Evil Must Die 10

 金髪の吸血鬼は壁から体を離しつつ、

「さすがに目の前で三十人以上の吸血鬼を始末する光景を見られたあとじゃ、誤魔化し様が無かったんでな」

「あ、おかえり。お邪魔してるね」

「ああ」 アルカードはそう返事をして、手にしていたホームセンターのテープが貼られた小さなパッケージをダイニングテーブルの上に放り出した。パッケージに印刷されたカラフルな文字は『キット』しか読めなかったが。

「おかえりなさい。傘、見つかりました?」 パオラの質問に、アルカードはうなずいた。

「ああ、見つかった。でもあっくんの傘の骨が折れてるから、あとで修理しないとな」 飼い主の帰還に気づいて足元に寄ってきたウドンのそばにかがみこみ、顎の下をくすぐってやりながら、アルカードはそう答えてきた。傘は持っていない――リビングに入ってくる前に、風呂場にでも置いてきたのだろう。

「あ」 香澄が声をあげたので、フィオレンティーナは画面に視線を戻した。どうやらヒローエンはすでに始まっていて、どうやら花嫁に子供が花束を渡す演出があるのか、新郎の神城孝輔と並んで立つ女性――ウェディングドレスとメイクで昨夜とは見違えるほど華やかな姿の綾乃に、金髪の女の子ふたりが花束を持って歩いていく。

 が、蘭と凛が新郎新婦まであと数歩のところで足を止めて、きょろきょろと周りを見回し始めた。

『どうしたんだろ』

『さぁ……』

 陽輔とアルカードのそんな会話が、小さな声で聞こえてくる。

あわてて近寄っていった式場のスタッフにあやちゃんがいない、と訴える声が、音量こそ小さいもののしっかり入っていた。

 花嫁姿の綾乃が自分を指差してここにいるとアピールしているのだが、どうも化粧と衣装で印象ががらっと違うせいか綾乃だとわからないらしい。

 終いには『あやちゃんどこぉぉぉぉ!?』と泣き叫んでいるふたりに、デルチャがあわてて小走りで近づいていった。

「昨夜言ってたのってこれですか」 苦笑しながら、パオラがそんな言葉を口にする。

「ああ、これだ。蘭ちゃんも凛ちゃんも泣きやんでくれなくて、結局花束贈呈はうやむやになっちまった――最終的にはみんな笑って和やかな雰囲気になったから、まあ良かったが」

 そう答えてからアルカードはウドンを片手で抱いたまま立ち上がり、

「まあ面白さだけで言うなら、デルチャの妹の二回目の結婚式のほうが面白かったがな。三百六十度全面硝子張りで、東京湾を望む大パノラマとか、そんな触れ込みの披露宴会場だったんだが――間の悪いことに当日が大時化でな。おかげで空は曇天、雲の動きも滅茶苦茶速くて、時々雷撃で宴会場が真っ青に染まる。考え様によっては、なかなかスペクタクルで楽しかったぞ」

「そんなのアルカードだけです」 というフィオレンティーナのコメントに肩をすくめ、アルカードは香澄に視線を向けて、

「で――香澄ちゃんはどうしたんだ? なにか用事?」

「そうそう、昨日言ってた原付の話なんだけどね」 アルカードのところに行こうとしているのか膝の上で身じろぎした秋斗を床に降ろしてやりながら、香澄がそう答える。

「ああ」 アルカードがそう返事をして、足元に寄ってきた秋斗のかたわらにかがみこんだ。

「さっき近所にある整備工場に行ったんだけどね、チャウシェスクさんのお店で見たことのある人だったからアルカードさんの友達だって言ったら、今忙しいからアルカードさんにやってもらえって言われたんだけど」

「やる気ゼロか」 悩ましげにこめかみを親指で揉みながら、アルカードはそんなコメントを口にした。

「つまりあれか、池上さんのところに行ったのか――ここらへんの町工場って、池上さんのところくらいだしな」 あのおやっさんなら、確かに言いそうだ――ぼやきながら、ズボンの裾を掴んだ秋斗の体を抱き上げる。

「んー、でも工場の中に車がたくさん停まってたからね。忙しいっていうのは本当なんじゃない? というわけで、やっぱりアルカードさんに頼めないかと思ったんだけど」 香澄の話の最中に、アルカードの携帯が鳴る。

 アルカードがポーチの中から取り出した携帯電話を開いてなにやら確認してから――どうやらそのとおりらしいな、とつぶやいて携帯電話をポーチに戻した。

「なにが?」

 香澄が尋ねるとアルカードは秋斗の体を一度降ろしてジャケットを脱ぎ、それをダイニングテーブルの上に放り出しながら、

「君の話が――今、その町工場のおやっさんからメールが来たよ。今忙しくて手が回らないから、面倒見てやってくれとさ」

「友達なの?」

「まぁね」 そう答えてから、アルカードは足首にしがみついているウドンの体を抱き上げて秋斗に抱かせてやった――耳元に鼻を近づけて匂いを嗅いでいるウドンをくすぐったそうにしながら抱きかかえて、秋斗が歓声をあげる。

