Long Day Long Night 12

 

   *

 

 駐車場前の道路を歩道に沿って百メートルほど進んだところで足を止め、テンプラが振り返る――テンプラはくるんと巻いた真っ白な尻尾を振りながら、こちらを見上げてキャンと鳴き声をあげた。ウドンとソバはガードレールの外側に転がった拳大の石ころに興味を惹かれているのか、しきりに匂いを嗅いでいる。

 その様子から視線をはずして海のほうに視線を転じると、ガードレールの向こう側に広がる水平線上をどこの船かまではわからないものの四本マストの大型帆船が航走しているのが視界に入ってきた。

 四本マストだが艤装が違うので、日本丸や海王丸ではない――フォアマスト以外の帆がすべて縦帆スパンカーの縦帆船だ。

 さて、どこの船だろうか――大阪市の『あこがれ』は同じ艤装だが、マストの本数が違う。舷側サイドに張った補助帆が邪魔になって、船名が見えない。

 そんなことを考えながら、アルカードはブーツの甲に前肢を置いて抱っこをせがんでいるソバの体を抱き上げた。首元に頭をこすりつけるソバの背中をさすってやってから、携帯電話が鳴り出したので小さな体を地面に降ろす。それが不満なのか暴れるソバの頭をぽんぽんと叩いて宥めながら、アルカードは片手で携帯電話を取り出した。

 着信はリディアからのものだった――通話ボタンを押して電話機を耳に当てると、

「もしもし」

「あ、リディアです――今どこですか?」

「駐車場の近くだよ。犬を散歩させてる。そっちは?」

「港の待合所内の喫茶店です。三人がまだ落ち着いてないから」

「そうか――まあゆっくりさせててくれ。散歩が済んだら俺もそっちに行く」

「はい」 リディアがそう返事をするのを確認して、

「じゃあ、あとでな」

「ええ」 そう返事をして、リディアが通話を打ち切った。アルカードもそれで携帯電話をポーチに戻し、降ろされたのを不満がってジーンズの裾に噛みついているソバの体を再び抱き上げる。

「おまえ、それはやめろって言ったろう」 かまってほしいからって噛みつくのはやめなさい――叱責の言葉を口にして、ソバの頭を軽く叩く。

 ソバの体をいったん地面に降ろし、アルカードは方向転換して駐車場のほうへと歩き出したテンプラとウドンを追って歩き出した。

 まだ足りないのかソバが足首に前肢にしがみついているので、どうにも歩きにくい――アルカードは溜め息をつくと、ソバの体をみたび抱き上げてそのまま歩き出した。

 

   *

 

 山田勝治の弟である勝利は、地元である東京都西部を拠点にする指定暴力団山峯さんほう会の会長だ――政治家の弟が極道の親分という両極端な関係ではあるが、実際のところは先代の会長である父の意向で、政界への進出を果たしている。

 残念ながら政権与党からは転落してしまったが、山田は左翼政党から出馬し、比例代表で見事衆議院議員として当選を果たした――彼と同じ様に極道を身内に持つ議員は所属政党に何人かおり、昨年の時点で離党して別政党の結成に参加してしまったが、福岡県北九州市に本拠を置く特定危険指定暴力団の最高幹部を義兄に持つ議員もいる。

 その男とは気が合ったので少々残念ではあるが――まあ別にかまわない。要は右派政党に対して対抗しうる勢力になってくれさえすれば、彼らとしては文句は無かった。

 それに彼らの政党は、阪神淡路大震災での総理大臣の大失態によっておおいに株を下げてしまった――政治家として国民を守るという気概は持っていないし、そんなものは政党単位で持ち合わせていないので、山田としては死者が増えたこと自体は別段に気にしていない。

 気にしていないが、票田が逃げてしまったのが問題だった。今までは盲目的に票を投じていた民衆も、今後は投票を渋るだろう。必要になったときに別の政党へ乗り換えるなら、気の合う仲間がいるところのほうがやりやすいし紹介もしてもらえるだろう。

 重要なのはそうなる前に、今の状況と立場を可能な限り利用しておくことだ。

 折角同様の境遇の議員から誘われて議員になり、国家公安委員長という絶好の役職に就いたのだ。山田は自分の仲間、つまり極道や反社会勢力の活動を容易にし、可能な限り彼らに便宜を取り計らうことを優先して警察の活動を制限してきた。実際山峯会は、地元においてほぼ警察の干渉を受けていない。

