Evil Must Die 13

 

   *

 

 金髪の青年の体がまるでやんちゃな子供が癇癪を起こして投げつけた人形の様に吹き飛び、薙ぎ倒された楠木に背中から叩きつけられた。蜘蛛にとどめを刺そうとした瞬間、激光とともにアルカードの体が吹き飛ばされたのだ。

 立ち上がったアルカードの左膝はがくがくと震え、右腕が異様な方向に曲がっている。おそらく叩きつけられたときに衝撃で膝を痛め、右腕は折れたのだろう。

 頭を切るか擦るかしたのか、顔の半分を濡らす血をアルカードは左の掌でぞんざいに拭い取った。唾と一緒に血を吐き棄て、蜘蛛のほうに視線を戻す。

 御神木や周囲の土、破壊された神社の残骸がドライアイスの放つ煙の様に金銀に光輝く粒子を撒き散らしながら溶け崩れて消滅し、蜘蛛の体に流れ込んでゆく。

 蜘蛛の巨体はなにやらさらに肥大化を続け、絶えず色相を変える炎の様なものが全身を包み込んでいる。

「アウゴエイデスか――」 アルカードがつぶやく声が聞こえてきて、デルチャは自分たちを包み込んでいた光の壁が無くなっているのに気づいた。

 アルカードが重傷を負って壁を維持する余力が無くなったのか、あるいはなにかほかの理由か。

「ざあ、がぐ出来でぎだが、ぞう――」 発声器官が修復されたからか、形勢逆転と言わんばかりの優越感に満ちた口調で、蜘蛛がそう声をあげる。

「ざあ、恐怖ぎょうぶずるがいい、ぞじで絶望ぜづぼうずるがいい――所詮じょぜんざまごどぎでば、がみだるごのワジにがなうべぐもないのだ」

「絶望?」 蜘蛛の勝利宣言に、アルカードが鼻で笑う。

「人が黙ってりゃ調子に乗りやがって――その『ざまごどぎ』を相手に本体を繰り出さなければ傷ひとつ負わせられん雑魚神霊下等動物が、ずいぶんと嘗めた口を叩くものだ」 折れたはずの右腕を平然と掲げ、まるで試す様に手首を廻したり指を伸ばしたり曲げたりしながら、アルカードはそう挑発の言葉を口にした。よく見ると、先ほどまでまともに立てずにふらついていたはずなのに、何事も無かったかの様に普通に立っている。

「分際をわぎまえぬな、ざま――!」

「そっくり返してやるよ――不細工なもん繰り出しやがって」 激高した蜘蛛の罵声に素っ気無い返事を返し、たアルカードが口元をゆがめて酷薄な笑みが浮かべた。

 コートの下からコルクで封をされた小瓶を取り出し、それを足元の地面に叩きつける。まるで手芸用の小物の様な小さな硝子瓶が可愛い音を立てて砕け――同時に彼の足元で砕けた小瓶の中に封入されていたものらしい水銀の様な銀色の液体が、まるで地面から湧き出しているかの様に突然容積を増した。

 否、水をこぼした様に周囲に広がっているわけではない。だけでは、というべきか――銀色の液体は周囲に広がると同時にまるで生物の様に蠕動しながら盛り上がり、アルカードの両足に纏わりついたのだ。

 アルカードが両手の指先で膝のあたりまで這い上ってきた水銀に触れると、水銀は両手にも纏わりついて肘から先を包み込んだ。

 まるでスライムの様に蠢く水銀がアルカードの肘から先と膝から下に絡みつき、そのまままるで手甲の様に彼の両手足を覆っていく。一瞬ののちには、銀色に輝く籠手と脚甲が彼の両手足を鎧っていた。

「さっき俺は貴様に敵うべくもないと、そう言ったな――なら俺も言っておこう」 そこでいったん言葉を切って、アルカードは口元をゆがめて笑った。

「その認識は間違いだ」

 ご、と音を立てて極太の触手が鞭の様にしなり、アルカードを頭上から叩き潰す。

 轟音とともに地面が陥没し、地響きで視界が揺れた――触手が引き戻された跡にアルカードの姿を探すも、亡骸はもちろんのこと血痕や装備の残骸など、その場で彼が斃されたことを示唆する痕跡はなにも無い。

