Balance of Power 10

 

   †

 

 一撃で鼻から上を削り取られたふたりの吸血鬼の体が、瞬時に塵と化して崩れ落ちる。

「さて――」

 ろくに視認も出来ない神速の手管で以って二体の吸血鬼を斬り斃したアルカードが、手にした塵灰滅の剣Asher Dustを軽く振って刃にこびりついた血を振り払う。

 しっ――続いて歯の間から息を吐き出す音とともに、金髪の吸血鬼が床を蹴った。

 飛びかかってきた二体の脇を駆け抜け、ついでに行きがけの駄賃とばかりに胴を薙いでいく――百を超える数の吸血鬼を相手にしようというのに、アルカードの動きには微塵の躊躇も無かった。

Wooalaaaaaaaaieオォォォアラァァァァァイッ!」

 向かってくる吸血鬼を次から次へと斬り斃しながら、金髪のロイヤルクラシックがステージに向かって突進する――少女たちと同じ場所で戦うつもりは無いらしい。

 敵の迎撃態勢が整っていない最初期の段階でなるべく多くの吸血鬼を仕留め、自分たちが十全に立ち回れるだけの場所を作るつもりらしい――ホール内に百人超の敵がいる状況は敵にとっても狭いだろうが、回避場所が取れないという点ではこちらにとっても狭すぎる。

 アルカードの突進から逃れた吸血鬼が、相手が日本人の基準からみても小柄な少女だからだろう、こちらのほうが与し易しと見たかじりじりと取り囲んでくる。

 ナイフや特殊警棒といった武器を携帯している者もいる――アルカードいわく、日本の警察は使う気も無いマニアから武器を取り上げるのは得意でも、使う気満々のゴロツキやチンピラに対してはなにもしないらしいが、どうもその例に漏れていないらしい。

 だが、フィオレンティーナはたいして気にしていなかった――彼女たちに聖典戦儀を教えた教師リッチー・ブラックモアがかつて言った通り、そして同じことをアルカードも言っていたから、つまりは師の教えを弟子に伝えただけなのだろうが、吸血鬼化した人間は武器を使う、高い身体能力を誇り、力も強い。だが、それだけだ。

 吸血鬼のなにが恐ろしいかといえば、ただ力が強く身体能力が高いだけではないということだ――自動車を片手でひっくり返しビルの屋上まで一足跳びに跳躍し、よほど当たり所が悪くない限りライフルで狙撃されても死なず、襲ったそばから敵を下僕に作り替える。そしてそれらの能力を、彼らなりの論理と思考のもとに行使するからこそ、吸血鬼は恐ろしい――上位の個体になれば、聖堂騎士でも歯が立たない。

 だが、この程度の雑魚どもであれば物の数ではない――ヴェドゴニヤにすらなっていないフィオレンティーナは純粋な膂力では彼らの足元にも及ばないだろうが、刻印魔術による霊的補強はオリンピック選手でも到底及ばないほどの身体能力を附加するものだ。上位個体ならまだしも、そこらで徒党を組んでいる下位の吸血鬼など恐れるに足りない。

 少女たちを殺さずに捕えて後々のお楽しみにしようとでも考えていたのか、にたにた笑いながらこちらに群がっていた下種な吸血鬼どものつまらない妄想は長くは続かなかった。彼らはものの数秒で、そんな下卑た考えにこだわってなどいられなくなったからだ。

 掴みかかってきた吸血鬼の手元を押しのけて打撃の軌道を変えながら、腕の外側に向かって一歩踏み出す――攻撃動作を躱しながら、フィオレンティーナは若い男の吸血鬼の左膝の裏側を狙って蹴りを放った。

 後足の太腿の裏側を蹴り抜かれて、吸血鬼が膝を折る――そのままとどめを刺そうかとも思ったが、別な吸血鬼が警棒を手に襲いかかってきているのが視界の端に入ってきていたために追撃を断念し、フィオレンティーナはそのまま後方に飛び退った。

 警棒を手に殴りかかってきた吸血鬼の体が目標を失って前方に泳ぎ、体勢を立て直そうと踏鞴を踏む――フィオレンティーナは宙を舞う聖書のページを数枚まとめて掴み止め、瞬時に構築した撃剣聖典の一撃で吸血鬼を背中から斬り斃した。

 ぎゃぁぁぁっ!

