第9話 奇襲と決意
あれから二日経った。リリアナはゲーリとまともに会話をすることもなく淡々と時間が過ぎている。
以前のような他愛無い話で笑う事もなく、喧嘩になることもない。食事の時間になっても会話らしい会話もなく、黙り込んだままひたすらに食事を摂った。
俯き加減で食べているリリアナの様子を見ていたゲーリは、あれだけ食べる事が大好きだったのに今ではほとんどの食事を残してしまう彼女を心配そうに見つめる。
このままで良いとはとても思えない。どんな言葉をかけていいものか分からずに時間だけが経っていく……。それに、ゲーリの方が耐えられなくなっていた。
「……ごちそうさまでした」
抑揚の無い声で、顔を向ける事もなく手にしていたフォークを置いたリリアナに、ゲーリも持っていたスプーンを置き、真っ直ぐにリリアナを見つめ返す。
「リリアナ……。少し構いませんか?」
「……」
席を立ち上がり、すぐさま部屋へ引き上げようとしていたリリアナをゲーリは呼び止めた。
呼び止められたリリアナはピクリと肩を揺らし、足を止める。
「話を、しませんか。今のままでいるのはいい状況だとは思えません」
「……うん」
リリアナは短く返事を返すと、自分の席にもう一度戻ってくる。そして再び向かい合って座ると、気まずい空気が二人を包み込んだ。
長い沈黙の後、ゲーリは重たい口をゆっくりと開いた。
「この間の事は、軽率だったと思います。本当にすみません」
「……」
「でも、分かって欲しいのは、私は……」
「あの日」
何とか許してもらいたい。その一心で言葉を続けようとするゲーリの言葉を、リリアナは遮った。
「あの後女騎士の人に全部聞いたの。あたしがどこの誰で、どうしてここにいるのか」
「……そう、ですか……」
リリアナはおもむろに手袋を外して、左手をテーブルの上に置いてゲーリを見る。
ゲーリはそれを見つめ、そして僅かに視線を下げた。
「これを、火傷の跡だと言って嘘をついたのは何の為だったの? あたしの為? それともゲーリの為?」
「……両方です」
「ゲーリはこれが何なのか、知ってたの?」
「はい。知っていました」
問われるままに、ゲーリは素直に心の内を吐露し始める。
やはり何もかも知っていたと分かったリリアナは、分かっていても俄かにショックを隠しきれずにいた。
そんな彼女に、ゲーリは一つ一つ順を追って話をし始める。
「最初にあなたの手にそれを見つけたのは、あなたが6歳の時でした。最初はどこかにぶつけたのかと思って見過ごしていたのですが、年を追うごとにそれは大きく形を変えてゆきました」
ポツポツと語るゲーリの言葉に、リリアナは静かに耳を傾ける。
「その痣がデルフォス王家の紋章だと気付いたのは、あなたが10歳の時です。痣の意味を知っている人間がいると、あなたに対して危険が及ぶかもしれないと思った反面、あなたと過ごしてきた時間やこれからの時間を奪われたくないと思った事も事実です」
「……だから、手袋をくれたの」
「そうです」
リリアナは冷静さを保つように一つ息を吸い込むと、ゲーリから僅かに視線を逸らして話を続けた。
「じゃあ、あたしの事を家族以上の意味合いで好きになったのは……いつから?」
その問いかけに、ゲーリは瞬間的に言葉に詰まった。
リリアナは視線を逸らしたまま、こちらを見ようとはしない。
ゲーリは一度唇を噛み締め、視線を下げる。
「……忘れました。たぶん、あなたが4歳の時からだったかもしれません」
二人の間に長い沈黙が再び落ちる。
リリアナは動揺からドクドクと脈打つ自分の鼓動の音を聞き、ぎゅっと目を閉じる。
そんな前から、ゲーリが自分の事を恋愛の感情で見ていたとはとても信じられなかった。何も知らないで生きてきた自分が情けなくさえ思える。
「……村の……他の皆はあたしの事、知ってるの?」
