Long Day Long Night 34
アルカードは横抱きにしていたパオラの体をその場に降ろしてやると、膝の上に彼女のものらしい赤い携帯電話を置いた。彼はリディアの体を抱きかかえたまま近づいていったフィオレンティーナのほうに視線を向け、
「無事か」
「はい、なんとか」 アルカードの簡潔な質問に、リディアがそう返事をする。
「ごめんなさい、面倒をかけて」
「それは別にいい」 アルカードはそう返事をして、
「こっちこそ、すまんな。捕捉するのに手間取った」
「いえ、こうして来てくれたんですから、それで十分です」 弱々しい、けれど全面的な信頼を込めた微笑とともに返されたリディアの返事にうなずいて、アルカードはフィオレンティーナに視線を転じた。
「お嬢さん、ふたりを頼む」 アルカードがそう言ってから、近くで立ち尽くしていた敵のほうへと一歩踏み出す。攻撃を仕掛けなかったのか、仕掛けられなかったのか。
敵は女だった――まあ少なくとも、女っぽく見えなくもないものだった。全身が色素の代わりに絵の具でも入っているかの様に真っ青で、豊かな胸も下腹部も惜しむことなく剥き出しにした素裸だ。左胸や腰回り、肩にいくつもの刺青の様な模様があって、髪は生えているがそれ以外は眉毛も含めたあらゆる体毛が生えておらず、両目は銀色で瞳が存在していない。
女はこちら側に移動した直後にアルカードが攻撃を加えたのか、出血や外傷がある様には見えなかったが右脇腹を手で押さえている――アルカードが少女たちと悠長に話している間、攻撃を仕掛けてこなかったのはそれが理由だろうか。外傷は認められなかったが痛みは感じているのか、女は憎々しげに顔を顰めながら瞳の無い目でこちらを睨みつけていた。
「ひとりで戦うんですか」 フィオレンティーナの問いかけに、アルカードが肩越しにこちらを振り返る。
「あんなもん問題にもならねえよ――怖いのは動けないそこのふたりを、あれに気を取られてる間にもう一度捕まえられることだけさ」
――ギャァァァァアッ!
頭の中に直接響く絶叫とともに、アルカードが軽く握り込んだ右手の指の隙間から赤黒い血がしたたり落ちる――したたり落ちた血は見えない器の中に溜まっていくかの様に曲刀の形状を形作り、次の瞬間眼をモチーフにした装飾を持つ漆黒の曲刀、
アルカードは再び女のほうに視線を戻し、
「心配するな、しくじりゃしねえさ――しくじったらご褒美ももらえないしな」 唇をゆがめて獰猛な笑みを浮かべ――ているのだろう、アルカードの周囲に殺気が広がってゆく。その殺意は明らかに目の前の女を指向しているはずなのに、フィオレンティーナは周囲の温度が急激に下がったかの様な錯覚を覚えた。
「……どうやって、ここに――」
「そこのふたりが俺を呼ぼうとしたからな――ああ、どうせわからねえだろうよ、三流魔術師が」
女のうめき声に、アルカードがそんな返事を返す。
「名前を呼んだだけで? そんなことが……」
「出来るとは思わなかった、か? 十分な力量があれば出来るんだよ――だからおまえは三流だっていうのさ」
女の言葉を鼻先で笑い飛ばし、アルカードはそれまで肩に担いでいた
「場所さえわかれば簡単だ。こっちとあっちを召喚魔術でつなげて、俺たちがこっち側に召喚されるだけでいいんだからな」それ以上女を相手に説明する気も起きないらしく、アルカードが肩越しに親指でこちらを示す。
「さて、そこの女ふたりをさっさと連れて帰ってやりたいんでな。しばらくほっといたら瘤になりそうなそこの三人も掘り出してやらなくちゃならんし――これから死ぬ奴に対魔術戦の講義なんぞしてやっても時間の無駄だ。無駄話は終わりにしよう」 そう告げて、アルカードがひぅ、という軽い風斬り音とともに
「そうね――」 ほとんど死刑宣告に等しいアルカードの言葉にそう返事をして、女が両手を広げる。
AHHHHHHHHHHHHHH!
