Black and Black 37

 

   †

 

「さっきの言葉は嘘だ、と?」 念を押す様なフィオレンティーナの言葉に、陽響があからさまに不愉快そうに眉をひそめてそう尋ね返す。

「そうですか。……わかりました、信じましょう」

 たっぷり一分ばかりにらめっこしてからのその言葉に、アルカードは彼女から見えない位置でかぶりを振った。あの若者はただ『嘘だと思うのか?』と聞き返しただけで、真実であるという主張も、虚偽であると認めることもしていない。

 それに対してフィオレンティーナが『嘘をついていると疑われて不愉快になっている』と勝手に勘違いしただけで、彼自身は先ほどの言葉の真偽には言及していない。

 先ほどの言葉が事実なら、ただ本当だと答えればいいだけの話だ――所詮は言葉遊びの域を出ない。

 フィオレンティーナから見えない角度であからさまに『こいつちょろいぜ』という感じの悪役っぽい笑みを浮かべている陽響から視線をはずしたとき、それまでずっと黙っていた少女が手を挙げた。

「あのー、わたしも自己紹介していいですか」

「ああ、そうだな。仲間はずれは良くない」 アルカードがうなずきかけたとき、陽響が早口で口を挟んできた。

「否、必要無い。名前は美音。馬鹿の世界選手権・日本代表。以上!」 無理矢理それで話を終わらせようとした陽響に、アルカードは嘆息した。

「否おかしいだろ、それ。自己紹介くらい許してやれよ」

「たしかにそうですね。さっきから貴方の態度は辛辣すぎます」 アルカードの言葉に、フィオレンティーナが同意してくる。

「お? 珍しく意見の一致を見たな」 面白がる様な視線を向けると、フィレンティーナはこちらに視線を向けて唇を尖らせた。

「不愉快です」

「……ああ、さよけ」

 適当に肩をすくめて、美音に視線を戻す。美音はフィオレンティーナの視線が自分に向くのを待って、

「もう、ひーちゃんはいつもそうなんだから。ではあらためて、名前は橘美音です。出身はひーちゃんと同じS県美沢町です。えっと、顕界派遣執行冥官・極東区第四位。わかりやすく言うなら……神さまです!」

 という美音の言葉に、フィオレンティーナが目をまん丸に見開いて硬直する――陽響は『やっちゃったよこの馬鹿』という表情で天を仰いでいた。彼はそのまま嘆息して、

「断っておくが、こいつのいう『神さま』はあんたたちの『主』とは違うからな。こいつの言うところの『神さま』は、神霊だと思ってくれればいい。天使みたいなもんだ――日本は多神教の信仰する国だからな」

「あ、ああ。なるほど、この国はそういう文化の国でしたね」 と無理矢理自分を納得させるフィオレンティーナと――アルカードは受肉マテリアライズした神霊など珍しくもないので気にしていなかったが。

 もともとが人間である以上光輝体アウゴエイデスを備えてはいないだろうが、それでも体内に封入された力は相当なものだ――無論人間が基準ではあるが。本物の鬼神や魔神、上級天使といった高位の霊体と比べれば、彼女の力は羽虫に等しい。

「ちなみに冥官という役職は、西洋圏でいう死者の魂を天に導く存在。死神だと思ってくれれば問題無い」

「違うよ。天使だよ」

「同じものだろう。両方とも、魂を導くものなんだから」

「違うの。あんな不気味な姿してないもん」

「ああ、なるほどね」

 言い合っているふたりを見比べて、首をかしげる――美音が死神と聞いてなにを想像しているのかは知らないが、死神呼ばわりは確かに嫌だろう。それが時々ノートを落として人間観察にいそしむ暇な死神なのか、夢の中限定で大鎌持ってラリホーと叫ぶ本体が赤ん坊の死神なのか、ローブに大鎌を手にして襲いかかってくる一般的なあれなのかまでは知らないが。

「個人的にはラリホーがお薦めだぞ」

「なんの話ですか?」 真面目くさったアルカードの言葉に、意味がわからないらしいフィオレンティーナが首をかしげる。 

「はいはい、わかったわかった。もう、天使でいいよ」

「むー、すっごいどうでも良さそう」 それで話が終わったからだろう、フィオレンティーナがふくれっ面の美音に向かって声をかけた。

「ミオト、さん? 貴女は高位神霊であると言いましたが、彼の話ではまだ二十歳を迎えていないということでしたね。それは、どういう意味ですか?」

「おいおい、そんなこともわからないのか?」

「なら貴方にはわかるんですか、吸血鬼」

 あきれ顔のアルカードを、フィオレンティーナがふくれっ面で睨みつけてくる。美人が台無しだと思ったがわざわざ指摘する気も起きずに、アルカードは続けた。

「当たり前じゃないか。考えてもみろよ? 天使でも悪魔でも人間でも、生まれて十年なら十歳。百年なら百歳じゃないか。お嬢さんは生まれて二十年弱しか生きてない、だから二十歳を迎えていない。そういう理由しかないだろう」