 さらに、彼自身はすでに国家公安委員長の職を失ったものの、自分の息のかかった者を警察庁に大勢潜り込ませることにも成功した。結果として、現在警察の暴力団に対する抵抗力は極端に低下している――実に喜ばしい。

 ほかの仲間の中にはどちらかというと某国から大量に流入した特別永住権を持つ外国人に対して参政権を附与したり、便宜を図ることのほうに腐心する者もいる――山田自身はそちらの方面には興味は無いが、協力は積極的にすることにしていた。

 山田の目的は警察を骨抜きにして極道の活動をやりやすくすること、もしもっと長期間政権を維持出来ていたら警察庁の中に極道を紛れ込ませることも試みていただろうが、それをするのも政党の意向にはかなっている――社会が混乱していたほうが近隣の三ヶ国やロシアといった諸外国は日本を攻撃しやすいし、山田としても組員の中には特定永住権持ちが多いので、両国間の議員連盟などのパイプは太いに越したことは無い。

 だが――

『こちらは、NTTドコモです。お掛けになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、おつなぎすることが――』

「――くそが!」 低い声で毒づいて、山田は手にした電話の受話器を壁に向かって投げつけた。

 衆議院議員宿舎の上等の内装を傷つけて、跳ね返った携帯電話が床の上に転がる。それに一瞥も呉れず、山田はいらいらと脚を組んだ。もう数時間ほど、地元で山峯会を治めている弟から連絡が無い。

 少し前、山峯会は潰れた銀行から債権を買い取った。もともとが山峯会とつながりのある銀行で、潰れたというよりもただ単に維持するのに問題が出てきたから潰したといった方が正しい。

 ここしばらく、山峯会は債務者を脅して借金を返済させることに奔走している――買い取った債権を利用して債務者から金を巻き上げるのは、効率としてはなかなか悪くない。議員に立候補する前は、山田自身も債務者を痛めつけるのに時々参加していた――無論死んでもらっても困るが、逆に言えば死ななければ問題無い。若い娘などがいる家などは最高だ。

 今は山峯会はルーマニア人夫婦を脅すことに注力している――もともと返済直前だったのでたいした債務も無いが、別に極道が債務を水増しするのは珍しくもない、というか当然の権利だと山田は思っている。

 別に回収出来なくても、彼らが受けた仕打ちにおびえたほかの債務者の払いがよくなればそれでいいのだ――どんなに頑固な人間でも、自分が攻撃されることには強くても自分の身内に危害を加えられて平気な人間はそうはいない。特に、性的被害となると。

 昔は山田もよく参加していた――同級生の両親に脅しをかけて、その娘を散々撫で回したときは実にいい気分だった。目の前で凌辱される娘を泣きながら見つめていた親の表情は、実にぞくぞくしたものだ。

「そういえば、今脅してる夫婦にも娘がいるとか言ってたな――」 組の連中に命じて捕らえさせようか。家に火を放つつもりだと言っていたから、もう焼け死んでいるかもしれないが。アジア系と違って、さぞかしいい姿態だろう。

 そんなことを考えて目を細め、山田は当面の問題に思考を戻した。

 山田兄弟は、毎日必ず連絡を取り合っている――それが成果報告の様なたいそうな内容でなくても、本日は晴天なりといったつまらない一文でも、必ずだ。それが今日に限って電話が無く、こちらからかけてもつながらない。

「なにかあったか?」

「――定時報告ネガディヴリポートを確実に実施すること。実に規律正しいな――汚らわしいごろつき稼業なんぞよりも、まともに起業したほうが成功しそうだが」 突然背後から聞こえてきた声に、背筋が粟立つ――振り返ろうとするより早く、首筋になにか冷たいものが触れた。

「――動くな」 正面の窓硝子に映り込んだ背後の光景に、さきほどまでは存在しなかった異物が入り込んでいる――自分よりも少し背の高い、外国人の男だった。

 馬鹿な――いつの間に、どうやって入ってきた!? 否、それよりも――

 警備会社が監視し、正規のカードキーが無ければ入れないこの部屋に、侵入者があることも問題だった。問題だったが――

 ――なぜこの男がここにいる!?

