Long Day Long Night 13

 

   *

 

 駐車場まで戻ってきたところで、足を止める――先を歩いていたテンプラが、何事かとこちらを振り返った。手にしたリードを軽く引くと、ウドンとテンプラが足元に寄ってきて――ちょうどそのタイミングで駐車場から出てきた真っ赤なダイハツ・コペンが、彼らが戻ってきた道を走り去っていった。

 青い空、白い雲、曲がりくねった海岸線の道路に真っ赤なオープンカー。いいセンスだ――惜しむらくはビーチボーイズが足りない。

 そんなことを考えながら、ウドンとテンプラを促して歩き出す。時間はすでに正午に近いために陽は南の空高くで輝き、降り注ぐ陽光が首筋をじりじりと焼いている――正直暑苦しい。『帷子』を使えば快適になるのだが、『帷子』は自分は快適な反面周りの状況に無頓着になりやすい――平たく言えば、目の前で犬たちが熱中症を起こしかけていても見落とす可能性がある。

 そんなわけで『帷子』は使わず、アルカードはコミューターのところまで歩いて戻った――ジャケットを脱ごうかどうか迷ったが、その下にアンダーアーマーのTシャツとcw-xといういつも通りの格好なのであまり意味が無い。

 スライドドアを開けて犬たちを中に入れてやると、彼女たちは水撒きに使う前にいくらか飲み水用の器に取り分けておいた水の周りに集まって水を飲み始めた。

 それを横目に、レザージャケットを脱いで運転席のシートバックに引っ掛ける様にして放り投げる――うまく引っ掛からなくてケージの横にバサッと音を立てて落下し、犬たちがびっくりしてそちらを振り返った。

 それを見遣って肩をすくめ、クーラーボックスの上に置いたままにしてあった空のペットボトルを手に取る――もうあと三十分で到着するが、彼女たちがもっと水をほしがるかもしれないので、いくらか冷たい水を汲んできたい。

 クーラーボックスの中身は未開封のミネラルウォーターやジュース、お茶やビールで、犬用の飲み水は無い――主に港まで移動する間の乗客たちの飲み物だ。成人している連中はみんな酒を飲んでいて、港まで移動する道中の車内はちょっとした宴会場だった。まあもうビールはだいたい飲みきってしまったので、このあとの道中は多少静かになるだろう――あるのがビールだろうが日本酒だろうが、運転手なので建前だけでも飲めないアルカードにはあまり関係無いが、まあ静かになるのはいいことだ。

 首の部分を掴んだ空のペットボトルでクーラーボックスの蓋を軽く叩いてから、アルカードはケージの中でまだ水を飲んでいる犬たちに視線を向けてスライドドアを閉めた。

 キーのリモコンを操作してロックの動作音とハザードランプを数回点滅させる応答動作アンサーバックを確認してから、待合所に向けて歩き出す――そろそろ船から降りて小一時間ほど経過しているから、さすがに三人の状態も多少は回復しているだろう。

 そんなことを考えながら、足を止めて横合いから近づいてきたステップワゴンに道を譲る。運転席の四十手前の男性が軽く片手を挙げ、助手席のチャイルドシートに座った二歳くらいの男の子が満面の笑みで手を振ってきた。

 軽く手を振り返してステップワゴンが走り去るのを見送り、再び歩き出す。

 コンクリート造りの待合所は硝子張りの開放感のある建物で、二階の面積の九割がたを閉めるレストランと屋上の展望台からは西側の海が一望出来る造りになっている――停泊中の船がいなければだが。

 時期によってはもろに嵐の雨風が入ってくるからだろう、二重構造になった自動ドアをくぐって待合ロビーに入る――中は空調が効いていて、内側の自動ドアが開くと同時に流出してきた冷気が頬に触れた。

 全身の毛孔から噴き出していた汗が引いていくのを感じながら、ロビーを見回す――広い待合ロビーには見知った姿は無い。そのこと自体は別に驚くほどのことではないので、アルカードは気にしなかった。