それが呪文なのか単なる掛け声なのかは、わからない――魔術には先ほどアルカードがやった様になにかしらの呪文を口にしなければならないものと、精霊魔術の様に呪文を必要としないものがあり、フィオレンティーナにはあの女が今やっているのがどちらなのかの区別がつかなかった。
しっ――歯の間から息を吐き出しながら、アルカードが弾かれた様に地面を蹴った。
女が伸ばした手にまとわりついていたバングルの様な光の輪が次々と撃ち出され、金髪の吸血鬼に肉薄する――が、アルカードはそれを躱そうともしなかった。
光の輪は次々とそよ風すら残さずに消えて失せ、吸血鬼には届きもしない。攻撃の失敗? 否――女の驚愕の表情は、あの吸血鬼が女の攻撃を発動とほぼ同時に掻き消したことを示している。
そしてその攻撃の失敗を悟った女が焦燥と驚愕に表情を引き攣らせたまま次の攻撃の準備を整えるより早く、アルカードは彼女の間合いを侵略していた。
ふっ――鋭い呼気を吐き出す音とともにうなりをあげて振り下ろされた長剣を、女があわてて身をよじって回避する。同時に女はアルカードの脇腹を狙って、平手打ちの様な一撃を繰り出した。
無論ただの平手打ちなどではない――平手を包み込んだ赤黒い光が、長大な鈎爪を備えた巨大な手の様な形状に収斂している。
おそらくはそれなりの破壊力を持った接近戦用の攻撃なのだろうが、その一撃は手首を掴み止める様にして受け止められている。続いてアルカードが
ハンマーで鉄の塊を殴ったときの様な重い衝撃音とともに撃ち込まれたバックハンドの一撃で横殴りに殴り倒され、女の体がドサリと音を立てて横倒しに地面に倒れ込む。
女が体勢を立て直すいとまも与えずに、アルカードは続けて女の下腹部をブーツの踵で踏みに行った――回転してその攻撃を逃れた女が立ち上がるよりも早く、アルカードが踏み込んだ足を前足にして繰り出した斬撃が女の体を横殴りに撃ち倒す。
否、正確には斬りつけたのではなく柄頭で殴りつけたのだろう――再び地面に撃ち倒された女が憎々しげにアルカードを見上げ、次の瞬間アルカードの足元の地面に異変が生じた。
それがなんなのかは、わからない――ただ足元の地面を砂のごとく埋め尽くす細かく砕けた骨片の隙間から、紫色の光が漏れている。
「危な――」 リディアの警告の声が終わるより早く、アルカードが地面に
地面に突き立てた
次の瞬間には地面そのものが蠢いてアルカードの両脚に軟体動物の腕の様に絡みつき、彼の脚の動きを封じている――砂浜の珊瑚の死骸の様に小島の地面を埋め尽くした骨の欠片の下、岩で構成された地面がまるでアメーバの様に蠢いて、彼の両脚の脛から下に絡みついたのだ。
「ぬ――」 まるで足枷をかけられたかの様に動きを止められたアルカードが、小さなうめき声を発する。信じられないことにまるで軟体動物の様に動きながらも、岩は硬いままの様だった――もとからその様な形をした岩であるかの様に、それまで蠢いていた岩はアルカードの両脚を固めたまま再び動かなくなった。
「あ――」 その事態が起こった理由に心当たりがあるのだろうか、パオラが小さく声をあげた。
右手を突き出した女の腕の周囲で、バチバチと音を立てて電光が蛇の様にのたくる。なんらかの攻撃だ。
あの金髪の魔人は、対魔術戦においても間違い無く極めて高い技量を持っているが、それでもあの距離から仕掛けられれば――
まずい――
そう判断して手を出すいとまも無かった。
「貴方ならわかっているはずよ――ここはわたしの領い」 領域、とでも言おうとしたのだろうか。アルカードは女が並べかけた御託を最後まで言い終わるいとますら与えなかった。
ふっ――アルカードが鋭く呼気を吐き出す音が聞こえ、続いて岩に亀裂の走るびしりという鋭い音が耳朶を打つ。
次の瞬間、彼の左足を絡め取った岩が無数の砕片を撒き散らしながら、轟音とともに粉々に砕け散った。蹴りを繰り出すために後足にしていた左足の脛から下を固めた岩の拘束を、そのまま蹴りを繰り出すことで力ずくで粉砕して振りほどいたのだ。
「
アルカードがそのまま女の顔を狙って、サッカーボールを蹴る様な動きで左足の蹴りを繰り出す。
「なっ――」 口にしかけた雑言を驚愕の声に変えながら、女が咄嗟に攻撃を中断して蹴り足から逃れ、そのまま後退して間合いを取り直す――アルカードの軸足が拘束されたままで踏み込めなかったことと、女が若干距離をとっていたためにやや遠間に過ぎたその一撃は、女が後退しようがしまいがどのみち届かなかっただろうが。
