第4話


 ほほえみで象られた唇から、こぼれ落ちた声色は、あどけない少女のようなかわいらしさがあった。

「お主も、わたしのことを人魚と言いに来た口かえ?」

 ただこぼれ落ちた言葉は、声色とはまったく違う印象を与えるもので、敦貴は言葉を失ってしまう。静寂がひろがる空間で、静けさを埋めるように波の音が響いていた。

 敦貴の隣にならんでいた咲衣が、一歩踏み出そうとする。彼女がたてたかすかな足音が、敦貴の意識を我へとかえらせた。

「いいえ。もっと、科学的なことを申し上げにきました」

 どう切り返すべきか一瞬悩んだが、敦貴はまっすぐに本来の目的を告げる。隣で咲衣が息を呑んだようだった。

 少女は何を思ったのか。ただ黙って敦貴を見上げたのち、ゆっくりと立ち上がる。立ち上がった彼女の背はひくく、敦貴が見下ろすかたちになった。それでも、彼女は独特の威圧感を保ったままだ。

 少女は、微笑みを浮かべたまま、じりじりと敦貴へにじりよってくる。ごく近くで見た少女の貌は、ひどくつくりものめいて見えた。

 こちらを見上げてくる彼女の瞳が、夜の光をあびて虹色にきらめいた。まぎれもない、吸血鬼であるという証拠だ。

「科学的なこと? それは、わたしの肉を食べればどうとか、そういうことかの?」

 少女はかすかな間、微笑みを消し去っていた。かるい調子で何でもないことのように話して、そしてふたたび微笑みをたたえる。何でもないことを装っているが、きっと今まで何度もそういう目に遭いかけてきたのだろう。

 作られた微笑みが、胸に迫ってくるようだった。

「いいえ」

 敦貴は、ゆるやかに首を振ってみせる。

「あなたが何故歳をとらないのか、その理由をお伝えしにきたのです」

 少女はそこではじめて、驚いたかのように目を丸くしてみせる。あどけなさを多分に含んだ顔は、素の表情に見えた。


 * *


 おちつかない。

 敦貴の心中は、そのひとことで埋め尽くされている。隣に座っている咲衣もどこかもぞもぞとしているので、落ち着かないのだろう。

 落ち着かない原因は、斜め前に佇んでいる人物のせいだった。

 敦貴の言葉に興味をもった少女は、敦貴たちをあの屋敷に招待してくれた。目の前でぴしゃりと閉ざされた門がふたたび開かれた訳だが、迎えてくれたのは、絶対零度の視線だった。もちろん、門を閉ざしたあの青年だ。少女が中にいれると言えば反対はしなかったものの、ずっと敦貴たちのそばにいて、そして冷たい視線を送ってくる。

 敦貴たちが待っている部屋は、畳が敷かれている和室だった。

 床の間に掛け軸が飾られただけの素っ気ない部屋で、おそらくは来客用に使われているのだろう。生活感が全くないからだろうか、絶対零度の視線が余計に冷え冷えと感じられる。

「待たせたな」

 押しかけたのは敦貴たちであるからと、甘んじて受け止めているとき、可憐な声と共に少女が部屋の中に入ってきた。赤い着物のままだが、表情はどこかさっぱりとしてみえる。明るいなかにいるからかもしれない。

 少女は敦貴のまえに座すと、ぴんと背筋を伸ばしていた。こうして見ると、ひとつひとつの所作がとても成熟しており、見かけの年齢とはかけ離れて見える。

「それで、理由とはなんじゃ?」

「その前にまず、いくつか確認したいことがあります」

 少女はまっさきに、本題へとはいってきた。敦貴がやんわりと横によけると、本題へと入ることを許されなかった少女が、嫌そうな顔をしてみせる。

 だが、確信がもてるまでは、すべてを切り出す訳にはいかないのだ。

「生まれた年は、今よりはるか前ですか?」

「そう。……いつだったかの……、明治天皇がいらしたのは覚えておる」

 少女は昔を懐かしげに振り返っている。どうやら思った以上の歳であるらしい。屋敷もずいぶんと年季が入っているし、嘘ではなさそうである。

「では、もうひとつ」

「まだあるかの」

 少女はすこしうんざりとしていたようすだった。だが最後まで付き合う気ではあるらしく、ぴんと背を伸ばす。

 敦貴はすっと息を吸う。

「あなたは誰かの血を吸わないと、生きていけない身体ですか?」

 とたん、その場の空気が凍った気がした。敦貴の放ったおもわぬひとことに、少女は目を丸くしている。そして、厳しいまなざしを向けていた青年が、一瞬の空白の後に鋭くにらみつけてくる。

 今まで敦貴のところに来るということはなかったのに、怒りをはらんだ顔で、ぐいと一歩前に出てきた。殴りかかってくるのかと、敦貴もおもわず身構えてしまう。咲衣はさりげなく腕をのばして、男が何をしかけてきてもいいようにと構えているようだった。

「よい。おやめ」

 不穏なにおいが漂う場をすっと収めたのは、少女のひとことだった。可憐だが鋭いひとことが、青年の行動をぴたりと止めてしまう。

「ですが……」

「よいのだ……、よい」

 青年は、少女が止めたことに納得していないようだった。それでも、とゆるやかに首を振る。

「よいのじゃ。……本当のことなのだから」

 敦貴を見据えた少女は、かすかに口をひらく。

 ひらかれた口の先、美しく並んだ白い歯からは、鋭くとがった牙が見えた。

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