Long Day Long Night 14

 

   *

 

 地上十階建ての赤煉瓦の外装のマンションの屋上に降り立って、彼は背後を振り返った。チヨダ区フジミのクダン議員宿舎から、そう離れてはいない――主である吸血鬼アルカードの代理でここまで来たわけだが、さて、どうしたものか。

 せっかく久しぶりに本体から『分体』したわけだから、どこかそこらへんで適当に遊び歩いていきたい気もするが――

「――まあ、仕方が無いか」

 声に出してそうつぶやいて、彼は右手で保持したままの三爪刀トライエッジを見下ろした。

 あくまでも『影』である彼は、真祖ノスフェラトゥヴィルトール・ドラゴスが吸血鬼として持つ能力をすべて備えている反面、憤怒の火星Mars of Wrathや魔具の様な後天的に獲得した装備は備えていない――そのため、三爪刀トライエッジの様な装備品を腕の中に隠して行動する様な器用な真似は出来ない。否、魔具は今回の三爪刀トライエッジの様に借りてくればいいのだが。

 貸し与えられたのは三爪刀トライエッジの中ではかなり短い部類のもので、もっと長い三爪刀トライエッジに比べれば持ち歩きはしやすい。だが、それでも秘匿携行の出来ない実体のある装備を渡されたということは――

「……まっすぐ帰ってこい、ってことか」

 ぼやきを漏らして、彼は手にした三爪刀トライエッジを握り直した。柄の無い三爪刀トライエッジは振り抜いたり敵の体に突き刺したまま手放して次の攻撃動作アクションに移るのには楽なのだが、それをそのまま持ち歩くのはとにかく面倒臭い。

「どうせならサプレッサーつきの銃にすればいいものを――」 ぶつくさとぼやきながら、彼は嘆息した――まあその意見を口にしたところで、あの吸血鬼はそれこそ物証が残るからとにべも無く却下するだろうが。

 いずれにせよ、実体のあるものは彼の『影』には取り込めない――こうして実体を維持したまま、本体であるあの吸血鬼のところまで戻るしかない。せめて車を貸せ。

 人使い、否使い魔使いの荒い主の小憎らしい顔を脳裏に思い描き、彼は我が身の不幸を嘆いて深々と嘆息した――否、小憎らしいって彼もそっくり同じ顔なのだが。それはともかく、あの吸血鬼が彼に運転させたがらないのは彼が運転免許など持っていないし自分で運転した経験も無いからだという事実は、とりあえず棚上げにしておく。

 彼は手にした三爪刀トライエッジの柄の無い扱いにくい刃を懐から取り出した樹脂カイデックス製の鞘に戻して、そのまま再びジャケットの内懐に隠した。

 さて――寄り道などせずにさっさと帰ってこいというのがあの吸血鬼本体の意向ならば、そうするしかないだろう。どのみち盛り場を遊び歩こうにも、手持ちの現金が無い。

 胸中でだけそうつぶやいて、彼――吸血鬼アルカードの使い魔ドッペルゲンガーは、マンションの屋上から身を躍らせた。

 

   †

 

 そろそろドッペルゲンガーは、議員宿舎にいるサンホー会の組長の兄を始末した頃合いだろうか――まだ感触フィードバックが返ってきていないから、もう少しあとか? 胸中でつぶやいて、アルカードは車体を路肩に寄せて停車したタクシーの後部座席から降りた。

 腕時計に視線を落としてから、タクシーの運転手に財布から取り出しておいた高額紙幣を差し出す。

「釣りはいらない」 そう言ってから、アルカードはドアを閉めたタクシーが走り去るのを待って、道路を挟んだ反対側に視線を向けた。

 くだんの総合病院の建物はこの時間帯でも働いている人がいるからだろう、メインエントランスの電源は落ちているものの二階や三階の窓にはまだ電気が燈っている。

 幹線道路なこともあって、眼前の道路は信号同士の間隔がかなり広い――だからだろう、交差点と交差点のちょうど中間あたりにこちらと向こうの歩道をつなぐ連絡橋の様なものが設けられている。マリツィカはたしか、ホドーキョーとか呼んでいたが。

 近くにいちゃついている男女がいたので、幹線道路を自力で跳び越えるのはやめておく――彼は素直に連絡橋のほうに歩いていくと、ざらざらした質感の防滑塗料で滑り止めされた階段を昇った。

 階段の中央がスロープになっているのは、自転車を押して登るためだろう――勾配がきついので、老人や子供が利用するのはなかなか難儀しそうだが。そんなことを考えながら、反対側まで歩いて渡る。

 病院の敷地内に足を踏み入れたところで、アルカードは地下の駐車場に足を向けた――余計な目撃証拠を残さないために、車は置いていったのだ。人間の記憶は魔眼である程度ごまかせても、ロイヤルクラシックは防犯カメラの記録には干渉出来ない。どうせ彼の行動を止めることは警察には出来ないが、余計な確執を残すのを避けるに越したことはない。

 病院の駐車場自体は二十四時間利用可能で、今も何台かの車が止まっている――建前としては機械化された有料駐車場で、別に利用者を病院患者に限定していないからだ。

 もっとも、近隣には有料駐車場を必要とする様な施設は無いので、実質的にはこの病院限定だろう――近くにあるのは銀行と郵便局、警察署で、いずれも駐車場くらい備えているし、徒歩十分のところにあるくだんの大型商業施設はここよりもはるかに大規模な駐車場を備えている。

