星のゆりかご
タロ犬
星のゆりかご
1Gだった。
逆さにしても叩いてみても、どこまで歩いても計測器は変わらずその数値を示し続け、なにより自分自身の身体が1Gを体感している。大気構成、温度に湿度に重力までが殆ど同じ。おまけに緑溢れる草木までもが当たり前のように生い茂っている。――まるでママ・エフェスにそっくりの星だ。大地を踏みしめながら、ライタ・ウエノサカは思う。
「ちょうどよかった、なんてもんじゃないね、こりゃ。逆に気味が悪い」
そう言ってなんとも言えない表情でライタの横をゆっくり通り過ぎた女性、エルカ・ブレスリンは、なんとも言えない表情を顔に貼り付けたまま盛大に溜息を吐きだした。原始煙草でも吹かしはじめそうな勢いだったが、態度はともかくタッパが足りなすぎてサマになっていない。140cmを少し超えたばかりの低身長に華奢な身体、長く緩くウェーブのかかったブラウンの髪はまるでお人形さんのようだ。まだ学生だと言われても皆信じるだろうに、これでもライタの上司で、しかも歳上だったりする。時代遅れにかけた眼鏡の奥の眼光だけが、かろうじて風格を保ってはいた。
ライタは目の前に一面に生い茂る、美しく白い花を咲かせた植物の群れを眺め言葉をさがす。どこか神秘的な雰囲気を醸しだす、一面の花畑。
「この花……この惑星の原生植物っすかねぇ? それにしちゃあまりにも、」
「ああ、それあたしも思ってた。専門外だから断定はできんけど多分、ママ・エフェス原産の植物じゃないかな」
「どういうことなんですか。外に出るのに気密服もナノマシンも出番無し。おまけにママ・エフェスの植物まで」
「……どういうことだと思う?」
エルカはライタのほうを見ず、顎に手をあてて何事か考えるポーズをとりながら問い返す。残念ながらそのナリではあまりサマになっていない。むしろギャップで可愛いとさえ思う。
「もしかしてここ、ママ・エフェスなんじゃ、」
「んなアホな。それじゃアレか? あたしらはケレヴの複座式トランスポータなんぞで発掘現場からママ・エフェスまで迷子になったってか。そりゃ無理があるね。ただでさえ、そこらじゅうガタがきてるボロ船だってのに」
たしかにそうだ。物理的に無理だ。氷の海で迷子になって南の島まで辿り着く奴はいまい。それと同じだ。ライタ達の乗ってきたケレヴ社製の小型宇宙船なんて、宇宙を移動するうえではママチャリみたいなもんである。そんなもので迷子になれる範囲などたかが知れている。
それに、
――そもそも、2人はママ・エフェスに行ったことなど、産まれてこのかた一度も無いのだから。
ママ・エフェス。かつて地球と呼ばれたその星から人類はとっくに親離れを果たし、今や銀河系単位で生活圏を広げている。ママはとっくに老いぼれで、乳も出なければ、その乳を必要とする赤ん坊もいない。宇宙大開拓時代の終わり頃には、地球と呼ばれた星の人口は最盛期の五十分の一程度まで減ったと言われている。みな田舎から都会に憧れる若者の如く、我も我もと外宇宙へ飛び出していった。今じゃママ・エフェスなんて、文字通りの田舎で、老いぼれの星だ。
「じゃ、ここはいったいどこなんです? 登録にはないけど、偶然こんな人類に適応した惑星なんてあり得ないでしょ」
「だろうね。なんか仕掛けがないとおかしい。この星の直径、成形物、自転周期……とにかく、どれをとってもこんなふうになるはずがない」
1G。相変わらず計測記にはそう表示されている。
それが故障でないことはもはや明らかだった。そしてそれは、未登録のはずのこの惑星に、何かしら人為的な力が加えられていることとイコールだ。
未登録、非正規の。人為的な。
ライタは何か薄ら寒いものを感じる。もしかして、この惑星はヤバイんじゃないのか。たとえば、宇宙海賊の秘密の隠れ家とか、軍の秘密実験場とか。
「遺跡」周辺の惑星を探査中の、ちょっとした宇宙船の不調。不時着したのは不可抗力だ。不可抗力だが、それにしても運が悪かったのかもしれない。この星は、自分たちのような一般人が迷い込んでいいような場所ではなかったのかもしれない。
「……エルカさん」
一度膨らみはじめた想像は萎むことなく、悪い予感を吸いこんでどんどんと育っていく。少しでも気を落ち着かせようと上司に声をかける。返事がない。見れば、エルカはただ一点を見つめたまま固まっている。微動だにしない。ライタはその視線の先を追ってようやく――
目が、合った。
計測器を取り落としかけた。
幻のように白い花が一面に広がる花畑の中に、いつのまにか、一人の少女が立っている。
深いグリーンの瞳。透き通るような白い肌と、黄金色に輝く長い髪。まるでこの花畑の一部かと錯覚させるかのような純白のワンピース。
少女の口が言葉を紡ぐ。綺麗な声で。
「ようこそ、お待ちしていました。……もう、ほんとにほんとに待ってたんですからね」
心の底から「よかった」というような様子で少女は言う。それはそれは見事なまでの、安堵の表情。
★
「え……お二人は、シャラハの方ではないんですか!?」
少女に案内されるがまま入った、無機質な掘っ立て小屋のような管制室の中で、ライタとエルカは聞きなれない言葉を聞かされる。
シャラハってなんぞ?
「……いや、すいません。てゆうか、ここがどういう星なのかもわかってないです。人違いじゃないですか?」
ライタは正直に答える。わからないものはわからないし、知らないものは知らない。少女が何をどう勘違いしているのかわからないが、どうやら2人を「待ち人」だと思っていたらしい。しかしこんな辺境の星で、こんな可愛い女の子とデートの約束をした覚えは、残念ながら無いのだ。
「え、やだ、私てっきり……すいません、早とちりしてしまったみたいで、」
少女は「やってしまった」とばかりにぺこりぺこりとせわしなくに平謝りする。狙ってやってるのかもしれないが可愛い。まあまあ、とライタが鼻の下を伸ばしながらなだめようとしたところで、それまで黙っていたエルカが口を開いた。
「この惑星の環境が人類にピッタリ適応してるのは、あなたが何かやったってことよね」
有無を言わせない、詰問するような口調だった。顔が笑っていない。
「え、あ、はい。私だけじゃないですけど、私たちが頑張って、」
「つまり、テラフォーミングしたってこと?」
「はい、そうです」
エルカの口調も表情も、ますます厳しいものになっていく。自分が怒られているわけでも無いのに、隣に座るライタは萎縮してしまう。エルカ・ブレスリンはちっこくて見た目も可愛らしい癖に、こうなると超怖い。上司と部下という関係もあって、ライタは今まで何度もそれを実感していた。
しかし。
――まさかテラフォーミングときたのだから無理もない、とライタは思う。
テラフォーミング。人為的に惑星の環境を変化させ、人類の住める星へと改造する行為。
自由殖民、自由惑星開拓が認められていた宇宙大開拓時代ならともかく、今の時代に未許可で、しかも一般人が勝手に惑星のテラフォーミングなど、ちょっと正気の沙汰ではない。これだけで、いったいいくつの宇宙法規違反を起こしているのか、とても両手で足りる数ではあるまい。
つまり、目の前に座る、この可愛い女の子は犯罪者なのだ。隠すそぶりもなく、自らの手で堂々とそれを認めたのだ。
エルカは厳しい表情で女の子を見つめたまま指示を出す。
「ライタ、降下地点に戻ってケレヴを再起動。通信まわりだけでいいから。そんでケーサツに連絡」
「は、はあ。でも、」
「はやく!」
要領を得ないライタの返事に、エルカの声が大きくなる。「とりあえず事情を聞いてからでも……」というライタの呟きは殆どゴニョゴニョと口の中だけで消化され、しかしイマイチ納得がいかず、最大限の抗議としてノロノロとゆっくり席を立つ。こんな女の子が、なんの事情もなくこれだけのことをやってのけるのだろうか? そもそもなぜあんなにアッサリと犯罪行為を認めたのか? 何かきっと事情が――
エルカは、はぁーっと溜息をついて、納得のいっていないライタの背中を押すように声をかけた。
「あんたねぇ、事情がなんだろうが犯罪は犯罪でしょうが。こういうの見つけたら通報するのもあたしらの仕事。し・ご・と! わーった?」
「え、犯罪ではないですよ?」
それまで、きょとんとした様子でやりとりを見守っていた少女が、さも不思議そうにそう言い放った。なんの悪気も感じさせず、まるでアホかとでも言わんばかりに。
ぶちっ。
ライタはエルカの頭から、なにかがキレる音を聞いた。カルシウム不足だ。宇宙ではただでさえ骨粗鬆症になりやすい。
「アンタ、なにをぬけぬけと――」
エルカは少女に掴みかからんばかりの勢いで詰め寄るが、相手は気にする様子もなく、訳知り顔でこんなことを言った。
「だってほら、惑星の自由発見、自由開発、自由移民の三原則は、宇宙開拓法の第一条にも載ってる、基本中の基本じゃないですか」
「は?」
それは、エルカの声だったようにも思うし、もしかしたら自分の声だったかもしれない、とライタは思う。どっちも、という可能性もある。とにかくそれは、あまりにも意表をつく一言であった。一瞬、思考が停止する。そう、だったか――?