 ガチャガチャという装甲板のこすれ合う音とともに、デルチャのかたわらを通ってアルカードが前に出る。いつの間にかデルチャの背後まで移動して、先の一撃を躱していたらしい。

「やれやれ、どんどん大きくなっていくな」 ぼやいて、アルカードが軽く左拳を握り込む。その左拳の周りだけがまるで陽炎の様にゆがんで見えるのに気づいて、デルチャは軽く目をこすった。さっきと同じだ。

「というか、俺がさっき言ったことを全然理解してないな? 貴様」

 まあどうでもいいんだけどな。

 実際どうでもよさそうにそうこぼしてから、アルカードが拳を握り込んだままの左手を蜘蛛のほうに突き出して――親指で弾く様にして四指を広げた瞬間、銃声に似たぱぁんという破裂音とともになにかが蜘蛛に向かって飛んで行った――なんなのかはわからない。次の瞬間、蜘蛛の周囲の地面が四ヶ所、まるで砲弾が着弾したかの様に轟音とともに爆裂し、巨大なクレーターが生じた。

 ……? 蜘蛛の姿が陽炎のごとく揺らいだ様に見えて、デルチャは眉をひそめた。見間違いではない――周囲の光景やアルカードの後ろ姿は普通に見えているのに、蜘蛛の姿だけが間に陽炎をはさんだ様にゆらゆらと揺れている。

「やっぱりな――」 適当に肩をすくめて、アルカードがぼやく。

「ディストーションで防護してやがる」

「おお、ぞのどおりだども。ぜんむじげらぜいどはいえ、ぞのでいじぎばあるのだな。言っだであろう、ぞう――ぎまごどぎでば、がみであるごのワジはだおぜんど」

 そう返事をしてから、蜘蛛が凄まじい咆哮をあげた。鼓膜が破れるかと思うほどの凄まじい咆哮は瞬時に可聴範囲を超え、強烈な衝撃波となって押し寄せてくる。

 覚悟を決めて目を閉じるよりも早く、押し寄せてきた衝撃波はまっぷたつに分かれて背後に向かってすっ飛んでいった。

 地面が大きく削り取られ、彼らの足元の地面だけが先端を蜘蛛に向けた楔状に無事に残っている――まるで、そう、テレビでやっていたアルプスの番組で紹介されていた、雪崩を避けるために建物の山側に設ける楔状の壁の様に、なにかが衝撃波を引き裂いたのだ。

「俺も言ったはずだぞ?」 なにをしたのかもわからないまま、デルチャは魅入られた様に眼前に立つ若者の言葉に耳を傾けた。

「――そいつは間違いだってな」 そこでアルカードが小さく何事か口ずさむ。聞き覚えのあるフレーズとともに、彼女たちの周囲を再び光の壁が包み込んだ。

 再び触手の一本がしなり、アルカードの頭上に向かって降ってくる――アルカードは妙に滑らかに動く金属製の手甲に覆われた右手を握り込み、いったん脇に引きつけてからまっすぐに突き出した。

 

   *

 

 炒め終えた玉葱を適当な鉢に移し、ラップをかけて冷蔵庫に入れたところで、アルカードは火にかけたステンレスの鍋を見遣った。細かく切ったジャガイモを火にかけた鍋は、ようやく沸騰が始まったところだった。卵も別に茹でておかないといけないだろう。

 とりあえず時間潰しになにをしようかと考えながら、鶏卵を四個冷蔵庫から取り出して、小さなステンレスの片手鍋に入れ、そこに水を張ってコンロの上に置いて弱火にかける。

 ゆで卵が出来上がるまでの待ち時間の間に、クッキーの生地でも仕込んでおこう。銀紙で包装されたバターの塊を冷蔵庫から取り出していくらか庖丁で切り取り、それを小さな鉢に入れて放置してから、次の作業にかかる。

