Long Day Long Night 10

 

   *

 

「御乗船の皆様、このたびは本船をご利用いただきありがとうございます。本船は間も無く目的地に到着いたします――」 天井のスピーカーから船内アナウンスが流れ出し、アルカードはUFOキャッチャーを操作する手を止めた。

「着いたみたいだね」

「そうだね」 凛の言葉に返事をして、とりあえず操作を再開する――第一ボタンを押している最中だったので、第二ボタンの操作がまだ残っている。凛の希望のぬいぐるみを取るには、ちょっと第一ボタンの移動が足りないかもしれないが――

 第二ボタンのリリースは正確だったが、やはり第一ボタンの移動が足りなかった。クレーンは凛のほしがった擬人化されたニンジンのぬいぐるみの鼻先を爪でかすめてから、なにも掴まずに再び引き戻された。

 ああ、と残念そうな声を出す凛にちらりと視線を向けて、再び硬貨を機械に入れる――凛はすでにゴボウとダイコン、ジャガイモのぬいぐるみを抱いている。どうも根菜派らしい――そろそろ九年に近くなるつきあいだが、こういった嗜好があるとは知らなかった。単に擬人化されたぬいぐるみが気に入っただけかもしれないが。

 いずれにせよ、アルカードとしては別に焦って船から降りる必要も感じていなかったので、彼は特に気にせずに再び第一ボタンを押し込んだ。

 今度は自分の意図通りの場所で第一ボタンを離し、第二ボタンを操作する――こちらも完璧なタイミングでボタンを離すと、クレーンはぬいぐるみの山の中から顔を出したニンジンの葉っぱの根元を掴む様にして持ち上げた。

 歓声をあげる凛の目の前で、ぬいぐるみが排出口に落とされて景品取出し口へと落ちてくる――景品を手に取った凛が、喜色満面といった面持ちでこちらを見上げ、

「ありがとう」

「どういたしまして」

「まだ出る準備、しなくていいんですか?」 その光景を横でぼんやりと眺めていたリディアの発した質問に、アルカードはそちらに視線を向けた。

「ゆっくりやってていいと思う――どうせ病人のこととかもあるし、停泊時間は結構長いんだよ」

 アルカードはそう答えてから腕時計に視線を落とし、

「でもまあ、お嬢さんたちの様子は一応見に行こうか――まあ、死んでやしないだろ」 割と投げ遣りな口調でそう言ってから、アルカードはちょうど周囲に集まってきていた同僚たちに視線を向けた。

 そろそろ時間だからということか、それまで思い思いに散っていた同僚たちはみなゲームコーナーの一角に集まってきている。

 ジョーディ・シャープはちょっと離れたところでアーケード仕様の『メルティブラッド アクト・カデンツァ』――フィオレンティーナとはじめて会った日に、ライル・エルウッドが入院していた病院で、彼の退屈しのぎにつきあってプレイステーション2版で対戦したのと同じタイトルだ――で対戦中だが、どうも相手との間でかなり力量の差があるのかけちょんけちょんにやられているらしい。アン・スカラーがそれを見ながら笑っている――フリドリッヒ・イシュトヴァーンはちょっと離れたところのコーラの自販機で、アクエリアスを買って飲んでいた。

 蘭とエレオノーラ・プロニコフは姿が見えない。でもふたりの気配は感じるし、ベンチに座ったイレアナがコーナーの一方に視線を向けながらにこにこしているので、見えない場所でなにかしているのだろう。

 アナウンスが流れたあたりからゲームコーナーからは徐々に人が出ていっており――甲板に出て外でも眺めるか、もしくは降船準備のために車に戻っているのだろう。どうせしばらくは我先に船から降りようとする車で駐車スペースは混雑するだろうから、のんびり時間を潰せばいい。

「ねえ、アルカード。おじいちゃんたちはどうするの?」

 もらったぬいぐるみを抱いた凛の質問に、アルカードはそちらに視線を向けた。

「船が完全に接岸するまでの間は、放っておこう――どっちみち船から降りられる様になるまでは、無理にベッドから連れ出しても仕方無いからね」

「そうだね」 凛が同意して、抱きかかえたぬいぐるみを従業員がくれたポリ袋に入れる。

「じゃあ待ってる間に、これ取ってほしい」

 凛がアクリル製のケース越しに指差したレンコンとワサビ、ショウガのぬいぐるみを見遣って、アルカードはうなずいた。どちらも掴みやすそうな部分が上に突き出している。操作をしくじらなければ、ひとつにつき一回の操作で手に入れられるだろう。

 胸中でつぶやいて、アルカードは硬貨を機械に入れた。

 

