第5話 動き出す運命.3
ルク村を出て一日と半。トラブルに見舞われる事も無く予定通り二人はブレディシア王国に辿り着く事が出来た。
長い馬車の旅を終えて外に出たリリアナは大きく伸びをする。
「うーん……やっと着いたぁ……」
「どうでした? 初めての馬車の旅は」
荷物を手に降りてきたゲーリがリリアナに訊ねると、彼女は思い切り伸びていた体を脱力させながらボソリと呟く。
「疲れた……」
「でしょうね。でも、帰りも同じように揺られて帰りますからね」
ゲーリが笑いながらそう言うと、リリアナは「もういいかも……」と来た事を少し後悔していた。
「滞在時間は短いですが、王国は色々な物があって楽しいですよ。薬草を買い付けたら、少し見て周りましょう」
元気を出させようと背を軽く叩き、先に歩き出したゲーリを追ってリリアナも歩き出した。
王国の城下町の門から少し離れた場所で馬車と別れ、舗装された綺麗な街道を歩く。木々が建ち並び、石畳の街道の横には小さな野花が風に揺れている。道の所々には、ブレディシア王国のシンボルである像が等間隔に置かれていた。
すれ違う人々の身形も、村ではまず見ないような小洒落た衣服で流行の最先端を行っているように見える。
「……ね、ゲーリ。あたし変じゃない?」
「うん? 何ですか?」
「いや、だからね、あたしの格好。何にも考えないで普段着で来ちゃったからさ……」
あまりにもすれ違う人とは違う簡素な衣服で来た事が気になり、リリアナは思わずそう訊ねた。
何となく、自分が場違いな気がして仕方がない。
こういう事になるなら、もうちょっと普段から着る物に気を使っておけばよかったと内心思った。
ゲーリは立ち止まり、落ち着かない様子のリリアナを見てにこりと笑う。
「いいんじゃないですか? それがあなたでしょう?」
「え~……」
確かにこれが自分だと言えばそうだが、それでも周りに比べれば悪い意味で浮いているような気がしてならない。気にしなければ良いのだろうが、通り過ぎていく人々に笑われているんじゃないかと思うと恥ずかしくて仕方がなかった。
そわそわとあちらこちらを窺いながら歩いていると、目前には街の入り口が見えてくる。大きく開かれた門の両端には城仕えの兵士と思しき人物が立っているのが見えた。
門より向うには、見た事がないほど沢山の人々が溢れかえって、街は綺麗に装飾され祝賀祭は大いに盛り上がっているようだ。
「何か入りづらいんですけど……」
「大丈夫ですよ。とにかく、今はいつもより人が多いですから、はぐれないようにちゃんと付いてきて下さいね」
王国や大規模な街に来慣れているゲーリは、別段怖気づくわけでもなくさっさと先を歩いていってしまう。
リリアナは若干気後れしながらも、腹を括ってゲーリの後を追いかけた。
門をくぐると、賑やかな音楽や美味しそうな食べ物の香りが漂ってくる。街のあちらこちらで談笑する人々や、昼間から酒を飲んでいる人もいる。
村とは全部が違う事に、リリアナは感動を覚えその場に立ち尽くしていた。
「凄い……」
リリアナは目を輝かせながら、城下町に見入った。
どれもこれも、村にいたら知らない風景ばかりが広がっている。見ているだけでワクワクした気持ちに包まれてくるようだった。
もし自分がこんなところに住んだとしたら、一体どんな生活をしているだろう?
毎日道行く人と会話をして、医者として仕事をして……。
想像するだけで楽しくなって、思わず微笑んでしまう。
その僅かな時間その場に立ち止まっていると、前から来た大柄な男性によろめくほど強くぶつかられてしまった。
「うわわわ……っ!」
ぶつかった勢いで、バランスを保てずよろめくままにぺたりと地面に尻餅を着いて倒れてしまう。そんな彼女を、いかつい顔の男性がジロリと睨み下ろした。
「おいてめぇ、どこ見てんだ?」
「あ、ご、ごめんなさい」
「あぁ? ごめんなさいじゃねぇんだよ!」
喧嘩腰の男に咄嗟に謝った。だが男は虫の居所が悪いのか、うろたえているリリアナに対し大声を荒らげてくる。
男の怒鳴り声に、二人の周りにいた人々の空気が瞬間的に凍りつく。そしてザワザワと騒ぎ始めた。
いきなり変なのに引っかかってしまった……。
男と自分を中心に、周りにいた人は距離を取って人垣を作りこちらを見つめている。もう街人たちは完全に野次馬だ。
そんな人々を前に、リリアナはこの後どうなってしまうのか分からず冷や汗が頬を伝い落ちた。
こんな大柄な男相手に、ゲーリが勝てるわけもない。
しかも肝心のゲーリは、人が多すぎてどこへ行ってしまったか分からなくなってしまっていた。
「おい女。ぶつかっといてまさか謝罪だけで済むと思ってるのか?」
「……っ」
威圧感のある眼差しでこちらを睨みつけてくる。
怖い。怖くもあったが、男のいう事に理不尽な部分が多かった事に苛立ってもいた。
リリアナはぐっと拳を握り締め、果敢にも男を睨みつけるとその場に立ち上がる。そして負けじと一歩踏み出すと、男に噛み付いた。
「変な言いがかりつけるのはやめてくれる? 確かにここに立ち止まっていたのはあたしが悪いけど、あなただってよそ見して歩いていたんじゃないの? じゃなきゃ、こんな勢いよくぶつかったりしないもの」
「あぁ? じゃあ俺が悪いって言うのか?」
「どっちが悪いとか悪くないとかじゃなくて、お互いに悪かったって話でしょ! 違う!?」
