Evil Must Die 6
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携帯電話はまだ充電中だが、電話をかけることは出来る。充電しながら電波を出すと電池が傷むのだが、すでにへたっているのでもうどうでもいい――さっき電池が駄目になっているのに気づいた時点で、子供たちを家に送った帰りにでも新品を買ってこようと決めたので、もう用済みなのだ。
そもそも、充電しながら電話やメールを使ったりすると傷む時点で、携帯電話の電池には問題があると言わざるを得ない――充電中に電話がかかってきたら、充電を止めなければならないからだ。
というよりそれがはっきりわかっているのに携帯電話本体を使わないと電池に充電出来ない仕様を十年以上も続けている、携帯電話のキャリアの態度にこそ問題の根幹があると思うのだが――携帯電話会社が即座に導入を検討しなければならないのはなにもしていなくても突然火を噴く粗悪な電池を使っている林檎ではなく、バッテリーパック単体で利用可能な充電器だ。
まあ結局のところなにが悪いって、機種が変わるだけでバッテリーをバラバラにしているメーカーの姿勢に問題があるのだが。みんな同じ規格で作れば、もっと値段も下がるし充電器だって作り易いだろう。
そんなことを考えながら、アルカードはテレビ台の上に置いてあった携帯電話を取り上げた。電力不足で自動でシャットダウンしていた携帯電話の電源を入れると、メールの着信がすぐにあった――時々メールの着信が(アルカードが更新している店のホームページの自動配信も含めて)数件あるのだが、それらとは時間帯が違う。
メールは不在着信通知だった。神城恭輔、忠信にデルチャ、陽輔。凛と蘭の携帯電話からの着信もある。先ほどの時点で百五十件を超えていた不在着信が、二百十三まで増えていた。
「電話しすぎだろ」 ぼやいて、アルカードはデルチャの番号を呼び出した。
孝輔のほうにも子供たちが行方不明になった知らせは入っているだろうが、彼は官僚なのでこちらから電話をかけても出られる可能性は低い――この時間だと、国会が開催されているからだ。
あとでメールを送っておけば事足りるし、そのメールでわからないことがあれば時間のあるときに電話をしてくるだろう。
神城家の実家のほうは、今頃家族総出で捜索に出ているに違い無い――今は恭輔のプリウスと陽輔のカプチーノ、それにステップワゴンの三台あるはずだから、分乗して捜索に出ているのかもしれない。忠信のトミーカイラZZは窓すら無い代物で、おまけにここ数年間ほとんど動かしていない車検切れの車なので役に立つまい。
そんなことを考えながら、アルカードは恭輔の番号を選んで発信ボタンを押した――一度目の呼び出し音が終わるよりも早く、回線がつながって相手が出た。
「アルカード? ああよかった、やっとつながった! 突然ごめん、手を貸してほしいの!」 聞こえてきたのはデルチャの声だった――彼女は運転免許を持っていないので、手が空いていたから夫の電話に出たのだろう。
「声大きいぞ、デルチャ――あっくんとみーちゃんの件なら片づいた、もう俺が保護してるから心配いらん」
「え?」 デルチャが拍子抜けした様な声をあげる――アルカードはしばらく考えてから、
「本条さんの屋敷の近くで保護したんだ。傘を失くしたらしくてずぶ濡れになってたから、一番近い俺の部屋に連れてきた。綾乃さんの検診が終わったら、一緒に家まで送ることになってる」
「そう」 心底安堵した口調で、デルチャが返事をしてくる。
「ねえ恭輔、あっくんとみーちゃん、アルカードが保護したんだって」
「あ、そうなのか? じゃあ引き揚げるか――陽輔と親父に連絡しといてくれ」
電話口の向こう側で、そんな会話が聞こえてくる――あ、そうなんだ、という声は蘭のものだ。おそらく周囲を見回す役に、子供も駆り出しているのだろう――いちいち保留にしなくても、マイク部分をふさぐくらいはしようぜデルチャ。
「オーケー――アルカード?」
「おう?」
「ありがとう。じゃあとりあえずこっちは捜索切り上げるね」
「ああ。そういえば、親父さんから電話はあったか?」
「こっちに着くのが午後だって言ってたから、わたしたちもそれに合わせてそっちに顔出そうかと思ってる。お酒いっぱい買ったって言ってたから、アルカードもどう?」
「それまでにあっくんたちを送っていければ邪魔するよ」 そう答えて、アルカードは軽く首をかしげた。
「じゃあ、忠信さんと陽輔君の連絡は任せていいな?」
