Long Day Long Night 36

 まるでアメーバの様に女の体が崩れ落ちて、骨の破片で埋め尽くされた地面に染み込んでゆく。鼻も口も無くなったのに、笑い声だけが周囲に響いていた。

「なんかムカつくな……バルタン星人みたいな笑い方しやがって」 フォーッフォフォフォフォという女の笑い方が気に入らないのか、アルカードが顔を顰める。

「サンタクロースもあんな笑い方しますよ」 フィオレンティーナの返答に、

「ああ、そうなの?」 それは知らなかったのかそう返事をしてから、アルカードは巨樹に視線を向けた。と、そのタイミングを図ったかの様に巨樹の表面の瘤がわさわさと動き出す。まるで地面に敷き詰めた砂利を箒で掃いて地肌が剥き出しになった場所を作る様に隙間を詰めていった瘤のどいたあと、綺麗な樹皮の表面が盛り上がって、巨大な顔の形をした瘤が形成される。ほかの瘤と違って、目の部分には女と同じ瞳の無い眼球が収まっていた。

「さあ、本領発揮といきましょうか」 やや聞き取りづらい声で、巨大な瘤がそんな言葉を口にする。実力的にはアルカードに危害を加えるなど夢のまた夢だろうが、そこは三人も人質がいる安心感からか、女は余裕たっぷりといった口調で、

「今度こそそこのふたり、ついでに貴方たちも搾り取ってあげる。言っておくけれど、下手な真似をしたらさっきの――」

「お嬢さん、悪いけどこいつらも一応見といてくれるか」 瘤と一緒に樹皮の表面から顔を出していた三人の男女を地面に横たえて、アルカードがそんなことを言ってくる。

「――三人がぁッ!?」

 いつの間にか人質兼食糧の三人を木の幹から抜き取られたのがよほど意外だったらしく、女(瘤)が叫び声をあげた。

「あーあ、あんにゃろ気づきやがった」 残念そうにそう言って、アルカードがそちらに向き直る。

「もうちょっと気づかずにいて、優越感で至福の絶頂の瞬間に達したときに容赦無くぶっ飛ばしてやろうと思ってたのに」

「悪趣味ですよ」 フィオレンティーナの言葉に、アルカードが適当に肩をすくめる。

「い、いつの間に――」

「否ほら、おまえが溶けてその木に同化するときに生体間の結合が緩んで霊体の接続がはずれてたから、せっかくだったしよ」 よくわからない説明だったが、女にはわかったらしい。女は憤激に唇の部分をひくつかせながら、

「おのれ、よくもわたしの食糧を――」

「うるさい」 アルカードがそう言って、足元に転がっていたちょっと大きめの骨を投げつける。彼は背後にいる自分たちのほうを親指で示し、

「言っただろうが、そこの女ふたりをさっさとこの生臭い空間から連れ出してやらなくちゃならねえんだよ。だいたいあの気色悪い育ち過ぎの烏賊に抑え込まれて生かさず殺さず搾り取られてた程度の雑魚が、なにを今さら――文字通り――でかい面してやがる。そのまま死んでれば手間もかからねえのに」

 アルカードがそう返事をしてから、手にした魔具を肩に担ぎ直す。

「まったく――この旅行が海鬼神の後始末ツアーにならなきゃいいんだがな」

「――!」

 人語になっていない絶叫をあげて、巨樹がざわざわと枝葉を伸ばしてくる――所詮無駄な抵抗だ。フィオレンティーナですら、あの巨樹と同化した女を与し易しとしか感じない。ましてアルカードならば――

 ――

 アルカードが笑う――否、背中を向けているのに表情など見えるはずもない。だが、気配でわかった――アルカードが笑っている。

 あの吸血鬼は、吸血鬼らしくない――貴族の出自だからか、あるいは自分の力量への自信ゆえか、彼は自分の気に入らない戦い方も余計な巻き添えを出すことも徹底して嫌っている。

 自分自身が人質を取ることはしないし、敵が人質を取れば余計な怒りを買うだけだろうが、同時にその人質が巻き添えを喰って死ぬことが無い様に気を遣うだろう――彼はそういう性格の男だ。

 あの木から三人の男女を抜き取ることが出来ていなければ、アルカードはもう少し消極的になっていただろう。負けることはあり得ないだろうが、女が脱出することくらいはかなっていたかもしれない。

