Black and Black 32

 僅かな時間で、相手の戦闘スタイルを推理する。おそらく利き手は右。腰と肩から腕にかけての動きが、まるで豹のそれの様に滑らかだ。左手の動きは若干遅い――意図的にそうしているのかもしれないが、そうだとしたらたいしたものだ。おそらく片手が主体になる接近戦用の武器が得物だが、あまり重いものは好まない様にも見えた。あまり近接距離の格闘戦には通暁していない様にも見えたが、単なる偽装の可能性もある。

「失礼いたします。こちら、メニューとお冷やです」 あくまでも警戒を崩さず男の様子を観察する陽響の様子を気に止めた様子も無く、金髪の青年が自然な動きでコースターをテーブルにふたつ並べ、水が結露したグラスをコースターの上に置く。

「あんた、何者だ。なんで闇の眷属ミディアンが、聖堂騎士と一緒にいる」 再びドイツ語で話しかけると、金髪の青年はさして気にした様子も無く、

「……どういう意味の質問かわからないが、俺はこの店の店員だよ。闇の眷属ミディアンであることは否定はしないがね。彼女と一緒にいるのは成り行きかな」 手も止めず表情も変えず、警戒した様子も見せずに、彼はそう答えてきた――声色や表情、視線の動きからは嘘を言っている様には見えない。嘘をつく理由がなにかあるかと言われたら、別段思いつかなかったが。

「成り行きというのはわからなくもないが、ウェイターをやってる吸血鬼なんてものを見ることにあるとは思わなかったよ」

 その言葉に、金髪の青年の笑みが少しだけ深くなった。

「よく気づいたな」

「経験と理論から導き出された結果だ。推理自体は難しくなかったよ――聖堂騎士が追うのは人以外の霊長だ。特に吸血鬼がメインで、後ろの聖堂騎士は吸血鬼であるあんたが人を襲わないか目の届く範囲で監視している、とかそんなところだろう?」

 あの少女が吸血鬼の傀儡になっている可能性が、零というわけではない――が、確率としては極めて低い。傀儡はイコール噛まれ者ダンパイアだ――上位個体に逆らうことは出来ないし、そもそも日の光が入ってくる屋内で昼間に活動するのは噛まれた吸血鬼にとって自殺に等しい。

「監視というかなんというか――まあ、それで正解だと言っておこうか。説明が面倒だからな――で? 監視があるから、安心してくれるのか?」

 その言葉に、陽響は思いきり顔を顰めた。

「冗談だろ――あいにく俺は敵かもしれない相手の言葉を鵜呑みするほど甘くないんだよ」 そう答えると、金髪の青年は適当に首をすくめた。信じようが信じまいがどっちでもいい、そんな顔だ。

 その反応に、陽響は吸血鬼の姿を視界に収めたままフィオレンティーナに視線を向けた。今のところ、彼女は窓越しに光の当たる場所には出てきていない――つまり現時点で、確率は低いものの彼女が噛まれ者ダンパイアという確証は無い。

 それに、問題はこっちの男だ――はっきり言って、フィオレンティーナなどどうでもいい。問題はこっちの――平然と窓際に近づいてきたこの男だ。

 

「そもそも聖堂騎士あの女が傀儡になってない保証なんてどこにもにゃい……にゃにすんだほ、みほほ」

 横から手を伸ばした美音に鼻をつままれて、陽響はそこで言葉を切った。

「ひーちゃん、店員さんに絡んじゃ駄目だよ」

 そんなことを言ってくる――ドイツで話しているのが災いしたのか、美音は陽響が店員相手に『絡んでいる』と思ったらしい。

 そもそも誰のせいでこんなことになってると思ってやがる。陽響は美音の手を乱雑に払いのけ、彼女の頬を掴んでぎりぎりと左右に引っ張った。ついでにそのままツイストを加えつつ上下に揺する。

「この馬鹿、誰のせいでこんな状況になってると思ってるんだ」

「いひゃい、いひゃい。ひゃめてよぉぉ」

「うるさい、このアホ」 呂律が回らなくなった美音に『お仕置き』をしていると、メニューを置こうとしている吸血鬼の肩が震えていた。どうやら、笑いを堪えている様だ。

「えぅぅぅ、いひゃいよー」 文句を言ってくる美音の声を無視して、陽響は再び吸血鬼に視線を戻した。

「さて、ついでだ――もうひとつ聞いてもいいかな?」 今度はフランス語に切り替えてそう声をかけると、吸血鬼はお盆を小脇にかかえつつ、

「どうぞ」

「この間、俺の仲間と鉢合わせしたらしいな」

「ああ」 それで美音だけでなく陽響もだと悟ったのだろう、金髪の吸血鬼が口元をゆがめながらそう返事をしてくる。

人形屑鉄をぶっ壊したことに対するクレームなら受けつけんぜ? ガラクタの修理費用も、あとスコールとロックオンの治療費も負担しない。けしかけてきたのはそっちだからな」