「うん。そっちは任せといて」
「じゃあまたあとでな」 そう答えて、アルカードは電話を切った。
あとは孝輔君にメールか――メーラーを立ち上げて、簡単に文を打ち込んでいく。
タイトルは『脅迫状』、『あっくんとみーちゃんは預かった。たっぷりと可愛がってから家に送っていくので心配するな』――そんな文を書いてから送信ボタンを押したところで、
「アルカード」 名前を呼ばれて、アルカードはリビングの入り口に視線を向け――そこでぽかんと口を開けた。
頭のてっぺんから爪先までずぶ濡れになったパオラが、全身から滴をぼたぼたと滴らせながらこちらに半眼を向けている。
「よう。水も滴るいい女って言葉があるが、ずいぶん色っぽくなったな。イメチェンか?」 その言葉にパオラがますます視線の温度を下げるのだが、アルカードは平然とその視線を受け流した。
たぶん着衣のままで子供たちだけ風呂に浸からせようとして、子供たちにふざけてお湯でもかけられたのだろう――タンクトップがべっとりと肌に張りついて下着の線が透けて見え、健康美にあふれるボディラインがはっきりとわかる。
なるほど、あれが寄せて上げてしていないのなら、蘭が彼女を指してふわふわと称するのもわからなくもない。胸が十分実っているのにウェストがきゅっとくびれているのが、健康美にあふれたプロポーションに匂い立つ様な色艶の華を添えている。とりあえず水気をまったく拭き取らずに絨毯をぼとぼとにしているのは、アルカードに対する当てつけのつもりなのだろうか。
「あの子たちにお湯をかけられたんです」
「そうか」 足元でジーンズの裾に鼻先を近づけ、ふんふんと匂いを嗅いでいるソバの体を抱き上げながら、
「そんなこったろうと思ったよ」
「まったく、なんで恋人でもない男の人の部屋でお風呂になんか入らなくちゃいけないんですか」
愚痴るパオラに、アルカードは適当に肩をすくめた。君が俺が入らせようとするのを止めたからだよと返答しようとして、それをしたらパオラがもっと怒りそうだったので止めておく。
「悪かったな、おかげで助かったよ。君が来てくれたおかげで、早めに済ませたい用事がふたつ同時に片づいた」 そこでふと思いついて、
「ところで、君の用事はなんだったんだ?」
「今頃ですか」 さらにちょっと視線の温度を下げてから、パオラは片手を腰に当てた。
「ちょっと調理器具を借りたかったんです。フィオに料理でも教えておこうと思ったんですけど、昨日買ったぶんだけじゃ足りなくて」
「ああ、そうだな。栄養失調で死んじまう前に自炊させたほうがいいな」
パオラの脇から扉をくぐってリビングに飛び込んできた子供たちを見遣って、アルカードは軽く同意した。
子供たちは丈の長いTシャツを着せられ、脚の間で裾を軽く縛られている。また駄目にならなければいいが。床の上に座り込んでテンプラとじゃれ合っている秋斗とこちらの足元に寄ってきた美冬を順に見遣ってから、
「用件はわかった。なんでも好きなものを持って行ってくれ――ただ、すまないがあと十五分ばかりここにいてくれないか」
「どうしてですか?」 アルカードは秋斗と美冬を見下ろして、
「この子たちを保護する前に、傘を風に飛ばされたらしくてな。それを探してやるって約束したんだ」 俺が戻ってくるまでの間、この子たちがふたりだけにならない様に様子を見ていてやってほしい――そう続けると、パオラは形のいい眉をひそめた。
「十五分で探し出せるんですか?」
「たぶんもっと早い――俺の探し方は、人間とは違うからな。幸い雨のおかげで湿度が高いから、五分もかからないだろう」
その言葉でアルカードがどうやって捜索するつもりなのか見当がついたのだろう、パオラは小さくうなずいた。
「わかりました。でもとりあえず、着替えてきてもいいですか? フィオとリディアも待たせすぎてますし」
「ああ、もちろんかまわない」
出ていくパオラを見送り、びしょびしょになった絨毯を見遣って溜め息をつく。自然乾燥に任せるとカビが生えることがあるのでとりあえず新聞でも敷いておこうと考えて、アルカードはそれまで腰かけていたソファの肘掛けから立ち上がった。
そう、それと子供たちの服を浴室乾燥機で乾かしておかなければならないだろう。すぐに動かしたら衣服と下着類とで二度動かさなければならないから、実際に動かす必要は無い――それは下着の洗濯が終わったあとか、終わる直前にでもやればいい。
でもとりあえずは、ハンガーにかけて干す用意くらいはしておいてもいいだろう。
*
轟――!
