Evil Must Die 12

「うぐっ」 パオラが間髪を入れずに返したその言葉に、アルカードが小さくうめいて口をつぐむ。

「どんな歌なんですか」 フィオレンティーナの質問に、パオラは自分で歌いたくはないのかかぶりを振った。彼女はお皿の上にあとひと切れ残った自分の分のパウンドケーキをフォークでつつきながら、

「それはノーコメントで」

 リディアがアルカードに視線を向けると、こちらもわざわざ歌う気は無いのか適当に視線をそらして黙り込んだ。

 変な沈黙で場の空気が沈む中、秋斗がダイニングテーブルの上に置かれたアルカードの皿に手を伸ばしている――そもそも子供たちに振舞うのにお菓子を作ったりはひととおり出来るものの実際のところ甘いものがさほど好きでもないアルカードは、自分のぶんを減らして子供たちの取り分にしたうえ、残ったぶんもまだ食べ切っていないらしい。

 アルカードは皿を取り上げて秋斗が手が届く様にしてやりながら、

「ま、そんなわけでお茶よりも吸収のいいアクエリがほしかったわけですよ」

 そう続けてから、アルカードは秋斗がパウンドケーキを口に運ぶのを待って皿をテーブルに戻した。

「ふうん。でも吸血鬼って、もっとタフなイメージあるけどね」 アルカードさんって、最強の部類に入る吸血鬼なんでしょ?という香澄の質問に、アルカードは肩をすくめた。

「あいにく吸血鬼だって、腹が減ったら行き倒れもするさ――そいつは俺が体験的に保証しておこう」

 行き倒れたことあるんだ――胸中でつぶやいて、リディアは席を立った。

 空いたお皿を吸うまい重ねてキッチンに運んでいくと、シンクの横の俎板の上にパウンドケーキのパッケージがふたつぶん放置されていた。

 『アーモンドとリンゴのパウンドケーキ』と『紅茶とレモンのパウンドケーキ』とそれぞれ印刷されたラベルが貼ってあり、違う箇所にバーコードと一緒に原材料が印刷されたラベルが貼附されている。

「洗剤とか借りてもいいですか?」 汚れ物を洗おうと考えて金髪の吸血鬼にカウンター越しに声をかけると、

「自分でやるからいいよ、ありがとう」 アルカードはそう返事をして、お皿をテーブルに戻して秋斗を足元に降ろした。

 テーブルの上の五百ミリペットボトル――訓練に持ち出したときの残りらしい――の中に残った液体をマグカップに残らず注ぎ、一気に飲み干す。アルカードはペットボトルの蓋を軽く締めてから、マグカップと一緒にカウンターの天板に置いた――自治体のごみ収集規則でペットボトルや瓶、缶は水洗いしてからゴミに出すことになっている。以前は食用油のボトルや瓶も水洗を義務づけられていたらしい――かえって始末に負えなくなるというごみ処理業者の意見具申で、七年ほど前から義務が解除されたらしいが。

 そろそろ全員お茶菓子が片づいたからか、パオラとフィオレンティーナが席を立つ。飲み終えたティーカップをまとめ始めたところでアルカードが自分でやるからと止めたので、フィオレンティーナとパオラは手を止めた。

「ごちそうさまでした。すみません、わたしたちはそろそろ戻りますね」 パオラがそう声をかけると、アルカードは親指でキッチンを指し示しながら、

「ああ、助かったよ――なにが要るのか知らないが、好きなものを持ってってくれ」

 はい、とうなずいて、パオラがキッチンに入ってくる。香澄も時計に視線を向けて、

「ごめん、アルカードさん。わたしもそろそろ帰るわ」

「ん」

 立ち上がった香澄に適当に手を振って、アルカードがダイニングテーブルから離れる。彼は応接用の硝子テーブルの上の食器を片づけながら、

「今度手をつけるまで、出来るだけ原チャリに乗らないほうがいい――はずれたスプリングがベルトに噛み込んだりしたら、交換部品が君が用意したぶんだけじゃ済まなくなるから」

「ん、わかった」 香澄がそう答えて、ソファの背もたれに引っ掛けていたデニムのジャケットを取り上げた。

「じゃ、来週の日曜が晴れたら来てもいい?」

「ああ――ただ『狩り』に出てるかもしれないから、一応先に連絡をしてくれ」

「わかった」 アルカードの言葉に、香澄が小さくうなずく。

 パオラが鍋やらお玉やらの調理器具をいくつか持ってキッチンから出るのについて一緒にキッチンから出ると、入れ替わりにアルカードが茶器を手にキッチンに入った。お手伝いのつもりなのか自分のぶんのお皿を手に、美冬がそのあとに続く。