 フェリーの発券所にいた三十代半ばの女性がこちらと目が合ったからか軽く会釈をして、

なにかお困りですかMay I help you?」

「否、大丈夫。ありがとう」 あまり流暢とは言えない英語で話しかけてきた女性にそう返事をしてから、アルカードは天井を見上げた――強力な聖性を帯びた魔力がみっつ、彼の頭上、ちょうど二階の展望レストランの窓際、硝子の内側あたりに固まっている。

 いずれも感じ慣れた気配なので、どれが誰かもすぐわかる――アルカードは周りを見回したときに目に留まった、二階へと続く階段へと歩いていった。

 二階はエレベーターと階段室を除くほぼ全面積がレストランになっているので、階段を昇ってすぐに店の入り口がある。

 店の入り口の脇に置かれたイーゼルに、装飾された黒板がかけられている――『本日のお勧め……ステーキ定食・松(二百グラム)』。

 ショーウィンドーの中に飾られた見本を横目に、アルカードは店の中に足を踏み入れた。

 時間帯はようやっと昼前というところで、船から降りた乗客もいるのだろう、見覚えのある姿もちらほらと見受けられる――手近なテーブルの、ちょうどこちらに向いた席に船内の駐車場で犬の遊び相手をしてくれた家族連れの子供が着いており、その子もこちらを覚えていたのか、こちらに気づくと満面の笑みで手を振ってくれた。

 軽く手を振り返し、子供の動きでこちらに気づいたその両親に一礼してから、近づいてきた従業員に軽く手を振って南側の硝子に近いほうに歩いていく――硝子は垂直ではなく室外に向かって傾く様に斜めに傾斜して取りつけられているため、南中に近い位置に来ていても太陽の光が強く差し込んでくるからだろう、テーブルは窓際ぎりぎりのところではなく少し離れた位置に置かれている。

 レストランの西寄り、窓際にもっとも近い位置のテーブル席数卓を占有して、アルカードの連れたちは席に着いていた。

 一卓四人掛けのテーブルは一卓は大学生四人が着き、もう一卓は聖堂騎士三人と蘭、残る一卓に老夫婦と凛が着いていて、席がひとつ空いている。

 フィオレンティーナとパオラはすでに回復している様だが、老人は相変わらず死にそうな顔色でテーブルに突っ伏している――年寄りが酒入ってる状態で無茶するから。心配する気も起きずに嘆息して、アルカードはこちらに気づいたフリドリッヒに片手を挙げた。

「あ、アルカード」 フリドリッヒの動きでこちらに気づいて、蘭が声をかけてくる。

「ああ」

「わんちゃんは?」 凛の投げかけてきた質問に、

「車の中に置いてきたよ――ふたりはよくなったみたいだね」 視線を向けた先でフィオレンティーナがうなずき、パオラが御迷惑おかけしました、と返事をしてくる。アルカードは適当に肩をすくめて、

「別に迷惑ってわけでもないだろ――なりたくてなったわけじゃないんだから、しょうがないさ」 そう返事をして、アルカードは老夫婦のテーブルの空いた席に腰を落ち着けた。

「で、アレクサンドルの調子は?」

「見てのとおりよ」 真面目くさった口調で返事をしてくるイレアナに肩をすくめ、アルカードは老人に視線を向けた。

 前述のとおりコミューターの車内にはビールなどの飲み物を満載にしたクーラーボックスが置かれており、一番飲んでいたのはこの老人だった――そんな状態でその場でぐるぐる回ったりしたものだから、まあ当然一気に酔いが進行したわけだ。ついでにいい歳の老人なので、回復も遅い。

 お冷やを持ってきた女性の従業員に持っていたペットボトルを渡し、少しばかり水を入れてきてほしいと頼んでおく。一リットルでいいかという質問にうなずいて、アルカードはコーヒーと、たまたま開いたままでテーブルの上に置かれていたメニューの一番上にあったステーキ&ヒレカツサンドイッチを注文した――ステーキ&牛ヒレカツサンドイッチ二千五百円也。

「お肉の焼き具合は?」

「ミディアムで」

 まだ食べられるんですか?とびっくりした表情を見せるリディアに、適当に肩をすくめる。席を占有しているし水の補給も頼んだので、なにも注文しないわけにもいかないからメニューの開いたページで一番高そうなものを頼んだだけだ――去年来たときに一度食べたことがあるが、ステーキ肉と牛ヒレカツをそのまま挟んだサンドイッチで、けっこうな値段がする。島の名産のブランド牛で、味は十分に値段に見合うのだが。

