第6話


 咲衣は暗がりのなか、敦貴が聞いているものを読みとろうと、じっとその場に佇んで耳をすませているようだった。やがて咲衣の耳にも足音が届いたのだろう、彼女は闇をまっすぐに見つめると、ゆるやかに歩き出した。

 敦貴も咲衣のあとを追って歩こうとするが、すぐに咲衣が足を止めて、敦貴を振り返ってくる。振り返ったきた彼女の表情は、冷たいなかにも怒りをたたえているようだった。

「……敦貴」

「うん?」

「何度も言っていますけど、私はあなたの護衛です」

「うん、そうだね」

「わかっているなら、ついてこないでください」

 絶対零度の視線。一般人ならば闇に溶け込んで見えないだろうが、生憎と敦貴は吸血鬼だ。闇にひそむ彼女の視線を追うことはたやすい。

 冷ややかな目を受けては、さすがの敦貴も付いていく勇気はわかない。咲衣は念を押すようにじろりと見ると、ふたたび前を向いて歩き出す。

 咲衣はすぐに通りを曲がり、姿を消した。だが幸いにも、敦貴の耳には、彼女の足音は届いている。耳を限界まですませれば、咲衣の息づかいまで聞こえてくるだろう。

 咲衣のそばからは、ちょうど咲衣と向き合っているのだろうか、男の足音が聞こえていた。三人だろうか。

 夜の通りは、車さえも通らない。ひどく静かな空間に、咲衣が短く息を吸うのがわかる。

「……失礼ですが」

 静けさを割るように、男の低い声が聞こえてきた。

「はい」

 短く答えるのは、咲衣の声。咲衣の返事を受けて、男がさらに一歩踏み込む音が聞こえた。

 踏み込まれる間合いに、少し離れたところから聞いている敦貴も、おもわず近寄ってしまう。

「あなたは臨床検査センターの方ですか?」

 続けざまの問いかけは、明らかに異質なものだった。咲衣が足を止める。

「……そうだと言ったら?」

 咲衣が返す言葉と同時に、風を切るような音がした。誰かが何かを振ったような音。ナイフだろうか。近づいていく敦貴の歩みも速くなっていく。

 咲衣が消えていった曲がり角を曲がると、すぐに咲衣たちの姿が目に入ってきた。

 咲衣は敦貴に背を向け、右肘を前に出している。右肘で男のつきだしてきた腕を避けているようだ。右腕のすぐ近くで、ナイフがかすかな夜の明かりに煌めいている。

「……ッ!」

 咲衣は短く息を吐き出したようだった。空いている左腕が、ナイフを持つ手を掴んで、ひねっている。おかしな方向に曲がった腕から、ナイフが手放されていた。

 夜明かりを受けたナイフが、やけにゆっくりと弧を描いて、地面へと落ちていくのが見える。静寂のなかに響く、金属の鋭い音。

 金属音が響きわたると同じくして、男たちが一斉に動き出す。

「このっ……ぐ」

 ナイフを持っていた右腕を掴まれたままの男は、右膝を振り上げるところだった。口から罵声が飛び出ているが、半ばにして消え失せている。男の膝蹴りを食らうまえに、咲衣の右膝がたたき込まれたのだ。

 うめき声を上げた男は、よろめいていた。咲衣はとどめとばかりに、側頭部に左の拳をたたき込んでいく。直撃を受けた男の身体がぐらりと傾いで、地面へと倒れていった。

 だがそのとき、残りの男が一斉に飛びかかってくる。咲衣を挟むようにして、両側からナイフを振りかざしているようだ。

 咲衣はすぐに男から手をはなして、片方の男へと向き直っていた。もうひとりの攻撃は、あえて受けるつもりなのだろうか。

 それを見た敦貴の身体は、自然と動いていた。

 吸血鬼特有の身体能力を限界まで発揮して、数歩で咲衣の背へと割り込んでいく。

 咲衣と男の間合いに割って入ったので、男と間近に顔を合わせることとなった。ごく近くで見る男の視線は驚愕に満ちている。意表を付けたらしいことに、愉快な気持ちになっていた。

