Evil Must Die 7

 光の壁が形成されるのを確認したからか、アルカードはそれでこちらから視線をはずして再び蜘蛛に向き直った――体の再構築を終えた蜘蛛がまるでターンテーブルの上にでも載っているみたいに、足も動かさずにその場でぐるんと旋廻してアルカードのほうに向き直る。

「よぐもやっでぐれだな、ぞうよ――ごんばざっぎの様にばいがんぞ」 それは蜘蛛の声なのだろうか、耳には聞こえていないのに、くぐもって聞き取りづらい濁声が聞こえてくる。まるで脳が直接声を聞いているかの様に――

 その言葉に対してだろう、アルカードは相手にもしていない様子で耳の後ろを指で掻いた――それで激昂したのか、蜘蛛が怒声とともに触手を振るう。

ざまァ!」

 数本の触手が高々と先端をもたげ、花が開く光景を逆回しにしたかの様に先端の蜘蛛の顔が爪に覆われた。どうやら蜘蛛の顔を包み込んでいた表皮が硬質化して、爪を形成するらしい。

 それを目にしてのことか、金髪の青年が掌で顔を覆って盛大に嘆息する――次の瞬間アルカードが跳躍し、一瞬遅れて触手が五本、獲物に襲いかかる蛇の様にアルカードに向けて様々な方向から殺到した。だが最初の触手が鈎爪を突き立てたときには、アルカードはすでにそこにはいない。

 信じられないことに十メートル以上の高さまで跳躍したアルカードが、ゆっくりと笑う。

 背後から肉薄した触手を空中で体をひねり込んでギリギリのところで躱し、目に見えないなにかを手にした右手を振るう――巨木のごとき太い触手が瞬時にずたずたに切断され、切断された肉片のひとつがこちらに向かって落ちてきた。

 肉片といっても、そのひとつだけでミニバンほどのサイズがある代物だ――当然、下敷きになればひとたまりもない。逃れようと立ち上がるよりも早く、蘭を抱きしめて目をつぶる暇すら無いまま、巨大な肉の塊は彼女たちを覆った光のドームに激突した。

 一瞬強烈な激光が視界を塗り潰し――次の瞬間、光のドームの表面をずるずると滑って肉塊が地面にずり落ちる。光のドームの表面を滑り落ちた肉片が地面にふれるよりも早く、肉片も光のドームの表面にへばりついたどす黒い液体も金銀の粒子を撒き散らしながら分解されて消滅していく。

 アルカードは切り刻んだ触手を足場にして右手に手にしたモノ――おそらくは棒状の物体なのだろうが――を構え直し、別の触手を迎え撃った。

 ――ギャァァァァァァッ!

 肉片が衝突したときも小さな物音ひとつ聞こえなかったにもかかわらず、その叫び声はやけに鮮明に脳裏に響いた――アルカードが手にしたものを振るい、突っ込んできた触手の爪を迎え撃つ。

 次の瞬間に起こったことは、デルチャにはよくわからなかった。アルカードの繰り出した一撃と接触した瞬間、触手の爪が粉砕され、アルカードに突進するためにまっすぐになっていた部分がぐずぐずに擂り潰されたのだ。

 細かく擂り潰されて挽肉の様な有様になった肉片が、それが蜘蛛の血なのかどす黒い液体とともに周囲に雨霰と降り注ぐ。

 これは、いったいなに……?

 自分が細かく震えているのをそのときになってようやく自覚しつつ、デルチャは到底人間のものとは思えないアルカードの戦闘を茫然と見上げていた。

 アルカードが一撃を振るうたびに空気が逆巻いて悲鳴をあげ、そのたびに猛烈な衝撃波が吹き荒れる。アルカードがそれまで足場にしていた触手の上から跳躍して触手の攻撃から逃れ、真下から肉薄する蜘蛛の顔面を露出させた別の触手を迎え撃って剣を振るったその瞬間、擂り潰された肉塊が叩きつけられると同時に石畳が派手に陥没した。

