締めていた。
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