 君は十七歳、俺は五百三十歳――黙ってしまったフィオレンティーナの視線を黙殺して、アルカードは陽響に視線を向けた。

「違うか、少年?」

「少年はやめてくれ――まあ、理由はその通りだ。美音は生まれてから十九年と三ヶ月しか過ぎてない。付け加えるなら十九歳というのは神になってからではなく、人間として生を受けてからの年月で、神の末席に就いたのは三年ほど前だ」

「それじゃ、人間から肉体を持ったまま高位神霊に昇格したんですか?」 フィオレンティーナが質問を続ける。実際に見たことが無く、錬金術にも造詣が無い彼女には、神霊の受肉マテリアライズがぴんとこないのだろう。

「それも違う。三年前に命を落としたあとで、高位神霊の世界に招かれたんだ。その後、神の階位と現世で活動しやすい様に生前と同じ肉体を与えられ、こうして活動しているわけだ」

 つまり、死んだ人間の魂を神霊に格上げして力を与え、肉体を作ってそこに霊体ごと封入したのだろう――自力で構築したものではないという一点において、神霊の受肉マテリアライズともまた意味合いが異なる。ただし大仏どもの目的がどうあれ、この少女がその目的を果たせるとは到底思えなかったが。

「わざわざ肉体を用意する意味は?」

 綺堂の説明と今までにわかったことだけで大体想像はついていたが、アルカードはあえて質問を投げた。自分はともかくフィオレンティーナは、このまま続けても話についてこられないだろう。

「上位世界と顕界、つまり現世とでは時間的な隔たりがある。『向こう側』にいる存在がこちらに降りてくるには、いちいち受肉する必要性がある。もともと神霊は肉体を持たないからな――トラブルが起こるたびに肉体を用意してれば、どうしても手間と時間が必要になる。それならば、最初から受肉した高位神霊を現世においてトラブルに対処させた方が効率がいい。つまりは、そんな理由だ。肉体は錬金術におけるホムンクルス技術の応用だと思ってくれればいい。補足しておくと、地上で活動するのは若い神だけだ」

「常駐警備、か」 そんなコメントを残して、アルカードはコーヒーに口をつけた。せっかく用意してみたのでたまには食べてみようかと思いつつ、ケーキナイフでクレープを切り分けていると、横でフィオレンティーナが新たな問いを投げかけた。

「どうして、若い神だけなんですか?」

「時間の体感だ」 という簡潔な説明は、簡潔すぎて理解出来なかったらしい――要するに夏休みの宿題を先延ばしにしすぎて新学期に間に合わない小学生の心理なのだが、まあそれをそのまま言い聞かせてもそれはそれでわかりづらいだろう。

「たとえば、フィオレンティーナさん。貴方は子供時代と今どちらが長く感じますか?」 美音の言葉に、フィオレンティーナが口元に手をやって少し考え込んだ。

「そうですね。昔、のほうが長く感じていた様な気がします」

「それはなぜだと思う?」

「ごめんなさい。ちょっとわからないです」 陽響の言葉にかぶりを振って、フィオレンティーナは白旗を揚げた。

「それは子供時代の方が生きてきた日数が少ないからだ。たとえば、あるところにA君とB君が居たとしよう」

「秋山くんと馬場くん、だね」 という美音の茶々を無視して、陽響は続けてきた。

「Aくんは一歳、Bくんは十歳。二人とも誕生日は同じで、その日が誕生日でした。だから、Aくんは365日、Bくんは 3650日だけ生きています。Aくんにとって一年365日は人生の1/1です。それに対してBくんにとって365日は、人生の1/10です。人生の長さを X……一年をYと置いた場合。Aくんにとって,X=Y。Bくんにとって、X=10Yとなる。このX(人生)に対する、Y(一年)の倍率は、誤差はあっても体感する時間の違いとなって現れる」 そこで言葉を切って、陽響は庭でとれた枇杷を使ったソースをたっぷりとかけたクレープを口に入れた。

