Balance of Power 11

 

   †

 

 ひぅ、という軽い風斬り音とともに手にした長剣を振るうと同時、群がっていた吸血鬼数人が全身をバラバラに切り刻まれてその場に崩れ落ちた――ばらばらになった内臓や手足の破片が血だまりの中に落下して小さな飛沫を撒き散らし、そのまま塵に還って消滅してゆく。

 酸鼻を極める凄惨な光景から視線をはずし、手にかけた吸血鬼の屍が塵と崩れて失せてゆくその様を見送ることもしないまま、パオラは撃剣聖典を手元に引き戻した。

 そのまま床を蹴って、手近にいた吸血鬼に殺到する――襲いかかってきた吸血鬼の腕を泳ぐ様にしてかいくぐり、胴を薙ぎながら脇を駆け抜けて、パオラはその向こう側でリディアに注意を向けていた十代半ばの若い吸血鬼の肩を背後から叩き割った。

 血の泡立つ水音の混じった絶叫をあげて、髪を茶色に染めた吸血鬼が喉を掻き毟りながら崩れ落ちる――その叫び声の中に母ちゃん、という呼び声を聞きつけて、パオラは顔を顰めた。

 二千年前からカトリックが、あるいは宗教が――否、そも善や正義といった題目がかかえ込む矛盾だ。

 吸血鬼を殺すことで、新たな被害者を減らす――そのこと自体は正しい。まったく正しい――だが、そうやって殺される者も元を糾せば被害者なのだ。誰に強要されること無く咎人となった犯罪者ではない。

 吸血鬼に堕ちても、親を想う者もいよう――すでに魂が穢れて人から堕した者だとしても。

 それはブラックモア教室で正式に徽章を授かって聖堂騎士の正式な一員となるより以前、自分が教会の騎士として吸血鬼と戦うところを思い描いたときに、必ず頭に浮かんでいた矛盾だった。

 そうした敵と出会ったとき――斃すべき敵の人間性を残した一面を垣間見てしまったとき、自分ははたして躊躇う事無く吸血鬼を斃せるのだろうか。

 突然記憶の奥底から蘇った、考えない様にしていた懊悩に一瞬心を囚われて――パオラは不覚をとった。いきなり視界の外から飛びついてきた人影に、反射的に撃剣聖典を短剣に作り変えるが、次の瞬間認識した相手の姿に攻撃を中断する。

 縋りつく様にして腕の中に倒れ込んできたのは、艶やかな黒髪を背中まで伸ばした若い女性だった――自分とさほど変わらないかもしれない。恐怖に引き攣った顔を一瞬観察して瞳が赤く変色していないのを見て取って、パオラは片手で保持した護剣聖典を再び長剣に変化させながら彼女の背後に視線を向けた。

 金色と青が中途半端に入り混じってまだら色の髪になった若い男が、彼女をこちらに向かって突き飛ばした体勢からこちらに向かって飛びかかろうとしている――悲鳴をあげる女性を押しのける様にして前に出ながら迎撃体勢を作ろうとしたとき、まったく予期していなかった方向から組みつかれて長剣を保持した右手を背中に捩じ上げられ、さらに首に腕を巻きつけられて、パオラは激痛に苦鳴を漏らした。

 背後から組みついてきた相手の腕が顎の下に入り込み、喉を圧迫してくる――細腕にもかかわらず、振りほどこうと試みてもまるで万力の様にびくともしない。

 膂力も足りずこつもわかっていないために、完全に呼吸が止まるとまではいかない――だがそれは、首を絞められて失神する手前の苦痛をずっと味わい続けるということでもある。

「かっ……」

 激痛と呼吸困難に喘鳴をあげ、焦燥に意識を灼かれながら、パオラは宙を漂う聖典のページを一枚、自由になっているほうの手で掴み止めた。

 掴み止めたページが、激光とともに黄金色に淡く輝く短剣へと変化する――短剣を手の中で回転させて逆手に持ち替え、パオラはそれを背後から組みついている何者かの体に何度か突き立てた。

 特に狙いは定めていない――普通体型であれば、太腿か腰あたりだろう。

 ぎゃああああ、と背後から女の悲鳴があがった――右手首と首を拘束する力が緩んだのを機にその拘束を振り払い、振り返り様に背後を右手の長剣で薙ぎ払う。

 背後から組みついてきた敵の頭に撃剣聖典の刃が肉薄する段になって、パオラはようやく相手が誰なのかに気づいた。

 吸血鬼に突き飛ばされてきた艶やかな黒髪の女が、恐怖を顔に貼りつかせていた先ほどとは別人の様な凶暴な眼差しでこちらを睨みつけている――青いミニスカートの左の腰元が赤黒く濡れているから、組みついてきた攻撃者は彼女に違い無い。

 だが相変わらず、瞳の色は黒いままだ――吸血鬼ではない。

 どうして?

 相手が生身の人間であると判断した時点で条件反射で止めた剣を、飛び込んできたまだらの髪の吸血鬼が叩き落とす。判断を誤ったことを自覚した焦燥が意識を灼いた――抵抗する間も無く力任せに床の上に組み伏せられて、後頭部を打ちつけて視界に火花が散る。叩き落とされた剣が床の上で跳ね回り、からあん、と音を立てた。

 しまった……!

