Evil Must Die 14

 アルカードは冷蔵庫のドアを開けてポケットに視線を這わせ、片側のポケットに収まっていた原色Tシャツと庇にラブ&ピースのマークが入ったキャップを身につけ、両手に唐辛子を持った左目にヒトデ型の星、右目に土星の様な輪のある星が収まった髑髏がプリントされたラベルの貼られた、一本を除いて未開封の瓶四本に手を伸ばした。

 ガスコンロは三ヶ所あり、十分な間隔があるので三ヶ所同時に調理出来る。空いた一ヶ所に鍋を設置、小袋入りのグリーンチリソースと瓶四本の中身をどばどば投入しつつ、緑と赤が混じり合ってなんとも言えない色になりつつある鍋の中身を見て、アルカードは顔を顰めた。

 卵の鍋の沸騰が始まったので小さなキッチンタイマーの時間を設定してスイッチを入れ、チリソースの鍋を弱火にかける。ついでにジャガイモに串を刺して柔らかくなっているのを確認してから、こちらも細切れにした人参を鍋に入れた。

 ふたりの子供たちをビデオカメラのフレーム内に誘導してから、秤で計量した粉類を砂糖と一緒にボールに入れ、秋斗に渡してやる――アルカードの知る限り、チョコチップクッキーとココアクッキーでは作り方が違うので、似た様なものをふたりに渡すわけにもいかない。

 美冬には室温に戻したバターを入れたボウルと柔らかい樹脂製のへらを渡して、混ぜ混ぜしてねー、と指示しておく。

 そこで鍋の状態を確認して、アルカードはチリソースの鍋の火を止めた。茹で卵の鍋もタイマーがあと十五秒だったのでついでに止め、ジャガイモと人参の鍋は水気が残っていたのでそのままにしておく。

 とりあえずは茹で卵の殻を剥いてしまわねばならない――冷めると殻と身がくっついてしまう。

 アルカードは鍋ごと水道の蛇口の下に翳し、鍋に水を足して手を入れられる程度にお湯の温度を冷ましてから、手早く卵の殻を剥きにかかった。 

 床の上に座り込んでそれぞれ渡したボウルの中身を混ぜ始めたのを見遣りつつ、アルカードは空を剥き終えた茹で卵を洗うために鍋の水を棄て、あらためて水道から水を注いだ。その間に、バターを先ほどとは違うフライパンに入れて弱火にかける。

 ただ単に溶かすことが目的なので、焦げつかせてしまってもいけない――状態を横目に確認しつつ、美冬のぶんの粉をココアパウダーと一緒にふるいにかける。

「あー、まぜたよ」 粉の入ったボウルを示してそう言ってくる秋斗に視線を向け、アルカードは鍋で溶けたバターをボウルの中に流し込んでやった。

「もう一回混ぜてあげて」

「わかった」 小さなへらを手に再び作業に熱中し始めた秋斗を見遣って小さく笑い、再度振るいに注意を戻す。

「これでいい?」 美冬がクリーム状になったバターの入ったボウルを見せてきたので、アルカードはちょっとへらですくって状態を確かめた。

「ちょっと待ってね」 用意したココアと強力粉、薄力粉を混ぜた粉をボウルに加えて美冬に返す。

「はい、もう一度」 母親が菓子作りが趣味だからか、作業の内容を横で見たことくらいはあるのだろう。美冬は勢い良くうなずいて、頭があんパンのヒーローの歌を歌いながら床に座り込んで再びボウルの中身を混ぜ始めた。

 その間に棚をあさって砂糖やバニラエッセンス、ベーキングパウダーなど要りそうなものを引っ張り出し、老夫人のお古の秤で計量していく。

 ひととおり粉の準備が終わったところで、アルカードはまず激辛クッキーから準備に取り掛かった。

 ダイニングテーブルの上のステンレスの小さなトレーの上から、その都度ミルで挽いてゆく七味唐辛子を取り上げる。手元をまともに見ないまま薄力粉と強力粉を混ぜた粉のボウルの上でミルを逆さにしたとき、硝子瓶に捩じ込むタイプのミルがぽろっとはずれてボウルの中に落下し、当然中身の七味唐辛子も粉の中へと降り注いだ。

 ミル本体は捩じ込み式なので、嵌め込み式の様な取り付けミスは無いはずだ、が――

「……」

 子供たちの悪戯だろうか。あるいは神の嫌がらせか。

「……」

 見なかったことにして、作業を再開する――唐辛子とか芥子の実とか陳皮その他の七味の材料が景気良く粉に混ざったが、まあ、大丈夫だろう。たぶん。きっと。おそらく。大丈夫だと思いたい。まあ、どんなにひどくても自分なら死ぬことはあるまい。

 振るいはすでにかけてあるので軽く混ぜ、そこに冷えて固まりかけていたバターを再度加熱して溶かしてから流し込む――こういう作業に向いている樹脂製のへらがもう無かったので、仕方無く目玉焼き等に使う様なステンレス製の返し用のへらでひたすらかき混ぜながら、アルカードは子供たちの様子を横目で窺った。だんだんテンションが上がってきたのか、子供たちはボウルの中身をかき混ぜながらそろって耳の無い猫型ロボットのテーマ曲を熱唱している。