「つまり、神が長く生きていればいるほど『一年』というサイクルは短いんだ。それは一ヶ月でも一日でも同じだ。顕界派遣執行冥官には緊急性が高く、期限が切られているものも多い。老齢して、のんびりと生きている『神』より、若い神の方がフットワークも軽く仕事をこなせるんだよ。つまり、だ」 最後の言葉はただの皮肉だろう――陽響はわずかに口元をゆがめて、説明を締め括った。

 それを適当に聞き流して、アルカードはコーヒーに口をつけた。

 付け加えれば――普通に人間社会で生活していれば、時間というものを嫌でも意識する。五百年生きてきたアルカードだって、日常生活の中で時間というものは厭でも意識する。友人との待ち合わせ、テレビの番組表、日付、食材の入荷期限。無論山奥で隠遁でもしていればその限りではないが、それでさえ朝昼晩の変化、季節の移ろいや畑の収穫など、時間を意識する環境というのはいくらでも存在する。

 つまり、地上で生活している限り、絶対に時間というものは意識せざるを得ない。せかせかと活動させるには、時間に追われて生活することに慣れた人間を放り込むほうが都合がいいのだろう。

 なにしろ天使や悪魔といった神霊は殺されるか、霊体のまま物質世界に顕現するなどの無茶をして力を使い果たしでもしないかぎりは死なない――不滅ではないが限りなく不老不死に近い。そういった彼らにとって、一日二日などというのはほんの一瞬でしかない。

 なにしろそんな存在だから、彼らになにか緊急の命令を下してもだらだらと引き延ばしてどんどん対処が遅れる場合が多い。現世慣れした人間の霊魂を神として召し上げるのには、人間界に常駐させることで対処を迅速にする意味合いがあるのだろう。

 物質世界の時間の括りで生きている存在をそのまま使ったほうが、こういった喫緊の事態には対処しやすいのだ――同時に常に時間を意識させるために、肉体を与えて物質世界に放り込むのだ。

 時間の意識が無い連中が時間の意識が残っている者を尖兵にするために神にするというのもおかしな話だが、要するにそういうことなのだろう。美音は神といっても崇め奉られる対象ではなく、ただの下働きの小間使いでしかない。

「なるほど、良くわかる説明でした。でも、そうするとわからないのは貴方です。若い高位神霊が、この世界で活動しているのはいいでしょう。しかし、なぜ一介の『探偵』が高位神霊と行動を共にして、常人ならば知ることも叶わない神秘に関わってるんですか?」 というフィオレンティーナの質問は、当然の疑問ではあるが愚問でもあった。ただし、彼の正体を知らなければその疑問をいだくのは当然でもあろう。

「こいつだ」 陽響が向かいの美音をぞんざいに親指で指し示す。至福の表情でクレープを食べている美音を横目で見ながら、陽響は続けてきた。

「こいつが神になったせいで、俺まで『彼岸』の世界に巻き込まれたんだ」

 美音本人は話をろくに聞いていなかったらしく、軽く小首をかしげている。

「彼女のせい、ですか? おふたりはずいぶんと親しい様ですね。不躾ですが、どの様なご関係なんですか?」

「どの様なご関係って、そんなに大袈裟なものじゃない。ただの幼馴染みで――」

「恋人です」 さらっと美音が口をはさんで、陽響が硬直する。その様子を眺めながら、アルカードは小さく息を吐いてクレープを口に入れた。

 横で石像みたいになっているフィオレンティーナと、テーブル越しに美音の脳天に手刀を落としている陽響を見比べる。フィオレンティーナの視線の温度がものすごい勢いで低下し、しまいには変質者を見る様な醒めた表情になっていた。

「ヒビキさん、でしたね」 冷静だがところどころに棘の生えたつっけんどんな口調で名を呼びながら、フィオレンティーナが制服のポケットから文庫本サイズの聖書を引っ張り出した。

「わたしに人の趣味や性癖に口を出す権利はありません。でも――」

「おいおい、店の中で刃傷沙汰とか勘弁してくれよ? あとわかってると思うけど、外から見えてるんだからな?」

「大丈夫です、ただの護身用ですから」 テーブルの上に聖書を置いたまま、フィオレンティーナがアルカードの言葉にそう返事を返してきた。

「否ちょっと待て、なんでそうなる。違うだろう、誤解だ。俺は幼児嗜好でもないし変態でもない」 弁解する陽響の言葉を、

「そうだよ。ひーちゃんは変態じゃないよ。仮に変態だとしても、変態という名の紳士だよ」

 美音が横から叩き潰す。駄目じゃん。

「いいからおまえはちょっと黙ってろ」

 フィオレンティーナの青い瞳が、今もなお視線の温度を下げている。それを見ながら、アルカードは溜め息をついた。

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