 だが女が人質に使うつもりでいた三人を木から抜き取ることに成功し、人質も巻き添えも一切考慮する必要の無い状況になれば――

 なにをしたのかも、よくわからなかった。

 おぞましい巨樹の本体が、轟音とともに縦まっぷたつに切断されたのだ――否、なにをしたのかは想像がつく。想像はつくが、彼女たちが知っているよりも攻撃の発生の速度が格段に速かった。

 強烈な気圧変化が金属の塊を押し潰す様な耳障りな轟音で耳を聾し、航行高度に達した飛行機の機内の様に鼓膜が痛む。

 刃のごとく集約された衝撃波が巨樹を引き裂いて、そのまま背後の血の湖を割りながら轟音とともに向こう側の空洞の壁を崩落させ――巨大なデスマスクを引き攣らせて断面から赤い液体を噴き出しながら左右に割れて倒れる巨樹を確認もせずに、アルカードは踵を返した。

 今度こそ死んだのか、巨樹そのものがほつれてほころびてゆく――今の攻撃で霊体構造ストラクチャを完全に破壊されたのだろう、女の魔力はすでに感じ取れなくなっていた。

 一撃で――しかもあの一撃、魔力の揺らぎはほとんど見られなかった。集中も増幅も無しであの威力と発生速度。普段はいったいどれだけ力を抑えているのだろう。

 彼はドラキュラとの決着がついたら、自分と戦ってもいいと言った。

 だが仮に戦ったとして、斃せるだろうか。こんな男が。

 こちらに向かって歩いてくるアルカードの手の中で、手にした魔具が形骸をほつれさせて消滅してゆく――彼は少女たちのそばまで歩いてくるとその場で膝を突いて、

「自力で立てるか?」

「ええ、なんとか」 リディアがそう返事をして、立ち上がる。

「パオラは?」 リディアよりも消耗が激しいのか座り込んだままのパオラに視線を向けて、アルカードがそう声をかけた。

「大丈夫です」 そう返事をして立ち上がりかけたパオラを制し、アルカードがどこに持っていたのか彼女の靴を取り出して、彼女の足のそばに置いてやる。彼女が靴に爪先を入れると、アルカードはパオラの手を取って立ち上がるのに手を貸した。

「ありがとう」 パオラの言葉にうなずいて、アルカードは三人の少女たちの顔を順繰りに見回した。

「じゃあ帰ろうか――構築した本人が死んだからもうじきこの領域セフィラは崩壊するだろうし、その前に脱出しないとな」 アルカードがそう言って、携帯電話を取り出す。

「でも、どうやって帰るんですか? 今度は知り合いの誰かに名前を呼んでもらうとか?」 フィオレンティーナの問いかけに、

「否、あれはもうやらない。出来るけど、もっと正確な指標があるからな」 また術式を描かなくちゃならんし、と続けて、アルカードは携帯電話を開いた。

「指標?」

「ああ、洞窟の中で術式の方陣と円陣をそのままにしてきただろ――魔力供給はまだ打ち切ってないから、簡単に位置をたどれる。ただ、問題はこいつらだな」

 気乗りのしない様子で、アルカードが地面の上に横たえた三人の男女に視線を落とす。

「こいつらをかかえてあの狭苦しい洞窟を出るのは面倒だ。だから、まあ――」

 言いながら、アルカードは携帯電話のボタンを押してから電話機を耳に当てた。

「――ああ、陽輔君? アルカードだけど、蘭ちゃんと凛ちゃんから連絡はあったか? あ、あった? 今どこにいる? ああ、それじゃ洞窟のすぐそばか。それは助かる――周りに人目はあるか? 羽場さんはいい、事情を知ってるから。すまないが蘭ちゃんと凛ちゃんを、ちょっと周りに障害物の無いところに連れ出してくれないか――ふたりを目標にしてそっちに転移するから。それと、救急を呼んでくれる様に羽場さんに伝えてくれ。うん、よろしく」 通話を打ち切って、アルカードは地面に横たえられたふたりの男性の体を肩に担いだ。