――いや待て落ち着け、そんなはずはないのだ。
宇宙開拓法? そりゃ知ってる。そんなもの誰でも知ってる。開拓における自由三原則だって、もちろん知っている。法律の専門家でなくたって知っていることだし、ライタやエルカだって当然知っている。そこいらのリトルスクールに通う子供だって、知っていて不思議ではない。
――ただ、それは、歴史として、だ。
昔々の大昔、あの宇宙大開拓時代に制定された有名な法律。その廃止をもって大開拓時代の終焉を告げた、歴史とともにあった法律。
それが宇宙開拓法だ。スクールで使う歴史のテキストにそう載っている。ライタも、エルカも、そうやってその法律について学んだのだ。ふたりの世代だけではない、その親も、さらにその親も、みんなみんな、スクールで歴史の時間に習ったのだ。
とうに過ぎ去った、過去の歴史として。
誰でも知っている。それがはるか昔に終わったこともまた、誰でも知っている。はずだ。
少女は不思議そうな顔でふたりを見つめる。そこに、からかうような様子は全く感じられない。本気なのか。
はじめから、少し変だとは思っていた。
モルグからゾンビが蘇ったかのようだ。厳しい態度であたっていたエルカもさすがに戸惑いの色を隠せず、身長相応にトーンダウンしてしまった。冷静に考えれば、この少女が非常識なまでに時代錯誤なのか、もっとはっきり言えば頭がおかしいのか、そんなところだろう。しかし、いきなりそれを見せつけられれば誰でも戸惑う。まるで、いま食べていた料理が、実は腐っていたと知らされるような――そんな気色の悪さをライタは感じていた。
「えーと、どうかしました? もしかして私の言ったこと、どこか間違ってました?」
金髪の少女は首をかしげながら、しかしあくまで危機感なくそう問いかけてくる。
「いや、うん。間違ってるけど、さ」なんとかライタは言葉をさがす。「ちょっと、こっちから質問していいかな?」
「はい、どうぞ」少女はにこやかに応える。
「この星の施設は、外の星とリアルタイムで繋がってないの? たとえば、通信とか」
「もうずっと通信は遮断して、スタンドアローンです。シャラハの皆さんが到着するまで、この星の存在はあまり目立たせる訳にいきませんでしたし、」
「そうその、えーと、シャラハ? って、なんなのさ」
「この惑星に居住予定の移民団の皆さんです。私はそのために、先立ってこの星にやってきて環境を整えるのが仕事なんです」
「移民団、ね」
ようやく落ち着いたらしいエルカが話に入ってきた。頭を抱えながらも、気になるところは容赦なく突っ込んでくる。
当然ながら、勝手なテラフォーミングが禁止されている現行の法では、そこに勝手に入植することだって禁じられているに決まっていた。
「どれぐらいの規模なのよ」
「248家族、705人です。あ、でも移民船の中で産気づいちゃってる方もいましたから、今はもう少し増えてるかもです!」
そう言って少女は、心の底から嬉しそうに微笑む。芯からそのシャラハのことを想い、また待ち望んでいるのだろう。
が、それはどうしようもなく法に触れる行為である。今の時代にそんな規模で堂々と非合法移民をやらかそうなんて、統一政府にケンカ売ってるとしか思えない。全員、老若男女訳隔てなく、この星ではなく監獄惑星に移民する破目になる。それを承知しているのか。
いや、
承知していないことは先程の態度からも明白だ。そもそも罪だとすら思っていないのだから。
移民団とやらが来れば完全に手遅れ。無法者の集団による独立国家の誕生だ。そんな動きがあれば遠からずこの惑星の状況は統一政府の知るところとなり、あとには監獄への移民しか道は残されていない。輝ける、豊かな、希望に満ちた新天地での生活など夢のまた夢だ。どう考えても。
そんなことも知らず、目の前に座る女の子は、希望に満ち満ちた目で移民船の到着を心待ちにしているようだった。移民団との輝ける新生活を期待している。しかし、その先に待っているのは、まったく輝きのない悲惨な生活だ。
みすみす不幸を呼ぶようなことは望まない、とライタは思う。当然のことだ。
そして、今ならまだ悲劇は最小限に抑えることが出来るはずだ。移民団さえこの星に着かなければ――
「その移民船……シャラハとは、連絡がとれるんだろ」
「え、」
「さっき言ってただろ、移民船の中で産気づいた人がいる、って。移民船と連絡をとってないと、そんなことはわからないはずだ」
「ええ、だけど今は連絡がつかないんです。……ただ、もうすぐそこまで来てるっていうのは、最後の通信のときに団長さんが仰ってました」
それを聞いてエルカは頭を抱える。あちゃー。言わずともわかる。絶対そう思っている。
呆れとも疲れともとれぬ溜息をひとつ吐いてから、ライタは思った。義理があるわけではない、と。
通信障害に加えて、もうすぐそこまで来ているのでは手の打ちようがない。移民団まるごとお縄になって終わり。ライタとしても助けてやりたいのは山々だったが、できることなど何もない。彼女たちが逮捕されるのは避けようのない事態だ。いい気分ではないが、元々こうなるはずだったと思えば少しは気も楽になった。
ライタが諦めたらしいのを悟ったのか、エルカが状況をまとめに入る。
「お嬢さん、あんたがなんて言おうとも、宇宙開拓法なんて法律は今は無いの。つまり、あんたらのやってることは犯罪なの。だから警察を呼ぶ。いいな?」
最後の「いいな?」はおそらく、少女ではなくライタに向けられたものだ。先程はそうするのを渋った部下に、もう一度問う、ということらしい。事情があるはず、と思ってみたものの、少女の口から飛び出した事情はよりにもよって「宇宙開拓法」だ。しかも、もうすぐ到着するらしい移民団のオマケつき。これはどう考えても下っ端の下っ端に位置するライタが庇いきれるものではない。もう一度思う。そこまでする義理はないのだ、と。
女の子はぽかんとした表情でライタを見つめている。状況が飲み込めないのかもしれない。後味は悪いが、これも仕事。
そう自分に言い聞かせて、ライタは難しい表情をしながらも不時着させてあるケレヴに戻ろうとする。宙域警察に連絡するためだ。エルカがそれに目で頷き、やれやれと言った様子で少女に向き直る。護身用に支給された拳銃をホルスターから抜き出し、見せ付けるようにごとりと卓上に置いた。
「そんなことはないと思うけど、ヘンな真似はしないでね」
警告だった。エルカの小っさいなりでは、やっぱりサマになってはいないけど。
そこまでするような相手か? たしかに、ある意味では得体の知れないところもあるけれど、相手は華奢な女の子だ。過剰に脅したり怖がらせたりしなくても、言い聞かせるだけでわかってもらえるのではないか。ライタは、そう思いはすれど口には出さなかった。助けようとしているならともかく、自分たちはこれからこの少女を警察に突き出そうとしているのだ。犯罪者であるとはいえ――おそらくは――悪気のない女の子を。中途半端な優しさは、自らの後ろめたさや後味の悪さから開放されたいがための利己的なものに過ぎない。
「……で、ついでに聞いとくけど、移民船がここに到着するのはいつ頃になりそうなの? 明日? それとも一週間後くらいかしら?」
「え? あ、ええと。もうすぐ、です」
です、と口の中で小さくもう一度繰り返し、少女は返事を返す。向こうにしてみれば突然「警察に突き出す」と言われたわけだから無理もないが、到底ハッキリしているとは言いがたい返事だった。エルカの舌打ちが聞えた気がする。
「もうすぐ、じゃわかんない。……えー、じゃあ、その団長さんがもうすぐ着くって言った最後の通信は、何日前くらい?」
少女は「ああ、それなら」と要領を得たような顔をつくる。どうやら、さっきハッキリしなかったのは単に質問が悪かっただけらしい。話が気になるせいで、いつまでもケレヴのところに行けない。そのうちエルカに何か言われることはわかりきっている。この答えだけ聞いたら、もう行こう。だから、それだけ聞いて――
