Long Day Long Night 11

 

   *

 

 ポンというチャイムの音とともにエレベーターの扉が開き、駐車車輌の大部分が無くなった駐車場の光景が視界に入ってくる。

 大部分の車がすでに下船したために、ところどころで天井を支持する支柱以外には視線を遮るものはほとんど無い――先程は車の間を縫っていかなければならなかったレンタカーのコミューターも、今は直接その姿を確認出来る。

 アルカードはエレベーターを降りると、閑散とした駐車場をコミューターに向かって足早に歩いていった。

 ほかの者たちは誰もついてきていない――アレクサンドルとフィオレンティーナ、パオラの船酔い三人組を連れ出すために人手が必要だったからだ。すでに停泊してから十数分が経過しているが、その程度の時間で三人が回復するかわからない――どのみち運転自体はアルカードしか出来ないし、無理矢理車に乗せても回復しないだろう。それならば歩きで船から降りさせて、どこか空調の効いた場所でしばらく休憩させたほうがいいということで、徒歩でフェリーターミナルに移動させて休憩させる様にと指示したのだ。

 どうせ船から降りてしまいさえすれば、多少もたついたところでかまいはしない――もうすでに目的地には到着しているのだ。時間があれば遊べばいいし、時間が無くなっても投宿する予定の温泉宿に到着しさえすればそれでいい。

 そんな段取りだったので、アルカードとしてはトラブルによる多少の予定の遅れはさほど気にしていなかった――それに数時間車内に閉じ込めていたのだから、犬たちも外で少し遊ばせてやらなければならない。アルカードとしても余分な小休止は大歓迎だ。

 柱の向こう側に止めてあったコミューターのドアロックを解除し、スライドドアを開け放つ――スライドドアを開けると、車内がにわかに騒がしくなった。

 ケージの中でうずくまっていたソバがこちらに気づいてパッと起き上がり、ウドンとテンプラがきゅうきゅうと鳴き始める。アルカードは手を伸ばしてケージの扉を開けると、寄ってきた犬たちの頭を軽く撫でてから飲み水の器を手にとってケージの扉を閉めた。それほど離れていない駐車場内の排水溝から器の中身を棄て、軽く振って水気を切ってからコミューターのところに戻る。

「すまんな、外に出たら一度散歩しよう」 運転席から肩越しにケージの中の犬たちに声をかけ、エンジンを始動させる――走行距離がさほど伸びていない、程度のいい三リッターのターボディーゼルエンジンが息を吹き返すのを確認して、アルカードは十五秒ほど胸中でカウントしてからシフトレバーをDレンジに入れた。この季節なら予熱グローも暖機も必要無い――エンジンオイルは十分に軟らかく、すぐにエンジン全体に循環する。油圧が上昇するまでの十数秒待てば十分だ。

 すでにみんな降りてしまったためにもうほかの車はほとんど止まっていないので、誘導表示は無視して車輌搬入口へとコミューターを進める。搬入口近くにいた誘導員がこちらに気づいて、そのまま進めと合図するのが見えた。

 接岸したフェリーの車輌搬入口と埠頭の桟橋の間に架けられたスロープを通って桟橋へと降り、そのまま駐車場に車を進める――駐車場は今しがた船から降りてきた車でごった返していたが、アルカードはなんとか一台ぶんの空きスペースを見つけてそこに車を止めた。

 フィオレンティーナとパオラ、アレクサンドルの具合のことも気になるが、まあ死にはしないだろう――向こうには人が大勢行っているので、とりあえず彼女たち三人のことは放っておいていい。

 エンジンを停止させて運転席のドアを開けると、外の熱気がむわっと流れ込んできた――顔を顰めつつドアを開け放って運転席から降り、その場でかがみこんで日向になっている場所のアスファルトに両手で触れる。幸いなことに、路面温度はさほど高くない――これなら犬たちを地面に降ろしても、足裏を火傷したりはしないだろう。アルカードはそう判断して運転席のドアを閉めて反対側に廻り、後部座席のスライドドアを開けた。

「そら、外に出よう――長かったな、退屈だったろう」

 外に出たがって鳴く犬たちのケージを開け、飛び出してきたソバを宥めて地面に降ろしてやる。コミューターのすぐ後ろの少し勾配のついた排水溝のところでしゃがみこむソバを見遣って、アルカードは頭を掻いた――まあ、船内にトイレの設備が整っているフェリーの船内と違って、彼女たちは排泄に不自由していたことだろう。

 排水口はすぐ近くにあるので、そこまで水で流せばいい。ソバに倣ってしゃがみこんでいるウドンとテンプラを見遣って、そんなことを考える――飲み水用のペットボトルにまだ一リットルほど水が残っているから、それを使おう。新しい水は、待合ターミナルで補充させてもらえばいい。

