Evil Must Die 20

 ――ぎゃぁぁぁぁッ!

 ――アァァァァァッ!

 ――いやぁぁぁぁぁァッ!

 頭の中に、再び無数の絶叫が響き渡る――今までどうやってしまい込んでいたのか知らないが、先ほどの掌打を繰り出すまでの間に手放していた不可視の得物を再び取り出したらしい。

 棚の上でまだ死にきれずに叫び声をあげている女を見下ろして、アルカードが右手に保持した不可視の得物を胸元めがけて突き込んだ。ずぐ、という音とともに胸を貫かれた女が動きを止め、そのまま塵と化して消滅してゆく。

「さて、あとは貴様だけか?」

 動けずに立ちつくしている無精髭を生やした男に視線を向け、アルカードがそんな言葉を口にする。

 三十人以上いた連中はすでに無精髭の男しか残っていない――どうも連中のリーダー格らしく、陽輔に暴行を加える指示を出したのもこの男だ。

 その場に立ち尽くしている男に、アルカードが歩み寄っていく。彼が一歩足を踏み出すたびに、甲冑の装甲の擦れる軋む様な音が聞こえてきた。

 アルカードの視線に射竦められて蛇に睨まれた蛙の様に硬直していた男がそのときになってようやく我に却ったのか、アルカードが近づくのに合わせてじりじりと後ずさって距離をとり始める。

「どうした。手下どもは死んだぞ? まさか大将がひとりだけ逃げるつもりか?」 後ずさるうちに壁にぶち当たった男が、今度は壁に沿って横に移動を始める。アルカードはさして気にした様子も無く間合いを詰めながら、

「逃げたきゃ逃げろ――女を犯す様な手合いもひとりを相手に袋叩きにする様な手合いも好かんから、逃げるのは勝手だが逃がさんがな」 そう言って、彼は左手の鈎爪状の刃物を顔の前に翳してみせた。

「ひぃっ……」

 短い悲鳴をあげて、男が壁から離れて倉庫の扉に向かって走り出す。

「やれやれ、最後は締まらねえな」 そうぼやいて、アルカードが床を蹴った――世界記録を更新出来そうなほどのダッシュを見せた男の背中に瞬間移動じみたスピードで殺到し、その背中に鈎爪状の刃物を突き立てる。

 弓形に背中をそらして絶叫をあげる男の体を刃物を刺したまま突き飛ばし、アルカードは右手で保持した得物を振るった。鼻から上が無くなった男の体が瞬時に塵と化して消滅し――あとに残ったジーンズと一緒に床に落下した鈎爪状の刃物が、床の上でぎゃりんと音を立てる。

 侮蔑の表情を浮かべる手間も惜しんで、アルカードは足元の鈎爪状の刃物を拾い上げた。そのまま踵を返して、香澄と陽輔のほうに歩いてくる。

 彼はふたりのそばにかがみこむと、まず陽輔に視線を向けた。

「来るのが遅くなって悪かったな――病院に行くまで耐えられるか? 必要なら鎮痛剤くらいは手元にあるが」

 陽輔が必要無いという様にかぶりを振ると、アルカードは今度は香澄に視線を向け、

「大丈夫か?」 伸ばされた手を振り払う様にして後ずさると、アルカードは少しさびしげに笑った。香澄がおびえるのは理解出来るのだろう、彼はそれ以上こちらにかまおうとはせずに立ち上がり、コートの下に手を入れてなにかを操作したあと、

神田セバ、俺だ――こっちの始末はついた。怪我人がふたりいるから、収容の手配を頼む」

 無線機でも使っているのかさらに二言三言交わしてから、アルカードはこちらに視線を落として、

「すぐに後始末をしてくれる連中が来る――彼らが君たちを病院に連れて行ってくれる」

「アルカードさんは?」 陽輔が尋ねると、

「一応、俺は彼らと顔を合わせるのはまずいんだ――保全上な。彼らはヴァチカンのスタッフだ――君らの面倒はきちんと見てくれるから、ここで待っていろ」

 アルカードはそう言って、倉庫の入り口のほうに歩き去った。

 

   *

 

