Evil Must Die 21

 秋斗の頭を軽く撫でてやってから、アルカードはリビングに残っていた美冬に声をかけた。美冬が着ないままソファに置いていたパーカーと自分のレザージャケットをまとめて持ち、美冬を玄関に連れ出して、空調のスイッチも切って電気も消す。

 子供たちをそこで待たせて、アルカードは手早く靴を外履きのブーツに履き替えた。ぐしょ濡れになったブラック・ホークⅡの代わりに取り出した同じメーカーのサイドジップアップ・タイプのブーツを履いてから、秋斗に向かって手招きする。

 最初に秋斗、次に美冬に靴を履かせてやり、アルカードは美冬にパーカーを着せてやった。続いて自分がジャケットを羽織り、傘を三本ばかりまとめて持って玄関の施錠をはずす。

「わんわんは?」

「ん?」 ジャケットの裾をちょいちょいと引っ張ってそう尋ねてきた秋斗に、アルカードはちらりと視線を向けて、

「連れていく?」

 秋斗がうなずいたので、

「わかった。じゃあ一緒に行こうか。でもとりあえずは、あっくんとみーちゃんが先に車に乗ろう」

 そう言って、アルカードはふたりを共用廊下に連れ出した。ふたりの子供たちは、懐いている相手に待っている様に言われると梃子でもそこから動かない。

 もともとおとなしいところもあるが、きちんと躾されているのと、それ以上に利口なのだろう――してはいけないことは一度言えばきちんと理解するし、賑やかなところに連れて行っても保護者の目の届かないところまで走っていったりもせず、保護者のそばから離れたりもしない。

「はい、右を見て、左を見てー。ひともぶーぶーもわんわんも来ないね。じゃあ行こうか」

 アルカードはふたりを連れて門から外に出ると、すぐ左手に行った先の道路までふたりを誘導した。左右に視界を貫く道路は右へ行くと硲西交差点、その向こうにはショッピングセンターがある――駐車場からだと右方向に車を出して、そのまままっすぐ行けばいい。

 アルカードはアパートの塀を延長する様にして道路の際まで伸びた自分の駐車場の塀を廻り込んで駐車場に入ると、アイドリングを続けているジープに近づいた。

 秋斗のほうが少し体が大きいので、運転席側の三歳以降用のほうに座らせてやる必要がある。三歳児用は少し大きいかもしれないが、背中にクッションを入れてやればなんとかなるだろう。

 ちゃんとしたものをそろえるべきなのはわかっているが、現時点で手元に無いものを求めても仕方が無いし、そもそも家族のいないアルカードにとってはそんなもの無用の長物でしかない。

 青い傘を差した秋斗を車体の右側に連れていくと、アルカードはジープの後部座席のドアを開けた。自分の傘をドアのフレームとハードトップに引っ掛ける様にして両手を空け、アルカードのズボンを掴んでそばに立っている秋斗を抱き上げる――秋斗をチャイルドシートに座らせ、秋斗の傘は軽く地面に突いて雨滴を払ってから二脚のチャイルドシートシートの間に置いてやる。

 美冬が元いた場所でちゃんと待っていることを確認してから、アルカードは手早くハーネスを固定にかかった。

「痛いところはある? 大丈夫?」

「だいじょうぶ」 秋斗がそう答えたので、アルカードは小さくうなずいてドアを閉めた。

 おとなしく待っていた美冬を抱き上げて、助手席側のチャイルドシートに座らせてやる――傘を持ちたがっていたので持たせてやると、あとはおとなしくハーネスを締めさせてくれた。

 傘をやんわりと取り上げ、水滴を振り払ってからもう一度持たせてやる――それでドアを閉めて、アルカードは犬を連れ出すために再び部屋に戻った。さすがにチャイルドシートに座らせたままでは相手も出来ないだろうが、連れていくと約束したので連れていくしかない――それに、病院の駐車場で待っている間の暇潰しの相手くらいにはなるだろう。

 扉を開けて呼び掛けると、三匹の仔犬たちが玄関前まで走ってきた。上がり框から三和土に降りようとはしない。アルカードがリードを手に取ると、散歩に出るものと思ったのだろう、仔犬たちは我先にと共用廊下に転がり出たが、相変わらずの大雨なのに気づいて露骨に意気消沈してしまった。

 一気にテンションが下がって尻尾を振るのもやめてしまった仔犬たちを見遣って苦笑しながら、扉を施錠して三匹まとめて抱き上げる。アルカードはそのまま仔犬たちに穏やかな口調で話しかけながら、雨粒がかからない様に傘を翳して共用廊下の下から出た。

 これは信頼関係が出来ていると喜ぶべきなのか、仔犬たちはアルカードがそばにいさえすれば、雨の中で外に出てもパニックは起こさないらしい――駐車場に戻ってジープのバックドアを開け放ち、収納スペースに犬を放してやる。子供たちに抱かせるのはなにかあって落としてしまったりする可能性を考えるとちょっと怖いし、もし犬が暴れて子供に危害を加えた場合もとっさに対処出来なくなる。自分の傘をロールバーのフレームにマジックテープのストラップで固定してから、アルカードは仔犬がはさまらない様に注意してバックドアを閉めた。

