Long Day Long Night 33

 

   *

 

「――よし、とりあえず今日のノルマはこれで達成だな」 組み立て式の椅子六脚を組み立て終えて、テーブルと組にして並べ終えたところで、アルカードは満足して腕組みした。

 フローリングの床の上に並べられた硝子テーブルとソファ、扇風機が三台、テーブルと椅子六脚、ルーバー状の扉がついた物入れの中には掃除機が収まっている。特に苦労したのはテレビ台で、側板と天板や底板を固定するボルトの加工品質に問題があり、ホームセンターに出向いて別に調達しなければならなかった。邪魔っけな食器棚は作りつけのものがあるので、買ってこなくてもよかったのは僥倖だった。

 外はすでに陽が高くなっている――じきに十四時を回るだろう。

 万全にはほど遠い状態だが、少なくともガスと電気と水道というライフラインは開通し、家電品もすべて使える状態になった。実際に生活を営むにはまだ不足もあるだろうが、それはわかってから考えればいい。

「あとはうちの親父がデルチャさんたちを連れて帰ってくるのを待つだけですね」 陽輔がそんな返事を返すと、アルカードはうなずいた。

 蘭も含む女性陣は全員、忠信の運転で買い物に出ている――アルカードがマリツィカを伴って買い出しに出たときに買ってきた荷物の中には衣服や下着などの着替えやその他もろもろの身の回りの品物は含まれていなかったので、忠信の運転でそれらを買いに行かせたのだ。

「そうだな。おかげで助かったよ――人数が増えたおかげで、思ったよりずっと作業がはかどった。君の父さんたちが帰ってきたら、一緒に飯でも食べに行くか」

「もしかして、またあの料亭かい」 恭輔の言葉に、アルカードはそちらを振り返った。昨日恭輔と忠信に作業を手伝わせたあと、アルカードは約束通り食事に連れていったのだが――先日橋本龍太郎と会見を行った料亭は、どうも恭輔の気に入らなかったらしい。

「あそこは駄目か? そう言えばマリツィカの奴も、ずいぶんと緊張してたが」

「あそこすごい高級店だからね」 政治家の会談にも使うんだよ――恭輔の言葉に、アルカードはうなずいた。

「知ってる。ついこの間、あそこでリュータロー・ハシモトと会った。ほら、日本のプライムミニスターの」

「……それ、自民党総裁? 現総理大臣の橋本龍太郎? 廊下ですれ違いでもしたのかい?」

「否、仕事の関係で会談を持っただけだよ――トーフとかいうのが特に旨かったな。前にどこかの旅館で食べた物より旨かった」

「それはどうもって、総理大臣に直接会ったのか」 隣で兄を見上げる弟ふたりの肩に手を置いて、恭輔がそんな返事をする。

「そうだよ――で、なんだ? その反応」 それはどうも? まるでトーフの納入業者の関係者であるかの様な妙なリアクションに首をかしげると、

「あそこの料亭の豆腐、うちの親父の実家が納めてるんだよ」

「ほう」 片眉を上げてみせると、

「賛辞は伯父貴に伝えておくよ――で、なんでそんな総理大臣と会談なんかしてたのさ」

「おっと、しゃべりすぎたか――それは内緒にしておいてくれ」 アルカードはそう言ってから、

「じゃあ、今度は鰻屋にするか」

「なんで毎度毎度、そんな財布に負担がかかる様なところを選ぶんだ?」

「今度部下と鰻を喰いに行く約束をしてるんでな、その下見に行きたい」

「奢る様な相手なのか」

「部下というよりなんというか――ちょっと聞きたいんだが、日本語で弟子ディサイプルはなんというんだ?」 科白の後半を英語に切り替えて、アルカードはそう尋ねた。

「弟子だ――まあ武術アートオブウォー弟子ディサイプルだったらね。職人マイスターだったら弟子とか徒弟というかな。あとはもしくはそうだな、武術だったら門弟とか、学校だったら生徒とか教え子とか」 恭輔がいくつか付け加えた訳語に、アルカードは小さくうなずいて、