 獣の鬣を思わせる暗い色合いの金髪に、血の様な紅い紅い瞳。まず双眸に苛烈な殺意を湛えて山田を見下ろしていた。

 見覚えがある――前政権時代、国家公安委員長の職に就いたときに、前任者から引き継ぐ形で紹介された男。その男に触れず、最大限の便宜を図る様にと――

 ローマ教皇庁総本山、ヴァチカン市国が擁する吸血鬼。世界各国をめぐって吸血鬼を狩って回る、地上最強の呼び声高い殺戮者。

 教師ヴィルトール・ドラゴス。その男が今、背後に立っていた。

 なにか冷たいものが触れたと感じたのは、男が手にしたまるで鈎爪の様に湾曲したぎざぎざの刃物だった。全体のラインは鎌の刃の様に湾曲しているのだが、その輪郭がまるで鋸の様にぎざぎざになっているのだ。

 包丁の様な取っ手は無いらしく、代わりに刃自体を人差し指と中指の間に挟み込む様にして握り込んで保持している。

「聞き覚えのある名前だと思ってたが、貴様だったとはな」 皮肉げに唇をゆがめて、ドラゴスはそんな言葉を口にした。

「お――」

「おっと、声は立てるなよ」 言葉を発しようとしたところで機先を制され、山田は言われるままに沈黙した。

 どうして、おまえが――そんな疑問を感じ取ったのか、ドラゴスが目を細める。

「どうしてここに来て、おまえに刃物を突きつけてるのかわからない――そんな顔だな。まあわかってもわからなくてもどうでもいいが」 そう言ってから、ドラゴスはちょっと言葉を切って続けてきた。

「おまえの弟は死んだよ――サンホーカイだったか、あの屋敷も、クミの事務所オフィスも焼き払ってきた。構成員どもも全員殺してきたよ――自宅をひとつひとつ虱潰しにするのが、実に面倒だったがね」

「なんで――」

「声を出すなと言ったはずだが――日本語がおかしかったか?」 ドラゴスが手にした鈎爪状の刃物を少しだけ引き、肌が浅く裂けて鋭い痛みが走る。

「答えがほしいか? おまえの弟どもが焼き払ってくれた家の連中にしばらく世話になっててな――放置してたら俺がいなくなったあとでまた同じことをするかもしれないから、禍根を始末しに来たのさ」

「ちょっと待て、それでなんで俺を――」

「おまえが地元の警察に圧力をかけてあの虫けらどもをのさばらせてるという話は、警察署長から聞いた――厄介事を繰り返さないコツは、その原因になってる連中を完全殲滅して禍根を根こそぎ断つことだ。だろう?」

 そう言ったところで、金髪の吸血鬼がすっと目を細めた。

 さぁ、警告を無視してしゃべった罰だ――そう続けると同時、首筋に浅く喰い込んだ刃の感触が変わる。

 ――

 声をあげる暇も無かった。次の瞬間首筋に押し当てた状態から予備動作無しで振り抜かれた鈎爪状の刃物が、信じられない切れ味で山田の首を刎ね飛ばした。視界がくるくると回り、窓硝子に映り込んだ首から上が無くなった彼の体に残った鏡の様に滑らかな切断面から、一瞬遅れて血が噴き出す。

 ドン、という音とともに衝撃が走り、視点の位置がずいぶんと低くなった。

 切断された頭が床の上に落ちたのだということを理解するころには、頭部に残った血液中の酸素が底を尽きかけているのか視界が暗くなり始めている。顔が部屋の入口のほうを向いているために、土足のままそちらに歩いていくドラゴスの足が視界に入ってきた。

 ドアを開けて出ていった先で水を使っているのか、ジャージャーという音が聞こえてきている。十数秒ほどでドラゴスは再び姿を見せ、床の上に転がった山田を見下ろした。右手で保持した鈎爪状の刃物は水道で水洗いをしてきたのか返り血が洗い落とされ、表面に附着した水滴が廊下の照明の光を乱反射させてきらきらと輝いている。

「じゃあまあ、そういうことで――さようならだ」 そう告げて、ドラゴスは部屋の窓に歩み寄ったのか再び視界から姿を消し――それに遅れること数秒で山田の意識も途切れた。

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