「それは別にいい」 陽響はそれまでぐいぐいひねり回していた美音の頬から手を離し、えぐえぐと泣いている彼女を親指でぞんざいに指差した。

「こいつを助けたというのは本当なのか? なぜ、無関係なこいつを助けたりしたんだ」 

 言葉がわからないからだろう、美音が目をしばたたかせている――フランス語どころか英語の成績も悲惨だった美音からすれば、まったく意味不明な音の羅列にしか聞こえないだろう。どのみち、彼女はそれどころではない。

「それは俺に聞くより、その娘に聞いたほうが早いんじゃないか? 同じ様な答えで悪いが、理由は成り行きと――あえて言えば利害の一致かな」 ころころ言語を変えても戸惑った様子も無く、金髪の吸血鬼はちょっと笑いながらそう返事をしてきた――ドイツ語もフランス語も陽響よりずっと流暢だし、フィオレンティーナとの会話もネイティヴスピードのイタリア語についていっている。おそらくいろいろな土地を、人間社会に溶け込みながら旅してきたのだろう。

「こいつはお取り込み中だ。それより利害の一致とは?」

「あの噛まれ者ダンパイアは俺も追ってたんでな――取り巻きは大部分、君らが処分した様だが」 露払いをやってくれるんだから、こっちから手を出す理由も無いだろう――そんなことを続けてくる。

「こっちからすれば、むしろあんたが露払いだったけどな――っと、俺は打ち止めだ。あとはドイツ語かフランス語で頼む」 金髪の吸血鬼にロシア語で返されたあたりで、陽響の語学力は限界に達した――中国語と英語はどうにかなるが、中国語は男のほうが話せるかどうかわからないし、英語は一般的な日本人の学校英語でも、会話の断片から内容が推測出来る。隣の美音がまだ頬をさすっているが、それは放っておこう。

「ならウィンウィンだな――しかしまあ、人間には変わったことを考える奴がいるもんだ」 そう返事をして、金髪の吸血鬼が笑う。

「近代兵器で武装した、複数の魔物による混成部隊。まさか、あんなものが見られるなんて思わなかったよ。しかもリーダーがこんな若い人間だったなんてな」

 陽響がリーダーだなどと言った覚えは無いのだが、シンとの会話内容から陽響が指揮官であると推察するのは難しくない。その点に関して、陽響は驚かなかった。

「意外か?」

「まあ、な――対魔装備としては未熟な印象を受けたがね」

 陽響の部下として扱われる『黎明の騎士団』は犬妖の一族である千前院を筆頭に、妖混じりの異能者やはぐれ魔術師、吸血種や人狼、鬼や蛟、果ては九十九神憑きの半人半妖まで、実に様々な種族で構成された『軍隊』だ。

 正規隊、遊撃隊を合わせて千名を越える彼等は、種族ごとの特徴と特技をなるべく生かしつつ、彼らの種族による能力の差をなるべく小さくするために近代的な武器で武装する。

 霊的な破壊力を持った武器が『灼の領域ラストエンパイア』で劣化してしまうのも、近代兵装を選んだ理由のひとつだが――銃器には特殊な細工がしてあるために、物理的な攻撃が効きにくい高位の魔物にも霊的なダメージを与えられる様になっている。

 彼が直接遭遇したのはシンと『スコール』、『ロックオン』――あとは戦闘終了後にナツキとスイ、それにセリが直接接触していたか。あとは『ネメア』と――アヤノは完全に意識を失っていただろう。

「使い魔を保持した魔術師は、別に珍しくもないが――魔術師でもない人間が、あれだけの数の魔物を支配下に置いてるってのもなかなか珍しい。ましてそれを軍隊の様に指揮統率してるというのは、普通は思い至らないだろう――近代兵器にこだわりすぎな印象も受けるが」