   *

 

 なにが起こっているのか、わからない――目の前に立っている男が安藤を庭の飾り物の岩で殴り倒したときも、白井に石燈籠を投げつけたときも、地面の上に突き倒した大谷の両脚をひとかかえもある岩を叩きつけて完全に押し潰したときでさえ、まるで音は聞こえなかった。それどころか今こうして、枯山水の砂の上に引き倒した土肥の腕を奪い取った日本刀で骨に沿って刺し貫いたときも、土肥の口からほとばしる悲鳴はまったく聞き取れなかった。

 目の前で起こっている光景が、現実なのは間違い無い――金髪の外国人の男は斬りかかった土肥の体を両手を封じて枯山水の石の上に後頭部から落とし、土肥の体が横にずり落ちたのを好機とその岩を梃子に使って一瞬の躊躇も無く左腕をへし折ってから、今度は捩じ上げた右手の掌に鋒を押しつける様にして奪い取った日本刀を突き立て、下膊の骨に沿う様にして刀身を右肘まで貫通させたのだ。

 蹴り砕かれた両膝の激痛と、そしてそれを上回る恐怖に立ち上がることも出来ないまま、李山はまったく音が聞こえないためにどこか現実感の無いその光景を茫然と眺めていた。

 男が冷酷に唇をゆがめて笑いながら、その場でゆっくりと立ち上がる――足元で悶絶している土肥を見下ろして、まるで芯棒の様に腕を貫通させた日本刀を無造作に引き抜いた。

 苦痛のあまり砂の上でのたうちまわりながら泣き叫ぶ土肥の顔をサッカーボールの様に蹴飛ばしてから、金髪の男が視線を転じる――背後から忍び寄っていた初鹿が振り下ろした日本刀の一撃を視線を向けるまでもなくすでに看破していたのか、男はわずかに体を開いてその斬撃を躱し、さらに手にした日本刀で初鹿の腹を刺し貫いた。

 口蓋から血を吐き散らしながら、全身を弛緩させた初鹿がその場に崩れ落ちる。

 日本刀の柄を手放した金髪の男が足元に倒れ込んだ初鹿を見下ろして、背筋の寒くなる様な笑みを浮かべた。

 笑っていた男が、まるで跳ねる様な動きで横に跳躍する――蹴り足に跳ね散らかされた細かな白い砂が虚空に飛び散り、同時に男がそれまで立っていた空間を斜めに貫いた銃弾が枯山水の石に命中して火花を撒き散らした。

 完全な死角からの銃撃の失敗を悟って表情をゆがめ、小池が小さくうめいた――のだろう、表情からすると。縁側に陣取って、中国から密輸入した自動拳銃を両手で構えている。

 先の銃声も含めて、いったいどんな異状が起こっているのかまったく音が聞こえない。当然彼らが仲間に侵入者の存在を知らせようとする声も届かず、結果対応が遅れていた。

 金髪の男がこの屋敷に侵入してきたのは、数分前のことだ。たまたま玄関前に出て仲間数人と話をしていたときに突如として一切の音が聞こえなくなり、二分ほどしたところで門を開けて荒井と赤松のふたりの体を引きずった男が姿を現したのである。

 どうせ声は聞こえないから関係無いということなのか、男は一言も発しないまま、信じ難い膂力で荒井の体をこちらに向かって投げつけてきた。

 すでにこっぴどく痛めつけられていた荒井の体は咄嗟に躱すまでもなく狙いはつけていなかったのか手近にあった石燈籠に激突し、石燈籠を薙ぎ倒すと同時に背骨が折れたのか、今は腰のあたりから変なふうに折れ曲がって痙攣している。

 もう一方の手で引きずっていた赤松のほうはというと、こちらはかなり高めの軌道で投げつけられた結果屋根のへりに激突し、飛び石の上に頭から落ちて、そのときに首の骨が折れたのか頭が異様な方向を向いたままこちらも動かなくなっていた。

 そして枯山水の砂場の上で転身した男が、軽やかな動きで地面を蹴る――いったいどれほどの握力があればそんなことが出来るのか、男は地面に埋められた枯山水の石を片手で掴んで引き抜き、それを振りかぶったまま小池に殺到した。

 逃げ出そうと背中を向けたところを数十キロはありそうな石で殴り倒され、小池が障子を突き破って屋敷の中へと倒れ込む。おそらくその背中に向かって放り出したのだろう、男は縁側に土足で上がり込み、まるで風船の様に軽々と保持した石を部屋の中へと放り棄てた。