 運転席に乗り込んでエンジンをかけると、子供たちがなにやらわくわくした様子でいるのがわかった――孝輔の家の車は車高の低いプリウスなので、こんなに高い視点から周りを見るのがはじめてなのかもしれない。

 ふと思いついて、グローブボックスを調べてCDを一枚引っ張り出す――前に乗っていたラングラーが大破したときに回収したものをそのまま突っ込んであるだけだが、七、八年前に凛や蘭向けに作った子供向けアニメの主題歌ばかりを収録したCD-RWがあったはずだ。

 目的のものを首尾よく見つけてカーオーディオにセットすると、ややあってインフィニティ製のスピーカーからアンパ●マンの主題歌が流れ出した――ちょっと低音が効きすぎるきらいがあるが、まあ仕方無い。アルカード自身が聴くのはロックがほとんどなので、低音が強いほうが好みに合うのだ。

 ルームミラーに視線を投げて子供たちが上機嫌なのを確認してから、アルカードはフォグランプのスイッチを入れてサイドブレーキをはずした。バックミラーで後方から車が来ないのを確認して、フォグランプを点燈させる。高輝度放電式の明るいフォグランプが、黄色みがかった光でアパートの塀を照らし出す。

 電圧が安定して若干色が変化するのを見届けてから、アルカードはシフトレバーを二速に押し込んでクラッチをつないだ。リショルムコンプレッサー式のスーパーチャージャーを組み込んだエンジンは、低速トルクが太すぎて空荷の状態では一速ローが使いにくい。

 上機嫌で歌っている子供たちの様子を窺ってから、すぐ前方の交差点の一時停止線で車を停める――見通しもいいとは言い難いし信号は設置されていないものの、数年前の事故で大ごとになって以来この街のコーナーミラー設置率は病的なレベルになっているので、視界に困ることは無い。

 この街は大雑把に言って街を東西に貫く幹線道路を挟んで南北に分かれており、ちょうどその境界線あたりが繁華街になっている――より正確に言うとちょうどショッピングセンターのあるJR沿線の北側から尾奈川の手前あたりまでで、歓楽街とともに市街としての主要な機能もその一帯に集中していた。そして尾奈川の向こうが深川――ここ七、八年ほどの間に再開発が進んで市に組み込まれ、町ではなくなったのだが――、子供たちの自宅のある新興の住宅街だ。ついでに言うと前にリディアにちょっと話をした、ガス管が破れて一帯全部が都市ガスを使えなくなったことのある地区でもある。

 狩野川産婦人科医院は近隣では有名な腕のいい産婦人科で、女性の医師がそろっているのと清潔な建物、雰囲気の良さで相談しやすいということもあって出産医院に選ぶ妊婦も少なくない。

 もともとは本条の先代の当主とその医大時代の同期が始めた総合病院の産婦人科医で、十年ほど前に独立して開業したのだと聞いている。アルカード自身は何度も会う様な関係ではないが、凛が生まれたときの担当医も彼女だ。

 産婦人科としては割と有名なほうらしく、わざわざ市境を越えてやってくる患者もいるほどで、一度か二度見舞いの送迎で付き添ったことがあるがいつも賑わっていた。問題があるとすれば、先述したとおり患者を捌く能力が若干低いことだろう。

 総合病院の現院長と本条の先代の当主と一緒に酒を飲んでいたとき、たまたま狩野川の院長が本条邸を訪ねてきて紹介されたことがある。

 そのときに笑いながら口にした紹介の口上が、『こいつが独立してから患者が減った』だ――自分の病院の患者減に対する嘆きとかつての職員の成功に対する喜びの入り混じった複雑な笑いではあったが、凛が生まれた日に彼女の祖母が事故に遭い危篤に陥った際に出産直後のデルチャと凛を総合病院に連れてくる手配をしてくれたあたり、独立した今でも関係は良好らしい。

 病院の規模よりも若干大きな地下駐車場も完備しているので、路上駐車をして駐車監視員におびえながら待つ必要は無い――幹線道路は見做し公務員が山ほどいて鬱陶しいので、その点に関してはありがたい。

 そもそも十分なキャパシティの二十四時間年中いつでも利用可能な公営の駐車場を用意しないまま駐車違反を取り締まっても、なんの役にも立たないと思うのだが。停めるところが無いから駐車場があったら利用するであろう人まで路駐せざるを得ないのだろうに――特にオートバイ――、この国はとにかく制度の片手落ちが多い。政治家が想像力が無いのか官僚に想像力が無いのか、あるいはその両方か。もう少しなんというかこう、建前だけでもいいからちゃんと出来ないものか。