 リビングの扉をそっと閉めると、それでも気配に気づいたのかテンプラがピクリと耳を動かしてこちらに顔を向けた。

 子供のそばに寄り添っているだけで抱かれていなかったらしく、テンプラがその場でのそりと身を起こすと、ソファから飛び降りてアルカードの足元に近づいてきた――かがみこんで手を伸ばすと、テンプラは指先に鼻を近づけて匂いを嗅いだあと指先を舌でぺろりと嘗めた。

 その場に折り敷いて抱き上げてやると、白い犬はアルカードの首元に頭をこすりつけてきた。頭を撫でてやってから耳元を指で軽く掻いてやると、機嫌よさそうに鳴きながら顎のあたりを嘗めてくる。ざらついた舌の感触がくすぐったくて笑い出しそうになったが、子供たちを起こしたくないのでそれはこらえておく。

 床に降ろしてやると、テンプラはその場でころんとひっくり返った。お腹をさすってほしいというサインだろう。手を伸ばして腹をさすってやりながら、少しだけ苦笑する。

 充電が終わってダイニングテーブルに放置してあった携帯電話が鳴り出したので、アルカードはテンプラのお腹をぽんぽんと二度叩いてから立ち上がった。

 着信はただの電子メールだったので、ボタンを押して着信音だけ黙らせてから、アルカードはメールを開いて内容を確認した。

 送信者は神城綾乃。

 内容を見てみると、『やっとあとひとり』とあった。そういえば昔デルチャがかかっていたときもこんな調子だったが、この有様で予約をわざわざとることに意味あるのだろうかあの産院。

 腕はいいのだが、患者を捌くのに必要な医者の人数が決定的に足りていない。あと、少数精鋭でないと医療の品質を保てないという意味合いもあるのかもしれないが、ひとりひとりの患者に対する診察や健診を丁寧にやりすぎて時間がかかるきらいがあるらしい。それ自体は決して悪いことではないが、予定に影響が出るのはどうなのだろう。

 そんなことを考えながら、アルカードは返信文を作成した。産院に喫茶店があるのは知っているので、『子供たちの食事はすんだから、自分の昼食だけ気にしててくれ』とだけ書いてから、送信ボタンを押す。

 足首に抱きついてじゃれついてくるテンプラをあやしながら一分ほど待っていると、再び携帯電話が鳴った――再度メールの着信だったので電話を手に取りメーラーを開くと、『わかった、あと三十分くらいで終わると思う』と簡潔に書かれていた。

 となると、もうそろそろ支度だけはしたほうがいいだろう。

 子供たちがまだ眠っているのを確認して、アルカードは浴室に足を向けた。扉を開けると、浴室乾燥機が供給するむわっとした空気が押し寄せてくる――壁際に置いたままにしてあった子供用の靴を取り上げて、アルカードは靴の中に指を突っ込んでみた。

 二足四個の子供用の長靴が内部まできちんと乾燥しているのを確認して、乾燥機のスイッチを切って玄関に持っていく。先ほどチャイルドシートを運んだときに中まで水の入ったダナーのブラック・ホークⅡが視界に入ってきてげんなりした気分になりながら、アルカードは三和土に二足の靴を並べて置いた。

 四万四千円が水浸し。これが悲嘆というものか。

 とりあえず外側の水気は拭き取ったし、中には新聞紙を丸めたものをひとつ入れてある。温めて乾かすと革が乾燥するので、とりあえず新聞紙だけ取り換えてそのままにしておくしかない。

 ある程度湿気を吸ってくれたので、もう丸めた新聞は邪魔になるだろうと判断して、アルカードは適当に畳んで小さくした新聞を靴の中に入れた。ぎゅうぎゅう詰めにしても湿気が中にとどまって出ていかないので、一個だけ入れてあとは自然の循環に任せることにする。

 ふと思いついて、アルカードは寝室に足を向けた――家庭用電源のコンセントから直接USB機器に給電するためのアダプターと、この間電機屋に買い物に行ったときにキャンペーンでもらったまま放置していたUSB扇風機を持って戻ってくる。

 玄関のコンセントにアダプターを差し込んでUSBケーブルをセットし、扇風機の風が靴の中に入る様に角度を調整してから、アルカードはとりあえずそれで満足してリビングに取って返した。今彼の部屋にある子供たちの持ち物は靴と傘、それにタオルケット代わりに子供たちの体にかけてあるパーカーくらいしかない。

