第7話 真実.2

「ご協力ありがとうございます」


 ペブリムは民家の家人に礼を言い、家を後にした。

 あの日、ブレディシアであった少女。彼女をマークさせて辿り着いたのがこの村だった。


 村人たちが集まる中、少女の情報を聞きだすのは容易いこと。

 一緒に家を出てきた兵士の一人が、やや興奮気味に口を開く。


「王女で間違いなさそうですね」

「あぁそうだな……。あとは王女である証拠を確認したいんだが……」


 ほぼ間違いはないのだろうが、あの日少しだけ見えたあの痣をもう一度確認しなければならない。


 ここまで確証を得ていても、本当に間違いがないかどうかを確かめなければ……。


 ペブリムはふと、ポルカの事を思い出す。

 ブレディシアの祝賀祭を終えて城に帰り、城下町であった少女の話をポルカに報告すると、彼女は今までにないほど目を輝かせていた。


 生きていてくれた。ポルカはそれだけで、これまで信じてきた想いが報われると涙ながらに喜びを語っていた。

 両陛下にとっての望みと、デルフォスの将来の望みが一つ繋がった。それはペブリムにとってもこれ以上ない喜びだ。

 村人達の話によれば、マークしていた少女は17年前にある一人の男性によって、この村に連れてこられたのだと言う。


 ブレディシアで会った少女……手の甲に見られた痣……17年前にここへ連れてこられた……。


 これはほぼ、確実だと言っても過言ではない。


「一足先にお前達はポルカ様へ報告に戻ってくれ。私は確認出来次第、王女を連れて帰る」

「了解!」


 ペブリムは兵士二人にそう言い付け足早に帰る背中を見送っていると、冷たい湿った空気が吹き抜けて、ペブリムは何気なく空を見上げる。

 空は分厚い黒雲が空を覆い隠し、今にも雨が降り出しそうな雰囲気だった。

 雨が降り出す前に少女のところへ向かうかどうか、考えているとポツッと雨粒が落ちてくる。


「降って来たな……」


 ペブリムはひとまず、村の宿屋への道を急ぎ歩き出す。その間にも雨脚は勢いを増し、あれよあれよと言う間に酷い土砂降りとなる。

 近くの民家の軒下へ逃れたペブリムは濡れた衣服を拭いていると、ふいに視界の端に家から飛び出していった人影を捉えた。そちらを振り返ると、この土砂降りの中、形振りか舞わず黒髪の少女が駆けていくのが見える。


