第二章 未知の世界

第11話 見知らぬ親との再会

「……」


 フードを目深にかぶり、ペブリムの馬に跨ったまま訪れた本来の生まれ故郷でもあるデルフォスの地を、リリアナは呆然と見つめた。


 街行く人々の顔、顔、顔……。


 この国はブレディシア王国のように賑わっていて、とても幸せそうだった。

 ペブリムが街中を馬で歩くと、皆が何も言わずとも道を開け親しげな眼差しを向けている。更にはどこかからか黄色い声を上げる女性の声も聞こえてきた。


 自分を連れ帰ってきたこのペブリムと言う女性騎士は、国の人たちにとても親しまれているのだと言う事が、言わずとも肌身に伝わってくる。


 何気なく彼女を振り返ると、それに気付いたペブリムにニコリと笑みを返され慌てて視線を戻した。


 ここに来るまでに、ペブリムからこの国の事をいくつか教わった。

 デルフォス王国は広い大地の中央に突き出た丘の上に存在している事。

 寒い時期と暖かい時期が混在する季節になれば、条件が揃うと丘よりも下の位置に雲海が発生し、まるで天空にある王国のようにも見えることから世界的に有名だと言う事。そして、多くの鉱物が採れる事から、宝石や装飾品の生産地としても名高く観光地としても有名であったと言う事。

 それも今ではマージとの攻防が相次いでいる為、観光に来る者は以前に比べて激減しているのだと言う。しかし職人達の造る装飾品は各国からの受注が多く、買い付けに来る者は減っても売り出しに出る者が多くいるため、極端に財政は傾いていないと言う。


 彼女なりに分かりやすく掻い摘んで説明をしてくれたおかげで、デルフォスは逆境に強く、そしてそれなりに安定した国であると言う事が良く分かった。


「何も知らないより、少しは情報がある方がいいでしょう」


 そう言ってペブリムが気を利かせてのことだった。


 賑やかな城下町の街並みと、こちらに視線を注ぐ人々の眼差しを受けながら、リリアナは村の事を思い出していた。


 あの時、悲惨な悲鳴が響き渡る中、何が起きているのか分からずに自分は怖くて一歩も動けず、馬にしがみついている事しかできなかった。だからあの場で何が起きていたか大まかには分かっても詳しくは知らない。知る事がむしろ怖かった。