「部品はあるのか」

「うん、おじさんが売ってくれた。紙パッキンみたいなのとスプリングが二個。おじさんのスクーターと同じ車種だからって」 ダイニングテーブルに置いてあったポリ袋の中から細かいパッケージを取り出して、香澄がそう返事をする。

「ペーパーガスケットもか――まあ、クランクケースカバーをはずすときに破れるかもしれないし、あったほうがいいな」

「うん。それと、これ」 そう付け加えて、香澄はまだ中身の残ったポリ袋を差し出した。黒いポリ袋なので中身はわからなかったが、『パティスリーしくらめん』と印刷されている――しくらめんの意味はわからなかったが、パティスリーは洋菓子屋のパティスリーだろうか。

「ん?」 アルカードが片手を伸ばし、差し出されたポリ袋を受け取って中を覗き込む。

「作業やってもらうのに機嫌とっとこうと思って、お土産をね」

 なるほど、とアルカードはうなずいた。要するに今日でなくとも、池上の工場で手が回らないという作業を頼むためにごまをすりに来たということなのだろう。甘いものが格別に好きというわけでもないアルカードにごまをするのなら、お菓子よりも日本酒のほうがいい気がするが。

「なるほど」

 袋の取っ手をまとめて持ち直し、アルカードが少しだけ笑う。

「じゃあせっかくだから、お茶でも用意しようか。客がたくさんいるしな」

 アルカードがそう言ってキッチンに姿を消す――電気ポットは持っていないからだろう、薬缶を火にかけるカチャカチャという音が聞こえてきた。

 シンクの下の戸棚の扉の裏から庖丁を取り出しているのだろう、金属同士のこすれ合う音が聞こえてくる。

「紅茶とコーヒーと緑茶とどれがいい?」 カウンターの向こうからそんな質問が飛んできて、皆が口々に返事を返す――アルカードはコーヒーを淹れるためのブリュワーという濾し器の様なものを準備してから、お湯が沸くのに時間がかかるからか薬缶を放置してキッチンから出てくると、窓の外に視線を向けて、

「ただ、やるにしても今日はちょっとな」

「そうね」 降り注ぐ大粒の雨を見遣って、香澄が同意した。

「というか、香澄ちゃんは今日は仕事は?」

「今日は休み」 そう返事をして、香澄がテンプラに向かってちっちっと舌を鳴らす――彼女は足元に寄ってきて足首にしがみついたテンプラの体を抱き上げ、仔犬が首元に頭をこすりつける感触に目を細めながら、

「今日はシフト入ってないから」 こう雨が酷いと陽輔と遊びにも行けないしね――香澄がそう付け加えてから、

「おじいさんたち、まだ帰ってきてないの?」

「午後を回るらしいぜ――デルチャに電話したらそう言ってた」 そう答えて、アルカードはソバの頭上に手を伸ばした。後足で立ち上がり、差しのべられた指先を前肢で捕まえようとしているソバに目を細め、ちょっと指先を下げてやる。

 前肢でアルカードの指先に掴まる様にして後肢立ちをしているソバを片手で抱き上げて、アルカードはその場で立ち上がった。

 彼は耳元に鼻を近づけて匂いを嗅いでいるソバにくすぐったそうにしながらパオラとリディア、フィオレンティーナを順繰りに見回して、

「時間を取らせて悪かったな、三人とも」

「いいえ」 リディアが小さくかぶりを振るのを視界の端に捉えながら、フィオレンティーナはなにを見つけたのかテレビ台のところで足を止めた美冬の姿を視線で追った――テレビ台のところにと一緒に壁際に置かれたラックの上にネズミのキャラクターがプリントされたブリキのバケツが置いてあるから、それに興味を持ったらしい。

 高さの異なるラックを複数組み合わせたテレビ台は高さにばらつきがあり、バケツが置かれたテレビ台は他のラックに比べて背が低い。それでもバケツは美冬が背伸びをして、やっとのことで手が届く高さにある――だが、逆に言えば背伸びをすれば手が届く。

 バケツの取っ手を掴んだところで、爪先立ちが限界に来たのか美冬が後方に向かってバランスを崩した。

「あ――」 そちらに踏み出しかけるが、間にパオラの体やダイニングチェア、床に座り込んだ秋斗とウドンの体があってまっすぐ近づけない――ブリキの中身がなんなのかはわからないが、美冬の様子を見ると相当重そうだ。

 取っ手を掴んだままのバケツが、美冬に引っ張られてぐらりと傾く――尻餅をつく様にして倒れた美冬に向かって、ブリキのバケツがラックの上から落下した。

 蓋がはずれて、中から無数の小銭や紙幣があふれ出す――どうやらあのバケツの中身は、派遣先から使わずじまいで持ち帰ってきた海外の貨幣や紙幣の類らしい。

 あのままいったら、中に貨幣の大半が残った重いバケツが美冬の脚の上に落ちるだろう――焦燥が意識を焼いたとき、突然周囲の湿度が上がってむわっとした厭な空気が押し寄せてきた。