 バイキングに行かなかったフリドリッヒたち従業員四人は小腹が空いたのか軽食を食べており、アンの前には半分無くなったサンドイッチの皿が置かれている。残りの三人はすでに食べきってしまったのか、空になったお皿とコーヒーカップが置いてあった。

 子供たちはジュースだけで、フィオレンティーナとパオラはまだ完全に回復しきってはいないからか食欲が無いらしく、ふたりの前にはなにも無い。リディアも食事は済んでいるからだろう、カプチーノだけが前に置かれていた。

「で、車に乗れそうですか?」 イレアナを間にはさんで老人に質問を投げると、向かいでテーブルに着いた老人はアレクサンドルはテーブルに突っ伏したままかぶりを振った。

「もうちょっとだけ休ませてくれ」

「わかりました。でも金輪際、その場でぐるぐる回るの禁止ですからね」 スティックをぐるぐる回すとその場で回転して最終的に嘔吐する某ネイキッド蛇を脳裏に思い描きつつ、決定事項を伝えておく。

「言われなくてももうやらんよ」 げんなりした口調でそう返事をしてくる雇い主に、

「そういうこと言う人は、たいがいまたやるんです」 ニコライさんもそうでした――酒癖の悪いワラキア公国軍古参兵がトゥルゴヴィシュテ奪還戦後の祝勝会で晒した醜態を思い出しつつにべも無くそう返してから、アルカードはちょうどそのタイミングで出来上がったサンドイッチとコーヒーの乗ったトレーを手に近づいてきた従業員に視線を向けた。

「ニコライさん?」 と聞き返してくるリディアに、

「俺の養父おやじの古い友達だよ――俺が小さいころの武術指南役でもあったが。兵卒の出身なんだが、若いころ養父が敵兵に刺されて死にかけたときに命を救ったとかで仲良くてな、俺も小さいころ可愛がってもらった」

 日本語で話していたからだろう、事情を知らない人間には目茶苦茶な内容のその会話に目をしばたたかせながら、女性従業員が一声かけてトレーをテーブルの上に置いた。

 トレーの上には半分ほど水の入ったペットボトルも載っており、二リットル入りのペットボトルの下半分が、補充された冷たい水で汗をかいている。

「これでよろしいですか?」

「ええ、けっこうです。ありがとう」 一礼して去っていく従業員を見送ってから、アルカードはとりあえずコーヒーに口をつけた。背と腹がくっつくほど空腹というわけでもないが、それで程よく焼かれたステーキ肉とヒレカツの香ばしい香り、薫り高いブラックコーヒーが食欲をそそる。

「……美味しそうですね」 という隣の席からのフィオレンティーナのコメントに、そちらに視線を向ける。

「腹が空いてるんだったら、君が食べてもいいぞ?」 そんな言葉を口にして、アルカードはお皿を隣のテーブルに着いているフィオレンティーナに向かって差し出した。

「それはアルカードが注文したものじゃないですか」

 フィオレンティーナのその返答に、アルカードはかぶりを振った――実際問題としてアルカードとしてはこのオーダーはただ単に席に着いた以上はなにか頼むべきだという店に滞在するための口実でしかないので、別に腹が減っていたから頼んだわけでもない。といってもアルカードの基礎代謝率は基底状態でも常人の数倍あるので、実はすでに空腹を感じ始めてもいるのだが。

「気にするな、食べなきゃ死ぬほど腹が減ってるわけじゃない」

「いえ、まだ固形物を食べるのきつそうですから、気持ちだけ戴いておきます」 という返事に肩をすくめて、アルカードは差し出したお皿を引っ込めた。

「じゃあ、まあ気が向いたらまた寄ろうか」

「はい」 アルカードの言葉にうなずいて、フィオレンティーナがお冷やの入ったコップを手に取る。その様子を横目に、アルカードはヒレ肉のカツとステーキ肉のサンドイッチを交互に並べる様にして盛りつけられたうちのひとつに手を伸ばした。

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