少女は、もったいぶったりすることなく、さらっと言った。
これ以上ないくらい正確に。
「最後の通信は、151893日前です」
★
完全人間型のアンドロイドというのを見たのは初めてだ。
エルカもそれは同じだろう。そもそも今、銀河中を探したってそんなものは数えるほどしか存在していないのではないか。あったとしても何処かの金持ちが辺境の星に隠し持っているか、歴史資料を収集している研究機関で埃をかぶっているか。どのみち普通の人間が目に触れる機会のあるような存在ではない。
いや、例え目に触れていたとしてもわからないかもしれないな、とライタは思う。
少なくともライタは、――そしてエルカも――気がつかなかった。人間そっくりの、もしくはそれ以上の、艶やかな金髪。白くきめ細やか肌。深く感情に満ちたグリーンの瞳。不自然さをまったく感じさせない動作と、透き通るような声。美しい少女。あるいは逆にその完璧さこそがアンドロイドのなせるわざなのか。しかし、そうであると告げられてなお信じられず、ケレヴからわざわざOXモニタを持って来てようやく確証を持つに至ったというのが実情である。
はじめの受け答えの時点からおかしかった、というのはもちろん2人とも感じていたことだ。しかしだからといって相手を機械だと決め付けるのは常識的な判断ではない。少なくとも、「今の時代」の常識においては。
禁止されているのだ。
今の時代にも、ロボットが存在していないわけではない。今も昔も、人々の生活に欠かせない存在であることは確かだ。
ただ、はたして人間そっくりである必要があるのか。
アンドロイド黎明期から、そんな議論がなされてきた。と、これまた歴史の授業で習う。
自分たちとそっくりで、しかし違うもの。技術だけの問題ではない。なによりも心の問題だったのだろう。さすがに初期のアンドロイドは不気味の谷に真っ逆さまの出来であったというが、技術なんて進歩と開発が進むのが世の常だ。いつのまにか谷越えをはたした人間型アンドロイドが社会に普及し浸透するのに、そう時間はかからなかった。
そうなると面倒くさいことは絶対に起こる。アンドロイドに過度な感情移入をするというのが必ずしも良いことだとは限らない。ヒトの姿で、ヒトのように振る舞う、ヒトでないもの。それを、所詮ヒトではないと割り切れる「人間」ばかりだったなら話は簡単だったのだろう。だけど、人間はそんなふうにはできていない。そして、本来道具であるはずのアンドロイドを人間と同じように扱おうとすれば、あらゆるところに不都合が生じるのは誰でも分かることだった。「アンドロイドにも人権を!」、現在を生きる人間からすれば馬鹿馬鹿しく思える主張も、一時は随分と流行ったらしい。もちろん、その逆の主張も。アンドロイドを巡って人間同士の議論は絶えることがなく、しまいには血も流れはじめる。
しかし事実として本質として、機械は機械でしかない。人間型アンドロイドを悪用した犯罪までもが横行するに至り、政府は人間型アンドロイドの改修および回収を決定し、以後ロボットに人間と変わらぬ姿形をさせることは御法度となった。
それがちょうど、大開拓時代の終わり頃の話だ。
だから今の時代、もう人間にそっくりのアンドロイドというのは存在していない。
はずなのだが――
「じゃあ、この星のことは通報しないでいただける、ということですか!?」
自らをイーファと名乗った、女の子……の姿をしたアンドロイドは、いったん判断を保留するとしたエルカの言葉に対して、飛び跳ねんばかりの勢いとほんのり紅潮した顔で心底嬉しそうに返した。これが本当に機械なのか、とライタは思う。
「だから、保留するだけだってば。ロボットを通報したって根本的な解決には……ああ、なんでこんな面倒なことに」
「ま、まあ、考える時間はありますよ。ケレヴの動力部は自己修復プロセス走らせてますけど、もうちょっとかかりそうだし」
「考えたってあたしらで結論出せる問題じゃないと思うけどね」
「でも通報は保留なんすよね?」
「うっさいなー。あんただってソレを望んでんでしょ、顔に書いてるっつの」
「そりゃあ、ね。こんなことってそうそう無いですよ」
ライタは横目でちらとイーファのほうに目をやりながら言う。しかしエルカはつれない様子で部屋を出て行こうとする。
「あ、ちょ、どこ行くんすか!」
「つーわけであたしはケレヴで一眠りしてくるし。そのアンドロイドのことはライタに任せた。上司命令」
振り向きもせずそれだけ言うと、「あとよろしく」とばかりに右手をひらひらとさせながらエルカは本当に行ってしまう。ライタは半ば投げやりにも見えたエルカを見送り溜息を漏らした。振り返るとイーファがにこりと微笑むので、苦笑いとも愛想笑いともつかぬ微妙な笑みを返すライタである。
「……で、イーファは四百年以上前からこの星のテラフォーミングをしてるわけ?」
「はい。はじめは着陸地点を中心にパラテラフォーミングからはじめたんです。と、いっても温度上昇とか、大気製造とか重力制御とか、そういう大掛かりな作業はメイヴさんがやってくれてましたけど。私は、応援してただけです」
そう言ってイーファは首を傾げ、てへっと笑ってみせた。う。そういうあざとい動作はなんの必要があるのか。相手はロボットだAIだプログラムだと自分に言い聞かせながら、ライタはイーファの言葉を反芻する。メイヴって誰だ。
「あ、メイヴさんをまだ紹介してませんでしたね。ええと、……なんて言ったらいいのかな、つまり……この管制室とか、外に延びてる施設とか、それ全部がメイヴさんです」
「え、それってどういう、」
「つまり! メイヴさんはおっきな惑星開拓装置なんです。着陸と同時に起動して、この星と半同化してるんです」
「あーなるほど、テラフォーミングに必要な機械一式ってことね。じゃあ、実質イーファ一人でこの星に?」
イーファはむっとしたような表情で、
「二人です! メイヴさんは喋れないけど、メンバーですから」
「あ、いや、ごめん」
言いながらライタは不思議な気分になる。イーファは環境改造装置に仲間意識を見出そうとしている。それは同じ機械ゆえのことなのだろうか。
いや。むしろ逆に、なぜイーファは必要だったのだろう。テラフォーミングだけなら、全てそのメイヴのような機械だけで事足りたのではないか。人間の姿をしているのは、テラフォーミングという気長で過酷な作業下において効率のいいことだとは、ライタには思えない。
「……そもそも、人間型アンドロイドを送り込む必要性がイマイチわからないんだけど。人間型アンドロイドってのはメンテナンスもデリケートなんだろ。食事は摂らなくていいにしても、それでも服とかは定期的に換えなきゃいけないだろうし、」
言いながら、ライタはイーファの纏う白いワンピースに目をやる。緑の瞳と目が合い、アンドロイドの少女は意味ありげに笑みをみせる。まさか、
「、もしかして、その綺麗な服、四百年モノだったりするの」
「だったらどうします? 不潔だったり化石だったりします?」
イーファは、そう言って悪戯っぽく笑った。本当によく笑うなと思う。
「化石とか意味わかんないから」
「えへへー。本当はちゃんと換えてますよ。ある程度のメンテナンスはここでも可能ですし、服はその際に新しく換えるんです。作業の際の余剰物質とかから生成してるんで、とってもエコロジーでしょ?」
「あー、そうかもしれないけど、そもそも人間型アンドロイドがいなけりゃ、そういうシステムだって必要なかったわけだろ。やっぱり必要性がわからない」
「それは考えが甘いですねぇ、ライタさん」
イーファは芝居がかった動きで、ちっちっち、と指を振る。
「シャラハの方々が来る前に、人間が生活できる環境を整えておいて、ちゃんとチェックしとかなきゃいけないじゃないですか。人間に近い私なら格好のモニターになれます。それにメイヴさんみたいな大きな機械の制御や整備も人間の姿をした私の仕事ですし。そして実際、私が人間の姿をしてここで人間同様の生活を送れていることが、受け入れ態勢が万全である何よりの証明になりますよね」