負けん気の強いリリアナは、一度噛み付くと肝が据わったのか怖気づくどころか男性に食って掛かった。
「ふざけんなよ、このアマ……っ!」
「!」
男は思いがけず歯向かってきたリリアナに苛立ちを抑えきれず、鍛え抜かれた太い腕でリリアナの左手を掴んできた。
「いい度胸してんじゃねぇか! 一度痛い目見ないと分からねぇようだな!」
「いたたたたっ!」
リリアナは掴まれていた手をそのまま捻り上げられる。
男の太い腕に比べて、当然ながらリリアナの腕は細い。少しでも力を加えられれば簡単に折られてしまうだろう。
痛みに顔を歪め、焦りと忘れかけた恐怖を思い出したリリアナはぎゅっと目を閉じた。
やめとけば良かった。
今更後悔の念が押し寄せる。
殴られてしまうかもしれない。そう覚悟をしようとしたとき、誰かの気配を自分の側に感じた。
「怪我をしたくなければその辺にしておけ。祝賀祭の最中に騒動を起こす事は処罰に値する」
ザワザワとざわめく人々の声の中で、側に立った人物の声が聞こえてきた。
リリアナがパッと目を開き声のする方を見ると、そこには腰に剣を携えて軍服を着込んだ女性が自分を庇うように前に立ち、相手を睨みつけて立っている。
「騎士様だ……」
「デルフォス精鋭部隊の騎士様だ」
周りの人々の中からチラホラとそんな声が聞こえてくる。
「……っち。騎士ってのは随分偉いんだな」
「我々に問題があるのであれば後で話を聞こう。今はすぐに彼女から手を離すんだ」
まるで怖気づくわけでもなく、女性は相手を射すくめるような鋭い目で男を睨んでいる。更に、威嚇するかのように片手を剣の柄に掛けた。
男は苛立ちながらも流石に危機感を覚えたのか大人しくリリアナから手を離し、くるりと踵を返して悪態を吐きながらどこかへと歩いて行ってしまった。
男が去り、周りで見ていた人々もほっと安堵の色を見せて、まるで何事も無かったかのように行き交い始めた。
「大丈夫ですか? 怪我は?」
平常を取り戻した人々に背を向け、女性はリリアナを振り返った。
痩身で背が高く、水色の短い髪が風に揺れる。先ほどの鋭い表情とは打って変わり、とても優しそうな笑みを見せた女性を見ていると、力が抜けるようだった。
「だ、大丈夫、です……」
そう言いはするものの、今頃になってヘナヘナとその場にしゃがみこんでしまった。
ここに来て早々にこんなことになるだなんて、まるで考えてもいなかった。大きな街は怖いところだといきなり意識に植え込まれる。
女性はリリアナの前に立てひざを着いてしゃがみこみ、そっと手を差し伸べた。
「今は祝賀祭で街を開放している分、色んな人間が出入りしています。あまり無茶をしない方がいいですよ」
「あ、ありがとうございます……」
「立てますか?」
「た、たぶん……」
差し出された手を取ろうとして、ふと左手の手袋が脱げかかっている事に気が付いた。先ほどの男が手を捻り上げた拍子に取れてしまったのだろう。
リリアナは慌ててその手袋を嵌め直し、よろよろとその場に立ち上がった。するとそこへ、血相を変えたゲーリが大慌てで駆け戻ってくる。
「リ、リリアナ!」
「ゲーリ」
「大丈夫ですか? 騒ぎを聞いて……怪我はありませんか?」
「う、うん。大丈夫。ごめんね、ちゃんと付いていかなくて」
「私こそ、気付かずに先に行ってしまって……」
蒼ざめたゲーリがリリアナの安否を気遣い、頭の先から足の先まで見て特別怪我がないと分かると心底安心したようにホッと胸を撫で下ろした。
「お連れの方がいらっしゃいましたか。良かった」
「……!」
ニコリと微笑む女性の姿に、話しかけられるまで気が付かなかったゲーリは、彼女の姿を見た瞬間顔を強張らせる。
リリアナは隣でそんなゲーリの様子を見て、不思議そうに首を傾げた。
まるで何かに怯えているかのような、そんな表情でゲーリは目の前の女性を食い入るように見つめている。
「では、私はこれで失礼致します。どうぞ、祝賀祭をお楽しみ下さい」
硬い表情で固まってしまったゲーリの事などまるで気にも留めていないかのように、女性は微笑んだまま頭を下げると、くるりと踵を返してその場から立ち去っていった。
ゲーリは彼女の姿が完全に見えなくなるまで、まるで足に鉛でも付いてしまったようにその場から動けなかった。
「ゲーリ?」
リリアナが不思議そうに声をかけると、呪縛から解かれたようにハッとなる。そして硬い表情のままゲーリは口を開いた。
「手袋……手袋は、ちゃんとしていますね?」
何かに焦っているかのように確認してくるゲーリに、リリアナはぎこちなく首を縦に振る。
「え……うん。してるけど……」
「良かった……」
さっき外れかけてしまっていたと言おうとして、ゲーリの言葉に遮られてしまった。
手袋が取れていないと分かると、ゲーリは安心したのか表情に柔らかさが戻ってきた。
「とりあえず、薬草の店に行きましょう」
ゲーリは今度はしっかりとリリアナの手を掴み、人ごみの中に消えていったのだった。
そんな二人の様子を少し離れた場所で見ていた先ほどの女性は、隣に立っていた兵士に声をかける。
「……あの二人をマークしてくれ」
「了解」
兵士が二人の消えた方へ向かうと、女性はぐっと拳を握り締める。
瞬間的に見えたあの左手の痣。あの痣に、女性は確信に近い何かを感じていた。
「彼女は、王女かもしれない……」
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