「……」


 辺りに靄がかかるほどの豪雨。こんな局地的な雨の中、何も持たずに駆け出した少女の後をペブリムはすぐに追いかけた。







 全身ずぶ濡れになりながら村の北へと続く街道付近まで追いかけてくると、街道の脇に蹲る少女の姿を見つけ、ゆっくりと近づいていく。

 少女は肩を震わせている。それが、雨に濡れた寒さで震えているのではなく泣き崩れているのだという事がすぐに分かった。

 ペブリムが歩み寄りそっとその肩に手を置くと、彼女はビクリと大きく体を跳ね上げてこちらを振り返った。


「あ……」

「……リリアナさん、ですね」

「……っ」


 リリアナはペブリムの顔を見た瞬間、驚いたように目を見開くもすぐに悲しそうに顔を歪めた。そして何を言うのでもなく、勢いに任せて抱きつき号泣し始める。


 この取り乱し方を見るに、家へは戻らない方がよさそうだ。しっかりとしがみついて離れないリリアナの肩に手を置きながらそう思う。

 ペブリムはどこか雨を凌げる場所がないかを探すと、近くに木が密集して生えた場所を見つける。そこならある程度の雨を凌げそうだった。


「リリアナさん、ひとまずあちらに行きましょう」


 支えるようにしながらペブリムはリリアナと共に木の下に避難する。

 リリアナはぺたりと地面に座り込み、顔を俯けて何度も涙を拭いながら泣き崩れていた。

 すっかりずぶ濡れになった衣服。ペブリムは顔に張り付いた髪を掻き上げて、リリアナの前にしゃがみこんだ。


「大丈夫ですか?」

「……っ」


 静かに訊ねると、リリアナはすすり泣きながらも小さく頷き返す。


「こんな時に家を飛び出して、何かあったのですか?」

「う……っ」


 こみ上げる涙が止められず、ボロボロと涙を溢れさせながらリリアナはゆっくりと顔を上げた。

 雨で濡れた寒さもあるのだろうが、泣き顔は赤く染め上がっている。


「ゲーリが……」

「はい」

「ゲーリが……血の繋がった家族じゃなかったって……」

「……」


 ぽつぽつと語るリリアナの言葉に、ペブリムはただ静かに頷き返す。

 出来る限り刺激をしないように、彼女のペースで話せるのを待つつもりで構えていると、ゆっくりとリリアナは言葉を続けた。


「あたしを家族としてじゃなく、一人の女性として好きだって、そう言っていたの……」


 その言葉に、ペブリムは少し驚いたような顔をする。

 まがいなりにも家族としてこれまで過ごしてきた相手に、家族以上の愛情を持っているとは驚かないわけが無かった。

 ペブリムは少し考えて、確認のためにもう一度聞き返す。


「……彼はあなたを女性として見ていた、と言うことですか」


 その問いかけに、すぐにこくりと頷いたリリアナは思い出すだけで涙が止まらない。

 吐く息が白く、小刻みに震える体をリリアナはぎゅうっと抱きしめる。


「ゲーリがずっとそんな風にあたしを見ていただなんて全然知らなくて、キス……されそうになったから、それで……」

「家を出てきたと、そう言うことですね?」

「……はい」


 焦らせず静かに受け答えをしてくれるペブリムに、次第にリリアナも落ち着きを取り戻し始めた。


 ごしごしと涙を拭い、リリアナは泣きはらした顔でペブリムを見上げる。

 真っ直ぐに見つめてくるリリアナの瞳は、まだ涙に揺れていた。


「……あたしは、一体誰なんですか?」

「……」

「ゲーリと血縁者じゃないあたしは、どこの誰なんですか……。あなたと関係があるんですか?」


 真っ直ぐに見つめてくるリリアナに、ペブリムは目を逸らすことなく見つめ返し、やがて静かに口を開く。


「手を……」


 促されるままに手を差し出すとペブリムはそっと彼女の左手を取った。そしてリリアナがつけていた手袋を取ると、そこにはゲーリがひた隠しにしたかった痣がある。

 ペブリムはじっとその痣を見つめやがて確信を得て、ゆっくりと顔をもたげる。


「……ようやく、ようやくお会いする事が出来ました」

「?」


 優しく微笑むペブリムの表情に、リリアナは困惑した。

 とても安堵感に満ちたようなそんな顔をしているペブリムに、わけも分からず小首を傾げる。


「あなたは私がお仕えするべきお方です。あなたは、デルフォス王国のご息女……王女殿下であらせられます」

「……」


 耳を疑いたくなるようなペブリムの言葉に、思わず眉根を寄せる。


 自分が王女? まさか、そんなことが……?


 瞬間的に声が出てこず、頭の中は更に錯乱状態に陥ってしまった。


「お……王女って……。冗談か何か、ですか?」


 信じられずにそう訊ね返すと、ペブリムはニコリと微笑みながら首を横に振った。


「この手の痣は王家の人間にのみ現れます。あなたは王家の正統なる後継者であらせられるのです」

「……だって、でも、これは、子供の時に受けた火傷の痕だと……」


 困惑したままで問い返すと、ペブリムはリリアナの冷えた手をそっと包み込むように握り締める。


「私は医者ではありませんが、傷の跡とそうでない物の区別はつきます。ゲーリさんは、最初からあなたが何者なのか知っていた。だからこそ、この痣を火傷の痕だと偽ってまで隠したかったのでしょう」


 ペブリムの言葉で、なぜゲーリが必死になっていたのか合点が行った。

 生まれてすぐここへ連れてこられた時点で、ゲーリは何もかも知っていた。知らなかったのは自分だけ。そして何より、ゲーリが知っているのであれば当然両親も自分が王族の人間だという事も知っていたはずだ。


 その時、リリアナはふと先ほどの家に帰るよう促した女性の事を思い出す。


 何故あの時彼女がそう促してきたのか。もしかすると、村の若い者達は知らずとも、それ以上の人々は自分が何者であるかを知っていた可能性がある。

 チリッと胸が痛むのは、心のどこかで自分だけが知らなかった事で裏切られたような気持ちを抱えているせいかもしれない。しかし見方を変えれば、痣の意味を違う言葉で偽って隠そうとしていたのは周りから自分を守るためであり、ゲーリは隠し続ければずっと一緒に暮らしていける。そう思い込もうとしていたからかもしれない。

 リリアナはぐっと言葉を噤み、顔を俯かせた。


「……なら、どうしてあたしはお城じゃなくてここにいるんですか……」

「それは、17年前に起きた戦が問題でした。当時のデルフォスはかなり追い詰められており、両陛下は生まれたばかりのあなただけでも救うべく、一時的に戦場から遠ざけました。それが原因であなたは行方不明になり、今に至るのです」

「……」


 行方不明になった……。


 だから、何かの理由でここへ連れてこられ、ゲーリの家族として暮らすことになったのか。

 リリアナの中で全ての話がようやく繋がった。


「あなたの話が本当なら、あたしは、ここにいてはいけないということですよね」

「デルフォスは今、国王が不治の病に犯されて不在であり、後継者もいないと周りの国々に知られています。当然、戦を仕掛けてくるマージも同様です。国王不在で後継者もいない内側が脆い国は、攻めようによっては簡単に落とされます」

「……」

「もし国王の身に何かあっても、後継者がいれば何の問題もありません」

「……そんなの、そっちの勝手じゃないですか……」


 黙って話を聞いていたリリアナは、ペブリムから視線を逸らしながら辛辣な言葉を発する。その言葉に、ペブリムは一度瞼を伏せ小さく頷き返した。


「そうですね……。あなたの言う通りだと思います」


 否定をせず、ペブリムはリリアナの言葉を受け止めて素直に認めた。

 嘘偽りを語るつもりも取り繕うつもりもペブリムにはない。ただ純粋に、国に戻ってきて欲しいと切に願っているだけだ。


「こちらの勝手なのは重々承知の上です。ですがどうか、私と共に国に戻ってはいただけませんか?」

「……そんなの、急に決められません」


 胸の内がとても複雑で、色んな事が一気に起きすぎてとても収拾が付く状態じゃない。そこに畳み掛けるように選択を迫られても、すんなりと返事など出来るはずが無かった。


 気付くと、雨脚がだいぶ弱くなっている事に気付く。


 リリアナもペブリムも全身ずぶ濡れになって、体が芯から冷え始めた。


「わかりました。少し考える時間も必要でしょう。私は宿に部屋を取っておりますので、心が決まったらいらしてください」


 軽く微笑みながら立ち上がったペブリムに、リリアナもつられて立ち上がった。


「だた、分かって下さい。私はあなたに無理強いをするつもりはありません」

「それじゃ、あたしが行かないといったら諦めるんですか?」

「いいえ。あなたが納得するまで、私はあなたの傍にいます」


 間髪をいれずリリアナの言葉を否定したペブリムの表情は、至って本気そのものだった。

 リリアナは口を閉ざし、そんな彼女から視線を逸らした。

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