Evil Must Die 25
*
SHINJOとアルファベットで表札の出たシャッターつきのガレージのある二階建ての住宅の前で、アルカードは車を止めた。
相変わらず雨がやむ様子は無い――風に乗って吹きつけてきた大粒の雨滴がひっきりなしにジープのフロントシールドに衝突しては砕け散り、それをワイパーがせっせと掻き落としていく。
「ここらへん、駐車大丈夫かな?」
「パトカーの巡回は通るから、やめたほうがいいかも。ちょっと待ってて、家の中からガレージのシャッターを開けてくるから、とりあえずそこを使って」 綾乃がクッキーの入ったタッパーウェアを持ったまま助手席のドアを開けて素早く外に出ると、そのまま玄関の庇の下に走り込んだ――彼女の傘まで後部に縛着したのは失敗だったと今更ながら舌打ちしつつ玄関の施錠を解除して扉の向こうに消えてゆく綾乃を見守っていると、やがて電動シャッターが開き始めた。
二台くらい縦列で停められそうな奥行きのガレージにバックで車を入れてから、アルカードはエンジンを切って駐車ブレーキを引いた。自宅の建物と直接つながったガレージのシャッターのスイッチを操作してから、綾乃がジープに近づいてくる。
「すまない、君の傘まで荷台にしまったのは失敗だったな」
車を降りてそう声をかけてから、アルカードはチャイルドシートから子供たちを降ろしにかかった――ふたりとも車から降ろしてから、後部の収納スペースに固定してあった綾乃の傘をはずしにかかる。
「ねえ、アルカードさん。よかったらお茶でも飲んでいって」 チャイルドシートに脚の間から取り上げた傘を子供たちに渡してやっていると、綾乃がそう声をかけてきた。
「ん? でもこいつらがいるから」 外に出たいのかきゅうきゅう鳴いている仔犬に視線を向けてそう答えると、
「よかったら犬も連れてきて」
「いいの? じゃ御馳走になろうかな」 アルカードはジープのバックドアを開けてテンプラを抱き上げ、わんわん、わんわんと言いながら手を伸ばしている秋斗に抱かせてやった。足場が高すぎて降りるに降りられずにいるソバを抱き上げて美冬に預け、自分はウドンを抱き上げる。
ガレージの壁に設けられた扉は、家の建物の玄関に直接通じている――綾乃が先に家に上がり、犬の肢を拭くための雑巾を取って戻ってきた。
犬の肢を拭いて廊下に放してやると、犬たちははじめて入る家の中だからかしきりに匂いを嗅ぎ始めた。
秋斗と美冬が一匹ずつ抱き上げて、リビングへと連れていく――残ったソバが足首にしがみついてくるのを抱き上げて、アルカードもリビングに続いた。
ダイニングと続きになったリビングは洋間が三分の二、残りの三分の一は洋間よりも三十センチほど高くなっており、畳敷きになっている――そういう建築の仕方をどういうのかは知らないが、掘り炬燵がどうしてもほしかった綾乃の要望なのだと聞いたことがあった。
綾乃が外出着を着替えにダイニングから出ていくのを見送って、アルカードは子供たちの隣に腰を下ろした。秋斗と美冬は畳の上に寝転んで、仔犬を高い高いしている――膝の上で後肢立ちして胸元に鼻を近づけてくるソバの耳の後ろを軽く掻いてやっていると、普段着に着替えた綾乃がダイニングに顔を出した。
「ちょっと待ってて、すぐ準備するから」
「よかったら俺がやるが」
「やめてよ、お客さんなのに」
ウォーターサーバーから水を薬缶に移している綾乃を見ながら妙な顔をしているのに気づいてか、綾乃が軽く首をかしげる。彼女は薬缶を火にかけながら、
「どうかした?」
「否、いいものなのか、それ?」
「ああ、ウォーターサーバーのこと? うん、悪くはないと思うけど」 綾乃がそう返事をしながら、水だけ飲んでみろということなのかコップに酌んだ水を持ってくる。
口に含んでみると、若干甘い――よく冷えていると水は結構味が違うものだが、これもその例に漏れないらしい。
「美味いな」
「アルカードさんのお店にも無かった、こういうの?」
「ああ、サントリーのやつがある。でも飲んだことが無いんだ――店にあるのはただのお冷用だし」 空になったコップを返してから、アルカードはソバを床に降ろしてやった。綾乃の足元に近づいて差し出された指の匂いを嗅いでいるソバから視線をはずし、窓の外に視線を向ける。
雨足は多少ましになったものの、相変わらずやむ気配は無い――庭に面した窓から外に視線を向けると、雨樋からあふれ出した水がそこらじゅうから滴り落ちているのが視界に入ってきた。
「あめ」
「うん、そうだね」 美冬の言葉にうなずいてから、アルカードは美冬の膝の上に顎を載せているテンプラの頭を軽く撫でた。
コンロに掛けられていたけとる洋式の薬缶がピーッと音を立て、綾乃はそれまで抱っこしていたソバを降ろしてキッチンに戻っていった。
†
「全然雨やまないね」 老夫婦の自宅の二階、本来は別世帯用の子供部屋で、凛がベッドのへりに腰掛けて足をぷらぷらさせながらそんなぼやきを漏らす。