 まあ楽しんでいるのは結構なことだ。

 元々がアウトドア用の金属製のターナーはひどく使いにくかったが、それは気にしないことに決めた――手間がかかるだけで出来ないことはないし、人を斬ったのと同じ剣で野兎を捌いていた五世紀前の戦場料理に比べれば、道具があるだけましなほうだ。ちょっと違う気もしたがそう自分に言い聞かせ、作業を続ける。

 そこでいったん手を止めて、アルカードはジャガイモの鍋の火を止めた。パンチングメッシュのステンレス製の笊にジャガイモと人参を出してお湯を切り、あとは熱で勝手に水気が飛ぶまで放置しておくことにする。ついでに手早く茹で卵の殻を剥いて、再度水に沈めておいた。

 子供たちの生地に今度は卵とバニラエッセンスを加えて再度混ぜる様に指示してから、自分のほうの作業に移る。と言っても、調味料として砂糖の代わりに唐辛子やらチリソースを使うだけで、作業工程はさほど変わらない。

 いい感じにヤバそうな刺激臭を漂わせている煮詰まったチリソースをボウルに流し込み、再び中身をかき混ぜながら、アルカードは首をかしげた――あれ? 俺、なんでこれを作ってるんだっけ?

 なんだか完成品が予想するだに不味そうな気がするのは、気のせいだろうか。

 まあもう作っちゃったから続けるか――胸中でつぶやいて、せめて匂いだけでもましにならないかと考えながらさらに練っていく。果汁でも混ぜたら少しは変わるだろうか――泥沼に嵌まるだけの気もするが。

 目が痛くなってきたのでいったん作業の手を止めたところで、子供たちが手にしたボウルを翳して見せてくる。

「あー、これでいい?」 へらで軽く練ってから、よさそうだと判断してアルカードはうなずいた。

「みーちゃんのほうのはしばらく冷蔵庫に置いとかないといけないから、あとにしようね――あっくんのは焼いちゃおうか」

 過熱蒸気レンジのオーヴンのスイッチを押して余熱の操作をしてから、アルカードは美冬のボウルを受け取った。練り上がった生地にスライスアーモンドを混ぜてから生地をラップに掻き出してくるみ、冷蔵庫に入れる。それから、アルカードは秋斗のボウルの中の生地にチョコチップを混ぜて、生地を練りながら硝子テーブルのところに持っていった。

 オーヴンシートを天板の上に広げて、好きな形にしてみてねと告げると、秋斗は目をキラキラさせながら尋ね返してきた。

「どんなかたちでもいい?」 アルカードは手本を示すためにオーヴンシートの上に置いた生地を掌で丸く押し潰し、

「あまり大きさがばらばらにならない様にすれば、どんな形でもいいよ」

 正確には生地の厚みが均等でさえあればいいのだが、二歳の子供にそれを理解させるのは難しいだろう――それにまあ、あまり大きすぎると食べにくい。厚みが不均一であれば、ふたりに見えない様にアルカードが調整すればいいだけの話だ。

 適当に丸めてオーヴンシートの上で掌で潰している秋斗と美冬を置いてキッチンに戻り、オーヴンの温度をチェックしてから水気の切れたジャガイモを硝子製のボウルに移す。

 細切れにした卵を上から撒く様にしてかけてから、アルカードは冷蔵庫をあさって昨夜神城忠信が持ってきたベーコンの塊を引っ張り出した――昨夜忠信が持ってきてくれたベーコンのうちいくらかを、冷凍せずに置いてあったぶんだ。無塩漬のベーコンを厚切りにスライスしてから細かく刻み、玉葱を炒めるのに使ったフライパンで炒めにかかる。

 油がまだ残っているし、鋳鉄製の鍋は熱しにくい代わりに冷めにくい。ちょっと弱火にかけるだけで十分事足りる。

 焦げ目がつくまで炒めたところで、小鉢に移す――鋳鉄製の鍋に入れっぱなしにしておいたら、なかなか熱が取れないからだ。

 リビングのほうに視線を戻すと、ちょうど最後のクッキー生地を硝子テーブルの天板の上のオーヴンシートに並べたところだった。

 オーヴンのトレーを二枚持っていってオーヴンシートごとトレーの上に移し、そのまま過熱蒸気レンジのところに運んでいく。十分に温度が上がっているのを確認してから、アルカードは過熱蒸気レンジの扉を開けてトレーをセットした。

 これでよし。

 タイマーを十三分にセットして、アルカードは一度大きく伸びをした――日本人の平均身長に合わせて作られたキッチンの作業場は、女性が使うことが前提のせいか、アルカードにはいささか低すぎてちょっと疲れる。

 腰痛になりそうだな――思いきり背中をそらすと、それまで過熱蒸気レンジの硝子製のフード越しに中の様子を覗き込んでいた秋斗と美冬が真似をして、腰に手を当てて体をそらした。