 悲痛な絶叫とともに、二十代半ばの吸血鬼の体がぼろりと崩れて塵に還る――砂埃で薄汚れた床の上に落下した特殊警棒が、ごとりと重い音を立てた。

 そのままその場でサイドステップしながら、左回りに一回転――その動作で別の吸血鬼の振り下ろしてきたゴルフクラブのヘッドを左手で払いのけ、逆手に持ち替えた撃剣聖典でその首を刈りにいく。

 後頭部から頭頂に至るまで頭蓋を斜めに削り取られて、血と混じり合ってなんとも言えない色になった液体を撒き散らしながら吸血鬼が崩れ落ちる。

 若い女の吸血鬼が金切り声をあげながら、どうもステージから持ち出したものらしいエレキギターを振り翳して殴りかかってきた――その場で転身して女に正対し、撃剣聖典をいったん分解してから再構築して身構える。

 振り下ろされたエレキギターを左手で押しのけて懐に飛び込み、腕を掻い潜る様にして体勢を沈めて踏み込みながら、女の鳩尾に肘を埋め込む――同時に肘を撃った左腕に添わせる様な軌道で突き込んだ撃剣聖典の鋒が、女の脾腹を貫いた。

 水音の混じった悲鳴をあげる吸血鬼の体に突き立てたままの撃剣聖典から手を離し――右掌で押す様にして突き飛ばして体を離し、脾腹を貫通した撃剣聖典の柄を再び掴み止め、刃が傷口から完全に抜けるよりも早く胴を薙ぐ。ビシャリと音を立ててまだら色の血液が床の上に飛び散り、自らの血だまりの上に背中から倒れ込みながら塵と化して崩れ散った女から視線をはずして、フィオレンティーナは周囲をじりじりと取り囲みつつある吸血鬼たちに視線を向けた――さすがに先ほどの様に無警戒ではないらしい。

 髪の毛を茶色に染めた――染料が悪いのかまだら色になっていたが――男三人が、同時に飛びかかってくる。

 ひとりはナイフを、もうひとりはメリケンサックを右手につけていた。

 もうひとりはなにも持っていない。

 右手にふたり、左手からひとり――それだけ確認して、フィオレンティーナは行動を起こした。

 右手から接近してくるのはふたり――先に接近しているほうは素手だ。フィオレンティーナはまず左手から接近してくるメリケンサックを持った男に顔を向け、息を吸い込んでから唇をすぼめた。

 短い悲鳴をあげて、吸血鬼が左目を押さえて足を止める。あらかじめ口に含んでおいた直径数ミリのベアリングを、吸血鬼の目を狙って吹きつけたのだ。

 日本に来てからアルカードから教わった、鋼球を吹きつけて眼潰しにする含み針術の一種だ――夢の中でヴィルトール・ドラゴスはオスマン軍の騎兵に向かって唾を吹いて眼潰しにしていたから、含み針やその派生として身につけたものではないのかもしれないが。

 アルカードの場合、これだけで皮膚を突き破って肉に喰い込み、眼球を破壊して文字通り目を潰すほどの威力がある。肺活量に数倍の差があるのでアルカードの様に弾の運動エネルギーだけで眼球を潰すほどの威力は無いが、一時的に動きを止めるだけならこれで十分事足りる。

 フィオレンティーナはそのまま軽やかに身を翻して、突っ込んでくる素手の吸血鬼に向かって床を蹴った。掴みかかって押し倒そうとしているのか手を伸ばしてくる吸血鬼の腕を泳ぐ様にしてするりと躱し、そのまま脇を駆け抜ける――ついでにすり抜けざまに後足のふくらはぎのあたりをブーツの踵で踏み抜いて、フィオレンティーナはそのままナイフを手にした吸血鬼に殺到した。

 自分は素手の吸血鬼に続くものと決めてかかっていたのだろう、いきなり自分のほうに殺到してきたフィオレンティーナの姿を目にして、吸血鬼がぎょっとした表情を見せる――柄が二枚に分かれて回転させる様にして展開する折りたたみ式のナイフを構えるよりも早く腕を半ばから切断されて、吸血鬼が悲鳴をあげた。

 返す刀で体を弓なりにそらして悲鳴をあげる吸血鬼の首を刎ね飛ばす――フィオレンティーナは手にした撃剣聖典を右手から左手に受け渡す様にして逆手に持ち替え、そのまま左腋から背後に向かって突き出した。

 後足の膝裏を踏み抜かれて後方にのけぞる様にして床に膝を突いていた素手の吸血鬼が、その刺突で頭蓋をぶち抜かれて絶息する――それを見届ける手間も惜しんで、フィオレンティーナは切断した手の中から滑り落ちたバリソン・ナイフが床に落ちるよりも早く爪先ですくい上げる様に跳ね上げ、空中で掴み止めた。