頑丈なベランダに置かれた手作りのものらしい木製のブランコと滑り台――蘭の話だと、蘭が一歳になったばかりのころにアレクサンドル老(材料調達・出資)、恭輔(設計・組み立て)、アルカード(資材運搬・組み立て)の三人で作った合作らしい――が、風に乗って吹き込んできた雨粒を浴びて寂しげに濡れている。
雨は相変わらずやむ様子が無い――先ほどに比べれば雨足は弱まったものの、それだけだ。いつぞやの雨の多い時期――ツユよりもひどいかもしれない。というよりも、ツユ数日ぶんの雨量が一気に降ってきている様にも思える。
「そうですね」 ベランダ全体を覆う紫外線防護加工の施された茶色っぽい透明の樹脂で出来た庇の表面を流れ落ちていく雨水を見遣って返事をしてから、フィオレンティーナは小さなテーブルの上に積み上げたジェンガの木片の一本を慎重に抜き取って上に移動させた。
テレビにゲーム機をつないで、パオラが蘭と対戦している――この双子はフィオレンティーナに比べるとテレビゲームの類に慣れているらしく、彼女の父親と同じ名前の世界一有名な配管工が操るカートを上手に操作している。
一応そのシリーズの概要くらいは知っているが、あのお姫様、何回誘拐されれば気が済むのだろう。あと、もうそろそろいい歳だと思うのだが。
凛が木片をそっと抜き取り、フィオレンティーナが置いた木片に並べる様にしててっぺんに置いた。
さて、次はどこを抜こうか。思案しながら腕を組んだところで、フィオレンティーナは動きを止めた。
「どうかした?」 ふたりの様子を横から眺めていたリディアが尋ねてきたので、フィオレンティーナは首をかしげ、
「今、アパートのほうから音がしませんでしたか? 硝子の割れる様な」
「さあ、気づかなかったけど」
向かいで座っている凛が、気づかなかったのか首をかしげてみせる――フィオレンティーナは立ち上がって、子供部屋から廊下に出た。
子供部屋は二部屋並んでおり、滑り台が置かれたベランダにはその両方から出ることが出来る造りになっている。子供部屋は裏側に面していないので、アパートの全景を窺うことは出来ない――が、一階から二階に昇る階段の踊り場が家の裏手に面しており、ルーバー状の通風窓から裏庭越しにアパートの様子を窺うことが出来る。
一階と二階を分離する鍵つきの扉の設けられた踊り場で、フィオレンティーナは窓を操作する取っ手を手に取った。
細長い窓硝子の角度が変わり、その隙間から裏庭の様子が視界に入ってくる――向かって一番左端、アルカードの部屋の庭に面した掃き出し窓が割れている。窓が開いて部屋の中に風雨が吹き込んでいるのが見えた。
開けた通気窓はそのままに、フィオレンティーナは一階に駆け降りた。子供部屋におやつを持っていくつもりだったのか、個包装されたシューアイスとジュースのグラスが載ったトレーを持ったデルチャと鉢合わせする。
「どうしたの?」
「泥棒です――アルカードの部屋に」
手短に説明すると、足音を聞きつけて顔を出した陽輔がリビングから出てきた。一緒についてくるつもりなのか玄関に出てくる。
そちらのほうが早いということなのだろう、陽輔が靴だけ持って玄関から取って返し、店の建物のほうに移動する。店と老夫婦の自宅を隔離する扉は、自宅側からは内ノブで開けることが出来る――店側には鍵穴が無いので、施錠してしまえば店側から自宅に侵入することは出来ない。
店と自宅の間の土間で靴に履き替えて、ふたりは裏口から店の裏手に出た。泥水でぬかるんだ地面に飛び石の様に並べられたコンクリート製の側溝の蓋を踏んで塀に設けられた扉を抜けると、やはりアルカードの部屋の窓が割れている。中を覗くと、土足で踏み入ったと思しき足跡がついていた。
「玄関に回ろう」 濡れ鼠になった陽輔が、フィオレンティーナを促す。
共用廊下側に廻り込むと、扉は開け放されたままになっていた――痕跡としてはあからさますぎる気がする。
「あわてて逃げた感じだね」 そう言って、陽輔はフィオレンティーナに視線を向けた。たった数十秒外にいただけなのにずぶ濡れになっているフィオレンティーナの姿に眉を顰め、
「アルカードさんを呼び戻そう。君はとりあえず着替えてきたほうがいい」 並びに自宅のある自分より彼のほうが厄介だろうに、陽輔はそう言ってから――ひとりで再度裏庭に取って返した。
それを見送って――どのみち傘を取ってこなければもう一度老夫婦宅に行くときに再び濡れ鼠になるのだと気づいて、フィオレンティーナはとりあえずアパートの門から外に出た。傘は自宅側の玄関に置いてあるので、店のほうから取りに行くよりも正面から回ったほうが早い。
話し声が聞こえて見上げると、子供部屋の窓から顔を出したデルチャが、ここからは死角になって姿の見えない陽輔と話をしているのが見えた。
「うん、泥棒だ。アルカードさんを呼び戻して――否、俺はここにいる。玄関が開けっ放しになってるから」
その会話を聞きながら、フィオレンティーナは老夫婦宅の玄関の取っ手に手をかけた。
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