第6話 真実

 リリアナたちが薬草を買い、ルク村へ戻ってから数日が経った。


 いつもと同じ日常。いつもと同じ朝。いつもと同じ一日……。

 これまでもこれからも当然のように何一つ変わらないと思っていたが、この日は違っていた。


 この日、リリアナは再び調剤室から脱走を試みて、村の外れにある小麦畑に遊びに出かけようとしていた。

 小麦畑には、彼女にとって人に見つかり難くのんびりとお昼寝をする事が出来る、言わば秘密基地のような場所がある。今日もその秘密基地へ出向き昼寝をするつもりだった。


「……?」


 家を抜け出し、近所のパン屋さんでお気に入りのパンを買っていたリリアナは、村の入り口が急に騒がしくなった事に驚いて振り返る。見れば、村の住人達がパラパラと集まりながら人垣を作り、入り口の方に固まっていた。

 何があったのだろうと気になったリリアナは、パンの入った紙袋を胸に抱きしめたままそちらへと向かってみた。すると数日前にブレディシア王国で出会った女性騎士が二人の供を連れて馬に跨り、現れたのだ。

 先頭を切った女性は、村人たちを見渡し口を開く。


「私はデルフォス王国の騎士、ペブリム・ラゾーナと言う者だ。本日、兼ねてから探し続けていた女性をお迎えにあがった次第である。我々にご協力いただきたい」


 ペブリムの言葉に、村人達は騒然となった。


「デルフォスの騎士様が、この村の女性を迎えに来ただって?」

「一体誰なんだ?」


 若い年代層の村人達は口々にそう囁き合いながら、周りをキョロキョロと見回し始める。

 それを呆然と見ていたリリアナに、人垣の中にいた一人の初老の女性が家に帰る素振りを見せながら近づいてくる。そして通り過ぎざまに、リリアナにこそっと耳打ちをしてきた。


『早く家へお帰り』

「え?」


 目を瞬いて女性を振り返るが、女性は何も無かったかのようにその場から立ち去っていってしまう。


 早く家へ帰れとは、一体どういう意味なのだろうか……。


 遠巻きにペブリムを見ていたリリアナは、ふとした瞬間に彼女と目が合いそうになり咄嗟に背を向けた。そして眉間に皺を寄せ、女性に言われた通り自宅への道を脇目も振らずに走り出した。


 女性騎士が迎えに来たというのは、もしかしたら自分なのかもしれない。そう思った途端なぜだか急に怖くなった。行きずりとは言え、自分は彼女と面識がある。だからこそ余計に怖い。


 息を切らして自宅まで駆けてくると勢いよく台所の勝手口の扉を開き、後ろ手に閉めて乱れた呼吸を整える。


「リリアナ?」


 午前の診察を終えたゲーリが、驚いたように彼女を見やり声をかけてきた。

 リリアナはそんな彼を見上げ、胸に抱きしめていたパンの袋をゲーリに押し付ける。


「……分かんない」

「え?」

「分かんないけど、逃げてきた」

「逃げてきたって……どう言う事ですか?」


 ただならない様子に、ゲーリは家を黙って抜け出した事などどうでもよくなり問いただす。しかし、リリアナは首を横に振るばかりだった。


「だって、この前ブレディシア王国で会ったあの女性騎士の人が来てるんだもん」

「え……」


 その言葉に、ゲーリの顔が青ざめ固くなる。


「誰かを迎えに来たって言ってた。あたし、あの人とは面識あるし、もしかして何か自分に関係があるんじゃないかと思ったら、怖くなって逃げてきた」

「……!」


 その言葉に、ゲーリはゾワリとした寒気を背筋に覚えた。

 彼にとって一番怖れていた事がやってきた。来て欲しくないと願って止まなかったこの瞬間。まさか、本当にこうしてやってくるなんて……。


 ゲーリは急ぎ部屋の窓のカーテンと言うカーテンを閉め、リリアナの両肩をぎゅっと掴んで顔を覗き込んだ。


「いいですか。決してここから出てはダメですよ」

「え? 何……どうして?」

「どうしてもです。例え彼女達がここへ来ても、絶対に出ないで下さい」


 顔面蒼白状態でゲーリが必死になって外へ出るなと言うことに、リリアナは不自然さを感じざるを得ない。

 なぜ彼は急にこんなに焦りを感じているのだろうか。肩を掴む手が微かに震えてもいる。何にそんなに怯えているというのだろう。

 リリアナは怪訝な表情を浮かべ、一人うろたえているゲーリを真っ直ぐに見上げて口を開いた。


「ゲーリ。何をそんなに焦ってるの?」

「何って……それは……」

「何か焦らなきゃいけない事があるわけ? あの人と、あたしと……もしかして何か関係があるの?」


 リリアナも馬鹿ではない。突然様子の変わったゲーリに何かを感じないわけが無かった。

 ゲーリはこれまでひた隠しにしてきた事を、あまりの取り乱し方で自ら露呈しているような物だ。


 突き詰めてきたリリアナの言葉に、ゲーリはぐっと言葉を詰まらせる。そして急ぎ取り繕うように笑いながら首を横に振った。


「ま、まさか。そんなわけないじゃないですか」

「じゃあ何でそんなに慌ててるの。何か隠してることがあるとか?」

「そ、それは……」

「ゲーリ」

「そんなわけないですよ! 隠す事なんか何一つありません!」


 自分の中の気持ちを認めたくないが為に、ゲーリは思わず声を張ってそれを否定した。否定しなければいられないほど、彼はパニックに陥ってる。

 普段の彼からは見られないうろたえ方に、リリアナは確信を得た。やはりペブリムと名乗るあの女騎士と自分は何か関係があるのだと。

 リリアナはきゅっと口を引き結び、肩に置かれていたゲーリの手を握り返して真剣な表情で彼を見た。


「嘘。ゲーリは嘘が下手だよね。そうやってうろたえるほど、何か関係があるって認めてるのと同じだって気付かない?」

「……っ」

「何があるの? あたしと、あの人と。ゲーリ、ブレディシアにいた時も今みたいに何かに怯えてたよね」


 真っ直ぐに見つめるリリアナの視線はゲーリから逸らす事はない。

 もう関係があると確信を得ている以上、話さない訳にはいかないのだろうがそれでもゲーリは否定していたかった。

 眉間に皺を寄せ、僅かにリリアナから視線を逸らす。


「ねぇ。あたし何聞いても驚かないって約束するから話してよ。家族でしょ? 何を隠してるの?」

「……それは……」


 なかなか話を切り出そうとしないゲーリに、次第にリリアナは苛立ちを覚え始めた。

 ここまで来て何も知らないでいる事などできるはずがない。


「ゲーリ!」


 一喝するように声を張ると、彼は散々迷った挙句、もう言い逃れは出来ないと諦めたかのように瞳を閉じて深いため息を吐き出した。

 それまで強張っていた体から力が抜けて、するりとリリアナの肩から腕が下りる。

 顔は俯いたまま、酷く寂しそうな顔をしている。


「……本当に、何を聞いても驚かないと約束できますか?」

「うん」

「これから言う事が、あなたにとっての人生が変わる事だとしても?」

「……うん」


 人生が変わる。そう言われると瞬間的に尻込みしてしまうが、このまま知らない振りができるほど自分は器用な人間じゃない。

 ゲーリが抱える物がそれほどに大きく重たい物だと言う事を、言わずとも肌で感じ取れた。それでも、自分は聞かなければいけない。


 リリアナはこれからゲーリが切り出す話を落ち着いて聞くよう、心してかかった。

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