Evil Must Die 24

 

   *

 

 狩野川産婦人科医院の建物は地下が有料駐車場になっていて、患者以外の一般利用者でも利用出来る。院内に通じるエレベーターからさほど離れていないところに車を止めて、アルカードはエンジンを切った。

 病院内に綾乃を迎えに行くべきかしばらく迷って、やめにする。院内の様子はアルカードも知っているが、駐車場に降りてくるのは簡単だ――自分で動ける状態なら、わざわざ迎えに行く必要も無い。それに、この状況なら子供たちのほうが優先だ。

 ずっとチャイルドシートに座っているのも窮屈だろう――アルカードは後部座席のドアを開け、子供たちの体をチャイルドシートに固定しているハーネスをはずしてふたりを床に降ろしてやった。

 『地下駐車場にいる。会計のときに駐車場の割引券をもらってきて』――携帯電話を取り出してそうメールを打ってから、アルカードは後部座席のドアを開けて子供たちを降ろしてやった。

「あー、わんわんは?」

「ん、わんわん? こっち」 秋斗の言葉にアルカードは子供たちを車体の後方に連れていくと、バックドアを開けて収納スペースに座らせてやった。

 収納スペースで床にうずくまっていた仔犬たちが、遊び相手を得てじゃれついていく。子供たちや仔犬が落ちたりしない様に開け放したバックドアの前でその様子を見守っていると、背後からポンと肩を叩かれた。

 振り返ると、傘袋に入ったままの傘を手にした綾乃が立っていた。接近には気づいていたので平然と振り返ると、もう少し驚いてほしかったのか、綾乃は不満そうな表情を見せて、

「こんにちは、アルカードさん。わざわざごめんね」

「その表情で言うことじゃないぜ」 そう答えてやると、綾乃はますます眉根を寄せて、

「だって、もうちょっと驚いてほしかったんだもの」

「あいにくその手の可愛げを、俺に期待するのは間違いだ――あっくん、みーちゃん、お母さん来たよ」

 母親の姿を目にして、ふたりの子供たちがいきなり泣き出した――まあ無理もないが。綾乃のほうも飛びついてきた子供たちを抱き寄せながら、

「もう、あんたたちは! 勝手に出て行ったりして!」

「ごめんなさいぃ」

 泣く三人を横で見守りながらどうしたものかと思いつつ、アルカードはしばらくぽつねんとその場で状況が終わるのを待っていた――横から口をはさむのも空気読めてない気がする。まあ、空気なんて読めても読めなくても、たいていの場合面倒しか招き寄せないものだが。

 まだべそをかいている美冬の頭を撫でてやってから、アルカードは三人の注意を自分に向けるために手を打ち鳴らして、

「さて、たがいの無事が確認出来たところで、そろそろおうちに帰らない?」

「あ、そうね」 同意して綾乃がうなずくのを確認してから、アルカードは手を伸ばして美冬を抱き上げた。

「ごめんね、もう一回さっきの椅子に座ってもらうよ」

「チャイルドシートあったの? アルカードさんが持ってるのかどうか、気になってたんだけど」

「蘭ちゃんたちのお古がね――でももう棄ててもいいかもな。これが最後のお務めだ」 そう答えながら、アルカードは美冬の体を手早くハーネスで固定した――雨を気にしなくていいって素晴らしい。

 シートバック越しに様子を窺うと、綾乃は見るからに楽しげに犬三匹をあやしていた。

「ねえ、アルカードさん。この子たち、名前なんて言うの?」

「黒いのがソバ、白いのがテンプラ、茶色いのがウドン」 答えてドアを閉め、再びバックドア側に廻り込む――アルカードは手を伸ばして秋斗の体を抱き上げ、片腕で子供の体を抱っこしたまま後部座席のドアを開けた。小さな体をチャイルドシートに手早く固定して、最後に秋斗の頭を軽く撫でてやってから、後部座席のドアを閉める。