「どうするんですか?」 フィオレンティーナの問いにアルカードはこちらに視線を向けて、

「蘭ちゃんと凛ちゃんの『死の刻印』をマーカーに使って、あの子たちのそばに転移する。あれが一番探しやすいからな」 彼はそう答えてから苦笑して、

「さすがに一度に七人は大変だな――まあ仕方が無いが。お嬢さん、そっちの女の子を頼む」

 フィオレンティーナが女性の体をかかえ起こすのを横目に、パオラが口を開く。

「二回に分けられないんですか」

「分けることは出来るが、領域セフィラがそれまで持つかどうかわからない」

 彼はそう言ってから、

「さて、お嬢さんは二回目だな――不愉快だとは思うが、出来るだけこっちに寄ってくれ。出来ればくっつくぐらいがいいな」

 その言葉に、フィオレンティーナはなにも言わずに彼のそばに歩み寄った。おそらくは形成された回路パスのためだろう、先程彼がここに転移する際にどれほど消耗しているかが理解出来たからだ。

 あの術はおそらく、『層』と『層』の間の境界線に穴を開け、ふたつの近接した『層』の間を行き来するためのものだ――彼の言葉通りであるのならば、召喚した生物を自分たちのいる『層』へ移動させるための通路を開くものなのだろう。おそらく開口部の大きさが大きくなればなるほど、術者には負担がかかる。たぶん、本来は単体ではない複数の生物が通り抜けることを想定して編まれた術ではないのだろう。先ほどこちら側に移動するときにアルカードが体が密着するほどフィオレンティーナの体を引き寄せたのも、おそらく出来るだけ開口部の大きさを小さくするためだ。

「でも、それでもかなり貴方の負担が大きいんじゃ――」

 右手は空けておいたほうがいいだろう。アルカードの左腕を取って抱きしめる様にして体を密着させながらフィオレンティーナがそう尋ねると、アルカードは左腕に体を預けてきた彼女に視線を向けて、

「正直に言うとな、二回に分けるほうがもっときついんだよ――たぶん三人を向こうへ運んでから、あと一往復するのは無理だ。それに、もう一度ここを探し直すのに時間がかかる。一回で終わらせたほうが成功率が高い」 パオラはアルカードの胸に、リディアは背中側から、姉妹ではさみ込む様にして抱きついている――かつてない密着に頬を染めながらくっついてくる少女たちに苦笑してから、アルカードは右腕を振り上げた。

「よし、切るぞ――衝撃が来るから、俺の体を離すなよ。離れたら放り出されて死ぬことになるぞ」

 そう言ってから、アルカードは手刀を振り下ろした。

 

   †

 

 すぐそばに雷撃でも落ちたのかと思う様な轟音が耳を聾し、陽輔は跳ね上がりそうになりながらそちらを振り返った。蘭と凛もびっくりした表情でそちらを眺めている。

 視線の先にはアルカードと三人の少女たち、それにアルカードがふたり、フィオレンティーナというショートカットの少女がひとり、それぞれかかえている男女の姿があった。

 珍しいことにフィオレンティーナはアルカードの腕を抱きしめる様にしてしがみつき、パオラとリディアというふたりの少女はそれぞれ胸と背中側から彼の体に抱きついている。

「もういいぞ」 アルカードがそう声をかけると、少女たちはそそくさと彼の体から体を離した。アルカードは肩に引っ掛ける様にして担いだふたりの男性の体を草の上に降ろしつつ、