 破壊されて宙に巻き上げられた石畳の破片をアルカードが空中で掴み止め、突進してきた触手めがけて投げ放つ――投擲された石くれが肉薄してきた蜘蛛の触手の先端に命中し、まるで大口径の大砲を近距離から撃ち込まれたかの様に触手の先端が爆裂した。

 あれはいったいなんなのだ――パワー、スピード、身体能力、すべてが人智を超えている。

 茫然と見上げるデルチャの視線の先で、アルカードが手にした物体を振るう――半ばから切断された触手が先ほどの閃光で燃え上がった雑木を薙ぎ倒し、どうも表皮を濡らす液体に引火性があるのか一気に炎に包まれた。

 残る触手の最後の一本が、先端の蜘蛛の口からどす黒い液体を吐き散らしながらアルカードに肉薄する――アルカードは空中で体をひねり込んで、そのまま蜘蛛の顔面を蹴りつける様にして迎え撃った。

 先ほど掌打の一撃で二本の触手を迎え撃ったときと同じ様に、強烈な閃光が視界を灼く――触手の先端部分が完全に粉砕され、衝撃で表皮がずたずたに裂けてどす黒い液体が所々から噴き出した。

 三十メートルを超えるであろう高さまで跳躍したアルカードが、粉々になった石畳の上に平然と着地する。

 手にした不可視の物体を肩に担ぎ直す仕草を見せて、蜘蛛に何事か声をかけているのかアルカードが左手で適当に手招きしてみせた。

 ぎぉぉぉぉっ! アルカードの挑発を受けてか、蜘蛛のあげた咆哮が脳裏に響き渡る――やはり目に見えない武器を軽く振り抜く様な仕草をして、アルカードが再び地面を蹴った。

 

   *

 

「お邪魔します」 アルカードの部屋のリビングに入ると、ぶかぶかのTシャツ一枚着せられただけの状態で椅子に座らせられた小さな女の子の背後で彼女の髪をいじっていたアルカードが振り向いた。

 よく観察すると、女の子は昨夜集まった凛の親戚のひとりだと知れた――ソファのところでは、男の子がテンプラとじゃれあっている。

「おはようございます」 リディアはいつも通り朗らかに、フィオレンティーナはお世辞にも気乗りのしない表情で声をかけた。

「おはよう」 さして気に留めた様子も無く返事を返してから、アルカードはパオラに続いてリディアとフィオレンティーナまで部屋に入ってきたことをいぶかしんでか首をかしげ、

「ずいぶん大所帯だな」

「お邪魔になりますか?」 パオラがそう尋ね返す――自分ひとりでは子供ふたりに目を届かせ続けるのが難しいということで、パオラに頼まれてついてきたのだ。

「否、助かるよ。人数は多いほうがいいから。急に呼び出してすまないね」

「お気になさらず」 朗らかに笑って、リディアがそんな返事を返す。彼女はかがみこんで足元に寄ってきた仔犬の鼻先に指先を差し出し、穏やかな口調で先を続けた。

「わたしはここ、好きですし」

「その返事は誤解を招くと思うぞ」

 再び女の子の髪を編む作業に視線を戻して、吸血鬼がそんな返答を返してくる――つくづく器用なことに、簡単なヘアアレンジもこなせるらしい。

「そんなのも出来るんですか」 リディアがそう声をかけると、アルカードはうなずいた。

「昔な」 それ以上の説明をする気は無いらしく、アルカードはダイニングテーブルの上に置きっぱなしにしていた飾りつきのゴム紐を取り上げて、髪の端末をくくりにかかった――右側から伸ばした大きな三つ編みが完成したところで、アルカードは女の子の肩を両手でぽんと叩き、

「はい、出来ました」 さすがに洒落た鏡の類の持ち合わせは無いらしく、代わりに大きな姿見の前に導いてやる。

 なにやらうれしそうに何度も体の向きを変えて新たな髪型の見栄えを確認している女の子から視線を離して、アルカードはあらためてこちらに視線を向けた。

「話は聞いてるか?」

「簡単には」 かたわらのリディアがそう返事をしたので、アルカードはうなずいた。

「じゃあ、すまないがよろしく頼む。退屈だったらみんなでビデオ観ててくれてもいいし――エイリアンと2と3と4とプレデターと2と、ターミネーターと2とエイリアンvsプレデターとハンテッド、あとはブレイドとブラックホークダウンとダイハードと2とランボーと怒りの脱出と……まあとにかくそんなのしか無いけど」