 苦笑しながら、ふたりをソファのところまで連れていく――囲いから出たがっている仔犬たちを出してやると、彼らはそろってアルカードの脚に前肢をかけた。

 仔犬たちを子供たちのほうに向かわせて、自分はキッチンに戻る――粗熱が取れているのを確認してから、アルカードはベーコンを卵の上からボウルに放り込み、マヨネーズや少量のマスタード、酢などと一緒に和えにかかった。

 十分に混ざったところでラップをかけて冷蔵庫に放り込み、リビングのほうに視線を戻す。

 タイマーの残り時間を確認してから、アルカードは飲み物の用意に取り掛かった。

 

   *

 

 銀色に輝く装甲に鎧われたアルカードの右腕が、まるでその周囲だけ陽炎でも発生したかの様にゆらりとゆがんで見える。目がおかしくなったのかと目をこすっても、やはり右腕の下膊周りだけがゆらゆらと絶えずゆがんで見えた。

 それに疑問をいだくいとまも無く、うねくる触手が金髪の若武者へと殺到する。

 固めた拳が触手の先端と衝突した瞬間、アルカードに正面から肉薄した触手が粉々に砕け散った。

 まっすぐに伸びた触手がそのままぐずぐずに擂り潰され、その破壊が瞬時に蜘蛛の本体まで及び、頭部の一部を吹き飛ばした。

「ぐぉぉぉっ……!」

 頭の中に、蜘蛛の苦鳴が響く――アルカードは笑っているのか上体をのけぞらせながら、蜘蛛を指差して何事か声をあげた。嘲弄の言葉を口にして、軽く左手を水平に振り抜く。

 金銀にきらめく粒子が再び蜘蛛の破損部分に集まって、破壊された肉体を再構成していく。

 肉体の破損個所はすぐさま修復されているものの――今の攻撃で負ったダメージで先ほどまでの『揺らぎ』が維持出来なくなったのか、それまで陽炎の様に揺らいでいた蜘蛛の姿が再びはっきりと視認出来る様になった。

「オォォォォッ!」 蜘蛛が憎しみもあらわに咆哮をあげると同時、その周囲の空間にバチバチと音を立てて電光が走った――次の瞬間青白い激光を放つ球体が十数個蜘蛛の周囲に形成されて、それが猛烈な勢いでアルカードに向かって殺到する。

 アルカードは肩越しにこちらを振り返ってから、再び前方に視線を戻し――近すぎると判断したのか、アルカードが再び人間離れした跳躍を見せてこちらと距離をとった。それを追う様にして曲線を描いて軌道を変え、光の球がアルカードに肉薄する。

 次の瞬間起こるであろう惨状を予想して息を呑んだ瞬間、アルカードが動いた――虚空から溶け出す様にして再び姿を見せた漆黒の曲刀をアルカードが振り翳すと同時に再び頭の中に絶叫が響き渡り、同時にその刀身に蒼白い電光が纏わりつく。

 アルカードは電光で黒い刀身を蒼白く染めた曲刀で、光の球を迎え撃った――野球のノックの様に打ち返された光球が別な光球に激突し、まるでビリヤードの様に互いにぶつかり合いながらあさっての方向にすっ飛んでいく。弾き飛ばされた光球のうちのいくつかは弾き返されるまま互いに跳ね返って、遮るものの無くなった蜘蛛の巨体に激突した。

 どうやらあの球体は、超高熱の塊の様なものらしい――見る間に蜘蛛の巨体が燃え上がり、そのまま黒々と炭化してゆく。

 それを見送って――アルカードが挑発する様に肩をすくめる仕草をした。頭部が完全に消滅した今の状態で、蜘蛛がそれを理解出来るとも思えないが。

 蜘蛛の体を包んでいた劫火が、突如として消失した――再び金銀の粒子を纏わりつかせて傷口を再構築していく蜘蛛を見遣って、アルカードがいい加減うんざりした様子で嘆息する。

 とはいえ、蜘蛛も相当消耗している様子ではあった――再構築のペースが、最初に比べるとかなり遅くなっている。このままさらに削り続ければ、蜘蛛はいずれ力尽きるだろう。

 蜘蛛の巨体が弱々しい光に包まれ、徐々に最初に見た程度の大きさまで縮まっていく――どうやら、あの巨体を維持する余力も無くなったらしい。

 そのときだった――視界の端で、なにかが動く。

 参道を駆け上がってきたらしい夫とその末弟――神城恭輔と陽輔の姿を認めたときには、すでに蜘蛛の振るった触手がそちらに向かってうねっている。

 スポーツ少年の陽輔はその場で呆然と棒立ちになっていたが、恭輔のほうは疲労困憊といった様子でその場に膝を突いて崩れ落ちていた。光の壁に遮られて警告の声は彼らに届かず、次の瞬間には鞭の様にしなった触手が蜘蛛の巨体を目にして茫然とその場にとどまっているふたりの姿を覆い隠した。

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