 村を出る時の皆の物々しい雰囲気。そしてペブリムが見せないようにしていたが僅かに見えた凄惨な村の姿。そして、何も言わず立ち去ろうとしていたペブリムの硬い表情。

 どれもこれもがリリアナの脳裏にこびりついて離れない。


「着きましたよ」


 悶々と考え込んでいるとペブリムに声を掛けられ、リリアナは我に返る。

 先に下りたペブリムに手伝われて馬を下りたリリアナは、目の前にある荘厳な造りの大きな門前に思わずぽかんと口を開けてしまった。


 絵本や話には聞いた事があったが、本物の城を前に言葉が出てこない。

 どこまで続いているのかも分からない城を見上げている内に、かぶっていたフードが落ちる。

 馬を近くの兵士に預けたペブリムが、呆然と立ったままのリリアナの隣に立って彼女の顔を見ると思わずクスッと笑ってしまう。


「な、何ですか! 笑わないで下さい」


 ペブリムに笑われて、カーッと赤くなったリリアナはふてくされたように横を向いてしまう。


「いえ。申し訳ございません。そんなにこの城が珍しいですか?」

「だって、こんなところ来るの初めてだから……」


 言い訳のようにそう呟くリリアナに、ペブリムは小さく笑みを浮かべる。


「時期に慣れますよ。ここはあなたの産まれた場所ですから」


 行きましょう、と声をかけられ、リリアナは先を行くペブリムの後を追いかけた。

 大きな堀に掛かった橋を渡り、大きく見えた城門が更にその重厚な存在感をアピールしている。


「お帰りなさいませ。ペブリム様」


 城門の傍に控えていた兵士がペブリムに声を掛け、ゆっくりとその扉を押し開く。重々しい音を立てて開かれ、見えた城の中には大勢の召使と大臣の姿がある。

 リリアナは思いがけない出迎えの人数と、想像を遥かに超える広い城内に、思わず入り口で足を止めてしまう。


「お帰りなさいませ。王女殿下」


 あらかじめ練習でもしてきたのかと思わせるような、召使達の揃った声に圧巻だ。


「お帰りなさいませ。殿下。ご無事で何よりでございました」


 朗らかな笑みを浮かべて、年老いた大臣が頭を下げる。そしてリリアナの隣に立っていたペブリムに労いの言葉を掛ける。


「ご苦労でしたね。ペブリム総司令官殿」

「いえ。この度の件に関われた事、誇りに思います。もうすでに陛下には?」

「えぇ。お部屋でお待ちです。私もご一緒に参りましょう」


 リリアナはペブリムに誘われ、彼女と大臣の後ろについて長く広い真っ青なカーペットの敷かれた廊下を歩き出した。

 自分のすぐ後ろには、出迎えてくれた召使達がぞろぞろと続いて歩いてくる。

 何を話してよいのか分からない内に、こんな大行列の中に入って歩いていて本当に大丈夫なんだろうか……。


 リリアナはなんとも言えない不安と恐怖と緊張に包まれていた。

 靴音だけが響き渡る大きな廊下。特に話をするわけでもなく目的地に向かって歩いていると、最上階へと辿り着いた。


「うわぁ……」


 最上階へ辿り着いた瞬間、思わずリリアナの口から感嘆の声が漏れる。

 リリアナの目の前には城の中にあるとても広くて手入れの行き届いた庭園があった。

 思わず足を止めてしまうと、後ろについて歩いていた召使や大臣、ペブリムも足を止める。

 一面に敷き詰められた緑の絨毯。綺麗に刈り揃えられた植木達。庭園の中央にくみ上げられている噴水。庭園の奥にはどこかに続いていると思われる石畳とバラのアーチがある。

 そのどれもこれもが素晴らしくて、リリアナはつい見入ってしまっていた。


「凄い、綺麗……」


 思わずそう呟くと、ペブリムが言葉を付け足してくる。


「この城の庭園は他の城には見られない物になっています。少しでも皆の心の癒しになればと、陛下の計らいで造られました」

「……」


 自分だけの事じゃなく、皆の事を想って造られた庭園。そんな風に考えられる王様は本当に素晴らしい人たちに違いない。

 リリアナはその話を聞いてそんな印象を抱く。


「では王女。参りましょう」


 大臣に声を掛けられ、リリアナはもう少し見ていたい気持ちを抑えつつ歩き出す。

 庭園の脇を通り抜けて進んだ廊下の突き当たりに、一枚の扉が見えてくる。

 大臣がその扉の前に立ちノックをすると、中から女性の返事が返ってくる。ゆっくりと扉を押し開きながら、大臣はリリアナに中に入るよう促した。


「さぁ、どうぞ。お母君がお待ちですぞ」

「……」


 来て早々、いきなり自分の母親だと言う人に会わなければならないと言うのも、妙に気が引ける。

 まだ色々ありすぎて心の準備も出来ていない。

 リリアナは溜まらずペブリムの顔を見上げて、彼女の服の袖をつかんだ。


「どうなさいましたか?」

「あ、あの……。一人で入るのはちょっと……」


 ペブリムは目を瞬かせ、不安げにしているリリアナを見下ろした。


「……かしこまりました。ではお付き合いいたしましょう」


 パッと顔を上げたリリアナに、ペブリムはにこりと微笑んでみせる。

 心なしか安心したように息をついたリリアナは、恐る恐る部屋の中に足を踏み入れてみた。

 顔を上げる勇気が持てず、下を向いたままゆっくりと室内に入るとリリアナの後ろから付いて入ったペブリムが深く一礼する。


「ポルカ様。王女殿下をお連れ致しました」

「ありがとう。ご苦労でしたねペブリム」

「いいえ」


 ペブリムが頭を上げると、隣で顔を俯かせたままのリリアナの背にそっと触れてみた。すると彼女は驚いたようにこちらを見上げてくる。


「王女。私がご一緒できるのはここまでです。陛下がお待ちでいらっしゃいます。どうぞ、あちらへ」


 手で指し示された方向には、大きな窓際にスラリとした女性が一人立ってこちらを見つめている。

 その姿に一気に緊張感が増し、体が固くなるのを感じた。


「どうぞ……。こちらへいらっしゃい」


 優しく誘うポルカの言葉に、リリアナはもう一度ペブリムを見上げる。すると彼女はただニコリと微笑み、そっと無言で背中を押した。

 押されるままに一歩一歩ゆっくりと緊張感を持ってポルカの傍に歩み寄る。


 近づくほどに良い匂いに包まれ、彼女の持つ優しげなオーラが肌に感じられた。

 視線を上げられないままポルカのすぐ前まで来ると、躊躇いながらもゆっくりと視線を上げてみた。そして思わずあっと息を飲む。

 少し白髪が混ざってはいるものの、自分と同じ黒い艶やかな髪を頭の上で一つにまとめ、優しげに微笑を浮かべているその人には、自分と言う面影を感じなくもない。違うのは、王族としての品格だけだ。


「あなたを待っていましたよ」

「……え、えっと……」


 戸惑っていると、ポルカはじっと確かめるようにリリアナを見つめ、そして心底嬉しそうに微笑みかけてきた。


「リリアナ……お帰りなさい」


 そう言いながら、ポルカはリリアナを優しく抱きしめた。


 リリアナは動揺して動きがとれず、ただひたすら目を瞬くばかりだった。だが、こうして優しげで暖かな温もりに抱きしめられ会いたかったと泣いてくれる人がいる事に、次第に心の奥底で染み入るような暖かさを覚える。そしてここは、自分がいてもいい場所なんだと思う事が出来た。


 抱きしめられた腕を解かれ、嬉し涙を流し続けているポルカを見ていると徐々に緊張感が薄れていく。

 自分が王族であることと、目の前にいる王妃が自分の母親であると言う実感はまるでない。それでも、こうして涙ながらに出迎えてくれた暖かさに嘘はないと感じた。


「あの……あたし……」

「?」

「あたし……すぐには王妃様の事を親だと認められないかもしれないです。でも、時間はかかるかもしれませんが……宜しくお願いします」


 リリアナはぺこりと頭を下げると、ポルカは小さく微笑みながら頷き返した。


「それでもいいわ。私は、時間を掛けてこれまで離れていた溝を埋めて行きたいと思っています」

「……あ、ありがとう、ございます」


 リリアナは礼を述べ、少しだけ微笑んで見せた。

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