 玄関に出ると、香澄がレインウェアを着込んでいるところだった――フィオレンティーナは寄ってきたテンプラの前肢の一方を持って、軽く左右に振っている。

 パオラは作業中に足りなくなった鍋とお玉を手に、サンダルを履いて扉を開けている――リディアはそれに続いて外に出た。

 まだ水滴の残っているヘルメットを手に、青いレインウェアを着込んだ香澄が共用廊下に出てくる。最後にフィオレンティーナが出てくると、玄関まで出てきたアルカードが一緒に出ようとしたウドンを呼び戻した。

「それじゃ、お邪魔しました」 香澄がそう言って、ヘルメットをかぶってから子供たちに手を振る。

 ばいばい、と美冬が手を振り返し、秋斗もアルカードのジーンズのズボンを片手で掴んで手を振っている。

「それじゃまた」 パオラがそう挨拶し、アルカードは軽く片手を挙げた。

「ボールあそびしよう」

「さっきいっぱいしてなかった?」 秋斗とアルカードがそんな会話を交わしている――それを見遣って小さく笑い、リディアはそっとドアを閉めた。

 

   †

 

 子供たちを促してリビングに戻ると、ソバとテンプラがじゃれついてきた――散々遊んでもらえたのがうれしいのか、すっかりテンションが上がっている。

 まるで酔っぱらったみたいにそこらへんをころころ転がっているテンプラを見遣って苦笑してから、アルカードは壁に掛けたブライトリングの機械式の掛け時計に視線を向けた――十時半。

 ということは、十一時くらいか――胸中でつぶやいて、子供たちに視線を向ける。掛け時計は内部の部品の摩耗が進んで、すでに正確な時刻を表示出来なくなっている。

 秋斗と美冬はじゃれついてきた仔犬たちの相手をするのに夢中になっている――先ほどボール遊びをしたがっていたことはもう忘れたらしい。

 アルカードは苦笑しながら、リビングを出て浴室に足を運んだ。

 頭上の高い位置に渡された二本のステンレスのパイプのうち一本に、ハンガーでかけられた服に触ってみる――シャツ類はいいのだが、分厚いジーンズのズボンがまだ乾いていない。股の部分など、分厚いデニム地が何枚も縫い重ねられている場所があって、そこがまだ乾いていないのだ。

 本当は、ズボンだけでも先に乾かしておければよかったのだが――まあ、子供たちの入浴が済んでからでないと浴室乾燥機は使えないし、それを言っても仕方が無い。

 もうしばらく放っておかねばならないだろう――化繊の服も混じっているので、あまり温度を上げられない。

 あと数時間はTシャツ一枚でいてもらうしかないだろう――骨が曲がった秋斗の傘は、さっき買ってきた補修キットでなんとかなる。修理の痕跡は残るが、それも愛着の材料にはなるだろう。

 胸中でつぶやいて、アルカードは傘を手にとってリビングに取って返した――美冬の傘は無傷なのでそのままでいい。

 それまで床に寝そべってソバを背中に乗せてはしゃいでいた秋斗がアルカードの手にした傘の惨状に気づいて、今にも泣きそうな様子で顔をくしゃくしゃにする。しゃくり上げ始めた秋斗を宥めながら、アルカードは子供たちの邪魔にならない位置に傘を置いた。

 手近のダイニングテーブルの上から傘の補修用キットを取り上げ、簡単に印刷された使い方を確認すると、どうやらプライヤーが要る様だった――自動車整備用のクニペックスのプライヤーは外のシェローに行かないと無いが、レザーマンのツールナイフであれば寝室の机の上にある。

 取りに行こうと体の向きを変えたとき、テレビ台の上の携帯電話がガタガタ音を立て始めた――平日は店の勤務時間帯は自動でマナーモードになる様に設定してあるので、着信音はしない。ただ、特定の番号だけ振動のパターンを変えることが出来るので、個人までは特定出来なくてもチャウシェスク・神城のいずれかの関係者であることだけはわかった。

 テレビ台のそばに歩いて言って携帯電話を取り上げると、神城孝輔からの着信だった。

「もしもし」 通話ボタンを押して返事をすると、

「もしもし、孝輔だけど。連絡が遅れてすまない――今大丈夫か?」

 アルカードは積み木を積み上げてから崩して犬を驚かせて喜んでいる美冬と、こちらをじっと見つめている秋斗を見遣って苦笑しながら、

「ああ、大丈夫だ。今のところふたりとも、いい子にしてくれてるから問題無い――犬の遊び相手をしてくれるから、助かってるくらいだ」

「じゃあ、体調は問題無さそうか?」

「大丈夫だと思う――綾乃さんの検診が終わったら車で拾って、まとめて家に送るってことで話がまとまってる」

「それは助かるよ。やっぱり嫁さんも車に乗せる様にしたほうがいいかなあ」

「それは気にしなくていいんじゃないか――妊娠してる間は車の運転はしないって、ふたりで合意して決めたんだろ? 運転する必要があると思ったら自分で言うだろうさ――ただ、一回決めたことだからほしくなっても遠慮するかもしれないし、話を振るだけ振ってみればどうかな」