「さ、乗った乗った――あ、助手席右だから。傘は後ろに置いといてくれよ」 綾乃に乗車を促して彼女の傘をロールバーに固定し、アルカードはバックドアを閉めた。

 運転席に乗り込むと、綾乃はまだ車に乗っていなかった――助手席のシートの上に置いてあったクッキーの詰まったタッパーウェアを手にとって、

「どうしたの、これ」

「あっくんとみーちゃんで作ったんだよ――うちにいる間の遊び程度に」

「へえ」 タッパーごとひっくり返して中身を確認しながら、

「ほんとにありがとね、いろいろしてもらっちゃって」

「いーよ、別に――雨で外に出たがらない犬の相手してくれて、ありがたいくらいだったんだから」 そう答えて、アルカードはエンジンをかけた。綾乃が助手席のドアを閉めるのを確認して、シフトレバーを二速セカンドに入れる――ギア比の大きなヒルクライム用のローギアがディファレンシャルに組まれているので、舗装された平地では一速ローはトルクが太すぎて使いにくい。

「なにか用事、ある? なにも無かったら直接君の家に行くけど」

「んー……無い」

 それだけ確認して、アルカードはアクセルを踏み込んだ――ここから深川までなら、十五分もあれば着く。たしか帰り道に、評判のいいシュークリーム屋があったはずだ。傘を探している間子供たちの面倒を見てもらったことに対する、少女たちへの礼はそれにしよう。

 ゲートに近づくとちょうど軽自動車が出て行くところに鉢合わせしたので、先に譲っておく――アルカードが視線を向けると、綾乃が柔らかな色合いのジャケットのポケットから黄色いチケットを取り出した。

 はい、と差し出された磁気テープを貼ったチケットを受け取って、ダッシュボードの上に置きっぱなしにしていた駐車券に手を伸ばす。

 軽自動車がゲートを抜けたのを確認して、アルカードはアクセルを踏み込んだ。

 

   *

 

 背中から生え出した無数の触手を蠢かせながら、巨大な蜘蛛がこちらに向き直る――それはさして気に留めず、アルカードは肩越しに背後を振り返った。

 少し近すぎるか――

 胸中でだけつぶやいて、アルカードは数歩前に進み出た。

 足を止めたところで――おもむろに手にしたショットガンの銃口を蜘蛛に向ける。装填されているのは自動拳銃の銃弾同様銀合金で作られた鳥撃ち用散弾バードショットペレットと彼自身の血液を混ぜた有機水銀を充填した、対フリークス用のスラッグ弾。

 敵の体内に入り込んだ瞬間に膨大な魔力を放出し、攻撃対象の魔力構造を破壊することで霊的に殺傷する魔弾だ。

 純粋な霊体には通用しないものの、形骸や肉体を持ってさえいれば損傷を与えうる。

 トリガーを引くと同時、左側の銃口が立て続けに火を噴いた。一発発射するたびにサブマシンガンはもちろん重機関銃も上回る反動で暴れ馬のごとく暴れるショットガンを力ずくで抑え込み、正確に蜘蛛に照準する。立て続けに撃ち出される強烈な銃弾は容赦無く巨躯を構成する霊体を引き裂くだろう。

 だがショットガンが火を噴いたその瞬間、石畳を突き破って地中から屹立した極太の触手がその銃弾を受け止めた。

 着弾の衝撃で触手の表皮が細かく裂け、どす黒い液体が細かな霧状に噴き出してくる。

 次の瞬間、虚空からにじみ出る様にして集まってきたキラキラと金銀に輝く粒子が、シャリシャリと音を立てて触手表面のずたずたになった傷口に流れ込み始めた――傷口に流れ込んだ粒子が激光を発したあと、傷口は完全に復元していた。

「ふん……復元能力はまずまず」

 そんなことをつぶやいて――わずかに重心を下げる。そのまま横跳びに跳躍した次の瞬間、頭上から降ってきた触手の先端に生えた強固な爪状の突起物が轟音とともに石畳に突き刺さった。