地下駐車場自体には病院の建物の外から人間が進入するための出入り口は無いので、アルカードは車両用のスロープを降って地下駐車場に進入した。アルカード自身は車に用は無いが、じきにここに戻ってくるドッペルゲンガーが、預けた三爪刀トライエッジをジープの中に戻せる様にしておいてやらねばならない。

 エレベーターのすぐそばに駐車したジープ・ラングラーに歩み寄ると、アルカードは左手を軽く握った――シチューに浮いた芋の様に掌にせり出してきたラングラーのキーを、歩調を緩めないままリアタイヤの裏側に放り込む――周りに人気は無いし、監視カメラの視界内に入ってはいるものの、こちら側は車体の陰になって死角になっている。一瞬の動きでキーを車体の下に投げ込み、念動力で掴み止めて所定の位置まで運ぶ――離すとキーホルダーがコンクリートの舗装面に落下するときの、チャリンという音が聞こえてきた。

 それでジープの窓硝子を軽く拳の甲で小突いて、エレベーターのほうへと足を向ける。エレベーターに向かって一歩踏み出したとき、後部座席でどさりと音がした――ドアの鉄板越しに高度視覚で内部を透視すると、後部座席の上に置きっぱなしにしていた紙袋が席の足元で横倒しになっている。

 四角柱状の化粧箱は、くだんの紗希が置いていったものだ――落ち着いて話をする暇は無かったので、きちんと手渡されるのではなく車内に置き去りにする形になってしまったが。

「おっと」 アルカードは声をあげて、アウターハンドルに手を伸ばした――同時にドアの内側のインナーロックノブを念動力で動かしてロックを解除、後部座席のドアを開け放つ。

 アルカードは手を伸ばして、フロアマットの上に横倒しになった酒瓶を起こした――化粧箱入りの瓶は別段ダメージを受けていない様だったので、シートの上に戻して寝かせておく。今でもコルク栓を使っている欧州の葡萄酒と違って、樹脂キャップや捩じ込み式の栓を使う日本酒は別に瓶の姿勢にこだわる必要は無い――日本酒は底に澱が溜まらないし。

 そんなことを考えつつ、アルカードは横倒しのままの日本酒の化粧箱をポンと叩いてから内側のロックノブを操作し、アウターハンドルを引き起こしたまま空いた手で押す様にしてドアを閉めた――どんな酒なのかは知らないが、後日の楽しみにしておこう。

 胸中でつぶやいて、一度アウターハンドルを引いて施錠されていることを確認してからエレベーターへと足を向ける――マリツィカは焼け出されて家が無いのと、入院している家族の付き添いという建前もあって母と姉、姪の入った病室の空きベッドを借りてそこに泊まっているはずだった。アルカード自身は、今のところ特に予定は立っていない――ほんの数年前まで横になって眠るという習慣自体が無かったので、別に車中で座って眠るのでも一向にかまわないが。

 だがとりあえず、その前に彼らの状態だけは確認しておきたい――別にアルカードにはなんのかかわりも無いことではあるが、あの状態のまま置いて立ち去るのも気が引ける。

 ……否、情が移ってるのか。

 そう考えてから、かすかに苦笑する――ここ八十年ほど、他人に感情移入することが多くなった気がする。

 セイル・エルウッドとはじめて剣を交えて数年後、彼に誘われて当時は創設黎明期だった聖堂騎士団で教室を持ってから、他人との深いかかわりが多くなった。

 おそらくそのせいだろう――それまではこんなふうに、他人に思い入れを持ったりすることなど無かったのに。

 それがいいことなのか悪いことなのか、アルカードには判断がつかなかったが――

 そんなことを考えながら、アルカードはエレベーターのボタンを押した。最後に誰かが地下に降りてからそのままになっていたのだろう、チャイムの音とともにエレベーターはすぐに開いた。

 奥の内壁に鏡を貼られたエレベーター内に足を踏み入れて、手摺りに腰かける様にして壁にもたれかかる。視線を向けた先のパネルで、階数ボタンがひとりでに押し込まれてエレベーターが動き出した。

 それで念動力を解いて、天井の照明に視線を向ける。白いカバーに覆われた蛍光燈は、照明を落とされること無く煌々と輝いていた――エレベーターのドアが開くときに室内が急に明るくなったので、もしかしたら停止時間が長くなると自動で照明を落とすのかもしれないが。

 まあ、エレベーターの中に引きこもってそれを確認する気も起きなかったので、アルカードはエレベーターが停止するとすぐに外に出た。

 一階の照明は既にほとんど落ちていて、右手の救急医療の受付のあたりだけ照明が通常通りに燈っている――最初に来たときと同じだ。アルカードは救急医療受付に歩いていくと、ちょうど受付についていた見覚えのある若い看護師の女性に声をかけた。

「失礼――昼間全身火傷で搬送された、老人の病室はどこですか?」

 現在時刻は二十二時四十五分。面会要求の時間としてはおかしいからだろう、眉をひそめた看護師に、

「彼の家に世話になってる親族です――今、全員こっちに来てるはずでしてな」 手術が終わる前に病院を出たので、アルカードは誰がどこにいるのか正確なところは知らない――それを説明する気は無かったが、アルカードが本条兵衛と一緒に病院を訪れ、自分に老人の家族の居場所を尋ねた男なのを思い出したのだろう、女性はうなずいて、

「ご主人様は七番集中治療室です。ご家族は七階外科入院病棟の十三号室です」

「ありがとう」 片手を挙げて、エレベーターにとって返す。再びエレベーターに乗り込み、アルカードは七階のボタンを押した。

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