 ポーチの中からメールの着信音を聞こえてきたので、アルカードは携帯電話を取り出した。ふたつ折りの携帯電話を開くと、蘭のアドレスからの着信なのがわかった――足元の犬たちの尿を洗い流すためにペットボトルのキャップを片手で開けながら、手探りで暗証番号を入力する。

 かがみこんでペットボトルの水をあるだけ全部撒いてから、アルカードは片手間にキャップを閉めながら携帯電話のディスプレイに視線を落とした。

『おりたよー』 簡単に平仮名で表記された内容を確認して、簡単に返事を打つ。

『はいはーい。落ち着くまでゆっくりさせたげて』 メールを送信してから、アルカードは携帯電話を折りたたんでポーチに戻した。足元に寄ってきてじゃれついてきた犬たちの頭を撫でてやりながら、スライドドアのステップに腰かける。

 もう何時間もケージの中で我慢させていたのだ。目的の温泉旅館まではあと三十分そこそこだが、再び車の中に入れる前にしばらく外で遊ばせてやるのも悪くないだろう。胸中でつぶやいて、アルカードは手を伸ばして足元に寄ってきたテンプラを抱き上げた。

 

   *

 

 いったいなにが起きているのか、五分ほど前からまったく音が聞こえない――山田の部屋で周りについている護衛の組員数人の話し声も、テレビのバラエティ番組で馬鹿話をしている芸能人たちの会話も。

 時折屋敷の床から振動が伝わってきて、誰かが屋敷の中でかなり派手な立ち回りを演じていることだけはわかった。

 突然右手の襖が開いて――突然だと思ったのは開けた組員の声も足音も聞こえなかったからだが――、相沢が顔を出す。相沢は瓜実顔を恐怖に引き攣らせながら、こちらに向かって何事かまくしたててきた――おそらく現在の状況の報告と、場合によってはこちらに脱出でも促してきたのかもしれない。聞き取れないのでまったくわからない。

 次の瞬間相沢の両膝が銃弾によって撃ち抜かれ、悲鳴をあげているのか相沢が大口を開ける――より早く襖の陰からにゅっと伸びた手が髪の毛を掴んで、崩れ落ちかけた相沢の体を力任せに引きずり起こした。

 こちらも襖の陰から伸びたもう一方の手が、保持した黒星トカレフの銃口を相沢の右脇腹に押しつけ――次の瞬間スライドが後退して空薬莢を吐き出し、左右の肺を撃ち抜かれた相沢の体が雷撃に撃たれたかの様にびくりと痙攣する。

 口の端から血の泡を噴き、白目を向いて痙攣している相沢の体を板張りの廊下にゴミの様に投げ棄てて、襖の陰から外国人の男が姿を見せた――左手にはいまだ硝煙を上げる黒星ヘイシンを、右手には組員の誰かから奪い取ったものらしい白鞘の日本刀を持っている。

 獅子の鬣を思わせる暗い色合いの金髪をうなじのあたりで束ね、羽織ったレザージャケットとジーンズ、ポリエステル繊維のスポーツ用Tシャツが返り血で真っ赤に染まっている。整っていると言っていい容貌には女性を酔わせる様な甘さは微塵も無く、血の様に紅い双眸には底冷えのする様な殺意が感じられた。

 男がこちらに視線を据えて、すっと目を細め――なにやら唇が動く。

 次の瞬間、周りに音が戻ってきた――テレビでは乳以外に見るところの無いドレス姿の女優が与太話を垂れ流し、襖の向こうから悲鳴やうめき声が十数人ぶん聞こえてきている。

「おまえがクミチョーか?」

「な、なんじゃ、おまえは」 警護についていた組員のひとりが、困惑の混じった誰何の言葉を口にする。男はすっと目を細めて、

「貴様らが火を放った家の住民に世話になった者さ」

 日本語を話し慣れてはいないのか、語彙にはまったく問題無いもののたどたどしい口調で、男はそう返事をした。

「なんだと?」

「じゃあ、おんどれが野田と菅をやったんかい――おどれをバラす言うて出かけた若頭カシラが帰ってこんが、おどれがなんぞしくさったんか」 と言っているのは、横にいる長妻の前に若頭を務めていた首藤のことだ――硲のあたりにあるルーマニア人の夫婦の家に脅しをかけに行った連中が包帯だらけの若造に返り討ちにされて、岡田が叩きのめされた野田と菅を引きずる様にして這う這うの体で帰ってきた。首藤はその日の夕方に落とし前をつけさせると言って若い連中を数人連れて出ていったあと、帰ってきていない。