「デシか。そう、部下というより弟子といったほうが近い関係だ――だからまあ、それくらいはな。それに正直、俺としてはたいした出費でもない――俺の年間収入は、最低保障額で二百億リラだからな」

 正確にはヴァチカン・リラなのだが、まあイタリア・リラと流通価値は同等なので問題無いだろう。そんなことを考えながら、アルカードは頭上を見上げた。蛍光燈は一個切れかけていたから新品に替えた――不燃ごみはいつだったか。

「それ十四億八千万円なんだけど――冗談きついよ。まあ、正直俺としては君の素性に興味があるな」 アルカードの言葉を冗談だと思ったのか、陽輔がそんなことを言ってくる。

「やめておけ――知ってもなんの役にも立たないさ」 適当に手を振って、アルカードはソファに腰を下ろした。冷蔵庫はすでに稼働しているが、まだ中身が入れられる状態ではない。それでも飲み物は必要だったので、近所のコンビニで仕入れてきたペットボトル入りの飲料が冷凍庫に放り込んであった。

「だが、友情の証にこれは教えておこうか」 アルカードは首をすくめて、

「知ってるかもしれないが、ちゃんと自分の口で言おう。俺はマリツィカやデルチャの従兄弟なんかじゃない――彼女たちの両親とも、もちろん君の娘とも、血縁などなにも無い。赤の他人だ」 という暴露はさすがに意外だったらしく、恭輔が眉根を寄せる。

「じゃあ、なんでチャウシェスクさんのところで居候なんかしてるんだ?」

「いろいろあってな――彼女たちのここでの生活が形になったら、出ていくつもりだ」 そう返事をしたときランドクルーザーのエンジン音が聞こえてきて、アルカードはそちらに視線を向けた。

「マリツィカや君たちの父さんが戻ってきた様だ。荷物を運び込んだら、食事に行こう。腹が減った」

 

   *

 

 ずっと鳴らし続けているが、電話がつながらない――金髪の吸血鬼が携帯電話から耳を離してディスプレイを覗き込み、小さな舌打ちを漏らす。

「やっぱり通じてないんでしょうか」

「否、相手の電話が圏外にあるとか、電源がオフになってるとかいう音声が出ない――呼び出してるが、相手が出ないんだ」 苛立たしげにそう返事をして、アルカードが再び電話機を耳に当てる――アルカードが急いている理由は理解出来た。電話が通じているのに相手が出ないということは、電話の主であるパオラが危険に晒されている可能性があるということだ。

 先ほどからパオラとリディアの携帯電話に呼び出しをかけているが、応答が無い。ふたりとも出られない状況かもしれない。

 なにせこの男のやることだ。やっぱり駄目だった、ということはないだろうが、向こうからの反応が無いのではいかんともしがたい。

「どうしましょうか――なにかほかの方法はありますか?」

「ほかの方法で位置を特定か――血を飲ませた君なら、すぐにわかるんだがな」 そう返事をして、アルカードは濡れた岩盤の地面の上に膝を突いた。

 先ほど蘭と凛の手の甲に血で『死の刻印』を描いたときと同じ様に人差し指の皮膚を噛み破り、噴き出した血で地面の上に方陣を描いてゆく。

「それは?」

「異なる『層』の間を瞬間的に接続する際の、空間歪曲や魔力の動揺の痕跡を調べるための術式だ――敵がふたりを拐った痕跡を探す。かなりうまく痕跡を消してるから、見つけ出すのには多少時間がかかるだろうが」 言いながら、四角形の四辺に周を接する真円、その円の周の一ヶ所に周を接するもう一回り小さな真円、そして四角形の周囲にもうひとつ大きな四角形を描いて、内外の四角形の辺の間に無数の文字の様な模様を描き込んでいく。やがて式が完成したのか、血で描かれた方陣が一瞬まばゆく輝いた。