「そうするよ」

 孝輔はそう答えたところで、

「すまない、もう仕事に戻らないといけないから切るよ」

「ああ、それじゃ」 通話を終えてから、アルカードは充電と放電を連続して繰り返したせいかひどく熱くなっている携帯電話をテレビ台の上に置いた。

 こちらをじっと見つめている秋斗に小さな笑みを見せてから、寝室に足を向ける。

 銃火器のメンテナンスを行っているためにガンオイルやグリス、火薬の匂いのする寝室で作業台代わりになっている机の上に無造作に放り出されたレザーマン・チャージを取り上げる。折りたたまれたプライヤーを展開しながら、アルカードはリビングに取って返した。

 子供が犬の相手をしているのか犬が子供の相手をしているのかいささかわかりづらい有様になって仔犬とくんずほぐれつしている子供たちを見遣って小さく笑い、そのまま壁にもたれかかる様にして床に折り敷く。

 それに気づいて、秋斗がこちらに寄ってきた――テンプラを抱きかかえたままぺたんと床に座り込んだ秋斗に一瞬視線を投げてから、傘を開く。

 骨の尖端に差し込まれたキャップを抜き取って傘の布をはずし、傘の補修自体はしたことがあるので手早く補修していると、かたわらに座り込んだ秋斗は興味津々という風情でこちらの手元を覗き込んでいた――傘の補修自体は骨を元通り伸ばして金属製の板でくるむことで補強するだけなので、たいした手間でもない。

 補修は滞り無く済んだので、骨組の先端に布地を縫い止めたキャップを差し込み直して傘を開いてみる――補修金具の角で布地が裂けたりしないことだけ確認してから、アルカードは傘を閉じた。

「はい、直ったよ」 傘を秋斗に差し出してやると、秋斗はうれしそうに傘を開いたり閉じたりし始めた――傘の骨や皮膜がサイドボードの置物に引っ掛かって落ちたりしないかだけ心配しつつ、足にしがみついてきたテンプラの頭を軽く撫でてやる。  

 仰向けに寝転がってテンプラとウドンにじゃれつかれている美冬を見遣って、

「ねえ、ふたりともお昼ご飯はなにがいい?」

 美冬は反応を示さなかったが、それを聞いて秋斗が顔を上げ、

「ハンバーグ!」

 美冬のほうを見遣ると、こちらは特に希望は無いらしい。

「ん、わかった」 アルカードはうなずいて、足首にしがみついたままのテンプラをやんわりと引き剥がした。

 とりあえずは昼食の準備のほうから、先にやるべきだろう。胸中でつぶやいて、アルカードはキッチンに入った。シンク脇の頑丈なフレームからフックで吊り下げた鋳鉄製のフライパンを取り上げてガスコンロの五徳の上に置く。

 分厚い鋳鉄製の鍋は過熱に弱いので弱火にかけて、アルカードは冷蔵庫の野菜庫から取り出した玉葱を手早く剥きにかかった――玉葱で目が痛くなるのは嫌いなので、手早くやって痛くなる前に済ませるに限る。

 ケーキを切るのに使った波刃セレーションのパン切り庖丁を使い回して飛び散る玉葱の汁と戦いながら調理する気には到底なれなかったので、アルカードは波刃庖丁をシンクに置いて新たに別の包丁を取り出た。パウンドケーキを切り分けるのに使った硬質硝子の俎板を軽く水洗いして、玉葱を刻みにかかった。

 玉葱を微塵切りにしてから、火にかけたフライパンにバターを落とし、俎板の上から玉葱を移す――バターが広がるまで玉葱で塗りつける様にして掻き回してから、アルカードは金属製のへらを置いた。あとは完全に崩れるまで、ちょくちょく掻き回しながらしばらく放っておけばいい。

 あ、でもクッキーも作らないとな――胸中でつぶやいて首をかしげつつ、アルカードは冷蔵庫の中身を思い浮かべた。牛挽肉が確か一キログラム、ほかの必要な材料もすべてそろっている。三人分にも十分に足りるだろう。

 とりあえずは野菜庫から人参と、食器棚の脇の段ボールの中からジャガイモを取り出す。付け合わせはポテトサラダにでもしよう。

 俎板の上に放置していた庖丁を軽く水洗いしてから、アルカードは土のついたジャガイモの皮を剥きにかかった。

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