 そのまま動作を止めずに、右手を体の前面から振り下ろす様にして勢い良く腕を振り抜き、その挙動で腋の下から背後に向かって投げ放つ――同時に塵の山と化すよりも早く吸血鬼の後頭部から引き抜いた撃剣聖典を今度は右手に持ち替え、上体をひねり込みながら転身してそのまま背後に向かって投げつけた。

 回転しながら飛んでいった長剣が、ナイフが下腹部に突き刺さってその場にうずくまっていたメリケンサックをつけた吸血鬼の頭蓋を鼻の上あたりから削り取った。

 塵となって崩れ落ちる吸血鬼から視線をはずして、周囲を舞う聖書のページを掴み止め、撃剣聖典を再構築――同時に九十度転身しながらサイドステップして、横合いからマイクスタンドを剣の様に振り回して襲いかかってきた吸血鬼の一撃を躱す。

 マイクスタンドの五条に分かれた足が、床にぶつかってけたたましい音を立てた――それを聞き流して吸血鬼の左腕の外側に廻り込み、敵の首を背後から刈る軌道で寄せ斬りを放つ。

 二十代後半の吸血鬼が、その斬撃を床に体を投げ出す様にして躱した――そこでいったんそちらへの追撃を中断すべきだったのだが、フィオレンティーナは判断を誤った。

 床の上に倒れ込んだ吸血鬼に視線を向けて追撃のために体勢を立て直そうとしたとき、背後から強烈に突き飛ばされ――先ほど転倒した吸血鬼の体に躓いて、フィオレンティーナは床の上に倒れ込んだ。

 体勢を立て直すために床に手を突くよりも早く、襟首を掴み上げられて再び放り投げられる――背中から壁に叩きつけられて、フィオレンティーナは小さくうめいた。

 取り落とした撃剣聖典が床の上でガシャリと音を立て、後頭部を壁に打ちつけたせいで視界に火花が散る――ちょうどいいおもちゃを見つけたと思ったのか、数人の吸血鬼が近づいてくるのが涙の滲む視界に映った。

「フィオっ!」 少し離れたところで、パオラが悲鳴の様な声をあげる――間に敵が多過ぎて近づけないらしいパオラから視線をはずして再び接近してくる吸血鬼に視線を戻したとき、立て続けの銃声とともに近づいてきていた吸血鬼数人がもんどりうって倒れ込んだ。

 フラッシュ・ハイダーから硝煙を立ち昇らせるHK MP5サブマシンガンの銃口をこちらに据えたまま、金髪の吸血鬼がゆっくりと笑う――アルカードは手近な吸血鬼を塵灰滅の剣Asher Dustで斬り斃しながら翳したMP5サブマシンガンで短い連射を放ち、別の吸血鬼を蜂の巣にした。

 吸血鬼の戦いぶりは、まるで悪魔の進撃の様だった――戦車が歩兵を次々と蹂躙し虐殺するがごとくに、襲いかかってくる吸血鬼を次々とひねり潰してゆく。

 塵灰滅の剣Asher Dustが暴風の様なうなりをあげるたびに吸血鬼たちの首が、腕が、足が、体から分断されて宙を舞う。悲鳴をあげる暇も無い――悲鳴をあげようと口を開きかけたときにはとどめの一撃か別の個体への攻撃の巻き添えか、あるいは周囲の敵を牽制するために発砲しているサブマシンガンの銃撃か、そのいずれにせよ絶息が待っている。

 一撃目で腕か足か、いずれにせよ体の一部を欠損させ、あるいは銃弾を撃ち込んで動きを止め、続く一撃で別の個体を巻き添えにしながらとどめを刺す戦い方だ。一対多数の戦いに慣れていて、無尽蔵に等しい体力を持つアルカードは、持久戦を恐れない。代わりに、複数の敵が自分に対して同時に攻撃を仕掛けられない状況を作ることを第一に考える。

 彼の言う通り、百の力量を持つひとりより十の力量を持つ十人のほうが怖い――本人の言葉を借りれば、『どんなに戦い方が巧くなって腕力がついたからって、俺の腕の数が増えるわけじゃないからな』。だから、彼は防御技能と複数の敵を同時に巻き込む戦闘技術に特化している。雲霞のごとき数の敵を、たったひとりで虐殺し尽くすために。

 右手で剣を振り回して周囲の敵を斬り刻み、あるいは左手のサブマシンガンから放たれる短い連射で蜂の巣にしながら、アルカードが殺戮の猛威を振るう――派手に血霞が舞い、バラバラに切断された肉体の破片が床に落下するより早く塵に変わってゆく。

 あっという間にホール内の吸血鬼のうち三割を虐殺したアルカードが、束ねた金髪の房を獣の尾の様にふわりと舞わせながら床を蹴った。

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