「あなたが、この村に来た時に居た人々は知っています。一度はあなたを国へ戻そうと言う話もあったんですが、当時は戦争が今よりも活発化していましたし国へ帰す手立てもなかったので、当時その場にいた全員が、あなたの素性を知っていながら匿う事にしたんです。その場にいた人間以外、誰一人として口外しない約束でした。そうしなければ、この村が……」
「……この村が?」
言いにくそうに言葉を切ったゲーリに、リリアナはその言葉の続きを促す。
ゲーリは何度目かの躊躇いの後、重々しく口を開いた。
「この村が……、いえ、この村共々、あなたの命が危険に晒されるからです」
それを聞き、リリアナは口を閉ざした。
ここにいるだけで、多くの人が危険に晒される可能性がある。ゲーリは言葉をぼかしながらもそう言っていた。それを聞いた瞬間、リリアナは言いようの無いショックを受けてしまった。
顔を俯け、何も話そうとしなくなったリリアナに、ゲーリは自分の犯した過ちを酷く悔いながら口を開いた。
「あなたは……今後どうしたいと思っているのですか?」
「……」
ゲーリの問いかけに、リリアナはぐっと息を飲む。
自分は今後どうしたいか。
あれから悩んだ。ここに残る事も考えてみた。ペブリムの言う通り、知りもしない故郷に行くことも考えてみた。本当はまだ決め切れていないところがあったが、先ほどのゲーリの言葉で心が決まる。
「あたし……」
自分が決めた事。後悔はしたくないし、しないように考えたつもりだ。
それでも、それを口にするのが躊躇われ自然と声が震える。
「あたしは……ここを出て行く」
「……」
その言葉に、ゲーリはビクリと体を震わせて顔を強張らせた。
ぎゅっと拳を固く握り締め、声にならない声が喉元から漏れる。
「そう……ですか……」
そうなる事を分かっていたはずなのに、ゲーリはどうしようもないほど空虚な思いに囚われる。
ショックを露に、呆然としてしまう彼を見やりながらリリアナは申し訳なさで胸がいっぱいになった。
「これまで育ててきてくれた事、凄く感謝してる。だけど、色んな事を知ってしまった以上、どう考えても元に戻れそうにないから……。それに、皆にも迷惑かけたくない……」
「……」
「……ごめん」
リリアナは何も言えなくなってしまったゲーリに、知らず知らず流れ出た涙もそのままに短く謝ると、顔を伏せたまま席を立ち上がり家を飛び出す。そしてその足で村の宿屋までやってくると、丁度宿から出てきたペブリムと出くわした。
「リリアナ様……?」
涙ながらに駆けて来たリリアナは、ペブリムの前で立ち止まるとすぐに自分が決めた事を口にした。
勢いがなければ言えない。勢いがなければここを出られない。そう思ったからだ。
「ペブリムさん、あたし……ここを出ます」
突然の報告に、ペブリムは驚いたように目を瞬いた。だが、泣き崩れる彼女の決意を汲み取り静かに頷いた。
「分かりました。あなたのご決断、ありがたく存じます」
短くそう言い、リリアナの手を取った瞬間、村の入り口から甲高い悲鳴が上がった。
その悲鳴はただならない様子で、それまで静かだった村が一気に騒然となる。
二人がそちらを見ると、見慣れない軍服を着込んだ兵士が数人、抜き身の剣を手に村に入ってくる姿が見えた。
ペブリムはキュッと目を細めると、すぐにリリアナを自分の後ろへと隠す。
「ペブリムさん……」
何が起きたのか分からずペブリムを見上げると、彼女はこちらを振り返ることなく口を開いた。
「マージ兵です」
「え……」
「なぜこんなところに……。ひとまず、ここを離れましょう」
困惑するのもそのままに、ペブリムはリリアナの腕を引いて宿屋の裏手に回りこんだ。そこにはペブリムが乗ってきた白馬が繋がれている。
「ここで少し待っていてください」
「ペ、ペブリムさん!」
ペブリムはリリアナが呼び止めるのも聞かず、剣の柄を掴んだまま村へと駆け戻った。
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