「どういう意味だ?」

普通弾ボール曳光弾トレイサーは貫通力が高すぎて、あの手の加工を施して使うには役に立たないぜ――接触した瞬間に一気に魔力を放出するタイプのものじゃなく、一定時間に放出する魔力の量が決まってるからな。体内にとどまってる間は魔力を放出し続けるが、逆に言えば体内に入り込んでいる間しか霊的なダメージを期待出来ない。だからあの程度の数を始末するのに、あれだけ派手に撃ち込まないといけなくなる――俺が最初に遭遇した奴らはMP7でそれなりに効率よく喰屍鬼グールどもを狩ってたのに、香坂じじいとやりあった奴らは違っただろう――M14にM4、どっちも銃弾の基本的な貫通力が強すぎる。あの手の得物を使うなら、アサルトライフルよりもCQB向きの銃を勧めるよ――最初に会った奴らが使ってた様な、MP7とかP90とか体内で停止する確率の高い軽量高速弾を使うタイプをな。あと、弾薬の共通化のために使用火器をばらばらにするのも避けることだ――弾薬が切れたときに隣の奴から分けてもらうことも出来ないからな」 環の報告によれば、彼は銃を使っていた――その時点である程度予測されたことだが、彼は近代兵器にも十分な知識があるらしい。

「……装備を扱ってる奴に伝えとくよ」 そう返答を返すと、金髪の青年は話を終わらせるつもりか上体を起こした。

「ごめーん! 遅れた!」 店内に駆け込んできた女性は女子大生の面々のほうに駆け寄って頭を下げると、勝手知ったる様子で空いた椅子に腰を下ろした。

「遅いよ、梨葉」

「参考書取りに戻るのに時間かかりすぎ」

「なにやってたの?」

 彼女はフィオレンティーナが差し出したお冷やを受け取って中身を一気に飲み干すと、乱れた呼吸を落ちつけようとしているのか一息ついて、

「ごめんごめん、ちょっと途中でトラブっちゃって」

「なにかあったの?」

「そう言えば、バッグ汚れてるよ」 吊るし上げじみた遣り取りに、彼女を心配する言葉が混じる。そこらへんでどうでもよくなって――ついでに首も痛くなってきたので――、陽響は彼女たちのほうから視線をはずした。

「実はヤクザに絡まれて」

「ヤクザぁ!?」

「ちょっと、月乃。落ち着きなさいって」

「どういうことよ、梨葉」

「大丈夫なの?」 口々に問いかける三人――正直やかましい――の言葉に、梨葉と呼ばれた女性が、

「うん、平気。実は助けてくれた人が――」

「どうしたの? 豆が鳩鉄砲食らった様な顔して」

「小梅ちゃん。それ間違ってるよ」

「あー!」

「なになに、どうしたの梨葉!?」

 さらにボリュームが上がり、いい加減うるさくなってきたので、陽響はうんざりして振り返った。ちっ、うっせーな。

 視線を向けた先で、向こうもこっちに注目している。なぜ。

 まあ、理由はすぐにわかった――テーブルの向こう側の、それまで空いていた席に着いた女性に見覚えがある。

「ヤクザから助けてくれた人だー!」

「え? 嘘!」

「ほんとに?」

「あの人が?」

 席についていたのは、駐車場近くでチンピラから助けた女性だった。

「間違い無いの?」

「見間違えないよ」

「かっこ良すぎ。反則だよ」

「スゴイよ、本気マジ

「ヤダッ、超ヤバイ!」

 なにがどうやばいのかさっぱりわからない。女三人寄れば姦しいと云うが、四人に増えた女子大生の会話のボルテージは一気に上昇している。

 口々にしゃべっているせいで、それぞれの声が不協和音になり、怪音波じみた騒音になりつつあった――そうか、超やばいというのは俺の耳の話か。難聴の危険性か。

 溜め息をついたとき、

「ありがとう、って言ってきなよ梨葉」

「ちょっと小梅、押さないで」

「いいから、いいから」

「押したら、危ないって」 残りの三人に押し出されるみたいにして、梨葉と呼ばれた女性がこちらに歩いてくる。彼女は陽響のそばまで歩いてくると、

「えっと、その、さっきは、ありがとうございました」

 深々と頭を下げた。再び上体を起こすと、顔を真っ赤にしている。彼女は俯き気味にもじもじしながら、

「あっ、ああ、うん。まあ、怪我とかなくてよかった」 どう答えたものかわからずにそれだけ言っておく。だが、彼女はそれで立ち去る様子を見せなかった。

「それで、あの、お願いがあるんですけど」 という言葉に、眉をひそめる――どうして礼を言ったあとに『お願い』がくるんだ?

 梨葉はしばらく口ごもったあと、意を決した様に右手を差し出してきた。

「あ、あ、握手してください!」

「……はい?」 意味がわからずに、陽響はそう尋ね返した――ただ断る理由も思いつかず、差し出された手を握り返す。五秒間ほど待ってから、陽響は完熟トマトみたいに真っ赤になった女性に声をかけた。

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