「ようするに人間の代役、ってとこか」
「それに、シャラハの方々が着いたとき、やっぱり誰も出迎えがないと寂しいと思うんですよ。団長さん、きっとそう思って私をこの星に送ったんじゃないかなぁ」
イーファは「それは私の想像ですけどね」と付け加え、ちろっと舌を出してみせた。
大型機械だけで事足りる、というのは確かに浅慮だったのかもしれないな、とライタは考えを改める。やはりこの星をテラフォーミングした一番の功労者は、イーファで間違いないのだろう。しかも仲間は物言わぬ大きな鉄の塊だけ。話し相手もいないなか、たったひとりでここまで、だ。
「しかもよくこんな段階まで。……植物は生い茂ってるし、」
「もちろん動物もいますし、水も豊富ですよ。地軸や面積の関係もあって、完全に地球と同じ生態系、というわけにはいきませんでしたけど」
そう言ってイーファは誇らしげに胸を張る。地球、そう、この星はママ・エフェスがまだ地球と呼ばれていた頃にそっくりだ。
「イーファは、えーと、……ちきゅう、で製造されたのか?」
「ええ。製造されてしばらくは、シャラハの方々と一緒に地球で過ごしました」
イーファはその太陽系の第三惑星を地球と呼ぶ。彼女はきっと、ママ・エフェスという名を知らない。ママ・エフェスが現在どういう状況にあるのか、知るよしもないだろう。誇らしげに、そして少し懐かしそうに「地球」の話をするイーファに、ライタは到底あの寂れた老いぼれの星、ママ・エフェスの話をする気にはなれなかった。そのことを知れば、彼女はきっと悲しむに違いないのだ。
――いや、だから、ちょっと待てよ。
我に帰る。自分と話しているこの少女は、少女であって少女でない、ただの機械なのだ。相手はあくまで人間の姿をしたアンドロイド。話していると、すぐそれを忘れそうになる。しかしイーファを人間だと思って気を遣うのは、ケレヴの船や制御コンピュータに労いの言葉をかけるのと根本では同じなのだ。それを理解できない奴がたくさんいたから、血も流れる争いの末に人間型アンドロイドは禁じられたんだろ。それを理解しろ。ライタは自分に言いきかせる。
「どうかしました、ライタさん? どこか具合でも悪いんだったら、ここにだって医療キットくらい、」
「いや、大丈夫。というか人間もいないのに医療キットなんて、なんで」
「いつでもシャラハの方々をお迎えできるようにですよ。備蓄食料もそれなりの数生産保存してあります。移民船がこの星についたとき、なにかトラブルがあって、お薬や食べ物がいきなり足りない、なんてことも、もしかしたらあるかもしれませんもんね」
移民船がこの星に着いたとき。
さっきから、意図的に触れなかった。今この星の状況の、決定的な問題点。ライタはそれを、言うべきかどうか、少しだけ迷う。
言うべきだとは思う。そうしなければ、四百年も続いたこの不毛な時間は終わるまい。しかし、待ちぼうけをくらった哀れなアンドロイドへのなけなしの同情心がそれを邪魔する。今言わなくてもいいのではないか。言わないほうが幸せなのではないか。幸せ。そもそも幸せとはなんだ。問題を先延ばしにすることか。むしろここでとどめを刺すことこそが幸せなのではないか。ぐるぐると思考がまわる。自分のなかの理性を自称する部分が言う。機械に幸せもクソもあるものか、と。
そうだ、
――そもそも彼女は機械なのだ、なにを気遣う必要がある?
自らに言い聞かせた。いや、言い聞かせるまでもなく、それは事実だ。目の前の少女は、魂の無い機械に過ぎない。そのはずだ。
「その、シャラハって移民団の人達って、本当にこの星に来るのか」
「え?」
ライタの不意打ちのような質問に、イーファの表情が一瞬消える。しかしすぐに取り繕うような笑顔で、
「なに言ってるんですかぁ。そのために私はここにいるんですから、来るに決まってるじゃないですか」
不自然な笑顔だと、ライタは思う。まるで必死に自分に言いきかせているような。あるいは、自分がそう思うからそのように映るだけで、実際は先程となんら変わらぬ笑顔なのかもしれない。しかし皮肉なことに、その不自然にみえる表情が、ライタにはなにより人間らしく感じる。
ライタは話を切らなかった。これ以上話せば引き返せないことはわかっていた。
「もうすぐ着く、の連絡から四百年以上の大遅刻。四百年ってのは、イーファたちと違って、俺たち人間にとっちゃ短くはない。コールドスリープだってそんなには保たない」
「ライタさん、なにを」
「どんなに待っても、たぶん――」
言う。
「シャラハは、この星には、来ない」
沈黙。
ライタはゆっくりと少女の顔へ視線を向ける。
イーファの、保ちきれない笑顔が中途半端に崩れた、まるで泣き出しそうな表情。AIからの処理しきれない信号を顔の人工筋が適当に変換した結果があの顔なのか、それともあの表情ですらプログラムに支配された計算の産物に過ぎないのか。そんなことをライタは思う。
四百年間も音沙汰がなくて、おかしいと思わないはずがない。それがたとえアンドロイドであったとしても、だ。だけどアンドロイドは人間なんかよりずっと長生きだから、待つことだけはできる。待ち人の人間が誰もいなくなってしまった後でもなお、それを待ち続けることができる。待て、と言われればアンドロイドはいつまでも待つのだ。もう待たなくていい、と言われるその日が来ないかぎりは。
もう一度言う。
「四百年ってのは、俺たちにとっては、とてつもなく長いんだよ、イーファ」
言うべきではなかった、などと無責任なことは思うまい。無言のイーファを部屋の中に残して、ライタもそれ以上は何も言わず、その場を後にする。
扉が閉まる前、イーファの声を聞いたように思う。
「……短くないですよ、私にとっても」
四百年以上もひとりぼっちだったアンドロイドの、誰に語るともなかったその声を。
★
ケレヴの宇宙船に戻るまでの道程だけで、何種類もの動植物を見かけた。
瑞々しい樹木と小動物が暮らす林を抜け、白い花が幻想的なまでに咲き誇る花畑を抜け、たくさんの魚が泳ぐ澄んだ湖の畔、自然のただなかでべらぼうに目立つ無機質な流線型の小型宇宙船。
簡易探査用の複座式トランスポータ、ケレヴ-B203。
宇宙の片隅を漂う謎の人工建造物、通称「遺跡」周辺区域の探査。大して高くもない契約料金でこの仕事を請け負ったのは、ライタ達の会社だけではなく全部で五社、トランスポータの数にして130艇はかり出されていたはずだ。ライタ達もそのうちの一艇だった。探査なんて名ばかりで、発掘期間中、適当に担当区域を流しているだけで給料は貰える。政府主導の大規模事業なんて大抵そんなもので、思惑としては銀河じゅうから巻き上げた税金を使うことが目的なのだ。遺跡の調査にやれ鼻息を荒くしているのは学者連中だけで、ライタ達下っ端のモチベーションはかぎりなく低い。
ひと眠りすると言っていたエルカは寝ていなかった。なにやら熱心にキーボードに打ち込んでは、現れる3Dホログラムをあれでもないこれでもないと回していく。ライタが来たことに気づいたらしく、ディスプレイから目を離さずに言葉を発した。
「あのアンドロイドの子は? ほったらかしかよ」
「ちょっと今、話せる状況じゃないっていうか……」
そうなったのはライタの自業自得なのだが、しかし後悔はしていない。ただ言うべきだと思ったから言ったのだ。そのはずだった。
しかし――
気がつかないはずはない、とライタは思う。
なにせ四百年だ。誰の目にも明らかな矛盾と無慈悲と絶望を抱えながら、それでも今日まで来るアテの無い移民船を待ち続けたのは何故だ。
イーファがアンドロイドだったから? 何百年でも待つことが可能な物理的性能を持っていたから? 与えられた指示を忠実にひたすら守り抜くのが機械というものだから?