 問題があるとすれば、中央分離帯で完全に区画されていてUターンが出来ないので、幹線道路の北側にある病院にすんなり到着出来ないことくらいだ――交差点近くに高速道路のインターチェンジがある関係で幹線道路の下り側はいつも混んでいるので、別にかまわないといえばかまわないのだが。

 ブロックごと左回りに回り込んだほうが早いか――頭の中でルートを考えながら、アルカードはアクセルを踏み込んだ。

 

   †

 

 半開きにした扉から顔を出すと、アルカードの部屋の前で凛が難しい顔をしていた。

 昨夜から家族と一緒に自宅に帰っていたはずだが、再度こちらに戻ってきたらしい――昨晩の話からするとそろそろ老夫婦も帰ってくるはずだし、彼女の祖父は老夫婦に会っていないから、挨拶のために顔を出したのだろう。

「どうかした?」 リディアが声をかけると、凛は困った様に眉根を寄せてこちらに顔を向けた。

「あ、お姉ちゃん――アルカードがいるかと思ったけど、いないみたい」

「アルカード? ああ――ほら、あの小さい子たちをお母さんのところに送って行ったんじゃないかしら」

「あっくんとみーちゃん? そうだね、もうあやちゃんの病院が終わったのかな」 凛が口元に指を当てて首を傾げてから、

「ねえ、お姉ちゃんたちもうちに来ない? おじいちゃんたちさっき帰ってきたから、一緒にお土産のお菓子食べよ」 という凛の言葉を聞くに、彼女にとっての『うち』という言葉の定義はどうにも曖昧な気がしないでもない――両親が頻繁に家を空け、叔父にあたる陽輔もいつも彼女たちの面倒を見ているわけにもいかないからだろう、リディアの知る限りこの子たちはほぼずっと老夫婦の家で生活している。おそらくそのせいで、『自宅』の定義が曖昧になっているのだろう。

「アルカードを待っておかなくてもいいの?」

 そう尋ねると、凛はちょっと考えてからかぶりを振った。

「アルカードはお酒があればいいから大丈夫。お菓子は作ってはくれるけど、自分じゃあんまり食べないから」

 その言葉に、リディアはちょっと考え込んでから、部屋の中を振り返った――昼食の洗い物を終えて先日の戦闘訓練のビデオの内容を見返していたパオラとフィオレンティーナが、こちらの視線に気づいて振り返る。

「なに?」

 凛の申し出の内容を簡単に話すと、パオラはこちらの玄関口まで移動してきていた凛に声をかけた。

「わたしたちがお邪魔してもいいの?」

「うん。お姉ちゃんたちも呼んでおいでってパパが言ってたから」 パオラとフィオレンティーナが視線を交わして、小さくうなずきあう。

「それじゃ、お邪魔しようかな」 歓声をあげる凛に一瞬視線を投げてから、リディアはアルカードから押しつけられ、いやいや違う、自分は食べないからともらったまま山積みになっていたお菓子に手を伸ばした。

 アルカード本人は酒肴になるものとかラーメンがあればそれで満足らしく、お菓子にはまるで関心が無い様子で、本人の宣言通りにフィオレンティーナが籠に入れたものを全部彼女に渡そうとしていた――さすがに見かねてパオラとリディアが止めると、ならばと全体の四割が三人の少女たちに、二割は子供たちに、三割は店の冷蔵庫に放り込まれることになった。ちなみに残りの一割はラーメンとラム肉、ソーセージとホワイトアスパラガスだったので、アルカードの手元に残ることになった。

「うちにもお菓子あるよ、昨日もらったのが」

「うん、でも今お父さんたちも来てるんでしょう? わたしたちだけじゃこんなに食べられないから」

「……そうだね」

 土産物を手当たり次第に籠に放り込んでいたどこかの誰か、約一名に視線を向けて、気乗りのしない様子で凛が同意してくる。

「アルカードは帰りが遅いのかしら――あの子たちのお母さんの病院って、遠いの?」 玄関までやってきたパオラがそう尋ねると、凛は首を振った。

「昨日行ったお店の近くだよ。ただ、いつもすっごく混んでる」

 靴を履いているパオラとフィオレンティーナを見遣って、リディアはいったん居室に戻ってパソコンの電源が落ちていることを確認した。

 側面に刺さった台湾製のUSBフラッシュメモリは、戦闘訓練の様子を録画した映像データを入れてアルカードが寄越したものだ。

 アルカードは戦闘訓練の様子を録画して後から自分でチェックさせるタイプらしく、DVDを消費するのを嫌がってUSBフラッシュメモリに映像ファイルを入れて渡してくるのだが――どうにもビットレートが高すぎて、そもそも音楽ファイルの管理とイタリアの親戚と連絡を取るためだけに中古で買ったノートパソコンで再生すると、妙にカクつくのが気になる。解像度も大きくフレームレートも高く、一秒分の映像を構成するデータ量が大きすぎて、負荷がかかりすぎているのだ。

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