 石畳に喰い込んだ爪が引き抜かれ、触手が石畳の表面を撫ぜる様にして薙ぎ払う。簡素な屋根の下に設置された、いくつも柄杓の置かれた水盤――手水舎がその一撃の巻き添えを喰って薙ぎ倒され、吹き飛んだ屋根が御神木らしい招霊木に激突し、その衝撃で無惨にへし折られた御神木が地響きとともに横倒しに倒れ込む。枝葉の揺れるがさがさという音とともに、樹上で羽を休めていた雀が一斉に飛び立っていった。

 それを見送って、蜘蛛に視線を戻し――戻した瞬間、背後で轟音とともに地面が爆裂した。正確には背後に植えられた御神木を根こそぎ吹き飛ばして、巨大な触手が屹立したのだ。

 太い触手が鞭の様にしなり、頭上から肉迫する――次の瞬間、直径三メートル近い極太の触手が地響きとともにアルカードがいたあたりを叩き潰した。それを易々と躱して、襷掛けにした弾薬帯から十二番の弾薬ショットシェルを引き抜く。

 手にしたショットガンのレシーヴァー下面からは、爪状の突起物がふたつ突き出している。

 左右の銃身それぞれの機関部の撃発操作桿コッキングレバーだ――アルカードは装備ロードベアリングベストのポーチのひとつにグリップを引っかける様にして銃を保持しながら左側のコッキングレバーを引き、レシーヴァー下部の排莢口イジェクションポートから排出されてきた未発射の弾薬ショットシェルを地面に落下するより早く掴み止めた。排莢口イジェクションポートから先ほど取り出した弾薬ショットシェルを薬室に押し込み、コッキングレバーを放してボルトを閉鎖する。

 それらの作業を触手の打擲から逃れて地面に着地するより早くやってのけ、アルカードはショットガンを据銃した。

 トリガーを引くと同時に左側の銃口が火を噴き――自動車一台吹き飛ばせる高性能爆薬と雷管を埋め込んだ徹甲スラッグ弾が蜘蛛の八個ある眼のひとつに突き刺さり、深々と喰い込んでから爆発する。蜘蛛の顔面が内側から爆裂してずたずたに裂け、瞬間的に焼け爛れた細かい肉片とどす黒い液体がびちゃびちゃと音を立てて周囲に飛び散った。

「ぎおぉぉぉぉっ!」 それが蜘蛛の悲鳴なのだろう、くぐもった聞き取りにくい絶叫をあげながら、蜘蛛がその場で崩れ落ちる。

「そうやって無駄に大きな肉体を構築する奴はちょくちょく見かけるがな――」 心底からの侮蔑をこめて、アルカードは鼻を鳴らした。レシーヴァー上部の給弾口から新しい弾薬を次々と押し込みながら、

「――肉体を大きく作ったら自重で動きが鈍くなるし、そもそも標的マトが大きくなるだけなんだよ。そうやって図体を無駄に大きくすれば、誰でも彼でもおびえてくれるとでも思ったか――重量が増えれば破壊力も上がるが、自重を駆動するパワーと機動性の折り合いというものがあるんだよ」 自身のいだく侮蔑の念を隠そうともせずにそう言い放ち、アルカードは手にしたショットガンをコートの下にしまい込んだ。

「おのれ……おのれェッ!」

 毒づきながら身を起こす蜘蛛の顔の下あたりで、汚らしい肉片と体液がこびりついた砕けた石畳がちょうどアイスクリーム屋のスプーンで丸くえぐられた様に半球状に消滅し、金銀に輝く粒子となって蜘蛛のずたずたになった顔面に流れ込んでいく――次の瞬間、蜘蛛の顔面は何事も無かったかの様に修復されていた。

 思ったよりも早いな――蚯蚓の様な環節を持つ触手が、うなりをあげてアルカードに襲いかかる。回避行動をとったアルカードの背後に鎮座していた狛犬が太い触手に叩き潰され、哀れにも粉々に破壊されてしまった。

 罰当たりな奴だ――否、罰を当てるのはあの蜘蛛か。十五メートルほど離れた鳥居の笠木の上に降り立って、アルカードは皮肉をこめて笑った。

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