それは間違いではないだろう。イーファは人間にそっくりなアンドロイドで、ようするに機械だ。狂っているとしか思えない行為を四百年以上も続けてきたのは、彼女が狂ってしまったからではなく、むしろ機械として正常だったが故なのだろう。
だが、本当にそれだけか?
それだけの理由で、イーファは当たり前のようにシャラハとやらの到着を四百年以上も待てたのか。今か今かと思う気持ちを保ち続け、何百年経とうともそのことを微塵も疑わずにいれたのか。四百年経ってなお新鮮な気持ちでい続けられたのか。
そうではない。そうではなかった。そう見えただけだったのだ。イーファというアンドロイドは、必死でそう取り繕っていただけだ。
なぜなら。
ライタは確かにあの顔を見た。己が抱える矛盾をそのまま表したような、取り繕いきれない泣き笑いの表情を。
ライタは確かにその声を聞いた。忠実な機械でいることへの疲れと諦めの入り混じった、取り繕う気もなく渇いた声を。
ずっとずっと、もう何百年も前から、ずーっと限界だったのだろう。だけど、アンドロイドがたったひとりでそのことを認めるのは、簡単なことではない。「もう来ないのでは」という、抱くことを許されない思いを何度抱いては、その電気信号のパターンをエラーやバグとして処理してきたのだろう。イーファが四百年以上も待ち続けたのは、待ち人は来ないとはっきり言う「人間」が、今日の今日まで彼女の前に現れなかったからだ。
いままでずっと、この惑星が今より凍えるほどに寒くて、空気も水も緑もなかった頃からずっと、イーファはひとりきりだったのだから。
「……なんかあったの?」
いつもとは違うライタの雰囲気を察したのか、ようやく向き直ってエルカが問いただす。ライタは一言。
「移民船は来ないぞ、って」
何を勝手なことを、エルカの表情からは驚きとともにそんな気持ちが伝わるが、ライタは表情を変えない。変えられない。そのまま説教でもはじめようかという勢いだったエルカも、ライタのその様子を前に、大きく溜息をついてから「そうか」とだけ答えた。
「四百年もずっとひとりって、どんな気持ちなんすかね……」
「知らん。だってそんなもの人間には体験不可能でしょ」
エルカは、なお物憂げなライタをちらと見ながら、呆れ顔で言う。
「あーあー、こりゃ問題になるわけだわ。きっと、あんたみたいなのがそのうち『アンドロイドにも人権を!』とか言い出すのよ」
「どういうことっすか」
「だって、感情移入してるでしょ、思いっきり。教えといたげるけど、彼女、ただの機械だからね」
それはわかっている。いや、わかっていたはずだ。しかし、あの表情と、あの最後の言葉を聞いた後でもまったく同じ気持ちかと言われれば、自信が無い。イーファはまるで人間のように悩み、そしてアンドロイドとしても苦悩している。ように見える。そう見えるのも全て、プログラムのうちだというのだろうか。
絶対馬鹿にされるとわかっていたが、それでもライタは聞かずにはいられなかった。
「エルカさんは、アンドロイドにも魂が宿ったりすると思います?」
「さあ? ま、九十九パーセント錯覚でしょ。そもそもあんたにそう見えてるだけで、実はあたしにだって無いかもしれないでしょ、そんなもの」
「え、まさかエルカさんも実はアンドロイドだなんてオチは――」
「アホか」一言で片付けながらエルカは再びディスプレイの方に向き直る。
「タマシイ、なんて概念はそんくらい不確かなもんだって話よ。『魂がある』と『魂があるように見える』は外の人間からしたら同じことじゃない?」
なんだか似たような話が、人工知能論の古典にあったような気がする。それでいくと今自分は、イーファに魂があるように見えているだけのかもしれない。プログラムされた通りの反応に人間らしさを感じ、バグやエラーからくる不自然さにまでリアルを感じる、まさしくアンドロイド製造メーカーの思う壺というやつだ。
「ま、完全人間型のアンドロイドなんかあたしらの世代は慣れてないわけで、アレを人間と誤認しちゃうのは無理ないわよ」
「はあ」
「しかしまさかタマシイ、とはねえ。この星から帰還してライタが『サトリに目覚めた』とか言い出したらどうしよう」
そう言ってエルカは笑う。ほらやっぱり馬鹿にされた。ライタはむっとするが、立場も上で口も達者なエルカが相手では、言い負かされるのがオチだ。話題を変えるのが最善に違いなかった。
「てか、エルカさんは、さっきから何してるんすか」
ホログラムでできたキーをごちゃごちゃと弄りながらエルカは答えた。
「あ、これ? いやケレヴの再起動早められないかと思って」
「あとどれくらい時間ありそうですか」
「時間かかりそう、じゃなくて、時間ありそう、なんだ。ふーん、まだこの星に未練があるとみえる」
茶化すような口調でエルカは言う。自分でも無意識のうちにそう思っていたということだろうか。迂闊だった。よりによってエルカの前で言わなくてもいいのに。また弄られるネタが増えた。
「まあ、あたしの頑張り次第だけど、早けりゃあと1時間かかんない、かもね」
エルカは目と手を忙しなく動かしながら得意げに言い放つ。
「マジで? ちょっと早すぎなんじゃ」
「あたし優秀だからー。てか修復早く終わるのはいいことじゃん」
「でもイーファと、この星の件はどうするんですか」
「そのへんはまあ、もうちょっと考え中。最終的にはあたしが判断するから心配すんな」
それが心配なんだっての。
エルカがやっぱり警察に突き出すと言い出したら、自分はどうするだろうか。はじめはそれも仕方無しと思っていたのに、どうやら今は違うらしい自らの心中にライタは気がつく。まったくもって自分がめんどくさい。
イーファを、ただの機械と思うだけのことが何でできない?
「しっかし、なんでそもそも船の調子が急におかしくなったのか、ってのも気になっててさ」
エルカの声で現実に引き戻される。悟られまいと調子よく反応する。
「いやほら、この船ポンコツだし」
「それもまあ、そうなんだけど。でもなーんか引っかかるワケよ。おかしくなる直前に変な電波拾ったし、」
「そんなのありましたっけ?」
「はーいライタが計器をちゃんと見てないことが判明いたしましたー。上司としてここは厳しく、」
「いやいやそんなのいいですから、その電波ってのは何かわかったんですか」
「わからん」
なんだそりゃ。
「だって一瞬だったし。でもなんだっけ、変な磁場が出てて事故が多発する宙域の噂あるじゃん。あれかもね」
「なんでしたっけそれ。たしかこの前銀河ローカルの番組でやってたような……てかオカルトじゃないんですかそれ」
「まあね」
ライタが呆れた口調で指摘すると、エルカは首をコキコキ鳴らしながらあっさりとそれを認める。
「ポンコツ以外で理由が見当たらないなら、そういう理由付けもアリかと思って。どのみち報告書には何か書かないといけないワケだし」
「魔の宙域にやられました、って?」
「……でも、ま、あながちオカルトでもないかもね」
「へ」
「調べてみたけど、この付近での宇宙船の事故、消息不明数、他に比べると桁がひとつ違うから」
「マジで」
「それは本当。つっても、一桁が二桁になった、って程度だけど」
「そ、それくらいなら、偶然で済ませられるんじゃないですか。それに消息不明なんてのはさすがに――」
ちょっと待て。
この付近の宙域で消息不明って、それは、
こんなもの、こじ付けだ。なんの意味もないオカルト妄想だ。証拠も確証もあったもんじゃない。だけど、
ライタの顔に浮かぶ僅かな動揺の色をエルカは見逃さなかったらしい。しばらく無言でライタを見つめ、やがて視線をディスプレイに戻し作業を再開する。
「さすがに、四百年前の事故記録なんてのは残ってないよ。そもそも消息不明じゃなくて、どこか別の場所に向かったのかもしれんしね。あのアンドロイドの子を見捨てて」
「そんな……」
「可能性の話。それに、いったんはこのすぐ近くまで来てたんでしょ、やっぱトラブルの線が強いんじゃない?」
「そして、魔の宙域にやられた?」
「全ての真相は四百年前に。せいぜい、今を生きるあたしらにできるのは、想像することだけ」
ライタは思う。四百年前から、今も生きてる少女だっている。ずっと待ってた女の子がいる。彼女は、シャラハのその後をどう思っている?