 気楽な仕草で足元に転がっていた自動拳銃を拾い上げ、安全装置もなにも無い武骨というよりただ単に雑な作りの自動拳銃を検分して、男が失笑する様に口元をゆがめる。だがそれでもその場で使うぶんにはなんの問題も無いということか、男は左手で保持した自動拳銃の銃口をまっすぐにこちらに向けて突き出し、躊躇無く引き鉄を引いた。

 銃声は聞こえなかったが、着弾の衝撃と肋骨の折れる音ははっきりとわかり――こちらに視線も向けないまま発砲した一弾で肺を撃ち抜かれて、それまで両膝を粉砕されて軒下でうずくまっていた李山は口の端から血の筋を垂らしながらその場で崩れ落ちた。

 

   †

 

 そのときには異状に気づいた人間も出てきたのだろう、廊下に何人かのごろつきの姿が見える――ひとりふたりは警棒やナイフ、白鞘込めの短刀を持っていた。

 道を極める、ねえ――胸中でつぶやいて、アルカードは侮蔑をこめて嗤った。世間から後ろ指を指されて生きる道を極めて、人生の実りになるのか?

 死んでも誰も悼んでくれないだろうに――そんなことを考えながら、アルカードは左手で保持していた自動拳銃を右手に持ち替えた。指紋は気にしない。左手は分泌物が一切存在しないから指紋がつかないし、右手もグローブを嵌めているから問題無い。

 旧ソ連で設計されたトカレフTT自動拳銃、黒く着色された樹脂製の安っぽいグリップに星が象られており、それがオリジナルと異なる。黒星ヘイシン、中国製のコピー銃だ。

 どんなに頑張って零点規正ゼローイングしても一発撃つごとに照準が狂う、粗製乱造を地で行く様な代物だが――まあまともに照準を合わせなければ命中しない様な距離でもない。

 アルカードは無造作に手にした自動拳銃を翳して、立て続けにトリガーを引いた。

 一発目は目標を大きくはずし、標的にしたごろつきのナイフを手にした手ではなく右肺を貫き、その向こうにいた丸腰のごろつきの肩に喰い込んだ。一発目が照準から右斜め上の位置に着弾したのに対して、サイドステップして射線を確保しながら発砲した二発目は一発目の標的の向こう側にいたふたりめのごろつきの右肩を狙ったのだが、こちらは銃弾が右下に逸れて脇腹に命中した。

 銃弾の軌道が一定ではない。工作精度が低い銃特有の、安定しない反動リコイルが肩を叩く――部品同士のがたが大きかったり、噛み合わせの精度が低いためだ。

 当然撃発時の銃身の挙動も一定ではないために、命中精度もさほど高くない――が、近距離で的が大きいので問題にならない。

 肋骨が砕けた様だが、それだけで行動不能に陥るとも思えない――アルカードは悲鳴をあげているのか大口を開けているふたりの男たちの下半身に照準を定め、一発ずつ順に銃弾を撃ち込んだ。

 手前にいたひとりめは右膝に銃弾を撃ち込まれ、膝蓋骨を粉砕されてその場で絶叫をあげている――ふたりめは太腿を狙ったのだが、やはり銃弾は逸れて股関節に近い内股を貫通した。

 まあどうでもいい――太腿よりも股間に撃ち込まれたほうが効果的だろう。胸中でつぶやいて、アルカードは最初に銃撃を加えた男が手にしていた警棒を手に取った。伸縮式の金属製のものではなく、ポリマー樹脂製の軽いトンファーだ。

 この際得物はなんでもいい――重要なのは、すべて彼らの指紋がついた道具だけで状況を決着させることだ。

 樹脂製のトンファーで最初に撃った男のこめかみを殴り倒し、続いてふたりめの男の顔面を叩き潰して、アルカードは前に出た。状況を飲み込めないまま飛びかかってきたナイフを持った男の攻撃を躱し、躱し様にトンファーを腹に撃ち込む。体をくの字に折った男の脇腹にトカレフ自動拳銃の銃口を押しつけてトリガーを引くと、肺を撃ち抜かれた男が電撃に撃たれたかの様に体を硬直させた。

 口の端から血の筋を垂らし、三人目の男がその場でくず折れる。

 アルカードはその体をかたわらに放り棄て、ブーツの踵で背中を思いきり踏み抜いた。ボキボキという感触とともに背骨や肋骨が折れ砕け、男が声も無く悶絶して口蓋から血を吐き散らす。

 『隠密殺傷サイレントキル』は便利なのだが、その反面で尋問も出来なくなるのが面倒と言えば面倒だ――さて、クミチョーとかいう奴はどこにいるのだろう?

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