Black and Black 31

「ひーちゃんてば!」

「黙ってろ!」 こちらのあからさまな敵意と警戒を目にしても、金髪の青年は別段動きを見せない――あえて言うなら、入り口をふさぐなよ、と考えている様に見えなくもない。

「そんなに警戒するなよ、少年――別になにもしやしないさ」

 陽響にだけ聞こえる様な小さな声でそう言って、金髪の青年は再び笑みを漏らした。

「悪いが信用出来ない――おまえは魔物だろうが」

 日本語に対してドイツ語で返答しながら、男の挙動を観察する――ドイツ語での返答を選んだのは周囲の人間に聞かれるのを懸念したからだが、男に理解出来たかどうかはわからない。すぐに反応が無ければ別の言葉で言い直すつもりだったが、男は少し笑みを深めて肩をすくめた。

「そいつは残念だ」 宣戦布告ともとられかねない発言だったが、男は相変わらず別段動きを見せないままドイツ語で返答してきた。

 どうする? 男は動きを見せていない――考え様によっては先制攻撃の機会だったが、男がこの状況で余裕を見せていられるのは陽響がどんな行動をとっても対応出来る確信があるからだともとれる。となると、不用意に仕掛けるのは自殺行為にしかならない――安易な行動は、より直接的に美音を危険に晒す。

「出来ればそこをどいてほしいな、出入り口だから」 という男の言葉を無視して、思考をめぐらせる――隠し持った装備はナイフ二本と鋼線、それに短銃身のデリンジャー。

 接近戦での制圧は無理だ――この距離では抜き打ちを仕掛けるよりも素手で殴りかかるほうが早い。人間ならまだしも人外生物を相手に、スピードで凌駕出来るかどうかは分の悪い賭けになる。ついでに言えば、陽響が魔力を這わせたナイフや鋼線で傷を負わせたとして、それがどの程度の効果を見込めるかも怪しい。

 体術による制圧も無理だろう――まだ相手の正体はわからないが、人外生物の大半は肉体の能力が人間とは比べ物にならない。上位の魔物たちの中には、基底状態でも生身のころの百倍に達する凄まじい筋力を持つ者もいる。たとえ組み伏せたところで、単純な力任せであっさりひっくり返される公算が高い。

 まして男の反応速度がこちらを上回っていた場合、最初の一撃をしくじった時点で――あるいは一撃目だけは成功したとしても――あとは体勢を立て直すいとまも無く一方的に叩きのめされる可能性もある。

 腕に仕込んだパーカッション・デリンジャー――これも不可だ。キロネックスの特性を附与した銃弾は命中すればそこから全身の細胞を自壊させて数秒以内に相手を即死させるが、命中させられるかどうかがまず怪しい。

 さらに仕込んだ銃弾はキロネックスの異能そのものとは異なり、無生物に対しても効果がある。下手にはずせば、建物ごと自壊させて瓦礫の山になりかねない――当然自分と美音も巻き添えだ。被害を度外視して戦いを挑むという選択肢もあるが、美音の目につくところで一般人を巻き込めば、神界からの美音への責任追求は免れないので除外するしかない――そもそも自分自身も巻き込まれることを覚悟して攻撃を仕掛けたとしても、損傷の修復速度はおそらくあの男のほうが圧倒的に速い。ダメージは同等でもリカバリーの速度がまるで異なる以上、試みるのは自殺行為でしかない。

 攻性異能による不可避攻撃――これも出来なくはないが、難しい。相手の防御を無視して霊体を完全に破壊する手段もあるにはあるが、彼が回避出来ないほどに範囲を広げれば美音まで巻き込むことになる。ついでに言えば攻撃準備が整うまでの間、のんびり待ってもくれないだろう。

 封印式を解除しての全力攻撃――も無理だろう。九音節に及ぶ解除式を唱えている間、この男がただ指を銜えて見ているとは思えない。正面から格闘戦になれば、陽響は絶対にこの男に勝てない。ただ美音の体を押しのけて一歩間合いを詰め、彼の胸に一撃拳を叩き込むだけ――人外であれば難しくもないその一撃で、陽響は胸郭を完全に破壊される。

 一秒にも満たない短時間の間に、次々と戦術を立てては破棄する。

 逃げるか? 美音を引き離した今の状況であれば、単純な撤退なら成功率はさほど低くない――あとから体力を使い果たして倒れてしまう可能性もあるが、まあそれはどうでもいい。初撃を防ぐことさえ出来れば、あとはどうにかなる――問題はその初撃を凌ぎ切れるかどうかだが。