心ここにあらず。エルカは、何を考えているかバレバレな隙だらけの表情を晒すライタをジト目で見やると、軽く溜息をついて続けた。
「想像することだけ、って言ったけど、想像する材料については、ちょっとだけ調べてみた」
「え、材料って、なにを」
「いやだから、シャラハって結局なんなのかと思ってさ。本社のデータベースに繋いで、そっから洗ってみたわけ」
エルカがキーにさっと触れると、ライタの目の前にも光学テキストが表示される。
「なんせ大昔のことだし、しかもあの大開拓時代でしょ? 移民団なんてそれこそ掃いて捨てるほどいてさ。たいして目ぼしい情報はなかったんだけど、一応、」
テキストがスクロールし、特定の場所でピタリと止まる。エルカがさらにキーを弄ると、その場所が拡大された。
「同姓同名の人違い、ってやつだったらお手上げだけど、ひとつ該当するのを見つけたわけ。つっても、ほんとちょっとした情報だけね」
ライタは眉間に皺を寄せ、そのテキストを食い入るように見つめる。そこにはたった一行、事務的なデータが登録されているだけだ。時代はちょうど大開拓時代の中期。
「この記号がちょっと不親切なんだけど、区分によって分けられてるみたいでね。で、このRってのは宗教団体の区分」
「宗教団体?」
「それ以上詳しいことはわかんなかった。ただ、データにはそう登録されてる、ってだけ」
イーファをこの星に送り込んだシャラハという団体は、なにかの宗教団体なのだろうか。少なくともライタは聞いたことはない。エルカの検索にもかからなかったという事だから、今の時代にはもう存在していないのかもしれない。四百年も前のものなのだから無理もないのだけど。
エルカはテキストを静かに閉じると、首をコキコキと鳴らしながら、ズレた眼鏡をかけ直し、訳知り顔で言った。
「あの時代、外宇宙に開拓だの移民だの死ぬほど移民船ってのが出てったわけだけどさ。必ずしもおめでたい理由ばかりじゃなかった、ってのはよく聞く話だよ」
「それって、どういう?」
「だからあたしは知らないって。そんな話もあったなーって思い出しただけよ。シャラハがどんな理由でこの星を目指したのか知りたきゃ、適任が他にいるじゃない」
そう言うとまたエルカはディスプレイに集中してしまう。あげく「そこジャマ」とまで言われてしまった。ライタは自問する。戻るのか? イーファのところに?
自業自得とはいえイーファとは話しにくい雰囲気をつくってしまった。だけど、話をしたいと、素直に思った。
足は自然とケレヴの外へ向かう。ライタは、エルカの呆れるような溜息を最後に聞いた。
★
イーファは制御室にいるだろうか。いたらまずどう声をかけよう。謝るべきか、それとも励ますべきか。そもそも会話に応じてくれるだろうか。
とりあえずあの掘っ立て小屋のような制御室にたどり着くまでに決めればいい、と思っていたライタだったが、タイムリミットは意外と短かった。初めて目が合ったあの場所、白い花が一面に咲き乱れる花畑の真ん中に、イーファが立っている。
ライタは花を踏まないように慎重な足取りでイーファのほうに歩いていく、が、五メートルほど手前で立ち止まる。なんと声をかけようか。
「ここが、この星で一番綺麗な場所なんですよ」
イーファはくるりとライタに向き直り、微かに微笑んだ。
「いや、あの……さっきは、」
謝ろう、という考えが浮かんだが、なんとか押さえ込む。ここで謝るのは無責任だ。
「さっきのことは、もういいんです」
それは、どういう意味だろう。自らの境遇を把握したということだろうか。
白い花が風をうけてゆらゆらといっせいに凪ぐ。その一面の花のなかにひとり立つアンドロイドの少女。
「……そういや、この花もマ――、ちきゅうから?」
「そうですけど、ちょっと違うかな。このお花は、地球のシャラハでつくった花なんです。ユリカゴって名前なんですけど」
「ユリカゴ……」
「あはは、ちょっとダジャレっぽいかな。だから私は、別の名前にした方がいいって言ったんですけどねぇ」
「この花が生まれたときに、イーファもその場所にいたのか」
イーファはしゃがみこんでユリカゴの花に触れそうなくらい顔を近づける。そのまま懐かしむような声で、
「……約束の場所は、この白いお花がいっぱいなんだと、団長さんは仰ってました」
「それは、移民船に乗ってた、シャラハの、」
「ええ。だから私は、この星に来るとき、ユリカゴの種を持っていったんです。絶対ここ一面に、ユリカゴの花畑をつくろう! って思って」
聞こうと思った。
「なあ、シャラハの人達は、なんで移民しようとしてたんだ」
イーファは立ち上がりライタのほうを向いて、少し困ったような顔をする。
「あの時代は、みんながみんな、我先にーって感じで宇宙船を送り込んでいました。そんな時代に、移民の理由が必要ですか」
「なくはないだろ」
「そうですね」とイーファは言い、少し足元に生えたユリカゴを見つめながら言葉をさがしている様子だ。
「いじめられてたんです、私たち」
「いじめ?」
「ああでも、学校で起こるようないじめじゃなくて……いや、一緒かな。理由は、なんでなのか、正直私にはわかんないんですけど」
もし、もしシャラハがさっきのデータにあったとおり、なにかの宗教団体であったとするならば。
なにかしら迫害を受けたり奇異の目で見られたりして、新天地を求めた、というのも、ありえなくはない話だ。
「それで、差別や迫害の無い新天地を目指した、ってことか」
「はい。約束の場所です」
「それがこの星なんだな」
にっこりとした笑顔をつくり、イーファは両手を広げた。この星のことを心底誇らしげに紹介するような。
「ここをみんなの楽園にしよう。ぜったい、ぜったい約束の場所にしてやろう、って意気込みました。私がこの星を守って、必ず約束の場所にするんだー、って」
「よく守りきったな」
今でこそこの宙域は辺境だが、大開拓時代ともなれば話は違ったはずだ。開拓するのに適した一等地惑星なんて誰も彼もが我先にと奪い合ったはずで、アンドロイドの少女ひとりでのんびりとテラフォームしていられたのは奇跡に近いのではないだろうか。この星も他の誰かに見つかって占領されていてもおかしくなかったはずなのだ。
「あは。それは、メイヴさんに搭載された秘密兵器のおかげなんです。ライタさん達がこの星に降りるときも、まさかこんな地球みたいな惑星だとは思わなかったでしょう?」
「そういえば」
たしかに、大気圏外からこの星を観測した時点では、まったく地球型の惑星だとは確認できなかった。いざ降りるとなって、ライタはケレヴのなかでせっせと気密服の用意だのナノマシンの設定などをしていたのだ。生身の身体で歩ける場所には到底見えなかったから。
「惑星迷彩ですよ。メイヴさんのそれは特別製なんです」
「それで、降り立ってみたらこれだもんな。たいしたもんだよ」
そしてライタは、正直な感想をつけくわえた。
「……俺が今まで見たなかで、いちばんきれいな星だ」
星の自然とか美しさとか、そういったものにはあまり興味がないのは確かだが、そんなライタの感覚から言ってもこの惑星は別次元だった。なにせ建物もないし人もいない。ママ・エフェスではとっくに絶滅したとされる動植物もいたるところに溢れ、「地球」とほとんど同じ環境を実現している。楽園、約束の場所とはよく言ったものだと、素直に思う。
「でしょー」
そう言ってにへへと笑う、このアンドロイドの少女が、この星を育てたのだ。人々の母なる大地となる「約束の場所」の母親は、イーファというヒトの造った女の子だ。皮肉ではない。これはきっと、シャラハの人々にとっての神話となりえたのだろう。そう思うと、なぜこの少女がこの星に送られたのかが、わかる気がした。
だが。
神話ははじまらない。プロローグをとっくに語り終えたというのに、四百年以上ものあいだ本編のページは白紙のままだ。
ライタはやりきれない想いでイーファを見つめるが、イーファは笑顔を崩さなかった。
これなら、いっそ――
突然、左腕のコールサインが点灯した。