 異常な高湿度は一瞬で始まり、一瞬で収まった――瞬時に靄霧態を取り、そしてそれを解除したアルカードが倒れかけた美冬の背後に実体化し、彼女の背中に手を添えて倒れかけた美冬の体を左手で支えながら落下してきたバケツの底に右手を添える。

 アルカードはそのままバケツの底にかけた手を腕ごと捩ってバケツの向きを上向きに変え、あふれ出しかけた硬貨の大部分をバケツですくい取った――すくいきれなかった硬貨がジャラジャラと音を立てて床に散乱するのにはかまわず、アルカードはバケツをいったん宙に投げ上げてから取っ手を掴んで床の上に下ろした。

 床に散乱した硬貨や紙幣はとりあえず放置して、腕全体で背中を支える様にして抱き止めた美冬に気遣わしげな声をかける――その声が疲れている様に聞こえたのは、たぶん気のせいではないだろう。

 周囲に水蒸気の無い、もしくは少ない環境だと、真祖が靄霧態を取るときには自分の肉体を霧に変換するために自身の水分を消費する。このため、大気中の水分子の量が少ない環境で靄霧態を取ると脱水症状に似た消耗を伴うのだそうだ。

 大気中の水分子の量が同じでも気温や気圧によって飽和水蒸気量に対する水蒸気の割合、つまり湿度は変動するので、湿度が高ければいいというものでもないのだろうが――数値で判断するなら湿度のパーセンテージではなく、実際の空気中の含有水蒸気量が重要になってくる。

「大丈夫?」 美冬はびっくりして目を見開いたままアルカードを見上げると、そのままわんわん泣き出した。

「ごめんねーごめんねー」

「はいはい、びっくりした? もうしないね」

 アルカードがべそをかきながらうなずく美冬の体を抱き寄せて、頭を撫でてやる――背中をなだめる様に軽く叩いてやりながら、アルカードは視線をすぐ横で床に座り込んだ秋斗に転じた。

 床の上に散らばった無数の貨幣を興味深げに覗き込み、そのうちの一枚をつまみ上げた秋斗に、

「あっくん、それはお菓子じゃないよ」 あーにちょうだい、と手を伸ばすアルカードに、秋斗は返事をしなかった――代わりに手にした金貨を翳して、

「あー、これなに」

「これ? 外国のお金だよ」

「おかね?」

「そう、お金。お母さんがお店でお菓子とか食べ物と取り換えっこしてもらってるのを見たこと無い?」 その言葉に、秋斗がしばし黙考する。

「ある」

 アルカードは手を伸ばして、秋斗の手から金貨を取り上げた。

「まあ、これはだいぶ昔のものだから、これをお店に持っていっても使えないけど」 アルカードが翳したその金貨を目にして、貨幣集めが趣味だった父親の蘊蓄に幼いころつきあわされていたフィオレンティーナは飲みかけのお茶が気道に入って咳き込んだ――アルカードの手にした金貨の表面は、髪の生え際が後退した髭面の男の横顔。アルカードが手にしたコインを裏返すと、ドイツ帝国の各小邦共通の双頭の鷲があしらわれたデザインが見えた――表面の髭面の男はおそらくヴィルヘルム一世、ドイツ帝国が成立した一八七一年にプロイセンから発行された二十マルクコインだろう。

 アンティーク硬貨としては抜きん出てすごい価値があるというものでもないが、それなりに稀少な品には違い無い。よく見ると床に散乱した貨幣は長野オリンピックの記念硬貨のモーグルの五百円玉から一八〇〇年代初頭のカルロス四世の肖像が彫られた八エスクード金貨まで、様々な硬貨が混じっている――あのバケツをあさったら貴重な貨幣が山ほど出てくるかもしれない。

「きらきらしててきれいだねえ」 秋斗がそんな感想を口にして、再度受け取った金貨をまじまじと見つめる。秋斗は金貨をしばらく見つめてから意を決した様に顔を上げて、

「これほしい」

 アルカードはそれを聞いて秋斗と手にした金貨を見比べると、あっさりとうなずいた。

「いいよ。でもそれ、お店でお菓子と取り換えたりは出来ないよ」

「たからものにする」 持ち帰る許しをもらった金貨を大事そうに掌で包み込み、秋斗はニコニコしながらそう返事をした。

 アルカードは拾い集めた貨幣の残りをブリキのバケツの中に次々と投げ込み――それ一枚売り捌いただけでひと財産築けそうな稀少な硬貨がチラリと見えたのは気のせいだろうか――、美冬は特に興味を示していなかったので元通りに蓋をしてテレビ台の上に戻した。さっきのことがあるからか、いくつかのラックを組み合わせたテレビ台の中で一番高い、子供たちは絶対手が届かない高さのラックの天板の上に壁際に寄せて置く。

 お湯が沸いたのかしゅんしゅんと言う音がキッチンから聞こえてきて、アルカードはそちらに向かって歩き出した。

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