 薄力粉を用意して乾燥したステンレスのボウルと粉振るいを食器棚から取り出し、アルカードは薄力粉を振るいにかけ始めた。

 シャカシャカという粉振るいの音に興味を持ったのか、寄ってきた美冬がアルカードが薄力粉を振るいにかけているのを見てズボンの裾を引っ張った。

「あー、なにするの」

「ん? クッキーを作ろうと思ったんだけど、みーちゃんもやってみる?」

 お菓子を作るのだと聞いて、美冬がパッと顔を輝かせた――アルカードが実際に作ろうとしているのが犬の餌と、大人向けなのか嫌がらせのアイテムなのかよくわからない代物だということはわかっていないだろうが。

「やる!」

 まあ、美冬が作るのは普通に子供向けにすれば問題無いだろう。妹の歓声を聞いて様子を見に来た秋斗にも声をかけると、自分も作るという返事が返ってきた。

「どんなのがいい?」 そう尋ねると、

「ココアのクッキー」 美冬が表情をきらきらと輝かせて答えてくる。

「チョコチップ」 と、これは秋斗である。とりあえずココアもチョコチップもあるので、アルカードはうなずいた――材料の無いものを出されたらどうしようかと思ったが。

「じゃあ、まずは手を洗いに行こうか」 はーい、と素直に返事して、秋斗と美冬がアルカードについてリビングを出る。

 洗面台のところまで連れて行ってからひとりずつ抱き上げて手を洗わせ、再びリビングに戻り――子供たちが犬をかまい始めたら台無しなので、アルカードは仔犬たちを犬小屋に戻してから窓の外に放置してあった金網状の囲いで小屋の周りを囲った。

 そばでこちらの手元を見つけている子供たちの前で、薄力粉を振るいにかける作業を再開する。強力粉もいくらかあったほうがいいかもしれない。

 自分は犬のクッキーを作ればいいとして、子供たちはまともなお菓子を作らせてやるべきだろう。

 とりあえず犬用クッキーに使うために、薄力粉にゴマを混ぜたものを小さなボウルに入れて脇に置いておく。犬用クッキーはバターに限らず脂や調味料の類は一切使わずに水だけでまとめるらしいので、後回しでいい。

 棚の中から強力粉を探しにかかり、ココアパウダーとチョコチップも引っ張り出す。見つけたのでスライスのアーモンドもついでに取り出した――凛や蘭を預かるときに時間潰しのためにお菓子作りをさせたりしていたその残りなのだが、こんなところで役に立つとは思わなかった。

 アーモンド入りのココアクッキーとチョコチップかな――そんな風に出来を想像しつつ、バターの状態を確かめる。激辛クッキーは考えれば考えるほど、ジョークグッズかなにかにしか思えなくなってきたが。

 ふと思いついて寝室に向かい、デジタルビデオカメラを持って戻ってくる――せっかくだからビデオに撮って親に渡してやろう。

 テレビ台のイチローのホームランボールと巨大な木彫りの熊――出来ればもう少し小さいのにしてほしかった――、の間にカメラをセットして、硝子テーブルがフレームに収まる様に位置を調整する。

 場所をテレビ台の上にしたのは、外部電源のケーブルがそこでないと届かないからだ――テレビ台の高さがかなり高いのでケーブルの長さが若干不足気味の交流電源A Cアダプターを裏側のコンセントに苦労してセットしてから、アルカードは録画ボタンをオンにした。

 問題は激辛クッキーって、なにで辛くすればいいんだろう。鷹の爪? 粗挽き胡椒? それとも一味唐辛子だろうか。

 タバスコやチリソースでもいいかもしれないが、あいにくタバスコもチリソースも滅多に使わないので持ち合わせは無い。

 あとは昨夜のピザについてきたグリーンチリソースが、子供たちが食べられなくなるので使わずじまいで残っているからそれでもいいだろう。液体のまま入れるとクッキーの生地が緩くなりすぎるだろうから、完全に煮詰めて使うといいかもしれない――普通はクッキーの生地をこねるときに水分など加えないから、少しでも水気は飛ばすべきだろう。煮詰めている間に蒸気で死にそうな予感がしないでもないが。

 あとは――

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