 一分ほども時間が経過するが、アルカードは無言のままだった――その表情が、構築した術式がいまだ結果を出していないことを示している。

 だがそれより早く、アルカードは耳に当てたままだった携帯電話を離してディスプレイを覗き込んだ――パオラが出たのか、再び携帯電話を耳に当てて、

「――パオラ! 聞こえるか? パオラ!」 電話はつながっている様だが、返事は無いらしい――自分と同じ様に声に焦燥をにじませて、アルカードは一度息を吸い込んでから続けた。

「――リディア! どっちでもいい――聞こえてるのなら俺の名前を呼べ! どこにいようが必ず拾ってみせる! 俺を呼べ、パオラ、リディア!」 顔を顰めて、アルカードは携帯電話を耳から離した――どうやら通話が途切れたらしい。

「くそっ」

「どうですか?」

「わからん――彼女は返事をしなかった。ただ後ろでおかしな音がしてたから、やっぱり面倒に巻き込まれてる。どっちでもいいからふたりが俺の名前を呼べば――呼ぼうと考えさえすれば、居場所は拾えるんだが」 先ほど描き込んだものとは違うもうひとつの円陣に視線を向けて、アルカードはそう返事をしてきた。

 大きな二重の円の内外の線の間に無数の文字列がびっしりと描き込まれ、内側の円の内部には五芒星が描かれている。

 電話をかける前に描いた円陣で、相手がアルカードの名前を呼ぼうとしたときに発生する霊体の微細な動揺――アルカードが言うところでは、『霊体の波紋』を拾い上げるものらしい。よくわからないが。

 フィオレンティーナが手を伸ばしてジャケットの裾を掴んだので、アルカードはこちらに視線を向けてきた。

「お願いです、アルカード――わたしが出来るお礼だったらなんでもしますから、ふたりを助けてあげてください」

 アルカードはその言葉に一瞬目を見開いてから苦笑して、その苦笑を驚くほど優しげな笑みに変えた。胸が高鳴ると同時に安堵で力が抜けてしまいそうな絶対的な安心感も感じさせる、こんな状況でなければずっと見つめていたくなる様な、そんな笑顔。

「ああ。心配するな」 穏やかな口調で口にしたその返事が終わるよりも早く、アルカードは最初に描いた円陣に視線を向けた。

「見つけたぞ」

「本当ですか?」

「ああ」 そう返事をして、アルカードはフィオレンティーナに視線を向けた。その視線の意味するところは理解出来たので、上着のポケットから聖書を取り出して綴じ紐を抜こうとしたところで、

「否、まだ撒くな――向こう側へ持っていけるかどうかわからないから。いつでも作れる様にした状態で、手で持ったままでいるんだ」

 その言葉に、フィオレンティーナは手にした聖書を見下ろした。綴じ紐を抜き取ってページを数枚抜き取り、そのぶんちょっと薄くなった聖書を再びポケットに戻す。

「これでいいですか?」 という質問に、アルカードはうなずいた。

「それでいい――すぐに抜かないといけないかもしれないから、とりあえずは向こうに着き次第即座に作れる様にしておくんだ」

「わかりました」 その指示にうなずいて、フィオレンティーナは手にした聖書のページに魔力を流し込んだ――構築した『式』は撃剣聖典の長剣、刃渡りはもっとも扱い慣れた八十五センチほど。あとは実際に式を発動させれば、それで撃剣聖典は構築される。

「こっちへ――離れてると転移をしくじるかもしれん」 アルカードの言葉に、フィオレンティーナは彼のそばに歩み寄った。

「すまん、もっとだ」 普段よりもかなり距離を詰めていたのだが、それでも不足だったらしい――アルカードは左手を伸ばしてフィオレンティーナの腕を掴み、自分のそばへと引き寄せた。ほとんど寄り添う様な距離でもまだ足りないのか、吸血鬼がフィオレンティーナの体を胸元に抱き寄せる様にして背中に腕を回す。

 胸のふくらみが彼の胸板に押し潰され、首元に顔をうずめる形になって、頬が紅潮する――不思議と嫌悪感は感じない。その代わりに彼の体温と体臭、抱きしめる腕の力強さに胸が高鳴り、羞恥で頬が熱くなった。