 おっと――

 そこで大事なことを思い出して、アルカードはキッチンカウンターの上に置いていた大皿に視線を向けた。子供たちが用意した生地で焼いたクッキーが、冷ますために皿の上に放置されている――犬用のクッキーはトレーのままコンロの上に、くだんのクッキーに含めていいか怪しくなってきたアレは、万が一でも混ざったら困るのでちょっと離して置いてあった。

 焼き上がったら、なにやらレッドパラソルみたいな色になっているのが非常に恐ろしい。まあ食べたところで、不気味な笑顔を浮かべたまま裸でプールに浮かんで死んだりはしないだろうが。バニラエッセンスをひと瓶丸ごと使いきったおかげか、匂いだけはまあまともな部類に思えなくもないが。

 クッキーに左手の指先で触れ、十分に冷めていることを確認してから、アルカードは食器棚の扉を開けた。食器棚の中をあさって大きめのタッパーウェアを取り出し、二種類のクッキーを種類にはあまり頓着せずに流し込んで蓋をする。

 食べ物をねだって鳴くテンプラに犬用のクッキーを一枚つまんで放り投げてやってから、アルカードは空いた皿を調理台に置いた。

 昼食のハンバーグの皿がほったらかしになっているので、シンクには置かない――わざわざたっぷり油のついた食器と混ぜてぎとぎとにして、水仕事を面倒にすることもあるまい。

 キッチンから出ると、物音に気づいてか秋斗が目を醒ましたところだった――寄り添う様にして眠っていた美冬が、その動きに気づいて目を開ける。

 まあちょうどいい――どのみちそろそろ起こさなければならなかったところだ。

 アルカードは目をこすっているふたりのそばに歩み寄ってかたわらでかがみこみ、

「ねえ、あっくん、みーちゃん――お母さんからさっき電話があってね。もうすぐ病院が終わるんだって。迎えに行っておうちに帰ろうか」

 ぱぁっと顔を輝かせてうなずく子供たちの頭を軽く撫でてやってから、アルカードは手を伸ばしてふたりの子供たちをそれぞれ抱き上げてソファから床に降ろしてやった。

「じゃあね、ふたりとも――あーはぶーぶーを取ってくるから、ここで待っててくれる?」 それまで肌掛け代わりにしていたパーカーを渡しながらそう言うと、ふたりの子供たちは素直にうなずいた。それを確認して、テーブルの上に置きっぱなしにしていたタッパーウェアを取り上げて足早に玄関に出る。

 リビングから廊下に出て、後ろ手に扉を閉めたところで、彼は靄霧態に変化した。一瞬視界が白濁し、次の瞬間にはジープの車内で再び人間態へと変化している。

 外から見えない様にシートの上で突っ伏した体勢から身を起こすと、相も変わらず大粒の雨滴がバタバタとフロントシールドを叩いていた――ジープ・ラングラーのフロントシールドは可倒式だし、ハードトップは三分割構造になっている。隙間から水が入ったりしなければいいのだが。

 アルカードは手にしたまま靄霧態に取り込んでいたタッパーウェアを助手席に放り出し、左手の中からシチューの具みたいに浮かび上がってきたキーケースを取り上げて、ジープのキーを取り出した。

 キーを回すと、猫が咽喉を鳴らす様なクランキング音とともにエンジンが始動した。少し回転が弱い――バッテリーの電圧が低下気味なのかもしれない。

 エンジンオイルがある程度循環するまで三十秒ほど待ってから、アルカードはアクセルを踏み込んだ――真冬で回転が安定しない場合ならまだしも、夏場に暖気など時間の無駄だ。エンジンオイルが循環するまで待てば、それで十分事足りる。

 アパートの門の前まで車を持っていこうかとも思ったが、アパートの門前は脇道から道路に出る一方通行で、アパートの門の前に車をつけるためには一ブロック一周しなければならない――それに二台通れる幅が無いので、止めっぱなしにするわけにもいかない。ここまで子供たちを連れてきたほうが、安全に乗せられる。

 アルカードはエンジンを作動させたまま再び靄霧態に変化し、玄関の上がり框で人間態に変化した――ソバを追いかけて玄関まで出てきていた秋斗が、突然出現したアルカードを目にしてびっくりした様に眼を見開く。

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