無いなら――そろそろ殺すぞ。
そう告げた次の瞬間、アルカードの総身から放射された凄まじい圧力に、デルチャは小さく息を呑んだ。
殺意が物理的圧力を伴って押し寄せてきたとでも表現すればいいのか、もしその殺意が自分に指向していればその圧力だけで息の根を止められてしまいそうなほどの、大きな壁の様な殺気が肌を粟立たせる。
「オ……オォオアオオオォォオォッ!」
その殺気を受けて――蜘蛛が轟咆をあげた。
びきびきと音を立ててその巨体がさらに膨張し、それに応じて周囲の石畳が、薙ぎ倒された手水屋が、そこからあふれ出した手水が、へし折られた招霊木が、叩き潰された狛犬が、まるで常温環境下に放置されたドライアイスが煙を発して解けていくかの様に金銀の粒子を撒き散らしながら消滅し、その粒子が蜘蛛の体に流れ込んでゆく。
生え出した触手がうねうねと蠢き、その先端がまるで蕾の様に展開して、中から小さな蜘蛛の頭が顔を出す。
アルカードは気にした様子も無い――馬鹿にしきった表情で、風船のごとく膨れ上がってゆく蜘蛛の肥大化を見守っている。
「さっきの話聞いてたか、おまえ」 といったのは自重とパワーの折り合いの話だろう。がりがりと頭を掻いて、アルカードは口元をゆがめて笑った。
アルカードが軽く指を曲げる様な仕草を見せ――
――ぎゃぁぁぁぁぁっ!
――ヒィィィィッ!
――アァァァァッ!
突然頭の中に響き渡った叫び声に、デルチャは身をすくませた。今のは鼓膜を介して聞こえてきた絶叫ではない。脳が直接聞いたのだとでも表現しようか、まるで頭の中に直接音が響いたかの様に、耳をふさいでも悲鳴はまるで小さくならなかった。
「さて――」 アルカードの口元が歪む――軽く膝を落とし、前のめりに倒れ込む様にして体勢を沈め、アルカードは石畳を蹴った。
ドゴンという爆発音にも似た轟音が、鼓膜を震わせる――それがアルカードが石畳を蹴りつけた音だということを理解するのには、若干の間を要した。
蹴り足に粉砕された石畳の砕片が飛び散り、同時にアルカードが蜘蛛に肉薄した――のだろう、たぶん。
先端に蜘蛛の顔面が形成された巨大な触手がうねり、次の瞬間には半ばから切断されている――いつの間にそんな位置まで移動したのか、アルカードは巨大な蜘蛛の後方にいた。
アルカードは、なにかを振るった様な体勢を見せている――ただし、手にはなにも持っていない。別の触手がふたつうねり、左右からアルカードに向かって襲いかかる――アルカードは地面になにか棒状の物体を突き立てる様な仕草を見せてから、胸の前で両手を交差させる様な姿勢を取り、
「
咆哮とともにアルカードは両手を左右に突き出して、左右から肉薄してきた触手の先端に両手の掌をそれぞれ叩きつけた――それでいったいなにをしたのか太陽を間近で見たかのごとき閃光が視界を塗り潰し、次の瞬間触手先端に形成された蜘蛛の頭が粉々に砕け散った。おぞましい色の肉片とどす黒い液体がびちゃびちゃと音を立てて飛び散り、腐臭にも似た悪臭が漂ってくる。
ずたずたになった触手がのたうって周囲に汚らしい液体を撒き散らし、続いて金銀の粒子を集めて破損部分を再構成していく。それを無視して、アルカードは悠然と石畳に突き刺したなにかを引き抜く様な仕草を見せた。
そのまま視線をめぐらせて、アルカードがこちらを見遣る――否、正確には異常事態におびえて泣きわめく腕の中の蘭だろうか。
「Ra――」
アルカードが口を開く。彼はデルチャには理解出来ない言語で、歌とも呪文ともつかぬ一文を朗々と詠み上げた。ラ・ティルト?
次の瞬間板硝子を針で引っ掻く様な厭な音が聞こえたかと思うと、さらにその次の瞬間には絶えず色相を変える光のドームの様なものがふたりを包み込んでいる。
周囲の音は聞こえなくなり、先ほどまで充満していた腐敗臭に似た悪臭も臭わなくなった。
おそらくなにか、防壁の様なものなのだろう――時折光の壁のそこかしこがちかちか光っているのは、どうしてなのかよくわからないが。
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