 そんなフィオレンティーナの胸中など知らぬげに、アルカードが手刀を作った右手を振り上げる。

「ちょっと衝撃があるから備えろ――離れるとうまく向こう側に抜けられないから、絶対に離すな」

「はい」 せめて耳まで真っ赤になっている顔を見られまいとうつむいて彼の肩に額を押しつけ、吸血鬼の背中に回した腕にギュッと力を込めながらそう返事をすると、アルカードは続けてきた。

「それとご褒美の件だが――」 そんなことを言ってくる。顔を上げようとしたが、今彼女はアルカードに抱きしめられて首元に顔をうずめている。吸血鬼の表情は窺えなかったが、声は笑っていた。

「――そうだな、うまくいったらキスでもしてくれ」 笑みを含んだ穏やかな声で、そう告げてから――

 オーッ・アガーン――それがなにを意味する言葉かはわからないが、おそらくはなんらかの呪文なのだろう。ご褒美の指定にフィオレンティーナが返事をするより早く、アルカードは呪文とともに手刀を振り下ろした。

 さほど速い振り抜きでもなかったのにすぐそばに落雷が落ちたかの様な轟音が耳を聾し、同時に手刀の軌道を中心に広がった暗闇が周囲を飲み込む。

 アルカードの警告した衝撃だが、ちょっとどころではなかった――まるでドラム缶の中に詰め込まれて崖から蹴り落とされたみたいに、断続的な衝撃が襲いかかってくる。アルカードの警告を思い出して、フィオレンティーナはアルカードの背中に回した腕に力を込めた。

 周囲の状況がどうなっているのかはさっぱりわからなかったが、その連続的な衝撃は始まったときと同様唐突に終わった。

 ブラックアウトは一瞬だった。

 周囲にはおぞましい空洞が広がっていた。広さは直径百五十メートルほどか、完全に閉塞した空洞で、大部分を湖が占めている。そしてその中央には小島があり、フィオレンティーナがいるのはそこだった。

 踏みしめた地面の上で、なにかがパキリと音を立てて割れる。見下ろすと、それが砕けた骨の破片だと知れた。

 小島の地面は、骨で埋め尽くされていた――あまりにも古くなってボロボロになった骨の破片が、珊瑚礁の破片で埋め尽くされた砂浜の様に小島の地面を形作っているのだ。湖面は真っ赤で、ひどく生臭い――血だ。血の湖だ。

 そして島の中央には、あまりにもおぞましい巨樹が生えている――直径十メートル近い極太の幹は人の顔をかたどった様なグロテスクな形状の大小様々な瘤で覆い尽くされており、その瘤の目と口に当たる部分から血が流れ出している。

 枝に至るまですべてがデスマスクで埋め尽くされているのか、頭上からの小雨の様に血が滴り落ちてきていた。妙に周りの空気が血生臭いのはそのせいか。

 眼前の巨樹の幹を埋め尽くすデスマスクに紛れる様にして、見覚えの無い三人の男女の顔があった――まるで顔だけ出して幹の中に埋め込まれたかの様に、瘤ではなく人間の顔がくっついている。あれが羽場老人が話していた、行方の知れない三人だろうか。

 そしてその枝が触手の様に伸びて、見覚えのあるふたりの体を絡め取り、幹へと近づけていた。

「リディ――」

「リディアを切り離せ――パオラは俺!」

 そう声をかけて、アルカードが地面を蹴った――わずかに遅れて、フィオレンティーナも地面を蹴る。右手で握ったままになっていた聖書のページを触媒に構築した撃剣聖典でリディアの細身の体を絡め取った枝を次々とぶつ切りにすると、その断面から血の様な赤い液体が噴き出した――それにはかまわずにリディアの体が落下するよりも早く抱き止めて、いったん後退する。

「よう」 少し離れたところでパオラの体を横抱きにしたアルカードが、彼女に声をかけている。

「大丈夫か? 見たところ怪我は無い様だが」

 返事をしようとしても巧く言葉にならないらしく、パオラは今にも泣き出しそうな表情で小さくうなずいた。

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