「よう、陽輔君――わざわざすまんな。救急車は呼んでくれたか?」

「ああ、あと五分くらいで来るんじゃない? ほら、サイレンの音が聞こえてきてる」

「ああ、そうだな」 アルカードは遠くから聞こえてくるサイレンの音にうなずいて、ふたりの男性とその隣にフィオレンティーナが横たえた女性の状態を簡単に検分しつつ、

「ここは駐車場から遠いのか」 その質問に、陽輔は視線をめぐらせた。ここは彼らの入った青の洞窟の入り口から、桟橋に降りる方向とは逆側に回り込んだ岩山の陰だ。

「陰になってて見えないだけだよ――すぐそこさ」

「そうか」

「この人たちが、先に入って出てこなかった人たち?」 凛の口にした質問にアルカードがそちらを振り返り、

「どうなんだろう――名前も顔も知らないからね。でもたぶんそうだと思う。確認してもらわないといけないから、羽場さんを呼んできてくれないかな」

「わかった」 返事をして、凛が走り去る。

 アルカードはよほど疲れているのか精彩を欠いた様子でその場に座り込むと、

「来てもらったのにすまないが、大型免許を持ってる人を指名すべきだったかな――またあのコミューターを運転して旅館に戻るのかと思うと、気が滅入るよ」

「大丈夫?」

「正直に言うと、あんまりな――けっこう疲れた。まあそれでも、彼女たちよりはましだがな」 パオラとリディアに視線を向けて、アルカードがそう答えてくる。

「というか、なんであんな状況になってたの」

「どんな状況だよ」

「今さっきの。女の子三人に抱きつかれて」 ニヤニヤ笑いながらそう言うと、アルカードはこちらに半眼を向けた。

「こいつめ、日頃の仕返しかよ――担いでた男ふたりは無視か。否、あれだ、単にあの体勢のほうがこっちへ転移しやすかっただけだ。それ以上の意味は無い」

「そう? 感触は悪くなかったでしょ?」 アルカードが投げつけてきた小石を掴み止めて、陽輔はそれを足元に投げ棄てた。アルカードはそれを確認してげんなりした様子で盛大に溜め息をつき、

「ふたりとも疲れてるから、余計なストレスをかけてやるな――ついでに俺にもかけないでくれ」

「ありゃ、本当に疲れてるんだね」

「ああ――しんどいんだよ、自分以外を連れて空間転移するの。本当は術は専門じゃないし」

 そう答えて、アルカードは立ち上がった。草の上に寝かされた男女に視線を向け、

「こいつらを引き渡したら、町に戻ろうか――陽輔君はここまでなにで来たんだ?」

「叔父貴にチャリ借りてきたよ」 本当は車で来るほどたいそうな距離でもないので、自転車で来た陽輔はそう返事をした。

「そうか――ならコミューターに載せればいいな」

 救急車のサイレンの音が近づいてきたところで、羽場老人が姿を見せた。老人は草の上に寝かされた三人の若者たちの顔を一目見るなり、

「おう兄ちゃん、この子らだよ。さっき入って出てこなかったの。生きてるのかい」

「衰弱がひどいですが死んではいません――自分たちがどんな目に遭ったか、覚えてなければいいんですけどね」 アルカードはそう返事をしてから立ち上がり、

「あとはお任せしても? 事情を馬鹿正直に説明するわけにもいきませんし」

「ああ、うまい言い訳を考えるよ――あとで言い訳をメールするから、誰かがなにか聞きに来たら話を合わせておくれ」 老人の言葉にうなずいて、アルカードは軽く右手を挙げた。

「じゃあ、厄介事になる前に退散します――あとをお願いします」

「ああ、お疲れさん――いつもの旅館かい」

「ええ」

「それじゃあ、あとでビールを納品しに行かなくちゃならんから、そのときに酒を差し入れるよ――ほかの客に見られるとまずいから、取りに出てきてくれると助かるな」

「それはうれしい――到着の少し前に電話をくださったら、取りに降ります」 笑ってそう返事をしてから、アルカードは少女たちのほうに視線を向けた。

「あれ?」

「どうかした?」

 名前はリディアといったか、以前会ったときはロングヘアを大きなお下げにしていた双子の妹のあげた声に、姉がそちらに視線を向ける。

「服とか体についてた、あの樹の幹から垂れてた血の跡が消えてるね」

「あ、そういえば」 ショートカットの少女がそう返事をする。

「ほんとね。ああよかった、染みにはならなさそう」 すらりと伸びた脚を包むストッキングの破れを気にしながら、双子の姉がそんな言葉を口にした。

「あの血は奴の体の一部だ」 アルカードがそう口をはさむ。

「奴が死んだから一緒に消滅したんだよ」

 彼はそう言ってから立ち上がり、

「行こうか。ちょっと休みたい」

「同感です」 リディアがそう返事をして、座り込んでいた岩の上から立ち上がる。

「無性に甘いものが食べたいです。ケーキかなにか」

「じゃあ街中の喫茶店に寄るか。あの店のはなかなかだ――俺も甘いものと、とびきり苦くて熱いコーヒーがほしい」 パオラの言葉にそう返事をして、アルカードが駐車場のほうに歩き出した。

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