 敦貴からすれば、男の動きは緩慢でしかない。これならまだ、咲衣のほうが速い。

 咲衣の背に繰り出されようとしていたナイフは、敦貴の胸へと触れようとしていた。敦貴は素早く右の拳をナイフの柄へと繰り出す。勢いをつけて小突くと、あっさりとナイフは手から離れていった。

 男がひるんだ隙をみて、みぞおちに拳を入れる。男はあっさりとうめき声を上げると、ずるずるとその場に崩れ落ちていった。

「くそっ……」

「悪いね」

 男の目から光が失われる寸前、男は最後の力で睨みつけてくる。悔しさのなかに畏怖が入り混ざる目の色を受けながら、敦貴はかすかに笑っていた。

 男が崩れ落ちたと同時に、後ろでも鈍い音が上がった。敦貴が振り返ると、咲衣があっさりと男のみぞおちに蹴りをいれていた。男は声も上げずに、地へと沈んでいく。

 男たちが意識を失い、ふたたび静かになった夜道。聞こえるのは、咲衣が軽く弾ませる息づかいだけだ。

 咲衣は息を整えると、ゆっくりと敦貴を振り返ってきた。その目は、この道に入る前よりも、さらに冷たさが増している。

 今まで余裕さえ感じていた敦貴だったが、途端、背にすうと寒気がはしっていた。

「敦貴……また出てきましたね……」

「え……、いや、はは、つい……」

 敦貴は一歩下がりながらも誤魔化そうとするが、一歩下がれば、咲衣が一歩近づいてくる。

「敦貴が出てきては、私が護衛をしている意味がないでしょう」

「まあそれはそうなんだけど……、でも、さっきは一撃を受けようとしたでしょ」

「……そうです。でも、浅く受けようとしただけで」

 敦貴の指摘に、咲衣は戸惑ったようすを見せる。やはり咲衣は、もうひとりの攻撃をあえて受けて、反撃しようとしたのだ。

 彼女が着るジャケットにナイフが食い込み、ざっくりと裂けていくありさまが脳裏に浮かぶ。

 咲衣は気にしないのだろうが、敦貴はその光景を見たくはなかった。

「咲衣は女の子なんだから、もう少し身体を大事にした方がいい。今回はお互い怪我もなかったし、良いだろ?」

「それは、そうですけど」

 咲衣はそれでも、浮かない顔だった。おそらく護衛なんだから怪我は当たり前だとか、そんなことを思っているに違いない。

 敦貴だって、そんなことはわかりきっていた。けれども、咲衣の口から聞くことは憚られる。

 だから、彼女が口をひらくまえ、話題を変えることにした。

「今のはもうひとつの派閥だろうか」

「……ええ。おそらく。ナイフが特注品です」

 咲衣は爪先に転がっていたナイフを拾い上げた。ナイフ自体はごくありふれた、果物ナイフよりも少し大きなものだ。だがよく目を凝らすと、柄の部分にさりげなく、研究所で使われているマークが刻まれている。

「尾行されていたのか、それともあの家を誰かが狙っているのか……」

 屋敷から出たとき、誰かの気配はあったのだろうか。思い出す限りではなかったように思うが、別のことに気を取られていたので、気がつかなかったのかもしれない。

 もし、時を同じくして、あの屋敷を狙うものがいたならば。咲衣たちを足止めすべく普通の護衛達をこちらへやって、あちらに行くのは吸血鬼か。

 咲衣がぐっと、ナイフの柄を握りしめているのがわかった。

「戻りますか」

「そうだね」

 咲衣の言葉に敦貴はうなずく。二人は同時に、アスファルトを蹴って走り出した。

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