エルカからの呼び出しだった。まったくタイミングが悪い。自分たちの会話を聞いていて、ここぞというところでコールサインを鳴らしたのではないかとさえ邪推してしまう。あのチビ女ならやりかねない。脳内で文句を言うぶんにはタダだといわんばかりに、思いつく限りの愚痴を吐き出しながらライタはケレヴへ急ぐ。
イーファはそれを笑顔で見送る。その笑顔に陰が見えたとしたら、それは光の当たり方のせいだっただろうか。
★
「ケレヴの自己修復プロセス完了。あたしのブースト作業の賜物。えらい?」
えらい? のところでいきなり身長相応に声をつくったりするものだから、上司ということを忘れて思わず殴りそうになった。あーはいはいえらいえらい。
「確かに早いですけど。いきなり、さあ帰ろう! とはならないでしょ」
「え、なんで」
「いや、この星のこととか、イーファのこととか、保留にしたまんまじゃないですか!」
わざと言ってるのがまるわかりのエルカの態度に、ライタは思わず声を荒げてしまう。あいにくこっちはそういう冗談に付き合う気分ではないのだ。するといきなりエルカは表情を一変させて、冷めた声で言い放った。
「じゃあ冗談抜きに言う。帰るぞ」
「え」
いきなりで戸惑った。
「え、じゃねーよ。船が直ったら帰るのが当たり前でしょ。それともこの星で一生過ごすつもりかよ」
「で、でも色んな判断が……」
「だから、それもぜんぶ見なかったことにして、帰るってこと。どうせあんたもそれをお望みなんでしょ」
通報しない、というのにはもちろん賛成だ。いまや問題は勝手なテラフォーミングではない。もはやママ・エフェスにもいないような動植物の宝庫。そして、その存在が法で禁じられている完全人間型のアンドロイド。監獄に入る対象さえ存在しない。待っているのは動物園と研究所と廃棄処分ぐらいだろう。通報は、ダメだ。
ただ、それは結局、現状維持でしかないのではないか、とライタは思う。
「……なんとかならないっすかねぇ」
エルカは既に自分の座席に座り込んでいる。じとりとした目でライタを見つめ、
「なんとかって、今以上に? なにができんのよ? 四百年前に戻って移民船引っ張ってくるとか?」
「いや、でも……イーファをあのまま放っておけないって、いうか」
エルカは座席から小っさい身体を乗り出して、ずいっとライタに顔を寄せる。顔が近い。眼鏡の奥の物憂げな瞳。突然のことにたじろぐ部下を無視して、エルカは両の手でライタの顔を包む込むように――
おもいっきりビンタした。
手加減なく、両手で、左右同時に。
「っ痛てぇぇえッ!? なにすんだこのチビ!」
「うっせぇチビじゃねぇ! ライタ、あんたまだそんなこと言ってんの? 何度でも言ってやるわよ、あれは、機械なの! 情を移したってしゃーないのよ!」
「……でも、苦しんでる」
「そう見える、ってだけだ! 大体、苦しんでるのをどうしてやれるの? 四百年前に行方不明になった移民船を――」
「救ってやりたいんだ!」
ライタは思わず言い返す。何の理屈もない、ただの望み。アンドロイドの少女一人に入れ込み過ぎだとは、自分でも思う。しかし、ここで何もなかったことにしてこの星を後にすれば必ず後悔する、そんな確信があった。
エルカは声を落ち着けて、諭すように言う。
「なあ、救ってやりたい、って気持ちはわかるけどさ。それはあたしらの傲慢じゃない? あたしらはヒーローじゃない、ただの安月給のリーマンじゃん。ひとりの人間が背負える人生なんて、自分と、ものすごく頑張ってもあとひとりくらのもんだって、あたしは思ってる。アンドロイドの女の子ひとりの人生だって、同じか、ひょっとしたらそれ以上の重さがあるのは、おんなじだと思う。あんた、あの子のために人生を賭けれるの? だいたい、救うってどうするの? 連れて帰るの? 一瞬でバレるね。そもそもこんな狭い船に乗せる場所ないよ」
「なんとかするよ! 俺は貨物コンテナに入ってもいいから」
「なによそれ? あんたほんとガキでアホね! どのみちあの子はもう――」
「え?」
「あ」
エルカは今、なんと言った? あの子はもう、そう言ったのか? イーファがどうしたというのだ。ライタは思わずエルカに掴みかかる。エルカはけほけほと咽かえるが、特に抵抗らしい抵抗はしなかった。
「エルカさん、イーファが、どうしたんだ?」
「……あの型のアンドロイドについて調べた。稼動保障期間はとっくに切れてる。おまけに本格的なメンテナンスもできない環境下で四百年よ。数年後どころか、明日にでも動かなくなってもまったく不思議じゃない」
「そんな……」
最悪だ。なんにも明るい要素がない。どうすればいいのかわからない。すがる様な目でライタはエルカを見る。
「そんな目で見ないでよ。この期に及んであたしを頼ろうっての? やめてよね。あたしだってなんにもできないんだから……あんたよりほんのちょっと給料が高いだけの、下っ端なんだから」
ライタはエルカを掴んでいた手をようやく離し、よろよろと立ち上がる。何も手は無い。なにも思いつかない。しかし、ここでこのままこの星を去るのが一番いい選択だとは、どうしても思えない。拳に力を入れる。とにかく行こう、とライタは思う。
ケレヴを出ようとするライタを、もはやエルカは止めなかった。溜息ひとつ。
「あーあ、こんなアホにつける薬は無いや。行くなら早く行ってこい」
「あ、ありがとうエルカさん、」
「ただ、か弱いあたしに乱暴に掴みかかったのと、チビって言ったのは許さん」
聞えなかったことにしてケレヴを出る。段々と早足になって、最後には走りになる。
自分はなんでこんな走ってるんだろう、ふとそんなことを思うが、ライタの脚は緩まることはない。
★
あたりいっぱいを、ユリカゴの花が埋め尽くしていた。
白い風が流れるなかにイーファはいまだ立ち尽くしている。
肩で息をしながら、その背中に向けてライタは声を絞り出す。
「……っ、イーファ」
アンドロイドは振り返る。ライタの顔を確認して、ゆっくりと微笑む。
「ライタさん、どうしたんです、そんなに走って。呼び出しは大丈夫だったんですか」
息を整える。
「……っ、ケレヴの自己修復プロセスが完了した。これで帰れるようになる」
「わぁ、おめでとうございます! いつ帰られるんですか」
「もう、すぐにでも出発するって、小っこい上司がうるさくてさ、」
「それじゃあもう、すぐにですか」
「うん、なんか、慌しい闖入者でごめん」
「いえいえ、すっっっっごく久しぶりのお客様で、楽しかったですよ」
久しぶりというより初めてだったのではないだろうか、とライタは思う。四百年以上も過ごしてきて、ようやくだ。本当なら四百年も前にたくさんの仲間たちが訪れて、ここは文字通りの約束の場所になっていただろうに。
「ずっとひとりで、これからもこの星で生きていくつもりなのか」
「え」
イーファの、その深いグリーンの瞳に戸惑いの色が浮かぶのを、ライタははっきりと感じとった。はじめに話したときと同じ、突いてはいけないタブーを突かれたときの顔。あのことを彼女は「もういい」と言った。それは、単になかったことにするという意味だったのだろうか。
「もう一度言う。シャラハの人達は、もうこの星には、来ない」
「……そうかもしれませんねぇ」
まるで他人事のような口調だった。自嘲気味に微笑んで、イーファははじめてそのことを認めた。
「いつから、そう思ってた?」
そうなのだ。
四百年の待ちぼうけは、短くはない。人間にとってはもちろん、アンドロイドにとっても。現にイーファの寿命は尽きつつある。この星の創生期からずっと、四百年以上もシャラハの仲間達を待ち続けている。ユリカゴをたっぷりと敷き詰めて、約束の場所を用意して、待ち続けている。
「もうすぐ着く、って通信があってから一年も間があれば、へんだな、くらいは思いますよ」
「待つのを諦めよう、とは思わなかったのか?」
「諦めるって、どうすればいいかわかりませんから。それに、諦めたら私には、なんにも残りませんよ?」
「だからって、四百年も……」
