第8話 不穏

 リリアナは気後れしながらも、一度家へと戻った。

 ゆっくりと扉を開くと、その微かな音に気付いたゲーリが急いで飛び出してくる。


「リリアナ……!」


 玄関先まで出てきたゲーリを見て、リリアナはいつものように笑えない自分がいるのを感じた。彼の顔をまともに見る事ができず、話すことも躊躇われる。


 複雑な気持ちのままのリリアナは、心配するゲーリの傍を何も語らずに足早にすり抜けて、真っ直ぐに浴室へと向かった。


 浴室を開くと、暖かな湯気が立ち昇っている。ゲーリが心配して用意したのだろう。

 リリアナは何も考えずずぶ濡れになった衣服を脱ぎ捨てて、暖かな湯船に身を沈みこませながら今日起きた出来事を整理していた。


 あんな事があって、今みたいな気持ちのままで、いつものようにここでやって行けるのだろうか? また昔のように暮らして行ける?


 色々と考えては見るものの、ゲーリの本心を知ってしまった以上元のように戻れる自信がない。


「……」


 ため息を吐くと、ドアの向うからゲーリの声がかかった。


「リリアナ」


 その声に、リリアナはビクリと体を跳ね上げ咄嗟に身を固くした。

 ゲーリが木戸の向うで気まずそうにしているのが手に取るように分かる。

 長い沈黙の後、ようやくゲーリの言葉が続く。


「……先ほどはすみませんでした。謝ってももう遅いでしょうけど、私は……」


 そこまで聞いて、リリアナはゾクッとするものを感じてしまう。

 一人の女性として好きだと断言された以上、もはや兄妹としての関係は成り立たなくなる。片方がそれを無かった事にしたとしても、もう片方は無かった事には決してならない。


 その続きの言葉がどんな言葉なのか分からないがこれ以上聞きたくはない。そう思った。


「あっちに行って。今は何も話したくない」


 気付けば、そんな冷たい言葉を投げかけていた。


「……そうですね。分かりました」


 そう言う反応になることはゲーリも良く分かっていたのだろう。すんなりとその場を後にする。


 リリアナは一人風呂に浸かったままもう一度深いため息を吐いた。


「これからどうしたらいいんだろう……」


 膝を抱えて俯いたリリアナは、水面に映る自分の姿を見つめた。

 


                      *****



 リリアナが王女である事を報告に向かった二人の兵士は、一刻も早いこの吉報を届けるべく懸命に馬を走らせていた。

 ブレディシア王国が近づく頃になると、草原を駆けている兵士達の姿を崖の上から見下ろす影があった。


「あれは……デルフォス兵? なぜこんなところに」


 その人物はデルフォスの兵士達がこの地にいることを不思議に思った。

 栗毛の長い巻き髪を風に揺らめかせ、デルフォスの物でもブレディシアの物でもない軍服を着込み、腰にはレイピアを携えたその女性。一心不乱に駆け抜けていく兵士達を見つめながら、ふっと勘を働かせる。


「……あの様子、何かあったのかしら」


 そう思うと、それが何なのか知りたくて仕方がなくなってくる。

 不敵にニッとほくそえんだ女性はくるりと踵を変えて、待たせていた黒馬に飛び乗った。

 大きく手綱を引き上げると、馬は甲高く嘶きながら前足を高く持ち上げて空を掻き、着地すると同時に猛烈なスピードで走り出す。


 目指すはあの二人の兵士だ。


 大地を蹴る馬の足音。腹の底に響き渡る重たい振動を受けながら、どんどん距離を縮めてくる女性の存在にデルフォス兵たちは気付き背後を振り返る。


「あれは……マージの……!?」

「急げ! あいつに追いつかれたら終わりだ!」


 迫り来る女性の姿を目の当たりにした兵士は顔を強張らせ、馬の尻を叩いてスピードを上げる。

 かなりの速さで駆け抜ける3匹の馬だが、女性の乗る黒馬のスピードは明らかに二人の馬の足を上回っていた。

 あれよあれよと言う間に距離は縮まり、気が付けばすぐ傍まで来ていた。


「しまった……!」


 兵士がそう声を上げるが早いか、女性は併走しながら不敵に微笑むとその長い足を振り上げて兵士に蹴りを食らわせる。


 思いがけず追いついてきた相手の速さに面食らい、対処しきれなかった兵士はバランスを崩して地面に落ち、主を無くした馬はそのまま走り去ってしまう。

 もう一人の兵士は落ちた仲間を気にかけ、スピードを緩めそうになった。


「は、走れっ!」


 落ちた兵士の叫び声に一度は緩めそうになったスピードをもう一度奮い立たせ、走り続ける。


 その兵士を追いかけて走る女性の馬は、ある程度まで追いかけると諦めたかのように速度を緩めた。そして落馬した兵士の元へと駆け戻る。


 兵士は、落ちた衝撃で肩と腕、足の骨を折り起き上がることも出来ず仰向けに倒れたままでいた。

 女性は近づいてくると馬を下りることなく冷たい眼光で睨み下ろしてくる。


「なぜデルフォス兵がここにいるのかしら?」

「……敵国であるお前に、話すことなど何もない」


 鋭く睨みつけながら吐き捨てるようにそう言い放つと、女性はフンと鼻を鳴らす。


「貴様こそ、こんなところで何をしていた!」

「先ほどの言葉、そっくりそのままお返しするわ」


 冷めた目でこちらを見下ろした女性の表情は冷酷そのものだった。

 女性は馬から下りながら不敵に笑い、兵士の前にしゃがみこむ。そして兵士の前にすっと手を翳した。


「話したくないなら、話させてあげる」


 手を翳された兵士は、ドクリと大きく胸を打つ鼓動を感じた次の瞬間、ぐらりと視界が揺らいた。酷い眩暈を覚えて意識が朦朧としてくる。


 相手の意識をコントロールする魔術を会得している女性は、兵士の心を操り言葉を引き出そうとしていた。


「さぁ、言いなさい。なぜお前はここにいるの?」

「……お、俺、は……っ」


 しかし、兵士も抗っているのか、がくがくと打ち震えながらもゆるゆると首を横に振る。


「なかなかしぶといわね。さすがは、あの人の教育を受けているだけあるわね」


 ふっと笑った女性は脇に携えていた剣をスラリと引き抜き、その切っ先を兵士に突きつける。


「言いなさい。言わなければ死を早まらせるだけよ」

「……っ」


 どちらにしても最後にくる選択肢は死。

 兵士はぐっと唇を噛みどの道死ぬのであれば絶対に口を割らないと決め込む。


「そう、そのつもりならいいわ。意地でも話させて見せる」


 女性はイラだった様子で、兵士の顔の脇に剣を突き立てた。

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