 そろそろにらめっこにも飽きてきたのか、男が溜め息をつく。

「やれやれ、初対面だってのにずいぶんと嫌われたもんだ」

「――なにを仕事さぼってるんですか」 店の奥から顔を出したウェイトレス姿の少女が、金髪の男に横合いから半眼で声をかける。

「失礼だな、おい。ちゃんと接客してるだろ」

 少女のイタリア語に同じくイタリア語で返事をしてから、金髪の青年はがりがりと頭を掻いた。

 金髪の男がこちらから視線をはずした隙にさらに後退し――美音が扉と陽響の体の間にはさみこまれて抗議の声をあげるが、それはこの際無視してウェイトレスのほうに視線を向ける。うまくすれば、彼女をダシに使って金髪の男に隙を作れるかもしれない。

 少女の容貌をはっきり識別した時点で、陽響は自分の混乱がさらに深まるのを感じた。

 なんで聖堂騎士パラディンがここにいる?

 ウェイトレスの名前は知っている。世界最大の人類による対魔組織、ヴァチカン教皇庁の聖堂騎士団に属する聖堂騎士のひとりだ。名前はフィオレンティーナ・ピッコロ――聖堂騎士団は構成員の洗礼名を秘匿する、というかただ単に本名を使う規則があるから、おそらく本名だろう。

 それがどうしてこんなところで、この男と同じ職場にいるのかは知らないが――

 態勢を整えようとするより早く、陽響は石のごとく硬直した――硬直していたのは陽響だけかもしれないが。

 ぷりぷりしながら金髪の青年に文句を言っている少女と、後頭部を掻きながらその小言を聞き流している男。膠着した状況を横からあっさり打破したのは、予測しない方向からの声だった。

「あの、そこの席でいいですか?」 陽響が一瞬混乱しているうちに背後から抜け出した美音が、客が必ずレジカウンターの前を通る様に通路を作るためだろう、いくつか並べられた大きな植木鉢の向こうを指差している。

「はい、いいですよ。どうぞ、お嬢さん」 男は男で動きを見せない自分と向かい合うのに飽きたのか、さっさと美音が示した席のほうに彼女を案内すると、そのまま椅子のひとつを引いた。

「あ、やった。広い席だ」

 おいこら、ちょっと待て――絶句する陽響を尻目に、美音が店の壁寄りの四人掛けのテーブル席のひとつについて、あまつさえテーブルの天板を叩きながら、

「ほらほら、ひーちゃんも座ろうよ」 などと声をかけてくる。

「……」 こめかみが引きつる様な頭痛を感じて片手で頭をかかえながら、陽響はぎりぎりと眉を吊り上げた。よりによって撤退どころか、より危険な状況へと流れる様にスムーズに入り込みやがった。

 あ・い・つ・は――

「彼女が呼んでるぜ。早く行ってやったらどうだ、『ひーちゃん』?」

 戻ってきた金髪の男のあからさまに面白がっている口調に、知らずに奥歯がきしむ。

「あンの馬鹿――」 足音を消すことすら忘れて、美音のいるテーブルへと向かう。金髪の青年のかたわらを通り過ぎる瞬間にはかなり肝を冷やしたが、男は別段なにかしてくる様子も無く、含み笑いをこぼす以外はこちらに視線を向けることすらしなかった。

 早足で歩き、美音の隣の椅子を引いて腰を下ろす――向かいではなく隣に座ったことに疑問を抱く様子も無くこちらに笑いかけてくる美音に視線を向けると、

「いい席が空いててよかったね」

 お・ま・え・は・な――怒鳴る気力も無かったので、代わりに大きく息を吸い込む。

「ふえっ、なに怒ってるの?」  それが自分が起こって実力行使に及ぶ直前の癖だと知っている美音が、あわてて両手を上げる。その脳天に、陽響は躊躇無くチョップを叩き込んだ。

「イタッ!? な、なんでチョップするのー!」

 どうして殴られたかわかってない美音の脳天に、もう一発。

「イタッ、二度もぶった。おじいちゃんにもブタれたことないのにー」

 やかましい。おまえはどこぞの甘ったれパイロットか。

「うるさい、この馬鹿――少しは考えて行動しろ」

「な、なんのこと?」 目尻に涙を浮かべたままそう聞き返してくる美音に顔を寄せ、

「だいたい美音、礼を言ってたけど、おまえはあいつを知ってるのか?」

 小声で質問すると、美音はあっさりとうなずいた。陽響たちの生活範囲とこの街では、かなり距離が離れている――ここに来るのだって、自宅から高速も使って二時間かかったのだ。なにか特別な縁が無い限り、知り合う機会など無いだろう。