「そんなの、小さい子と一緒に観られないですよ」 フィオレンティーナは唇を尖らせて、アルカードにそう反論した――教皇や教会上層部はそういった暴力的な映画やビデオゲームにお世辞にもいい顔はしないが、フィオレンティーナもそういった映画のさわりくらいは知っている。フィオレンティーナ自身はホラー映画の類はお世辞にも相性がいいとは言い難いので、あまり好きにはなれないのだが。

「ごもっとも」 反論の言葉も思いつかなかったのか、アルカードは適当に肩をすくめた。

「というか、ターミネーターって3ありませんでしたっけ」 とパオラが疑問を口にすると、アルカードの顔からいきなり表情が消えた。彼はHAHAHAとうつろな笑い声をあげ、合成音声みたいな抑揚の無い口調で、

「なにを言ってるんだパオラ、ターミネーターは2で終わってるぞ? 2のターミネーターの頑張りを台無しにした3なんぞ存在しない」

 なにやら厭な思い出になっているらしい。アルカードは能面の様な不気味な無表情でそう言ってから、テレビ台のHDDレコーダーを指差した。

「なんだったらレコーダーにアン●ンマンとか録画してあるから、それでも活用してくれ――あ、あとはジブリがいくつかあったな」

 そう言って、アルカードは男の子――秋斗のそばにかがみ込んだ。

「ねえ、あっくん。みーちゃんも。あーさあ、これからあっくんたちの傘を探しに行ってくるから、ちょっとだけこのお姉ちゃんたちと一緒にいてくれる?」

 ふたりが小さくうなずくと、アルカードはにこりと笑って手を伸ばして子供たちの頭を優しく撫でた。

 フィオレンティーナのかたわらを通り過ぎ、アルカードがリビングから出ていく――なんとなくそれを追う様にして廊下に出ると、アルカードは外出用のブーツに靴を履き替えているところだった。

「どうした?」

 肩越しにこちらに視線を向けて、アルカードがそう声をかけてくる――答えずにいるとその沈黙をどう取ったのか、

「そんなに長い時間手間は取らせないから、心配するな――どんなに長くても十五分もあれば終わる」 立ち上がりながら、そう言ってくる――その体がうっすらと透け始めているのに気づいて、フィオレンティーナは眉をひそめた。

 あい態だ――ロイヤルクラシックは大気中の水分を触媒にして、その中に溶け込む形で霧に姿を変えることが出来る。

 靄霧態を取ったロイヤルクラシックは空気中にある程度の水分の存在する範囲内では非常に高速で移動することが出来るし、大気中の水分子の量によって運搬可能な重量は変わるもののある程度の量の荷物を持ち運ぶことも出来るから、その状態で傘を探しに出るつもりなのだろう。

 ロイヤルクラシックが靄霧態を取る場合、周囲の水蒸気量の少ない環境では、形態変化の触媒として自身の体内の水分を使わなければならない。このため乾燥した環境では持続時間が短く大きな消耗を伴うが、雨が降っている様な多湿環境においてはほとんど消耗も無く、長時間霧の姿を取ることが出来るはずだ。

 霧の姿のままで周囲の状況を把握出来るのかという疑問は残るが、よく考えてみればそれも可能なはずだった。アルカードはフィオレンティーナの生家でのグリゴラシュとの戦闘の際、周囲に霧を発生させてから、それを触媒に靄霧態を取って瞬時にグリゴラシュの背後に廻り込み、攻撃を仕掛けている――真祖が靄霧態を移動手段として使うことがある以上、周囲の状況を検索する能力もあるはずだ。

 わざわざ外出用の格好をするのは、傘を回収するためにいったん実体化する必要があるからだろう。

「じゃあよろしく頼む――あとでなにか差し入れるから」 振り返ったアルカードの瞳が、魔力発動のために金色に輝いている――適当に手を振って、アルカードの姿が完全に宙に溶け込む様にして消失した。

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