 包囲の襟元に手をかけて首筋を剥き出しにされながら、パオラは小さく舌打ちを漏らした。自分の上にのしかかった吸血鬼の脇腹に突き立てようと、左手で保持した短剣を握り直す。一撃で致命傷を与えられるかどうかはわからないが、それはどうでもいい――動きが止まればそれでいい。

 だが、行動を起こすよりも早く左手首を押さえ込まれている――視界の端で若い女が、殺意を隠そうともしていない凶暴な眼差しでこちらの腕を抑え込んでいた。

 剥き出しにされた首元に、口の端から牙列を覗かせた吸血鬼が顔を近づける――滴り落ちた唾液が肌を伝い落ち、嫌悪感に鳥膚が立った。

 まずい――

 だが吸血鬼が首筋に牙を突き立てるよりも早く、その体が力任せに引き剥がされる――金髪の吸血鬼がまるでプレゼントの包装紙を剥がす様に軽々と、吸血鬼の体を剥ぎ取ったのだ。鷲掴みにされた首に指先が喰い込み、骨のきしむ音が聞こえてきて、まだら色の髪の吸血鬼が激痛に悲鳴をあげた。

 ぱぁん、という乾いた銃声とともに吸血鬼の頭部が一瞬膨れ上がる――着弾の衝撃で皮膚が細かく裂け、赤い飛沫が霧の様に舞い、そこだけがステンレスの銀色に輝いて異彩を放つ黒い自動拳銃の排莢口から弾き出された発射ガスで薄汚れた空薬莢が床の上で跳ね返ってちぃん、と音を立てた。

 ざぁっと音を立てて塵に還る吸血鬼にそれ以上視線を向けること無く、アルカードは続いてパオラの体を抑えつけている女のほうに視線を向けた――彼女が反応するよりも早く、自分を見上げている女の眉間に自動拳銃の銃口を押しつけてトリガーを引く。

 着弾の衝撃で横殴りに倒れ込みながら、女の体が黒い塵と化して消滅した――いまだ硝煙をあげる自動拳銃を懐にしまい込み、アルカードが再び塵灰滅の剣Asher Dustを再構築する。

「どうして、この人……っ」

 塵の山に埋もれた薄手のミニTシャツとミニスカートを凝視しながら誰にともなくそんな言葉を漏らすと、こちらに視線は向けないままアルカードが返事をしてきた。

「そうか。君たちには体温分布が見えないんだったな」 という言葉から察するに、アルカードは最初から彼女が人間ではないとわかっていたのだろう。

 通常の吸血鬼は吸血を受けて蘇生した時点で瞳の色が変わるから、簡単に識別出来る――吸血を受けてから一度死んで蘇生していないからか、それともアルカードの魔力の影響か、ヴェドゴニヤでありながら外観に変化の顕れていないフィオレンティーナは珍しい例だ。

 彼女は瞳の色が変わっていなかった。だが霊体を破壊されて塵に変化した以上、吸血鬼であることは間違い無い――この状況に備えるためか、あるいはただのファッションなのかは知らないが、おそらくカラーコンタクトかなにかで瞳の色をごまかしていたのだろう。

「――ひとつ忠告しておく」 ふたりの周囲を取り囲む吸血鬼の群れに視線を向けて、アルカードが口を開いた。

「君がどんな迷いや葛藤をいだいてるのかは知らん。だが、戦闘中は躊躇うな――君が逡巡すれば、それが原因で君の妹やお嬢さんまで死ぬことになるぞ」 そう告げて――アルカードは床を蹴った。

Wooaaaraaaaaaaaaaaaaオォォォアァラァァァァァァァァァァァァッ!」 鼓膜が破れるかと思うほどの凄まじい咆哮が吸音処理の施されたホールに響き渡って鼓膜を聾し、同時に五人の吸血鬼が塵灰滅の剣Asher Dustの強振の軌道に巻き込まれて胴体や腕、足を切断された――まるで刷毛で塗りたくった様に周囲の床や壁、天井に大量の赤黒い血が飛び散り、一撃で絶息しなかった吸血鬼の悲痛な絶叫がほとばしる。

 吸血鬼に襲われかけてシャツを引き裂かれた格好の若い女の子――こちらは間違い無く人間だ――が目の前に飛んできたちぎれた腕と削り取られた頭蓋骨、そこからこぼれだした脳漿を目にして悲鳴をあげ、その目の前でばらばらに引き裂かれた肉体の部品が塵と化して消滅してゆく。そちらに一瞥を呉れることも無く、金髪の吸血鬼がその場で転身した――そのまま床の上でへたり込んだままだったパオラの頭上を薙ぎ払う。

 轟音の様な風斬り音を立てて頭上の空間を引き裂いていった一撃とともに、背後でいくつかの悲鳴があがった――胴を薙がれた吸血鬼が彼女のかたわらでつんのめる様にして床に倒れこみ、肘から先が無くなった両腕を見下ろして狂った様に絶叫をあげている。

 深々と薙がれた腹からこぼれだした嫌な臭いのする腸を腹の中に押し戻そうと無駄な努力をしながら、別の吸血鬼がそこで力尽きて塵に変わった。

 パオラが立ち上がって体勢を立て直したのを確認したところで、塵灰滅の剣Asher Dustの柄を握り直したアルカードが再び床を蹴る。

 しっ――歯の間から鋭く呼気を吐き出しながら、彼は別な吸血鬼に襲いかかった。

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