「えっと……ほら、さっき話してた、この間助けてくれた人だよ」 手刀を受けた頭をさすりながら、美音がそう説明してくる。

 さっき話してた――

 さっきというのがここに来る前、車内で話していた内容を指しているのならば――

「あいつが……?」

 うなじのあたりで束ねた背中まで届く癖のある長い金髪、ラテン系とアーリア系の特徴の入り混じった容姿、整った造作に人間とは異なる魔人の

 言われてみれば『正体不明アンノウン』――報告にあった月之瀬討伐戦の際に結界に侵入してきた吸血鬼と特徴が一致する――陽響自身は魔術通信網に接続出来ないので、視覚情報として受け取ったわけではないが。

 最後まで意図が知れないまま、手負いの状態だったとはいえ月之瀬を相手に常に優位に戦闘を進め、殺害した男。否、月之瀬を殺したことよりも左腕をほぼ封じられた状態でシンと互角の戦闘を演じたことのほうが驚愕に値するが。

 視線を転じて、客が少ないからかのんびりと仕事をしている男の様子を観察する――別段忙しいわけでもないからだろう、彼は店の中央附近のテーブルについた女の子ふたり連れと気楽に話をしている。

 たしかにあのときの魔力に近い印象を受けるが――胸中でつぶやいて、陽響は『不浄の裁定者』を展開して男の魔力を推し量った。外側に漏れている魔力も相当だが、それ以上に内側に秘められた魔力量がすさまじい。

 あっちは真逆か――胸中でつぶやいて、バックヤードの入口のところで男の動きを視線で追いながら、お冷やの用意をしている聖堂騎士に視線を移す。『不浄の裁定者』では、その存在が感知出来ない――なんらかの異能だろうか。異能に分類されるほどの極端に強力な抗魔体質は結界や検索術式、霊的薬物の効果を完全に防御するから、それかもしれない――ステルス爆撃機の様なものだ。そこにいても、レーダーに引っかからない。

「どうしたの、ひーちゃん」

「否、別に」 短く答えて、陽響は金髪の男と少女、どちらからも注意をはずして美音に視線を向けた。

 暢気な奴だ。陽響がさっきの数秒でどれだけ気を揉んだかも知らずにのほほんとした表情を見せている美音を見下ろして、彼は溜め息をついた。もう二、三発殴っておこうか。

「ん、なーに?」

「おまえ、無防備すぎるぞ。助けられたといっても、相手は『騎士団』が苦労した吸血鬼を一撃で斃す様な奴だぞ」 噛んで含める様な口調でそう言い聞かせても、美音の返答には危機感の欠片も無かった。

「もう、心配しすぎだよ。わたしは悪い人じゃないと思うけどなー」

「……あのな」

 頭痛がひどくなるのを感じながら、陽響はこめかみを親指で揉んだ。

「ほら、だって悪い人なら助けてくれないと思うよ」

 まあ、それは確かにそうだ。特段の理由が無い限り、一度助けた相手を殺すなどというのは無駄以外の何物でもない。そんな状況があるとするなら、標的を斃すのにそいつを生かしておく必要がある場合だが――もしそんな動機であれば、美音の周囲に誰かしら死人が出ているだろう。

 だが状況は変わるものだ。それまで邪魔にならないから、あるいは利用価値があるから放置していた相手を、必要に応じて殺傷する状況などいくらでもあるのだ。

 相手の正体も実力も目的もわからない以上、警戒しておくに越したことは無い。

「だいじょーぶ、わたしが保証するよー」 まったく信用出来ない保証の言葉を聞き流して、陽響は再び金髪の青年に視線を向けた。彼はフリルのついたエプロンをつけた聖堂騎士――よく考えるとすごい光景だ――になにやら小言を言われている。

 金髪の男は少女のお小言にはすでに慣れっこになっているのか、それを聞き流して少女の手からお冷やとおしぼりの載ったお盆を受け取った。

 さすがにネイティブのイタリア語は、陽響ではついていけない――が、先ほどの状況について問い質されているらしい。金髪の青年が適当に聞き流しているのが気に入らないのか、少女の声のトーンが跳ね上がりかける――金髪の青年は嘆息して、手を伸ばして少女の口を手でふさいだ。

「うるさい」

「うるさいって――」

「いいから黙れって――言葉の意味はわからなくても、口調が剣呑なのは聞いてればわかるんだぜ」 彼はそれだけ言って、フィオレンティーナの制止を黙殺してこちらに歩いてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る