「カシラ? ああ、あのパンチパーマか」 心当たりがあるのか、男の口元に浮かんだ凄絶な笑みがちょっとだけ深くなる。

「殺したよ」

「……あ?」

「殲滅した。ただのひとりも残さずに」 まるで食器を片づけたことを報告する様に、男は平然と訃報を告げた。

「ちなみに今夜の用件は、おまえたちに後を追わせることだ」 そう告げて、金髪の男が手にした黒星ヘイシンを足元に投げ棄てた。スライドは後退したままロックしており、薬室に弾薬が残っていないことを示している。

 要するに弾薬が無いから棄てたのだろう――男は手にした白鞘の日本刀を肩に担ぎ、峰で肩を叩きながら、

「そういうわけだからクミチョー、貴様らも死んでおけ」

「なに言ってやがる?」

「俺は彼らの用心棒の様なものでな――ま、片手間だったから、ほかの用事にかまけてる間に貴様らの放火を許してしまったが。こうして明確に攻撃された以上、反撃を躊躇する理由も無いんでな――死なずに済んだら幸運だと思え」

 男の口にした返答の言葉に、かたわらにいた長妻を含む組員たちが一斉に手にした黒星ヘイシンの銃口を男に向ける。

「わけわかんねえことを――ほざいてんじゃねえッ!」

 ザーハ・ラヴィーヤ――

 目を細めて男がそんな言葉を口にすると同時に、再び周囲から一切の音が消滅した。ほぼ同じタイミングで、組員たちの手にしたトカレフ自動拳銃が一斉に火を噴く。

 ある意味素晴らしいタイミングであったと言えるかもしれない――おかげで間近で発生した銃声で耳をやられずに済んだ。

 そして長妻たちが銃の引き鉄を引くのとほぼ同時に、男が手にした日本刀を一閃させる――無論部屋の中央付近から入り口まで、六メートルも距離が離れていては、そんな動きはなんの意味も無い。無いはずだったが――

 すぐ横にいた長妻が体勢を崩し、山田に向かって倒れ込んできた――咄嗟に受け止めた長妻の胸元が、血に染まっている。

 否、長妻だけではない――部屋の中にいた人間のうち銃を持っていたのは、山田と吾妻を除く計六人。その六人全員が、胸もしくは腹から血を流しながら畳の上に崩れ落ちて、悲鳴をあげることも出来ないまま悶絶している。

 まさか、先ほどの日本刀の強振はなんの意味も無い動作ではなく、銃弾を弾き返したとでもいうのか。

 男はその場にかがみこんで、足元に転がってきた黒星ヘイシンを拾い上げた――若頭補佐のひとり、三宅の持っていたものだ。

 男が残弾を確認することもせずに、無造作に据銃した黒星トカレフの引き鉄を引く。

 その銃撃で両膝を撃ち抜かれ、倒れ込むよりも早く左右の肺にさらに銃弾を撃ち込まれて、吾妻がゆっくりと畳の上に崩れ落ちた。男が残る銃弾も使ってしまえとばかりに、今度は山田に向けて発砲する。

 相変わらず銃声は聞こえないまま――膝蓋骨が砕ける衝撃とともに神経を焼く激痛に悶絶しながら、山田も膝を撃ち抜かれて畳の上に崩れ落ちた。

「さて――」 そこで再び周囲に音が戻ってくる。男は全弾を撃ち尽くしてスライドが後退したままロックした自動拳銃を足元に放り棄てると、

「もうしばらく痛めつけてやりたいところだが――面倒だからもういいか」

「ふざけるな――てめえ、こんな真似してただで済むと」

「あいにく、俺を相手にただで済ませられなかった奴は今のところひとりもいないな」 山田の恨み言にそう返事をして、

「むしろただで済ませないために、俺はこうして出向いてきたんだがね」

「ざけんな――俺を誰だと」

「知らんよ」 口に向かって爪先を突き込む様にして撃ち込まれてきた蹴りをまともに喰らって、山田は前歯が数本折れる衝撃にうめき声をあげた。

「女子供を痛めつけて喜んでる様な手合いは嫌いでな――おまえが誰だろうがどうでもいい、虫けらの名前なんぞいちいち覚えても役には立つまい? こうして対峙した以上は、どちらかが死ぬまで戦い続けるだけだからな」 男はそう言ってから、手にした日本刀を逆手に持ち替えて、床の上で這いつくばっていた山田の脚に突き立てた――鋭く砥がれた鋒が横倒しに倒れ込んだ山田の左右の太腿を焼き鳥の肉みたいに貫いて、そのまま畳を貫通してその下の板張りの床に突き刺さる。

 もはや声も出せずに悶絶している山田を見下ろして、男は続けてきた。

「ああそれと、おまえらが彼らにやった様に、外で死にかけてる連中を含めて全員家の中に運び込んだら、この家は燃やすつもりでいる――死なずに済んだら幸運だと思えとさっき言ったが、まあ頑張って幸運を掴んでくれ」 男はそう言うと、適当に手を振ってから踵を返した。

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