岩の細かな砕片がバラバラと飛び散り、いくつかは血の湖に落下して湖面に漣を走らせる。
「誰の領域だろうがかまわんがな」 アルカードがこともなげにそう言って、岩に取り込まれたままの右足を見下ろした。アルカードは次の瞬間にはその場で右足を縦に引き抜く様な動作で脛から下を固める岩を粉砕し、拘束から逃れている。
「なるほど、おまえの
その言葉に、女が眉を寄せる――アルカードに心当たりが無いのだろう。否、ロイヤルクラシックという単語自体を知らないのかもしれない。
だが知ろうが知るまいが、女の眼前にいるのは生身のままで吸血鬼を殺せるほどの戦闘能力を持つ人間が吸血鬼化した真祖なのだ――生身のままでも膂力、特に鎧を着たままで地上最速を豪語する身体能力を支える脚力は、常人をはるかに超えているだろう。それが百倍近くまで増幅されれば、あんな岩が絡みついたくらいどうということもないらしい。
「スライムみたいに絡みついてきながらも、硬いままの岩――まあ不意を討たれれば脅威だろうが、そんなのは出来た隙を衝いて一撃でこっちを殺せるほどの力のある奴でなけりゃなんの意味も無いだろうが。だいたい、さっきも術式を解体されたのと同じ魔術で追撃かけたって、今もそうした様に術式をほどかれるのが落ちだ――それはもうわかってるだろうに」 その言葉から察するに、アルカードが岩を砕いたあと女が攻撃せずに離れたのは、中断したのではなく中断させられたらしい――アルカードの口ぶりからするとあの女の攻撃手段は魔術の様だから、おそらくアルカードが発動前に抑え込んだのだろう。
追撃をかけようとしないアルカードの間合いから離れた女が、剥き出しの肌に喰い込んだ骨片を手で払い落とす。
地面に突き刺さったままの
「女の顔を殴った挙句、腹を踏もうとするとはね――どんな野蛮人の国で育ったのかしら」
「化け物を女扱いしてなにになる」 アルカードがそう返事をして、女の雑言を鼻先で笑い飛ばす。
「女というのはな、ああいうののことを言うんだ」 そう続けて、金髪の吸血鬼は肩越しにこちらを親指で指し示した。
「血の代わりに絵の具が流れてそうなのも、瞳も眉毛も無いのも女とは言わん。紳士的な扱いを求めるんなら、化け物に転生なんぞしなけりゃいいだろう」
憤激に顔を醜くゆがめた女が、両腕を胸の前で交差させる様にして身構える。
AHHHHHHHHHHHHHHHHHH!
叫び声とともに、周囲にいくつも黒く丸い塊の様なものが発生する――まるで、闇が凝り固まったかの様に。
次の瞬間、その塊の中から鳥の様な翼のある影が無数に飛び出した。
否、鳥ではない。まるで翼竜の様な奇妙な生き物だ。特異なのは――二枚の翼に剣の刀身の様な刃がついていることだった。
「あれは……!」
その姿に心当たりがあるのか、リディアが声をあげる。
「
アルカードも飛び出してきた影の正体に心当たりがあるのか、さほど気にした様子も無く周囲を睥睨している。
「ソード、バード……」 オウム返しにしたパオラの声が聞こえたのか、アルカードが適当に肩をすくめる。
「ここの様に肉体を持ったままでも生存出来る『層』――逆に言えば、肉体が無ければ生存出来ないって意味でもあるがな――で肉体を失った下級悪魔や悪霊のたぐいが、生き延びるためにほかの生物に取り憑いて肉体を乗っ取った、そのなれの果てだよ」 アルカードが肩越しにそう答えてくる。
「こいつらの場合は鳥で、正確に言うとこいつらはその子孫だがな。下級悪魔の遺伝子情報の一部が憑依対象の鳥のDNAに転写されて、こういう姿で生まれてくる様になったらしい」 と、続けてくる。
上級下級を問わず、霊体は遺伝子情報を持っている――アルカードが講義で話していたことを思い出す。
みるみるうちに数を増やしていく鳥とも翼竜ともつかぬ異形の飛行生物――
翼を持っているものの翼で飛行しているわけではないのか、羽ばたきをやめたにもかかわらず
続いて数体の
「アルカー――」 パオラが吸血鬼の名前を口にするよりも早く、アルカードが最初に飛来した
弾かれた
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