「いつか来る。きっとみんなが来る。それだけ考えて、森も湖も、このユリカゴの花畑も、今日が昨日よりもっと立派になるように頑張りました」
おそらく移民船が着いた時点では、今ほどテラフォーミングは進んでいないはずだったのだろう。もしかしたらはじめのうちは、合流したシャラハの面々と力をあわせて楽園を築いていこうと夢をみていたのかもしれない。
「だからね、ライタさんとエルカさんの船を確認したとき、どきどきしました。ついに来た、って。きっとあれはシャラハの先遣隊かなにかで、遅刻したことを私に叱られるのが怖くてコソコソしてるんだ、って。……151893日も経って、そんなわけないのにね」
あのとき、このユリカゴの花畑で初めて会ったときの、彼女の表情。あの安堵の表情こそ、心底本当の彼女の気持ちだったのだ。
これでようやくはじまる、という安堵。これでようやく終わる、という安堵。
はじまることはおそらくもう、ない。
しかし、終わらせることなら――
「この星を出ないか。この星を出て、今までと違う生き方をする」
「ライタさんについていって、ですか」
「……人間型のアンドロイドは現行の法で禁じられてるけど、それもなんとかする。四百年も待ったんだから、もういいじゃないか」
イーファは瞳を閉じ、ゆっくりと首を振る。
「この星で、シャラハの人々を待つのが私の役割です。それを無くしてまで私が存在する意味はありません」
静かな口調で、しかしはっきりと言った。
「意味はあるだろ! それに、君の稼動保障時間は――」
「知ってますよ。私がもう、いつ稼動停止するかわからないってこと」
「だったらなおさら、」
「だからこそ私は、最後までこの星と一緒にいたいんです。……ここが好きなんですよ」
来る望みの無い、もはや確実に来ないとわかっている仲間たちをたったひとりで待ち続け、そのまま朽ちて果てるのが望みだというのか。違う。そんなのは感傷だ。そんな生き方こそ意味がないと、ライタは思う。
「……この花畑の下も、はじめは土すら無かったんですよ。もちろん水も無かったし、ものすごく寒かったし、こんな優しい風も吹いてなかった」
「この星はいいところだ。それは間違いない。でも、いつまでもそこに留まる理由は、もう無いじゃないか……」
イーファはしゃがみこみ、風にそよぐユリカゴを優しく撫でる。
「たまたま、いいところ、があったわけじゃないんです。ただの石ころだった星が、長い長い時間をかけて、約束の場所に育ったんです。そして、今もここは約束の場所です。私がここにいる理由も意味も、それが全部です」
立ち上がり、ライタの瞳をしっかりと見つめて、だけどどこまでも優しく。
ふと意思を持ったかのような風が白い波を起こし、その中心にいるイーファが、機械も人間も超えた別のなにかのような錯覚をライタはおぼえる。まるで神話みたいな風景だ。視界いっぱいに広がるユリカゴの一本一本に、はっきりとした意志を感じたように思う。白い花がいっぱいの約束の場所を夢にみて、しかしとうとう辿りつくことのなかった人々の。
「アンドロイドは夢をみることはできません。だけど、夢にみることならできるんですよ? 私はこのユリカゴに揺られて、生き生きと暮らすシャラハのみんなの顔を、夢にみているんです」
生意気言っちゃったかもしれませんけど、と付け足しながら、首を傾げあくまで自然に笑ってみせる。
墓標などであるはずがない、とライタは思う。
彼らの魂がここに宿っているなどと言うつもりはない。しかしそれでも、このユリカゴはシャラハの人々そのものなのだ。たったひとりでこの星を育てて、四百年間たったひとりで待ち続けた、優しいアンドロイドの女の子の、夢にみる姿だ。
彼女からはじまった新しい物語は、プロローグでずっと止まったままだと思っていた。機械の少女は慈母でこそあれ主役ではない。約束の場所は舞台でこそあれ土台でしかない。いっぱいに敷き詰められたユリカゴの花畑にシャラハの人々が降り立ったそのとき、はじめて物語は紡がれるのだと。
そうではなかったのかもしれない、とライタは思う。
ただひとりの機械の女の子と、彼女が育てた優しい星があれば、あるいは、それもひとつの――
イーファは、なにか言おうとして、しかし言葉が見つからないのか少しだけ困ったような顔をして言う。
「私はアンドロイドだから、団長さん達にお願いされた約束を破れない――って、いうのは言い訳なのかもしれないです。もうダメだろうと思いながら、バカみたいにずっと待ち続けて、四百年経っても『もうすぐ来る』なんて言い続ける哀れな機械であれば、いっそ楽ですから」
「でも、違うんだろ」
人間ではない、機械の、アンドロイドの女の子は、無言で微笑する。
錯覚などであるはずがない、とライタは思う。
今ならはっきりとわかる。この機械の女の子には、魂があるのだ。アンドロイドとしての役割と、ひとりの少女、イーファとしての意志と、シャラハの仲間を想う心と、待ち続ける希望と絶望と、この星に対する誇りと優しさと、それから――
ユリカゴの花で敷き詰められたこの場所が、約束の場所が、彼女の魂でなくてなんだというのか。
だけど、だからこそ、彼女の苦悩も、本物の苦悩に違いない。
「君は、どうしたら救われる? どうしたら救える?」
なんという駄目元で丸投げな質問か。しかもズルい。自分はわからなくなるとすぐこれだ、と呆れながら思う。
イーファの、驚いたような表情。だけどその顔は、少しずつ表情を取り戻していき、やがて悪戯っぽいものに変わる。ちょっとだけ考えて「いいこと思いついた」とでも言わんばかりの満面の笑み。さあ何がでるか。ライタは、どんなことでも必ず聞いてやろう、と心にきめる。
「……そうですねぇ、」
★
再び周辺区域を探査という名の下に航行するだけで給料がもらえる、いい加減な仕事に復帰したケレヴ-B203。
その複座式のコックピットにはエルカ・ブレスリンとライタ・ウエノサカ両名の姿がある。アンドロイドの少女の姿はない。
もちろん、貨物コンテナにつっこんであるというオチもない。
「なーんか、おもしろくないな。フラれて戻ってきたわりには、妙にスッキリした顔してさ。まさか本当にサトリに目覚めたとか言わないわよね?」
「……さっきから気になってたんすけど、エルカさん、悟りの意味わかって言ってます?」
「いや? 全然。雰囲気よ雰囲気よ」
ライタはこれ以上ないくらいわざとらしく鼻で笑ってみせ、なによライタの分際でバカにしやがって生意気な、とエルカも息巻く。
小っこい身体から全力で飛んでくる罵詈雑言を受け流しながら、ライタはまったく別のことを考える。
新しい花の種を買おうと思うのだ。
色は好きなものでいいと言われたが、やはりせっかくなら、あの真っ白で凛としたユリカゴに釣りあうものでなければ、と思う。
花なんてまったく門外漢で縁もないから、誰かに相談してみてもいい。女性ならもっと詳しいかも。いつのまにか文句が説教に変わっている隣のこの女性は……この人はダメだな、まったく期待できない。花について語ってるとこなんか微塵も想像できない。想像したら吹く。
「あんた人が話してるのに、なにいきなり笑ってんの」
「あ、いや、すいません、つい」
ケレヴは調子よく加速を続け、約束の場所、あの綺麗な星はどんどん遠ざかっていく。
ユリカゴでいっぱいの花畑のなかに立つイーファを想像する。彼女に似合う花はなんだろう。
冗談めかした調子で、お土産を楽しみにすればがんばれます、と、とっくに停止しても不思議じゃないアンドロイドの少女は言った。なら、耐用年数なんてクソ喰らえだ。
今度はひとりぼっちじゃない。そんなふうにはしてやらない。
四百年間もひとりきりだった分、もうしばらく来なくていいと迷惑がられるくらい押しかけてやろうと、ライタは思う。
お土産には、新しい約束の場所を彩るための、花の種。
約束の場所の物語は、まだまだ続くのだ。
星のゆりかご タロ犬 @tarodogs
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